豊島八十八カ所巡り(9)
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足の怪我もかなり良くなって、お医者様からウオーキング再開の許可も出た。早速豊島八十八カ所巡りを再開する。今回はリハビリ(笑)も兼ね、狭い範囲に豊島のお札所と江戸観音のお札所が集まっている早稲田界隈を巡る。
札所41番 南蔵院
江戸札所13番の護国寺と同14番の金乗院にお参りしてから、豊島八十八カ所の札所41番・南蔵院に向かう。といっても金乗院とは目と鼻の先で、歩いても5分かからない…というか、金乗院の山門の前から南蔵院がはっきり見えるほどの距離だ。
南蔵院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。御府内八十八カ所の29番札所でもある。
山門を入ってやや奥まったところに、鉄筋コンクリートのモダンな伽藍がそびえる。本堂は2階になるが、防犯上の理由で階段の上り口でお勤めをするよう掲示されているので、それに従う。ご本尊の近くでお参りできないのは残念だが、最近は罰当たりな泥棒やマナーの悪い参拝者も多いから、致し方ないか。境内は草花が多く、巡礼者の心を癒やしてくれる。
(南蔵院 東京都豊島区高田1-19-16=2009年8月8日巡礼)
札所52番 観音寺
南蔵院を出て、面影橋を渡ってから都電の線路がある通りを早稲田方向に歩き、札所52番の観音寺に向かう。
観音寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらも御府内八十八カ所の札所になっているが、札番は豊島と同じ。
こちらのお寺も鉄筋コンクリートの堂々たる伽藍だが、一見お寺には見えない変わったデザインのお寺として知られている。設計したのは隣接する早稲田大学の教授、石山修武さんとか。「鉄筋の変わったデザインの伽藍」と書くと、最近ありがちな「参拝者の来訪を拒否するようなデザイン」とか、「都心部のようなオフィスビル化した伽藍」を連想する向きもありそうだが、ここのお寺の建物はそれらと一線を画すもの。確かに遠目には奇抜なデザインに見えるが、近くまで来ればそこがお寺ということは分かる造りになっているし、一見の参拝者でもどこでお参りしたらよいのか、ちゃんと分かるようになっているのはさすが。施主の意向もあるのだろうが、石山教授は寺社建築の基本をきちんと押さえている方とお見受けした。
余談になるが、豊島八十八カ所のお札所には「観音寺」というお寺がたくさんある。お納経の時や御詠歌を唱える時など、札番をよくよく確認しよう。
(観音寺 東京都新宿区西早稲田1-7-1=2009年8月8日巡礼)
札所3番 龍泉院
観音寺を出て早稲田大学の正門前を通り(この時、天才バカボンの「バカ田大学校歌」を口ずさんでいたのは内緒w)、札所3番の龍泉院へ。穴八幡の交番がある交差点のそばで、江戸観音の札所15番・放生寺のすぐそばだ。
龍泉院は真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。お参りしたのは法事の直後だったが、応対してくださったご住職の「どうぞ中でお参りを」という言葉に甘え、入堂してお勤めさせていただく。本尊の観音さまは、高さ1.5メートルほどの堂々としたものだ。虫封じに御利益があるお寺のようで、お納経でもその旨記された印が押してあった。
こちらのお寺のもう一つの見所は、掲示板の法話。時期に応じたテーマで、ご住職の肉筆の法話は読み応えがあり、面白い。お参りの時には、こちらもお見逃しなく。
(龍泉院 新宿区西早稲田1-1-12=2009年8月8日巡礼)
札所72番 玄国寺
龍泉院のすぐそばにある、江戸観音15番の放生寺にお参りしてから、今回の打ち納めとなる札所72番・玄国寺に向かう。放生寺の前を通る諏訪通りを西に向かって歩き、やんごとない方々が通う某私立学校の先にある。
玄国寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。山門は諏訪通りから奥まった所にあるので、見落とさないように注意。
こちらの本堂はちょっと変わった構造で、鉄筋コンクリートの建物の上に木造の本堂が乗っかっている。本堂の方は相当の年月を経た建物のように見受けられるが、もともとあった本堂を移築したのだろうか。ちなみに庫裏は、かつての岩倉具視邸を移築したものらしい。
本堂横では、鐘楼の普請の真っ最中。立派なものができるようである。そこで仕事をされていた若い男性が、お納経の時に「お四国も回っているのですか?」などと声を掛けてくださる。てっきり建築作業の方とばかり思っていたが、ご住職の息子さんのようだ。普請の手伝いも修行のうちか。
少し離れた場所にある墓地の中には、「田植地蔵」として親しまれているお地蔵様が祀られている。農繁期になると旅僧姿で田植えを手伝ったという言い伝えが残る。
(玄国寺 東京都新宿区高田馬場1-12-10=2009年8月8日巡礼)
2009年8月15日 11:36 PM
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