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武蔵国三十三観音巡り(その3)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡礼記の続き。

4番札所 中井 東眼寺

3番さんを出ていったん中川沿いの街道に戻り、1番さん近くの平沼交差点を東に入る。片側1車線の県道をしばらく進み、案内に従って北に入ると4番札所の東眼寺さまが見えてくる。近くの空き地が巡礼者用の駐車場になっていたので、そちらに車を止めてお参りする。

一帯は田んぼが広がる、東京への通勤圏とは思えないのどかな風景。田んぼの中に浮かぶようにして小さなお堂があり、その中に札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。

お堂の近くには小さな祠のような建造物がある。「南無大師遍照金剛」という幟が立ち、そこが大師堂であると教えてくれた。2番さんの石碑に記された二十一大師の札所なのだろうか。

(真言宗豊山派 吉川市中井3-119)

5番札所 中島 万福寺

4番さんを出て、いったん県道に戻り、すぐ南に入ると5番札所の万福寺さまへの道しるべとなる幟が見えてくる。こちらも、一面に田んぼが広がるのどかな風景の中に、お寺が浮き島のように建っている。本堂に向かって右側に小さな観音堂があり、札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。

お納経をしている間に、地元の方としばし雑談。私の住まいを聞くと、「御開帳が始まったばかりなのに、遠方からのお参りが多い」と少々驚かれている様子。いずれにせよ、私のような余所者にも温かく接してくださる地元の皆様のお心配りは大変ありがたい。

(真言宗智山派 吉川市中島463)

6番札所 三輪野江 定勝寺

車に戻り、ナビをセットしてから常磐道沿いにある6番札所の定勝寺さまに向かう。案内書を見る限り大した距離ではなさそうだが、走ってみると結構時間がかかった。後から考えてみると、私の使っているカーナビが遠回りなルートを示したことが原因のようだが…。

境内に入ると広い敷地に大きな本堂が建っており、地域の本寺格寺院のようだ。札所本尊は十一面観世音菩薩だが、納経帳に「総本山本尊御分身」という印が押してあったところをみると、長谷寺式の十一面観音を祀るお寺であるようだ。こちらのお寺でも、お納経の時にいろいろと話し込んでしまった。

(真言宗豊山派 吉川市三輪野江1553)

武蔵国三十三観音巡り(その2)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡礼記の続きである。

3番札所 関 普門院

1番さんで求めた納経帳兼案内書の『観音霊場巡拝のしおり』では、1番さんから時計回りに札所を巡るようになっていて、3番の普門院さまで結願とされている。ただ、初めて回る霊場でもありできるだけ順打ちにしようと思い、先に3番さんにお参りすることにした。

1番さんの駐車場に車を取りに戻り、中川沿いの街道を北に進むとすぐに吉川市役所である。そこの交差点を東に入るとすぐに普門院である。立派な本堂が建っているが通常は地区管理の由で、札所本尊は十一面観世音菩薩である。

境内に入るなり、堂守をされていた地域の方から、「●●先生」と声をかけられた。●●は私の姓ではなく、もちろん先生と呼ばれる職業に就いているわけでもない。人違いだと思って聞いてみると、私の顔が武蔵国観音某札所の御坊様にそっくりなのだという。

(真言宗智山派 吉川市関34)

武蔵国三十三観音巡り(その1)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

ここ1カ月ほど公私ともにいろいろな出来事があり、当ブログの更新をしばらくお休みさせていただいていた。おかげさまで少しずつだが落ち着いてきたので、本日からブログの更新を再開させていただくことにする。まずは、4月にお参りしてきた埼玉県と東京都にまたがる武蔵国三十三観音の巡礼記から始める。

1番札所 吉川 延命寺

武蔵国三十三観音の御開帳日程は札所19番・普門寺さまの公式サイトで告知されていたが、納経のシステムなどはお参りに行くまで分からずじまいのままだった。念のため、お参りに使うカバンの中に銀座の鳩居堂で求めた汎用の納経帳を入れ、マイカーで吉川市にある札所1番の延命寺さまに向かう。

この辺りの本寺的な存在なのだろうか、大きな客殿を備えた堂々たる風格の寺院である。札所本尊は正観世音菩薩である(以下、聖観音の表記については納経帳通りとさせていただく)。境内には札所開創の経緯を記した石碑が立つ。

