豊島八十八カ所

豊島八十八カ所巡り(19)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

1日は、例によって豊島の札所めぐりに出かける。いつの間にか残りが少なくなってきたことでもあり、年内に結願すべく気合を入れて回る。

 

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札所13番 重林寺

今回の打ち始めは、以前お葬式の真っ最中でお参りできなかった、池袋の札所13番・重林寺にした。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。最寄りの東武東上線・北池袋駅から歩いて10分足らずだが、JR池袋駅からだと、北口から15分ほどで着く。

重林寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。お寺が創建された詳しい時期は明らかでないが、慶安2(1649)年に亡くなった秀誉和尚を開祖としている。

頭上には首都高速5号線が通る川越街道に面した立地で、車の往来が非常に激しい場所だが、山門を一歩入ると中は静かそのもの。掃除が行き届いていて美しい境内には、天文24(1555)年に造られた庚申講関連の板碑や享和3(1805)年建立の百八十八カ所(四国と坂東、西国、秩父)巡礼供養塔があり、歴史をしのばせる。

このお寺には、弘法大師自筆とされる不動明王の画像が寺宝として伝えられている。明治23(1890)年の本堂の工事の折、梁から落ちた屋根職人が本尊に触れ、偶然発見されたものだ。まさに〝怪我の功名〟である。
また、大正12年の関東大震災で倒壊した以前の山門は、大久保彦左衛門の屋敷から移築したものという。
(重林寺 東京都豊島区池袋本町2-3-3=2009年12月1日巡礼)

 

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札所82番 西光院

重林寺からほぼ真西に歩き、札所82番の西光院に向かう。直接訪れる場合は、東武東上線の大山駅から川越街道を越えて歩いて15分ほどだ。

西光院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。詳しい開山時期は不明だが、過去帳の記載から元和2(1616)年以前の創建とみられている。

バス通りから駐車場を兼ねた広い参道が延びた先にある境内は緑に覆われ、23区内の寺院とは思えない雰囲気。庫裏の玄関前にある井戸には電気ポンプが設えてあって、いまなお現役のようだ。
山門の脇には薬師堂がある。正徳年間(1711~16)に当時の武将が妻の眼病平癒を願って建立したもので、秘仏の薬師如来のほか、日光・月光両菩薩や十二神将を祀る。山号や寺号に薬師如来を連想させる「医王山薬円寺」という名前が付いているのは、このためだろうか。

山門前のスダジイは樹齢400年以上の巨木で、板橋区の登録文化財になっている。 板橋七福神の大黒天を祀る。御開帳は元日から7日まで。
(西光院 東京都板橋区南町31-1=2009年12月1日巡礼)

 

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札所80番 西光寺

西光院からさらに西へほぼ一直線、札所80番の西光寺に向かう。1文字違いで札番も近接していて、ちょっと紛らわしい。日大病院のすぐ近くのお寺で、東武東上線の大山駅から歩いて20分強の道のり。山門が細い路地に面していて、人通りの多い商店街からはちょっと回り込む形になる。

西光寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。古くからこの地にあった観音堂に、地元の有力者が田畑を寄進したことがお寺の始まりと伝えられ、さまざまな資料から1640年代の開基であることは間違いないようだ。明治3(1870)年に当時の広沢賢隆住職が、境内に寺子屋を建てて地域の子どもたちの教育に当たったという資料が残る。

このお寺で有名なのは、「代かき地蔵」伝説。田植えを目前にして代かきが終わらず頭を抱えていた農民が、たまたま現れた若い僧侶にそのことを話すと、翌朝には代かきが終わっていた。驚いた農民が泥のついた足跡をたどると地蔵堂があり、中に祀られていた地蔵の足が汚れていたという。
豊島の札所でたまに見聞される農耕伝説の類だが、大昔のこの地域が農村地帯で、人々の信仰が篤かった証でもある。現在のご住職も、お地蔵さまのような柔和な方である。板橋七福神の布袋尊を祀る。
(西光寺 東京都板橋区大谷口2-8-7=2009年12月1日巡礼)

 

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札所22番 延命寺

西光寺からバスと地下鉄を乗り継いで、札所22番の延命寺へ向かう。都営三田線の志村坂上駅から歩いて5分ほどの、住宅街にあるお寺。

延命寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は地蔵菩薩。大永4(1524)年、北条氏が江戸城を攻撃した時に巻き添えになる形でわが子を失った、時の志村城主の家臣・見次権兵衛が自らの住まいを寺にしたことを開基とする。江戸時代には将軍が鷹狩りをするときの休憩所となった格式の高い寺で、当時は御座所や御成門もあったという。

境内には、板橋区最古の建長4(1252)年作の板碑や切支丹灯篭などがある。かつては「こぶ欅」とよばれた、幹の中央部に大きなこぶのあるケヤキの古木がそびえ立っていたが、現在は枯死して樹幹だけが保存されている。
(延命寺 東京都板橋区志村1-21-12=2009年12月1日巡礼)

 

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札所86番 龍福寺

延命寺から中山道を渡り、札所86番の龍福寺に向かう。こちらも住宅街の中にあるお寺だが、近くに目標となるような建物がなく、道に迷ってしまった。直接訪ねる場合は、都営地下鉄三田線の志村坂上駅から歩いて10分ほど。

龍福寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来。室町時代末期、赤羽にある豊島札所69番・真頂院の隠居寺として創建された。

境内左側には、大き目の薬師堂がある。こちらに祀られている秘仏のお薬師さまは、お寺のある台地の下にあった荒川の「七々子崎(ななこざき)」という入り江から天長年間に見つかったものという。山号が「薬王山」とあるのは、このお薬師さまに関係しているのだろうか。ちなみに小豆沢という地名は、平将門への献上品を積んだ船がこの入り江で沈み、その積荷の小豆が流出したことに由来することが、お寺の古文書「薬師縁起」に記されている。

現在では隣接する龍福寺会館でコンサートなどを手掛け、文化行事に力を入れるお寺として名高い。
(龍福寺 東京都板橋区小豆沢4-16-3=2009年12月1日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(18)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

21日は久しぶりに、豊島八十八カ所のお参りに出かけてきた。今回は北区内のお札所を巡る。

 

