豊島八十八カ所巡り(20)

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6、7の両日は、例によって豊島八十八カ所のお参りに出かけてきた。
今回は、京浜東北線沿線のお札所を回る。

 

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札所30番 西音寺

JR京浜東北線を東十条で降り、今回の打ち初めになる札所30番の西音寺に向かう。東十条駅からは歩いて5~6分の近さだ。

西音寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。文明2(1470)年、太田道灌の帰依を受けて玄仲法印が創建したと伝えられている。

入り口に「檀家以外の入山を断る」という趣旨の掲示があるが、以前電話した折には「豊島巡礼は構わない」とのことで、脇の戸を開けて境内に入る。防犯対策で戸を開けるとかなり大きな音でチャイムが鳴るが、某コンビニのそれと同じメロディー。人気急上昇中の、「僧職系男子」こと蝉丸Pさんが住職を務めるお寺のチャイムも同じメロディーだそうだし、真言宗のお坊さんはこのメロディーが好きなのだろうか…。

境内は手入れが行き届いた、和風庭園のたたずまい。本尊の不動明王は、新義真言宗の始祖・興教大師が平安時代に自ら彫ったものとされ、開運や厄除けに霊験ありと古くから信仰を集めている。寺の前を通る岩槻街道は、江戸幕府の歴代将軍が日光参拝のルートに使った歴史の道。3代将軍・徳川家光は日光参拝に向かう途中、しばしばこの寺に立ち寄って休息を取ったという。広い境内と堂々とした伽藍が、歴史を今に伝えている。
(西音寺 東京都北区中十条3-27-10=2009年12月6日巡礼)

 

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札所29番 真光寺

西音寺から岩槻街道を南に下り、 札所29番の真光寺へ。西音寺からも、東十条駅からも歩いて6~7分ほど。豊島の札所にしては珍しく、この一帯は札番が続けて打たれている。

真光寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は観世音菩薩。かつての火災で記録類が失われていて、創建された時期など詳しいことは分からない。

北区立荒川小学校の正門がある路地を進むと、突き当たりに山門があり、すぐに2階建ての伽藍がある。1階がコンクリート造りの客殿、2階が木造の本堂という構造は、豊島のお札所でたまに見られるタイプ。
境内に入ってすぐ右側の六角堂には、勢至菩薩を祀っている。かつてこの地域を治めていた豪族・豊島清光が、荒川で水死した子息を供養するために建立した「豊島七仏」の一つで、先の戦争中に真光寺に移されたとされる。

お寺のすぐ近くには、古墳に溶岩を積み上げ富士山に見立てた「十条富士塚」がある。現在でも6月30日と7月1日には開山祭が行われ、富士講の歴史を受け継いでいる。
(真光寺 東京都北区中十条3-1-5=2009年12月6日巡礼)

 

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札所73番 養福寺

真光寺の近くにある札所28番の地福寺は、ご住職が不在でお参りできず、日暮里の札所73番・養福寺にて6日の打ち納めとする。諏訪台通り沿いの、JR日暮里駅から西日暮里駅にかけての寺社が密集する一角にあり、日暮里駅からは徒歩5~6分ほど。

養福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。1620(元和6)年、乗蓮和尚によって開かれたと伝えられる。かつては観音堂や地蔵堂なども備えた堂々たる境内で、西国・坂東・秩父の百観音の写しを祀り、参拝者でにぎわったという。残念なことに、太平洋戦争時の空襲で仁王門を残して伽藍を焼失。現在の本堂は昭和40年に再建されたもの。
焼け残った仁王門はその後、1701(宝永5)年の建立と分かり、1988(昭和63)年に荒川区の指定文化財となっている。

境内で目を引くのは、区の登録文化財になっている「自堕落先生の碑」。1700(元禄13)年に生まれ、中年時代までは武士をしていたが、「宮仕えは性に合わぬ」と職を放り出し、その後は酒と遊びと俳諧に明け暮れる生活を送る。40歳の時には、自らこしらえた柩に入り、この寺で〝生前葬〟を行うが、住職の読経中に柩から飛び出して参列者を驚かせ、その後は飲めや歌えの大宴会になったのだとか。
この碑も、自堕落先生が自ら建立したもの。江戸時代にもハチャメチャな人はいたのだ。
(養福寺 東京都荒川区西日暮里3-3-8=2009年12月6日巡礼)

 

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札所44番 延命寺

7日の打ち始めは、隅田川沿いにある札所44番・延命寺とした。王子で都電荒川線に乗り換え、荒川遊園前電停から歩いて6~7分、荒川遊園地のすぐそばにある。

延命寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は地蔵菩薩。応永年間、田端にある札所56番・与楽寺の本尊であるお地蔵さまの分身を、現在の荒川区西尾久6丁目付近に祀ったのがお寺の始まりという。その後、1678(延宝6)年、現在地に移って寺容が整ったとされる。

真新しい山門は閉まっていたが、脇のくぐり戸が開いていたので、そこからお参り。境内は静かそのもので、ここが東京23区内とは思えない。山門の脇には、1686(貞享3)年に建立された聖観世音菩薩をはじめ、1682(天和2)年の先住の塔、1712(正徳2)年の庚申塔の3つの石像が建ち、このお寺の歴史を伝えている。