本堂でお勤めを済ませて納経のことを伺うと、各札所の事情もあり、できれば案内書と一体になった納経帳を使ってほしいとの由で、1部求めることにした。札所の縁起や地図と墨書きが見開きで掲載されており、各札所では御宝印を頂いて回る仕組みだ。臨済宗円覚寺派の百観音巡りと同じシステムである。

こちらでは、京都から嫁いできたという方と地元の方と3人で次の札所まで歩く。西の方の霊場の話もなかなか興味深く、一度お参りせねばと思う。

(真言宗智山派 吉川市吉川1541)

2番札所 平沼 智勝院

2番札所の智勝院さままでは歩いてもすぐとの由で、車をそのまま延命寺さまに置かせていただいてお参りする。街道からちょっと入ったところにお寺があり、札所本尊は正観世音菩薩である。

本堂の前には、かつてこの地域に存在したらしい二十一大師の石碑が建つ。よく読むと、送り大師の風習で知られる下総八十八ケ所を写す形で、当地の二十一大師が開創されたことが記されている。札番の数が違うが、二十一大師には八十八カ所巡礼の簡略版的な意味合いもあることを考えると、違和感はない。
納経所にいらした年配の女性は、「二十一大師は送り大師方式で巡礼していたことは覚えているが、詳しい回り方などは分からない」といい、ご住職も「資料が残っていない」と申しておられた。いずれにせよ戦後しばらくの間まで、送り大師の風習が続いていたことは間違いないようである。

千葉県内にある「東葛印旛送り大師」の巡礼の模様を伝える動画が見つかったのでご紹介しておく。

(真言宗智山派 吉川市平沼153)

地域の仏様がいっぱい

お出かけ 日記

先日の当ブログでご紹介した、栃木県小山市の市立車屋美術館で開催中の「小山の仏教美術~仏像・仏画展」に出かけてきた。

蔵造り風の建物に入るとすぐに、市内の天翁院(曹洞宗)に祀られている釈迦三尊像が展示されている。堂々としている一方で、飾り気のない雰囲気の、いかにも禅宗寺院の仏像という趣だ。
展示室には、興法寺(天台宗)や西光寺(時宗)に祀られている、一光三尊の善光寺式阿弥陀如来(善光寺如来)が展示されている。来年の善光寺御開帳を意識したものかもしれないが、双方の善光寺如来とも光背が省かれた形で展示されていたのはちょっと残念。光背とともに展示してこそ、善光寺如来の特徴が分かりやすくなるとと思うのは私だけか…。

展示でひときわ目立ったのが、かつては市内の中島薬師堂に祀られ、現在は市の博物館が管理しているという菩薩形立像と阿弥陀如来立像だ。
菩薩形立像は、一瞬「円空さまの作では?」と思うほどの素朴な雰囲気。造りの特徴も円空仏に似ている部分があるが、製作年代からそうではないことに気づく。阿弥陀如来は堂々としたお姿である。

「中島薬師堂」のことが気になり、学芸員の方に大まかな所在地を教えてもらい、帰りに寄ってみた。薬師堂は農村地帯の集落の中心にある稲荷神社の一角にあり、朽ちかけた1間四方ほどのお堂の前に市教委の解説板があり、そこが「中島薬師堂」であることを示している。内部には小さな仏像が祀られているが、お薬師様とは見えなかった。
お宮さんを挟んで反対側には、寺院か草庵の名残のような古びた建物が残る。かつては堂守の方が暮らしていたようだが、庇の下には彫刻を施した扁額を掲げられるようになっている板が残り、この建物の来歴を示している。建物の奥には仏像が祀られていた。

地域の貴重な仏像が集結

日記

栃木県小山市にある市立車屋美術館で、小山市の市制60周年と美術館の開館5周年を記念した企画展「小山の仏教美術~仏像・仏画展」が開かれています。

市の文化財に指定されている仏像や仏画を中心に30点余りを公開しているもので、平安時代末期から鎌倉時代初期に造られた中島薬師堂の阿弥陀如来立像など、貴重なものを選んでの展示になるようです。11日と18日には講演会やギャラリートークも行われるようです。地域の寺院や仏堂に祀られている、あまり知られていないものの歴史的に貴重とされる仏像を拝むいい機会ではないでしょうか。