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札所69番 真頂院

以前訪れた時に法要中でお参りできなかった、赤羽の札所69番・真頂院からお参りする。

真頂院は真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来。大宮・浦和方面から上野に向かうJRの電車が荒川を渡ってすぐ、左側に大きな伽藍が見えるのでご存じの方も多いのではないだろうか。JR赤羽駅からは歩いて15分ほど。

環八通りとJR3路線の線路に囲まれるような立地で、電車も自動車も往来が激しいが、広い境内は思ったより静か。山門の扉は通常は閉ざされているが、脇にある駐車場から境内に入ってお参りできる。山門の脇のお堂には、正徳4(1714)年に作られたというお地蔵様が鎮座する。境内には元徳2(1330)年と記された石碑もあり、相当古いお寺のようだ。
開山当初は天台宗に属し、後に真言宗に転じた。初代住職が出身地の信州諏訪から1396年に勧請した諏訪神社の別当を、江戸時代まで務めていた。明治36(1903)年の赤羽大火では、地域の避難所として機能したという記録も残る。古くから地域コミュニティの中心となっていたのだろう。

歴史ゆえにお檀家さんの数が多いのだろうか。私が本堂の前でお勤めしているわずかな時間にも、墓参りの人が絶えない。
(真頂院 東京都北区赤羽3-16-3=2009年11月21日巡礼)

 

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札所38番 西蓮寺

真頂院から環八通りと北本通りを歩き、札所38番の西蓮寺に向かう。

西連寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。東京メトロ(地下鉄)南北線の志茂駅から「志茂銀座」と呼ばれる商店街を抜け、歩いて7分ほど。開基は弘安年間(1278~88)で、それを裏付けるように本尊の阿弥陀如来像は最近行われた修理で、鎌倉時代に作られたことが分かった。境内の板碑群ともども、北区の有形文化財に指定されている。

境内は枯山水の禅宗寺院のようなお庭になっていて、手入れが行き届いていて美しい。客殿は近年整備されたおしゃれな建物だが、和風の境内と不思議にマッチしていて、違和感がない。施主の意向を十分に理解した、建築家のセンスが光る。

このお寺の隠れた見どころは、100メートルほど離れた場所にある境外仏堂の「福聚観音」。コンクリート打ちっ放しの、ブティックのような瀟洒な建物の中に観音さまが祀られている。造り付けのおみくじ機は、百円玉を入れると、NHKテレビの「ピタゴラスイッチ」に登場するような仕掛けが動き、おみくじが出てくる仕組み。からくりがガラス越しに観察でき、子どもが喜ぶことは請け合いだ。
(西蓮寺 東京都北区志茂4-30-4=2009年11月21日巡礼)
※西蓮寺の公式ホームページはこちら

 

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札所39番 専福寺

西蓮寺から北本通りを南に進み、札所39番の専福寺へ。志茂駅から歩くと10分ほどか。墓地を貫くように延びる参道は、豊島のお札所でよく見られるタイプ。

専福寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。寛文元(1661)年に江戸幕府の旗本が開いたお寺と伝えられ、地元では「神谷薬師」の愛称で親しまれている。

本堂には本尊とともに、「願地蔵」というお地蔵様を祀る。持ち上げると願い事がかなうのだそうで、子どもの健康や子育てのほか、豊作や不動産取引などにもご利益があるのだとか。

こちらのお寺は、お納経を頂く庫裏の入り口がちょっと分かりづらい。本堂手前にある一見すると玄関のようなドアは、客殿のもののようだ。回りこんだ場所にある庫裏のドアを開けると、かわいく人懐っこい猫が出迎えてくれた。
(専福寺 東京都北区神谷3-32-11=2009年11月21日巡礼)

 

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札所40番 自性院

専福寺から札所40番・自性院へはほんの数分。地下鉄利用だと、南北線の志茂、王子神谷の両駅ともに歩いて10分足らずの距離。JRの東十条駅からは15分強だ。

自性院は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。開基は明らかでないが、室町時代の板碑が残る古刹である。環七通りと北本通りが交わる車の往来が激しい場所にあるが、緑に覆われた境内は静けさが広がる。山門を入ってすぐ右側には、大師堂が建つ。

本尊には「水不動」の愛称が付いている。かつては水害に悩まされたこの地域で、水難除けの仏さまとして大切にされてきたのだろう。お寺の東200メートルほどのところには隅田川が流れる。昭和30年代の半ばまでは、現在の環七通り新神谷橋の付近に「宮堀(神谷)の渡し」があり、庶民の足として、また西新井大師の参拝客の輸送で多くの利用があったという。
(自性院 東京都北区神谷3-45-1=2009年11月21日巡礼)

 

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札所79番 清光寺

隅田川沿いに建つ団地や学校の間を縫うように進み、札所79番の清光寺に向かう。自性院からは15分ほど、東京メトロ南北線の王子神谷駅からは10分足らずで着く。

清光寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は秘仏の不動明王。11月3日の文化の日に本堂の落慶法要を行い、境内は装いを一新している。

このお寺の開基は、鎌倉時代に活躍した豪族・豊島清光とされ、寺号は彼の名にちなむものだ。
清光はかつてこの一帯を支配しており、霊場名や地域を表す「豊島」も、一族の苗字に端を発している。平家の流れをくむ一族でありながら、源頼朝をよく助けたことで知られる。15世紀に入ると、豊島氏は24番・自性院も舞台となった太田道灌との戦に敗れて安房(現在の千葉県南部)に逃れ、その後は悲運の歴史をたどる。

本堂には本尊のほか、区の文化財に指定されている清光の坐像を祀る。寛保2(1742)年に作られた僧形の彩色木像で、柔和な表情が印象的。本堂の前には清光の供養塔もある。
(清光寺 東京都北区豊島7-31-7=2009年11月21日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(17)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

8日の日曜日は、例によって豊島八十八カ所の巡礼に出掛けてきた。今回は、日暮里・田端周辺のお札所にお参り。

 

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札所5番 浄光寺

JR日暮里駅を出て、まずは札所73番の養福寺に向かうが、あいにく法事の真っ最中。お参りをあきらめすぐ近くの札所5番・浄光寺にお参りする。

浄光寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。日暮里駅から西日暮里駅にかけて、JRの線路沿いに寺社が密集する地帯の中心に位置している。開基は定かではないが、鎌倉時代末期の武将・豊島左衛門尉経泰が、信州の諏訪大社から勧請した諏方神社の別当として創建したという伝承も残る古刹である。

