忍領三十三観音のこと(続)
前回の続きで、わが地元の西国写し・忍領三十三観音に関する覚え書き。
3)9番札所大悲庵
「笠原観音堂」と呼ばれることが多いお堂だが、地元で「観音堂」の所在を尋ねると、大悲庵とは別の場所にある墓地内のムラ堂を案内されることが多い。地元で「大悲庵→観音さま」、「墓地内のムラ堂→観音堂」という呼び方が定着している故の結果なので、余所者の巡礼者は注意が必要だ。
地図はこちらから。
なお、こちらのお堂は民地内にあり、公道から直接アクセスができない。堂前でお参りするときは、管理されている地主の方にご挨拶した上で行ってほしい(個人宅なので連絡先はWEBでは公開しません)。
4)霊場の案内書
さきたま出版会から案内書が出ているが、ISBNコードがなく私家版との位置付けのようだ。お求めは秩父鉄道行田市駅近くの真言宗智山派・宝積寺さまへどうぞ。行事が多いお寺でもあるので、お出でになるときはあらかじめ電話を入れて時間を約束されることをお勧めする。
この忍領三十三観音、数年前には再興話が出たこともある。当時取り沙汰されていた、「さきたま古墳群」の世界遺産認定がらみで地元のバス会社社長が言い出したことだったが、商業ベースの色合いが濃い話で関係方面に根回しをしたものでもなく、結局は立ち消えになった由である。
ただ、最近は少しずつ関心を持たれるようになってきたのも確か。独自に霊場を開創した実績のある地元の仏教会が中心になって、再興の手立てが取られればよいのだが…。
2013年5月24日 11:10 PM
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