あと、今回の展示とは関係ないのですが、日光街道沿いにある茨城県古河市から栃木県の小山市や下野市にかけての一帯で、円空仏にまつわる話をほとんど聞かないのは何故なのでしょうか。歴史的に見てこの一帯では円空仏がかなり存在していてもおかしくないはずなのですが…。東京都内の中井出世不動尊のように、長年にわたって見過ごされてきた円空仏が、地域にたくさん眠っているのかもしれません。

葛飾坂東観音巡礼記(8=完)

お出かけ 寺社巡礼 日記 葛飾坂東三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

葛飾坂東観音巡礼記の続き。

22番札所 宝蔵寺

24番札所の円能寺さまを出て、案内板に従い22番札所の宝蔵寺さまに向かう。

幼稚園も経営されている大きな寺院で、祀られている仏像から鎌倉時代の創建と考えられているようだ。本堂と向かい合うように建つ観音堂で御開帳が行われている。札所本尊は聖観世音菩薩である。

こちらは布教に特に力を入れている寺院のようで、お茶を頂いた客殿にはいろいろな催しの告知が張り出されていた。掲示板にはご住職の略歴も張り出されていたが、民間企業出身の由で、その時の経験を生かされているのかもしれない。
(真言宗豊山派 茨城県古河市諸川342-1=地図

23番札所 長性寺

23番札所の長性寺さまは、宝蔵寺さまから目と鼻の先にある。車を宝蔵寺さまの駐車場に引き続き置かせていただき、徒歩で長松寺さまに向かう。

個人病院の敷地を回り込むように延びる路地を進むと、その傍らに長性寺さまのお堂が建っている。1間半四方くらいだろうか、小さなお堂の中に札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。

観音堂の隣には、さらに小さな地蔵堂があり、観音堂とともにきちんと手入れがされている。地元の方の信仰がしのばれる。
(真言宗豊山派 茨城県古河市諸川430=地図

番外札所 永光寺

車を東に進め、番外札所の永光寺さまに向かう。駐車場から境内までは結構標高差があり、少し汗をかきながら石段を上る。

こちらも幼稚園を経営されている規模の大きな寺院だ。札所本尊は十一面観世音菩薩である。春には牡丹を目当てに多くの人がお参りに訪れるようだ。

こちらは北関東三十六不動関東八十八カ所(東国遍路)の札所にもなっている。北関東三十六不動には以前から興味があり、回り方などを教えていただいた。パンフレットのようなものがあるか尋ねてみたが、あいにく在庫切れの由だった。
(真言宗豊山派 茨城県古河市尾崎954=地図

21番札所 遍照院

車を北に進めると、街道沿いの広場に御開帳を知らせる幟が立ち、地元の方が車を誘導している。指示された場所に車を止め、路地を入った先にある21番札所の遍照院さまに向かう。

お堂は路地に面して建っており、その中に札所本尊の馬頭観世音菩薩が祀られている。葛飾坂東で馬頭観音を札所本尊にする唯一の存在である。

私は午歳生まれということもあり、煩悩を食べていただこうと念じながらお勤めしてきた。馬頭観音様に願いは通じただろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市尾崎880=地図
※地図の位置はお堂付近であることにご注意ください。

34番札所 養性寺

葛飾坂東のお参りもいよいよ大団円である。車を南に走らせ、34番札所の養性寺さまに向かう。近くにある地区の施設が駐車場になっており、そちらに車を止めてお参りする。路地の先にお堂があり、札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。

無事に結願できたことを感謝しながらお勤めをさせていただく。御開帳の伝統を守る地域の方の優しい心にも触れ、気分を新たにすることができたお参りだった。霊場会の公式サイトによると期間中にお参りされた方は延べ3万人にも達したようで、首都圏のローカル霊場としてはかなり大きな部類に入る筈だ。12年後の御開帳には、再びお参りさせていただこうと思っている。
(真言宗豊山派 茨城県古河市恩名2362=地図

葛飾坂東観音巡礼記(7)

お出かけ 寺社巡礼 日記 葛飾坂東三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

前回の更新から間隔が空いてしまったが、葛飾坂東観音巡礼記の続きである。

28番札所 福智院

29番千手院さまから街道を東に進み、28番札所の福智院さまにお参りする。例によって御開帳を知らせる幟に従って進むと、駐車場の交通整理をする方が見えた。ネット情報の一部では開帳場所について異なる記載もあったようだが、札所本尊の十一面観世音菩薩を祀るお堂で御開帳が行われていた。