境内に入ると、すぐ左側に高さ3メートルほどの、銅製の大きなお地蔵さまが祀られている。こちらは、「江戸最初の六地蔵」の3番札所として知られている。一般的に知られる江戸六地蔵は1708(宝永5)年に地蔵坊正元が発願し、主要な街道筋に建立されたものだが、浄光寺が属する六地蔵はそれより古く、1691(元禄4)年に開創されたものだが、こちらは現存するものが少なく知られているとはいえない。

荒川区地籍といえ、このあたりは一般的には“谷根千”の一角として認知されている地域。私がお参りしている間も、カメラを持った観光客の姿が目立った。
(浄光寺 東京都荒川区西日暮里3-4-3=2009年11月8日巡礼)

 

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札所56番 与楽寺

浄楽寺からJRの線路に沿うように田端方向に進み、札所56番の与楽寺に向かう。直接向かうなら、JR田端駅から歩いて5分ほど。

与楽寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は地蔵菩薩。弘法大師がこの地に寺院を建立したのがお寺の始まりと伝えられる。元々はこの周辺の本寺格で、広い境内や通りから延びる長い参道に往時の面影が残る。

本尊のお地蔵さまは弘法大師作と伝えられ、「賊除け地蔵」として親しまれている。はるか昔、与楽寺に賊が押し入った時、どこからともなく何人もの僧侶が出てきて賊の侵入を防いだ。その翌朝、本尊のお地蔵さまの足が汚れているのが見つかったことから、「賊除け地蔵」と呼ばれるようになったとされる。その時以来、本尊は秘仏になっている。

このお寺は江戸六阿弥陀の札所4番となっているほか、豊島霊場と同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。多くの霊場の札所を兼務しているのも、歴史と格式ゆえか。
(与楽寺 東京都北区田端1-25-1=2009年11月8日巡礼)

 

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札所66番 東覚寺

与楽寺からいったん田端駅に出てランチ。その後は坂を下り札所66番・東覚寺に向かう。お正月に谷中七福神巡りで訪れたお寺だ。

東覚寺は真言宗豊山派で、本尊は不動明王。1491(延徳3)年、現在の千代田区万世橋付近に真言宗御室派の僧、源雅和尚が不動明王を勧請して寺を興し、慶長年間(1596~1615)の初めに現在地に移ってきたとされる。最近、道路工事に伴い境内は装いを一新した。

このお寺は、病気平癒にご利益のある「赤紙仁王尊」として有名だ。山門の脇にある不動堂の前に立つ2体の金剛力士像には、びっしりと赤い紙が張られている。病気に悩む人が、体の悪い所と同じ部分に赤い紙を張り、病気が治るとわらじを奉納する風習は現代にも受け継がれている。近隣の酒店では、「赤紙仁王尊」と名付けられた清酒も取り扱っている。

谷中七福神の福禄寿のほか、豊島と同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。正月には七福神巡りの人でにぎわうが、来年(2010年)からは七福神の御開帳は期間が短くなり、1月10日までになるのでご注意を。
(東覚寺 東京都北区田端2-7-3=2009年11月8日巡礼)

 

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札所9番 光明院

東覚寺から、赤紙仁王通りを駒込方面に歩き、札所9番の光明院に向かう。歩いて5~6分の近さだが、山門が通りからかなり奥に入った所にあり、参道の入り口が見つけ辛いので要注意だ。JR駒込駅から直接訪ねる場合は歩いて7~8分ほど。

光明院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は大日如来。詳しい開基は不明だが、1591(天正19)年の検地記録に白髭神社別当としてこのお寺の名前があり、少なくとも四百数十年の歴史を刻んでいることになる。

境内はかなりの広さだが、樹木が植えられお庭になっている部分はわずか。大半はお寺が経営している幼稚園の運動場として利用されているようだ。現在の伽藍は本堂と庫裏だけだが、1945(昭和20)年4月に戦災で焼失する前は、観音堂や薬師堂があったという。

庫裏でお納経を頂くと、豊島の札番印のほかに「滝野川寺院めぐり第5番」の印も押してある。応対してくださった奥様に伺うと、地元の滝野川仏教会が1993年に開創した霊場で、豊島56番でもある与楽寺から同12番の寿徳寺まで16カ寺を巡礼するのだという。私が昨年巡礼した行田救済菩薩霊場と同じような趣旨の霊場だが、滝野川の場合は日蓮宗や浄土真宗の寺院も加わっており、多彩な宗派により成り立っている点が興味深い。真宗系の寺は朱印を断るケースが多いのだが、札番印が存在するところを見ると真宗寺院でも納経は可能なようだ。機会を見て訪れたい。
(光明院 東京都北区田端3-21-5=2009年11月8日巡礼)

 

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札所21番 大龍寺

光明院から、今回の打ち納めとなる札所21番・大龍寺に向かう。光明院からは歩いて数分で、JR駒込駅からは徒歩10分弱だ。

大龍寺は湯島に本山がある真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は両部大日如来。慶長年間(1596~1615)に新義真言宗の「不動院浄仙寺」として創建され、安永年間(1772~80)に現代の名前に改め、霊雲寺派に属するようになったと伝えられる。現在の本堂は平成に入ってから建て替えられたもので、鉄筋コンクリートの堂々とした伽藍である。

このお寺の境内には俳人・正岡子規の墓があり、現在でもお参りする人が絶えない。墓地には子規のほか、陶芸家として初めて文化勲章を受けた板谷波山や柔道家の横山作次郎ら、多くの著名人が眠っている。ちなみに大龍寺は毎週月曜日が「定休日」になっている。お参りの時はご注意を。

(大龍寺 東京都北区田端4-18-4=2009年11月8日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(16)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

今年も早いもので、もう11月。1日の日曜日は豊島八十八カ所のお札所を回る。今回は北区内を中心に、4カ寺にお参りしてきた。

 

