忍領三十三観音のこと

日記

このブログをご覧になった方から、わが地元にある忍領三十三観音についてお問い合わせをいただいた。分かる限りでお返事を差し上げたが、自分用の覚書を兼ねてこちらにも記しておく。今までのこのブログと重複する部分もあるがご容赦を。

1)5番札所観音院
一般的には、川里工業団地内の「あかぎ公園」近くにある墓地内の小堂を5番観音院と見なしているようである。ただ、こちらには「臨済宗円覚寺派 慶龍寺」という掲示があり、現在は加須市(旧騎西町)の龍興寺さまの兼務寺である。

以前、龍興寺の御坊様にお尋ねしたところ、慶龍寺はもともと龍興寺の隠居寺として建てられており、札所になっていたという記録はない…との由である。
図書館にある『川里町史』を調べてみたが、観音院に関する記載はなぜかほとんどなく、場所を特定することは出来なかった。

2)15番札所観音坊
増田庵などとも呼ばれるこちらの札所は廃寺とされているが、お堂は現存している。ただ、御本尊は現在はすぐ近くの保寧寺さま(臨済宗妙心寺派)に移されており、境内の阿弥陀堂に安置されている。
震災で被害を受け修復を受けたようで、観音坊から移された経緯について、保寧寺さま公式サイトで紹介されている。
ちなみに、こちらの和尚様は、座禅指導ではかなり有名な方らしい。

この霊場、お参りされる方が少しずつ増えているようだが、中には公道に接しておらず民地に囲まれた敷地に建つ仏堂もある。下調べを十分されてからのお参りをお勧めする。
札所に関してはほかにも疑問な点がいくつかある。調べなければと思っているのだが、そういう札所がある地域に限って、農地改革時や神仏分離時の寺院の動きを示す資料が残っていないのは、どういう事情なのだろうか…。

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