お堂のある地区では、今でもなお十九夜講や二十日講の伝統が続いているという。関東でこういった講が続いているのは珍しいのではないだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市稲宮1079=地図

番外札所 小久保堂

続いて車の進路を北に変え、番外札所の小久保堂さまに向かう。街道から延びる農道に案内の幟が立ち、お堂のある屋敷に巡礼者を導いている。

こちらの札所は個人が管理されており、お堂の名の「小久保」は持ち主の方の姓から取ったもの。古くから続く豪農の家系のようである。屋敷内の奥まった場所に小さなお堂があり、札所本尊である金銅仏の十一面観世音菩薩を祀っている。この観音様はここちらのお宅の守護仏であり、古河市の文化財に指定されている。

お納経とお接待は庭先で行われていた。管理者の方の娘さんかお孫さんなのだろうか、幼稚園くらいのかわいい女の子が、「ようこそお参りです」と挨拶しながらお茶を運んでいたのが印象に残る。
(真言宗豊山派 茨城県古河市上大野1489=地図

27番札所 真定院

小久保堂さまから27番札所の真定院さまに向かう番地は少し飛んでいるが距離はほんのわずかで、番外さんを出るとすぐ、27番の幟が見えてくる。

こちらは地区管理のお堂で、境内に入って右側の堂宇で御開帳が行われていた。札所本尊は十一面観世音菩薩である。
境内の奥にある建物では、おなじみの人形展示などが行われていた。校舎のような造りの建物だったが、境内に隣接して学校でもあったのだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市上大野1999=地図

26番札所 一乗院

いったん国道125号に戻り、幟を頼りに車を東に進めて26番札所の一乗院さまに向かう。かつての寺院跡地とおぼしき場所に地区のコミュニティー施設が建ち、その一角にある観音堂で御開帳が行われている。札所本尊は十一面観世音菩薩である。

お堂はやや古びた感じだが、御詠歌を記した扁額は取り付けられて間もない感じがした。今回の御開帳に合わせて整備したのだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市下片田364=地図

24番札所 円能寺

再び国道125号に戻り、諸川交差点を北に入って案内板の通りに進むと、24番札所の円能寺さまに着く。こちらは22番札所の宝蔵寺さまの末寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。かつては安産の観音様として信仰を集めていたようだ。

こちらでは、2日目の巡礼で何度も見かけた方と再びご一緒する。お接待をされていた地域の方が、「国会議員の先生」だと問わず語りで教えてくれた。
(真言宗豊山派 茨城県古河市五部348=地図

【武蔵国番外・大経寺】円空仏開帳は14~18日

お出かけ 寺社巡礼 御開帳情報 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音の番外札所・大経寺(埼玉県八潮市)の札所本尊となっている円空仏の千手観世音菩薩ですが、御開帳は14~18日の間に限って行われることになっています。したがって、札所会が定める開帳期間中の週末には円空仏を拝むことができないことになりますので、お参りの方はご注意ください。ちなみに、次に円空仏が御開帳されるのは、子年に当たる2020年の4月16日とその前後となります。

お納経の取り扱いは、札所会の開帳期間(10~20日)はご対応いただけるようです。

【御開帳情報】武蔵国三十三観音の非公式番外

お出かけ 寺社巡礼 御開帳情報 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場

今月10~20日に午歳総開帳が行われている埼玉県(一部東京都)の「武蔵国三十三観音」に併せ、一部の地域施設で観音様の御開帳が行われています。

私がお参りの折に確認したのは、いずれも埼玉県越谷市の増森地籍にある「増森公民館」(地図)と「増森新田センター」(地図)で、いずれも建物内の御厨子が開かれ、御本尊の聖観世音菩薩を拝むことができます。ただし参拝のみで、お納経の取り扱いはしていません。地元の方のお話では、これまでも武蔵国観音の御開帳に合わせて御厨子を開けており、「非公式番外」としての位置付けのようです。

場所ですが、増森公民館は国道4号東埼玉道路から30番宝正院さまに向かう途中の右側、増森新田センターはセブンイレブン越谷増森2丁目店横の細い里道を入り、新方川にかかる橋のたもとを右折した先にあり、いずれも近くに御開帳を知らせる赤い幟が立っています。