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札所47番 城官寺

JR上中里駅の南口から高台方向に向かう道を進むと、左側に札所47番・城官寺の山門が見えてくる。

城官寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。江戸時代には道を挟んで向かい合う平塚神社の別当を務め、鍼医だった検校の山川城官や名医を輩出した多紀家と縁が深いお寺だ。境内にある多紀一族の墓は、都の史跡に指定されている。

お勤めをしようと本堂の前に進むと、「愛染明王拝観の方は寺務所まで」という張り紙がある。本尊は阿弥陀如来のはずだし、「?」と思いながら勤行を始めると、お寺の方が本堂の戸を開け、「中でお勤めしてください」と声を掛けてくれた。お言葉に甘えて本堂に上がると、先ほどの疑問は氷解。本堂の左側に、客仏のような形で愛染明王がお祀りされていた。
何でも、この秋に出たばかりの首都圏の仏像を紹介したガイド本にこの愛染明王が紹介され、それからお参りの人が絶えないのだそうだ。愛染明王は男女の仲に御利益のある仏さまだし、婚活の願掛けということか…きっと女性のお参りが多いのだろうな。愛染明王の隣には、一見マリア観音のようにも見える聖観世音菩薩の陶像が祀られている。東京芸大の教官を務めていた、日本の陶彫の第一人者・沼田一雅氏の作で、手の部分には戦災で焼けた浅草寺の灰が使われているという。近くで見せていただくと、確かに手の部分が灰色がかっている。

ちなみにこの本、豊島の発願札所・安養院をはじめ、豊島のお札所がいくつか紹介されている。ただ、説明の中に「豊島八十八カ所」の文字が一つも出てこないのは、巡礼者としては少し寂しい。同じ札番で御府内八十八カ所の札所を兼ねている。
(城官寺 東京都北区上中里1-42-8=2009年11月1日巡礼)

 

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札所53番 不動院

予定では城官寺の次に59番・無量寺にお参りする予定だったが、法事が立て込んでいるご様子でお参りは遠慮。近くの札所53番・不動院に向かう。

不動院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。今から400年ほど前の開基とされ、岩槻街道に近かったこともあり、江戸時代には将軍が鷹狩りをするときの休息所に指定されていたという、格式があるお寺だ。

伽藍はモダンな鉄筋2階建て。2階部分が本堂になる。その本堂へ上がる階段や山門の脇には、まだ新しい「碁」と書かれた黒御影の石柱が建つ。お寺で囲碁の会を催しているのだろうか。伽藍の正面には観音さまの石像が祀られ、その前に香炉が設えてある。2階の本堂の前には何もなく、「日常のお参りはこちらで」ということだろう。本尊のお不動様は護身や泥棒除けに霊験があることで知られている。

無量寺から不動院に向かう途中にある曹洞宗の昌林寺は、江戸六阿弥陀の番外「木残り観音」を祀る。時間に余裕がある向きは、こちらにお参りするのも面白い。
(不動院 東京都北区西ケ原3-23-2=2009年11月1日巡礼)

 

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札所62番 西福寺

続いては駒込にある札所62番・西福寺へ。歩いてみて分かったのだが、西ケ原から駒込までは案外近い。道を探しながらだったが、20分掛からなかった。

西福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。開基の時期は定かではないが、境内にある豊島区教委の解説板によれば、江戸時代には駒込の地に存在していたという。

このお寺のある辺りはかつては染井村と呼ばれ、植木栽培が盛んだった土地。日本の桜を代表する品種「ソメイヨシノ(染井吉野)」の生まれ故郷として知られる。山門の脇には「染井吉野の里」の石碑が建ち、歴史を伝えている。境内にはソメイヨシノの育成者とされる伊藤伊兵衛政武の墓地があり、都の史跡に指定されている。ソメイヨシノは「東京都の花」でもあるが故か。

お納経などを扱う寺務所の中には、江戸時代末期から明治時代初期にかけての一帯の様子を描いた絵地図が掲げられている。道沿いに桜が途切れることなく植えられていて、西福寺の境内は一面の桜で覆われている。花の時期には、吉野山のように美しい光景が広がっていたことだろう。境内では現在でも、桜の花を楽しむことができる。
(西福寺 東京都豊島区駒込6-11-4=2009年11月1日巡礼)

 

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札所36番 薬王院

駒込からJR山手線と西武新宿線を乗り継ぎ、下落合駅最寄りの札所36番・薬王院へ向かう。

薬王院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。鎌倉時代の中期、源頼朝が深く帰依していた願行上人の開山と伝えられている。

「東長谷寺」の寺号を持つこのお寺は、本山の奈良・長谷寺と同じく花のお寺として知られている。とりわけ有名なのが牡丹で、1966(昭和41)年に長谷寺から移植されたのに端を発し、現在では約40種の牡丹が咲き競う、都内有数の牡丹の名所だ。開花時期には多くの見物客でにぎわう。このほか、梅や枝垂桜の花も見事で、首都圏にある100余りの花寺でつくる「東国花の寺」2番札所にもなっている。できれば、花の時期にお参りしたいものだ。

本堂も長谷寺を模した、舞台様式の伽藍。通常は寺務所のから見上げるような形でお参りするようだ。
同じ札番で御府内八十八カ所の札所を兼務する。
(薬王院 東京都新宿区下落合4-8-2=2009年11月1日巡礼)
※薬王院の公式ホームページはこちら

豊島八十八カ所巡り(15)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

24日の土曜日は、江戸観音巡りに併せて豊島八十八カ所にもお参りしてきた。今回は豊島区と新宿区のお札所を1カ所ずつお参りする。

 

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札所78番 東福寺

最近装いを一新したJR大塚駅の改札を出て、「天祖神社」の鳥居がそびえる南口に出る。駅舎を出てすぐ左側のパチンコ屋の所に「大塚三業通」の看板が出ているが、その通りが札所78番・東福寺への道だ。
かつての花街の名残なのか、連れ込み系ホテルが目立つ道を進むと、東福寺への看板が見えてくる。急な石段の上にある山門は閉じられているが、その右側にある車道を通ってお参りできるようになっている。

東福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらの本堂は入り口が自動ドアになっていって、靴を履いたまま本尊を拝めるようになっている。バリアフリーを取り入れた様式で神社ではたまに見かける構造だが、街中のお寺でもこういう様式を目の当たりにするのは初めてだ。もちろん、中に入って御本尊を見ながらお勤めさせていただいた。

このお寺は当初は小石川方面にあったものが、元禄年間に今の場所に移ってきたとされる。山門に向かう石段の脇にある「疫牛供養塔」は明治43年の建立で、豊島霊場とほぼ同じ歴史を刻んでいる。現在では想像もつかないが、当時はこの周辺には酪農家が多く、病気で死んだ乳牛を供養するために建てられたという。その塔に刻まれる「牛乳搾取業」の文字も歴史を感じさせる。
(東福寺 東京都豊島区南大塚1-26-10=2009年10月24日巡礼)

 

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札所24番 自性院

江戸観音12番の傳通院と同16番の安養寺(神楽坂聖天)にお参りしてから、豊島八十八カ所の札所24番、自性院に向かう。

都営地下鉄大江戸線の落合南長崎駅から新青梅街道を哲学堂方面に向かうと、左側に自性院の通称である「猫地蔵堂入口」の看板や招き猫の石像が見えてくる。真言宗豊山派のお寺で、本尊は来迎阿弥陀如来。

自性院には2体の猫地蔵が祀られている。一つは、1477(文明9)年ごろの「江古田ヶ原の戦い」で、この近くにあった豊島城を攻め込んでいた太田道灌が道に迷い、自性院まで猫に導かれここで一夜を明かし、戦に勝利したことから、その猫の死後に奉納したもの。いわゆる「道灌招ぎ猫」伝説で、今は“婚活のお宮”として有名になった浅草の今戸神社や世田谷の豪徳寺とともに招き猫発祥の地とされる所以である。

もう一つの猫地蔵は、江戸時代中ごろの名和年間、ある貞女の死を悼んだ人が1体の猫の顔をしたお地蔵様をこの自性院に奉納したことに由来する。

猫地蔵尊は2体とも秘仏で、毎年の節分会の折に御開帳となる。最近は猫好きの人の参拝が多いようだ。
(自性院 東京都新宿区西落合1-11-23=2009年10月24日巡礼)

豊島八十八カ所の札所一覧を公開

お出かけ お知らせ 寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

豊島八十八カ所の札所一覧を公開しました。私がお参りの時に使っているものをPDF化したものです。

豊島霊場の巡礼案内は20年ほど前に私家版に近い形で出版されたほか、大法輪閣の「全国霊場巡拝事典」にも掲載されていて、ネット上でもそれらを引用した形で札所一覧を紹介しているサイトがあります。

しかし、その後は住職が不在になったなどの理由でいくつかの札所で納経所が変更になっていますが、ネット上の情報でもそれらはほとんど反映されていないのが現実です。今回公開したものは、今までのお参りの中で判明した納経所の変更を反映させてあります。ダウンロードして、お参りの時の資料に使っていただければと思います。
また、誤記や納経所の変更などにお気づきの場合は、当サイトのメールフォームから管理人宛お知らせいただければ幸いです。

札所一覧はこのたび新設した「資料室」コーナーに置いてあります(こちらをクリック)。

【お願い】

  1. 諸般の事情でPDFファイル名を変更することがありますので、リンクはPDFファイル直接ではなく、http://news-tool.com/xoops/modules/shiryoshitsu/index.php?cid=3&lid=1にお願いします。
  2. 札所情報の修正もあり得ますので、ダウンロードしたPDFファイルを他のサイトで公開することは御遠慮ください。

豊島八十八カ所巡り(14)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

11日の日曜日は、豊島八十八カ所のお札所に巡ってきた。今回は、北区と板橋区のお札所を回る。

 

20091011_toshima45
札所45番 宝幢院

JR赤羽駅の大宮寄り改札から東口に出て、京浜東北線の高架に並行する、夜は妖しいネオンが輝いていそうな通りを荒川・大宮方向(北向き)に進む。 7~8分ほど歩いてT字路に突き当たったところが、札所45番の宝幢院(ほうどういん)である。

宝幢院は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。室町時代の1461(寛正2)年の開山と伝えられ、当初は現在の船渡二丁目付近にあったが、水害を避けるため現在地に移転したとされている。

住宅や商店が混在する一帯にあるお寺で、境内は広いもののこざっぱりとした感じで、豊島霊場のお札所としてはやや殺風景な部類に入るだろうか。六地蔵やお不動様が、それぞれ独立した小さなお堂に祀られている。

山門の左脇には、江戸時代中期に建立されたという道標の石柱が残り、「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国冨士道 板橋道」「南 江戸道」の文字を読み取ることができる。「川口善光寺」とは、現在は荒川のスーパー堤防上に建つ足立坂東観音霊場の24番札所・善光寺のことで、当時は参拝者や巡礼者で賑わっていたようだ。現在の歓楽街は、かつて信仰や祈りの道だったということか。皮肉なものである。
(宝幢院 東京都北区赤羽3-4-2=2009年10月11日巡礼)

 

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札所37番 大満寺

続いて札所69番の真頂院を訪ねるが、法事の真っ最中でお参りは遠慮。すぐ近くの札所37番・大満寺にお参りする。宝幢院からも目と鼻の先で、直接訪ねる場合は地下鉄南北線・埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵駅3番出口の真裏になる。真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来。

「四国八十八ヶ所 三十七番写」と記された、明治35年に建てられた石柱が残る山門をくぐると、正面に立派な不動堂が目に入ってくる。本堂は山門から見て左側ほぼ直角の位置にあるが、通常のお参りは不動堂の方で行うようだ。成田山から勧請したお不動さまで、「岩淵不動尊」の愛称で親しまれている。不動堂のそばには本四国の「手かざし霊場」がある。弘法大師像を取り囲むように設けられた、本四国霊場各札所の銘板に 張られた点字に手をかざしてお参りすると、お四国の札所を巡礼したとの同じ功徳が得られるという。

こちらのご住職は占いへの造詣が深く、真言密教に基づく運勢判断もしている。毎月28日のお不動さまの縁日に占ってもらえるそうだ。
(大満寺 東京都北区岩渕町35-7=2009年10月11日巡礼)
※大満寺の公式ホームページはこちら

 