双方ともなかなか立派な観音様がいらっしゃいます。お参りの折に足を延ばされてはいかがでしょうか。

なお、これまで「非公式番外」の位置付けだった越谷市の大相模不動尊・境外観音堂は今回の御開帳から公式番外として扱われるようになりました。以前の案内書兼納経帳などには記載がありませんので、ご注意ください。

葛飾坂東観音巡礼記(6)

お出かけ 寺社巡礼 日記 葛飾坂東三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

葛飾坂東観音巡礼記の続き。

番外札所 長谷寺(長谷観音)

お参りの2日目は、古河市の中心部にほど近い、番外札所の長谷寺さまから打ち始めることにした。地域では「長谷観音」の通称で親しまれ、お正月などはかなりのにぎわいになるお寺だ。

こちらでは、葛飾坂東のお参りの人は本堂に上がってほしい旨の張り紙があった。札所本尊の十一面観世音菩薩に手を合わせてから、お納経をする仕組みだ。
納経所では、「1つなめると5年長生き」という触れ込みの、「長谷観音の黒玉」なる飴を有償で分けていただける。妻を置いてお参りに来たせめてもの罪滅ぼしにと、1袋を分けていただいてお土産にした。

妻は飴の味を気に入ったようで、「おいしい」と言いながらなめている。どのくらい長生きするのだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市長谷町5-1=地図

31番札所 中谷観音寺

車を北東に走らせ、31番札所の中谷観音寺さまに向かう。

こちらは、葛飾坂東の札所の中で唯一、栃木県内にある札所である。もっとも、観音寺さまがある野木町は歴史的に古河地域との結びつきが強いうえに、目と鼻の先は古河市内という立地にある。

地区管理のお堂とお見受けしたが、御開帳に合わせて手入れをされたらしく朱塗りが目にも鮮やかで、堂内には札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。展示物は「昔の生活用品」がテーマで、見覚えのある品々も多く、しばし懐かしい気分にさせてくれた。
(真言宗豊山派 栃木県野木町中谷栗山251=地図

30番札所 普門院

今度は車を南に走らせ、30番札所の普門院さまに向かう。ここからは再び、茨城県内の札所となる。札所の敷地は国道125号に面しているのだが、お堂が奥まった場所にあるため、目印の幟に注意しないと見過ごしてしまう恐れがある。札所本尊は聖観世音菩薩。

境内では、三陸の漁師さんらが参加した震災復興のイベントが行われていた。そういえば、震災で被害を受けながら再興を果たした「気仙三十三観音」のお参りにまだ行けていない。
(真言宗豊山派 茨城県古河市西牛谷92=地図

32番札所 如意輪堂

国道125号を東に進み、小堤交差点を北に入って32番札所の如意輪堂様に向かう。なかなかそれらしいお堂が見つからずにちょっと不安になったが、ちょっと小高い場所にある墓地の周囲に御開帳を知らせる幟が立っており、ほっとした。

お堂は墓地の中にあり、札所本尊はお堂の名の通り如意輪観世音菩薩である。

今回の御開帳では各札所でさまざまな出店がなされているが、こちらのお堂では農機具の安売りが行われていた。これも地域性なのだろう。
(真言宗豊山派 茨城県古河市小堤1122-4=地図

33番札所 円満寺

来た道を戻って国道125号の小堤交差点まで来ると、33番札所の円満寺さまはすぐ近くだ。

境内はかなり広く、「地域の大寺」という感じのお寺であり、それ故か葛飾坂東観音霊場会の事務局を務められている。本堂の脇にある観音堂に札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。お納経をお願いすると、帳面に御開帳記念の特製散華を添えていただいた。いい記念になりそうだ。
(真言宗豊山派 茨城県古河市小堤1405=地図

29番札所 千手堂

再び小堤交差点に戻り、今度は南に下って関戸交差点近くの29番札所の千手堂さまに向かう。近くのコンビニの裏手が駐車場になっており、そこに車を置いてお参りに向かう。札所本尊は千手観世音菩薩である。地名を取って「関戸観音」の通称がある。

お堂出るとき、境内の一角に小さな大師堂があるのを見つけた。詳しい縁起などは分からなかったが、地域性を考えるとこの地でもかつて送り大師の風習があったと見るべきなのだろうか。
(浄土宗 茨城県古河市関戸1229=地図

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