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札所25番 常楽院

赤羽駅に戻り、ときわ台駅行きの国際興業バスで札所25番の常楽院に向かう。地下鉄利用なら、都営三田線の志村坂上駅から歩いて15分ほどか。

常楽院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。室町時代末期、熊野神社の別当として草庵が結ばれたのを開基としている。

住宅街の中にあるお寺だが境内は広く、幼稚園や多目的ホールなども運営。1938(昭和13)年には境内や周辺から弥生式土器が数多く出土し寺で保存していることから、「土器寺」の愛称で親しまれている。フリーマーケットなど、地域と一体になった行事を手掛ける寺院の先駆けとしても知られる。境内には桜の木がたくさん植えられていて、花の時期は壮観なことだろう。その時はお寺でコンサートなどのイベントが盛大に行われるという。

こちらの隠れた名物が、掲示板の標語。有名人の言葉や幼稚園児がふと漏らした一言など、読んでいて思わず頷いたり、ニヤリとさせられる言葉が掲示されている。ユニークなものが多いので、お参りの折はぜひ御一読を。
(常楽院 東京都板橋区前野町4-20-8=2009年10月11日巡礼)
※常楽院の公式ホームページはこちら

 

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札所14番 長徳寺

常楽院から首都高速池袋線の側道を歩いて、札所14番の長徳寺に向かう。都営地下鉄三田線の本蓮沼駅からは歩いて7~8分だ。

長徳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。1190年ごろに中興されたという記録が残っている、歴史のあるお寺である。

山門をくぐろうとして驚いたのが、写真にあるように豊島霊場の札所であることを示す立派な看板が建っていること。多くの札所では苔むしたり風化が進んだりして判読が難しくなっている石柱が建つのみだが、豊島霊場の歴史を後世に伝えていこうというお寺の意気込みの表れか。境内に入ると、上部が3分の1ほど欠けている、豊島霊場の石碑が残る。このお寺は戦災に遭っているので、その時に欠けてしまったのだろう。

戦後、お寺を再建するときに岩手県平泉の中尊寺にあった阿弥陀如来の木像を勧請した。板橋区内でも有数の古い仏像とのことで、現在は区の有形文化財に指定されている。
(長徳寺 東京都板橋区大原町40-7=2009年10月11日巡礼)

 

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札所34番 南蔵院

長徳寺から路地のような道をたどって、国道17号(中山道)沿いにある札所34番の南蔵院へ向かう。 都営地下鉄三田線の本蓮沼駅が最寄りで、歩いて5分ほど。

南蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。中山道から鉄筋コンクリートのモダンな本堂に向かって参道が延びる。山門の脇に豊島八十八カ所の札所34番であることを示す石柱が建ち、その向かいには豊島八十八カ所の起源の一つとされる「豊島二十一カ所」の札所4番の石柱が残る。古くから弘法大師霊場として親しまれたお寺のようだ。

境内は桜がたくさん植えられ、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が「櫻寺」と名付けたのも頷ける。現代ではその見事さから、区が選定する「板橋十景」の一つになっている。桜の時期にはいろいろなイベントが催されるという。境内には不動堂もあり、関東三十六不動尊の札所12番を兼ねている。不動堂での護摩法要は毎月28日。
(南蔵院 東京都板橋区蓮沼町48-8=2009年10月11日巡礼)
※南蔵院の公式ホームページはこちら

 

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札所31番 普門院

中山道を巣鴨方向に進み、都営地下鉄三田線の本蓮沼駅の所で左折して、今回の打ち納めとなる札所31番・普門院に向かう。途中で西が丘サッカー場の脇を通るが、天皇杯の最中で歓声がすごい。

普門院は真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。1367(徳知2)年の創建とされる。直接訪ねる場合は、JR赤羽駅の西口から歩いて7~8分。

このお寺の見所は、山門(鐘楼門)をはじめとする、ユニークな建築物の数々。昔のトンネルのような石造りの山門の上に中国風の鐘楼が乗っている風変わりな門は、高架線をゆくJRの電車からもよく見える。その山門を抜けると、インドのブッダガヤにある仏塔をモデルにしたという、背の高い納骨堂がそびえ立つ。山門左側にある本堂兼庫裏は垢抜けた感じの西洋風の趣で、私たちが持っている「お寺」の概念を完全に打ち壊すかのような境内の風景だ。静岡県富士市出身の当管理人は、「吉原の毘沙門天」こと妙法寺の境内風景を思い出した(リンク先は「珍寺大道場」)。
わずかに開いている本堂の扉越しに内部を拝むと、かなり大きな本尊の聖観世音菩薩が見える。やはり、ここはお寺なのだと実感。

庫裏へ納経に伺うと、玄関脇に掛けられていたのれんは、観音様が横になって休んでいる絵柄。根来寺の名前が入っていて、ご住職によれば「頂き物です」とのこと。写真でお見せできないのが残念だが、ちょっと珍しい絵柄だ。
(普門院 東京都北区赤羽西2-14-20=2009年10月11日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(13)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

26日の土曜日も、豊島八十八カ所のお参りに出掛ける。今回は、先日お留守などで巡礼できなかった、都電荒川線沿線のお札所から回る。

 

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札所65番 慈眼寺

最初に訪ねたのは、都電荒川線の町屋二丁目電停に程近い、札所65番の慈眼寺。近隣では「朝日薬師」の通称の方が通りが良い、真言宗豊山派のお寺である。本尊はもちろん薬師如来。

都電を降りて、小さな店や住宅が建ち並ぶ細い通りを北へ歩くと、程なく薄茶色の塀に囲まれた墓地が見えてくる。ここが目指す慈眼寺だ。小ぶりな山門をくぐると、いきなり墓地が広がるが、その中央を細い参道が本堂まで続いている。

このお寺で特徴的なのは、何と言っても本堂の造り。コンクリート造り4階建の事務所や工場とよく似た建て方をしているのだが、3階部分の壁面には金色の大きな薬師如来像が祀られていて、この建物がお寺の本堂であることを強烈にアピールしている。1階の入り口脇には石像の観音様が祀られ、通常のお参りはこちらで行う。本尊の薬師如来は、古くより眼病やお母さんの乳の出に霊験があるとされる。現在ではペット霊園も併設。荒川辺八十八カ所の札所9番でもある。
(慈眼寺 東京都荒川区町屋2-20-12=2009年9月26日巡礼)

 

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札所63番 阿遮院

次にお参りした札所63番・阿遮院は都電荒川線の東尾久三丁目電停からすぐ。もっとも、65番の慈眼寺からは歩いても10分かからない近さだ。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。

尾久消防署の下尾久出張所と向かい合うように参道の入り口があり、100メートルほど奥まった所に山門がある。参道の入り口にはこのお寺が豊島八十八カ所などの札所であることを示す看板が立ち、その下には御府内二十一カ所(現在の御府内八十八カ所とは別物)の札所であることを示す石碑が建つ。

このお寺の正式な名称は「阿遮羅山阿遮院蓮華寺」。「阿遮」は、本尊の不動明王のサンスクリット語の名前(梵名)「アチャラナータ」に由来すると伝えられる。鉄筋コンクリートのモダンな感じの本堂に祀られているお不動様を、ガラス越しに拝むことができた。

色とりどりの花がたくさん植えられた境内は、このお寺が尾久地区で最古の寺院で、かつてはいくつかの末寺を有していたことの名残だろうか。本堂とは対照的に、飾らない佇まいの庫裏で、若い和尚様が一生懸命お納経をしたためて下さった。「お気をつけてお参りを」と送り出して頂いたことが印象深い。
(阿遮院 東京都荒川区東尾久3-6-25=2009年9月26日巡礼)

 

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札所20番 地蔵寺

札所20番の地蔵院は、都電荒川線の小台電停から徒歩5分ほどで、尾久警察署の裏手に当たる。68番寶蔵院からは歩いて数分の近さだ。湯島に本山のある真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は聖徳太子作と伝えられる地蔵菩薩。1751(宝暦元)年の開基と伝えられる。

このお寺も建物が特徴的だ。都電を降りて路地を尾久署の脇の路地を隅田川方向に歩くと、屋上に鐘楼を備えた3階建ての伽藍がすぐに見えてくる。すぐ隣の八角堂には千躰地蔵尊や荒川区内唯一とされる阿弥陀三尊の画像板碑が祀られ、墓地を挟んで八角堂と向かい合うように、黒光りしている北向地蔵が立っている。

和尚さまは気さくな方で、お地蔵様信仰のことなどで話が弾むが、お参りの人が多く、ゆっくり話ができなかった。また機会を見てお話を伺いたいものである。
(地蔵寺 東京都荒川区西尾久3-10-6=2009年9月26日巡礼)

 

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札所33番 真性寺

「おばあちゃんの原宿」として、いつの間にか全国区の観光地になった東京・巣鴨の地蔵通り商店街。札所33番・真性寺は、その商店街のJR・都営地下鉄の巣鴨駅側入り口にある。

真性寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は秘仏の薬師如来…と書くと、首をひねる人がいるかもしれない。そう、このお寺は「江戸六地蔵」の札所3番として知られ、お地蔵様への参拝の人が絶えない。ただ、お地蔵様参りに来る人は、このお寺の本尊が薬師如来ということを知らない人がほとんどではないだろうか。1714(正徳4)年建立と伝えられるそのお地蔵様は長年の風雪による傷みがひどく、現在は京都に“入院”中。祀られているのは本来のものより少し小ぶりな、身代わりの仏さまである。本来のお地蔵様が帰ってこられるのは、2010年の4月とか。境内には松尾芭蕉の句碑もあり、こちらもお見逃しなく。

私がお参りしたときは本堂で法要中で、入り口から少し離れた所で小さな声でお勤め。その後寺務所にお納経に伺うが、札番印は同じ札番の御府内のものを兼用。御府内と豊島の両霊場の関係を示す一例であろう。

ここから都電の庚申塚電停に向かって延びる商店街の中ほどには、真性寺とともに巣鴨の地蔵信仰を担ってきた、「とげぬき地蔵尊」こと曹洞宗高岩寺がある。こちらにもお参りして、商店街を見て歩こう。「おばあちゃんの原宿」らしく、気取らずに安さと元気の良さで勝負するお店がいっぱいである。
(真性寺 東京都豊島区巣鴨3-21-21=2009年9月26日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(12)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

13日の日曜日は前日と打って変わっての好天。先延ばしにしていた豊島八十八カ所巡りに出掛ける。今回は、くだもの電車西武新宿線沿いにある中野区内のお札所を回る。

 

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札所87番 東光寺

札所87番の東光寺は、西武新宿線を新井薬師駅で降りて、線路沿いの路地を高田馬場方向に戻ったところにある。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。江戸時代初期の開山と伝えられている。

静かな住宅街の一角にあり、三井財閥の資料を集め公開している「三井文庫」のすぐそばにある。都内のお寺としては広い部類に入る境内は、何より緑が豊か。木漏れ日が美しく、ここが都会であるのを一瞬忘れそうなくらいだ。入り口には龍神様が祀ってあり、周囲には鯉を放った池が巡らせてある。なかなか見事なので、お参りの際はぜひ見ておこう。山門を入るとすぐ左に、コンクリート造りの大日堂があるが、中は広間のようになっている。お参りした折は、地域の剣道教室として使われていて、私より少し年下くらいの美形の女性が、稽古をつけてもらっていた。

境内の一角では、このお寺がかつて経営していた幼稚園の園舎の取り壊しと周辺整備の工事が進められていた。少子化の進む折、これまで経営していた幼稚園を閉めてしまう例は豊島のほかのお札所でも見聞しているが、何となく寂しいものがある。かつて幼稚園があった場所は、どのように整備されるのだろうか…。

余談だが、高田馬場方向から電車を利用してお参りする場合、改札内の跨線橋を渡って、反対側のホームにある北口改札を使った方が早くお寺に着く。電車の本数が多く踏切が「開かず」なのだ。これは、48番や74番最寄りの沼袋駅でも同じなので、覚えておいたほうがいい。
(東光寺 東京都中野区上高田5-21-5=2009年9月13日巡礼)

 

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札所48番 禅定院

西武新宿線沼袋駅の北口改札を出た所から斜め右に延びる狭い道の商店街を歩くと、すぐに札所48番・禅定院の山門が見えてくる。山門の真正面につながるこの道、元々は禅定院の参道だったのだろうか。その山門は戦災をかいくぐった大正期のもので、数多く張られた千社札が長年の風雪を物語る(このブログの読者には野暮だろうが、現在は千社札は張ることはできない)。

禅定院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。このお寺で興味深いのは山号や寺号とご本尊の関係。正式なお寺の名前は「瑠璃光山禅定院薬王寺」。お寺の名前だけ見るとお薬師様を祀るお寺のようにも思えるが、現在の本尊は前述の通り。山号や寺号は、南北朝時代に禅定院が開かれた時のご本尊が薬師如来だったことに由来するという。現在の本尊である不動明王立像は、鎌倉時代の作。元々は土地の豪族、伊藤氏の菩提寺だったことから、現在でも「伊藤寺」の通称が残る。

境内はコンパクトだが、お庭の整備が行き届いていて気持ちよい。特に蓮や牡丹の花がきれいなようで、花の時期にもう一度お参りしたい。
こちらは、同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。
(禅定院 東京都中野区沼袋2-28-2=2009年9月13日巡礼)
※禅定院の公式HPはこちら

 

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札所74番 実相院

禅定院と同じく沼袋駅に近い札所74番・実相院は、駅からも禅定院からも歩いて3分ほど。駅からだと、「沼袋親交会」の街灯が整備されている賑やかな商店街を進み、路地を少し入った所にある。

実相院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。新田義貞の一族の矢島家の菩提寺として開かれたお寺で、現在でも「矢島寺」の名前で親しまれている。コンクリート造りの瀟洒な山門をはじめ、境内の至る所に寄進者として矢島姓の名前が記されているのも、このお寺の開基に関係しているのだろう。現在でもお檀家の半数以上が矢島姓という。

境内はコンパクトだが、山門を入るとすぐ左側に大きな十一面観音の石像と弘法大師像が並んで建つ。観音像のほうは永代供養のための石像のようだ。
また、こちらのお寺は桜の隠れた名所として知られている。花の時期はライトアップされて、幻想的な美しい風景が楽しめる。お花見の時期はコンサートなどの催しも行われるという。

この辺りはお寺が密集していて、禅定院から実相院に抜ける路地の途中には、百観音のうつし霊場で知られる明治寺がある。時間が許せば、こちらにもお参りしたい。
(実相院 東京都中野区沼袋4-1-1=2009年9月13日巡礼)
※実相院の公式HPはこちら

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この後、引き続いて江戸観音の札所3カ寺にお参りして帰宅。歩数は1万4500歩、大体8キロ強か。足の怪我も治ったことだし、次回からもっと距離を伸ばしたいw

豊島八十八カ所巡り(11)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

5日の土曜日も、午後から豊島八十八カ所のお参りに出掛ける。今回も、都電荒川線沿線のお札所を巡る。

 

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札所83番 密厳院

まずは前回お参りできなかった札所20番・地蔵寺から回るが、3カ寺続けてお留守などでお参りが叶わなかった。「まあこういうこともある」と気を取り直し、都電を荒川2丁目の電停で降り、札所83番の密厳院へ向かう。公共交通機関利用なら、京成電車の新三河島駅を使った方が少し早いかもしれない。

密厳院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。「三河島大師」の通称があり、江戸時代には開運や厄除けを願う人で賑わったと伝えられている。
荒川区内の社寺を紹介したサイトなどで「いつも山門が閉まっている」と書かれているが、今回もやっぱり門は閉まっている。その脇には「開運厄除 弘法大師」と刻まれた石柱がコンクリートに埋もれるように建ち、このお寺が弘法大師霊場であることを示している。

無理に中に入って妙な騒ぎになってもいけないので門の外でお勤めするが、困るのがお納経。どこかのお寺と兼務としてもご住職はいらっしゃる筈だが、どこに行けば良いのか分からない。幸いにもすぐ近くの札所6番・観音寺が同じ宗派なので、何か知っているのではとお参りかたがたお伺いする。

観音寺でお話を伺ってから、もう一度お参りしようと密厳院の前まで来ると、今度は門が開いている。境内の一部が月極め駐車場として使われていて、車の出入りがあるときは門が開くようだ。中に入って慌しくお参りさせていただく。本堂は鉄筋コンクリートの瀟洒な建物。正面には何枚か、お賽銭と思しき硬貨が置いてある。わずかだがお参りに来る人はいるようだ。

現在は足立の方にあるお寺のご住職が密厳院も兼務されていて、境内には身内の方がお住まいになっているという。但し、その方は寺務にはあまりタッチされていないようで、お納経は6番・観音寺で代印して頂ける。また、新田明江氏の手による豊島霊場のガイド本に記されている電話番号も、現在はこのお寺と直接的な関係はないようだ。門が閉まっている時は、無理をせずに門前でお勤めしよう。
(密厳院 東京都荒川区荒川4-16-3=2009年9月5日巡礼)

 

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札所6番 観音寺

札所6番の観音寺は車の往来が激しい明治通り沿いにあり、札所83番の密厳院は目と鼻の先。京成電車の新三河島駅からは歩いて7~8分である。

観音寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。荒川辺八十八カ所の札所6番でもある。

境内に入るとすぐ、大きな伽藍が目に飛び込んでくる。豊島のお札所ではよくみられる、1階が客殿、2階が本堂というタイプだ。幼稚園も併設されていて、平日の日中は子どもたちの元気な声で賑やかなことだろう。私がお参りした土曜日は幼稚園は休みだったが、代わりにお寺で飼っているワンちゃんたちが元気よく出迎えてくれた(笑)。

住宅や工場が密集している今では考えられないことだが、江戸時代はこの一帯に鶴が飛来し、農閑期には餌付けも行われていたという。「鶴お成り」と呼ばれた将軍家の鶴狩りも頻繁に行われ、観音寺などが御膳所(食事を取る場所)に指定されていたという記録が残る。その際には「三河島菜」と呼ばれる白菜の親類のような伝統野菜が献上されていたが、鶴の飛来ともども今では見られなくなり、文献に残るのみである。

お参りの時は、83番密厳院のお納経も忘れずに頂いておこう。
(観音寺 東京都荒川区荒川4-5-1=2009年9月5日巡礼)
※参考 観音寺が経営する幼稚園のHPはこちら

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