隣接する荒川遊園は、23区内唯一の公営遊園地。園内では軽い食事もでき、隅田川を見下ろす広場もある。歩き遍路で疲れたとき、一息入れるのにもってこいの場所だ。
(延命寺 東京都北区堀船4-10-12=2009年12月7日巡礼)

 

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札所57番 福性寺

延命寺を出て、かつてはキリンビールの工場だった読売や日刊スポーツの印刷工場の脇を通って歩き、10分足らずで札所57番・福性寺に着く。直接訪れる場合は、都電荒川線の梶原電停から歩いて7~8分ほど。

福性寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は大日如来(胎蔵界)。火災に遭うなどして詳しいことは不明だが、1625(寛永2)年ごろ創建されたと伝えられている。かつては隣接する白山神社の別当を務めていた。

このお寺の見どころは、扁額をはじめ境内の至る所に掲げられている梵字の数々。お納経の対応をしてくださった先代住職の奥様の話では、その先代が梵字の専門家だったことから、今のような姿になったのだとか。梵字の研究で文学博士号を取られた、学究肌のお坊さんである。お寺を継がれた、息子さんに当たる現在の御住職はお医者さま。分野は違っても、学究肌の血は受け継がれているようである。

境内にある古い石造物の多くは、太田道灌につながる家系の武将・梶原源太政景が眠る「梶原塚」にあったもの。河川改修などの際、お寺の境内に移されたもののようだ。

写真の扁額の梵字、どうも山号や寺号ではなさそうだが、どういうものなのかを聞き漏らした。ご存じの方はぜひご教示を。
(福性寺 東京都北区堀船3-10-16=2009年12月7日巡礼)

 

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札所67番 西福寺

福性寺から団地沿いの道を進み、石神井川に架かる橋を渡ると札所67番の西福寺だ。JR王子駅からだと、歩いて15分ほど。

西福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。およそ1300年前、聖武天皇時代の開基と伝えられ、古くは長福寺という禅宗のお寺だったが、後に真言宗豊山派に属し現在の寺号に改められた。

このお寺は、江戸時代に隆盛を誇った「江戸六阿弥陀」の第一番として知られる。当時の本尊は行基作とされているが、1945(昭和20)年4月の空襲で焼失してしまった。現在では、当時の本尊を模した高さ5メートルの彩色された阿弥陀如来像が、本堂の横に建つ。

巡礼の折にぜひ見てほしいのが、山門を入ってすぐ左側にある「お馬さんの墓」。高知県に伝わる民謡「よさこい節」の歌詞に、♪土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た――とあるが、お坊さんがほれた相手が、西福寺に眠るお馬さんである。後に別の男性と結婚したお馬さんは、長男を頼って1885(明治18)年に上京し、その18年後にこのお寺の近くで生涯を閉じた。戦後、お馬さんがこの寺に眠っていることが過去帳から分かり、慰霊のための石碑を建立したという。
(西福寺 東京都北区豊島2-14-1=2009年12月7日巡礼)

 

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札所59番 無量寺

西福寺からいったん王子に出て、地下鉄に乗り札所59番の無量寺へ。地下鉄の西ケ原駅からも、JRの上中里駅からも、それぞれ歩いて7~8分ほど。旧古河庭園に近い、入り組んだ路地の奥のような場所にお寺があって、道に迷いやすいので注意が必要。

無量寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。お寺の始まりについてはよく分かっていないが、境内から14世紀ごろのものとみられる板碑が多く出土していることから、鎌倉時代から室町時代にかけての開基とする見方が強い。

こちらは江戸六阿弥陀の第3番として知られ、山門の脇には大きな石柱が建つ。境内は手入れが行き届いていて、京都のお寺のようなたたずまいだ。庫裏にお納経に伺うと、対応してくださったのは尼僧さま。豊島の札所を随分回ってきたが、尼僧さまにお目にかかるのは初めて。納経の文字も女性らしい優しい感じで、飴玉のお接待を添えていただく気配りもさすがである。

本尊の不動明王は、「足止め不動」の異名を持つ。その昔、このお寺に盗っ人が押し入った時、ご本尊の前で急に足が動かなくなり翌朝捕らえられたことから、この名がついた。大師堂の中に祀られている観音さまには、雷よけのご利益もあるそうだ。同じ札番で御府内八十八カ所の札所を兼ねている。
(無量寺 東京都北区西ケ原1-34-8=2009年12月7日巡礼)

 

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札所28番 地福寺

7日の打ち納めは、お寺の事情で前日にお参りできなかった、札所28番の地福寺だ。JR東十条駅の南口から歩いて7~8分、岩槻街道沿いにある。

地福寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。今から1000年ほど前、康平年間の開基という。

参道の右側には「茶垣の参道」と書かれた石灯籠が建ち、近くにはお茶の木が数本植えられている。説明板によると、日清戦争のころまでこの一帯ではお茶の栽培が盛んだったという。地区の特産物を後世に伝えるため、戦災に遭った本堂を再建するとき、参道の脇にお茶の木を植えたのだとか。現在の住宅密集ぶりからは想像できないが、かつてはのどかな農村地帯だったのだろう。

このお寺は、ハンセン病への理解を深める、さまざまな取り組みを進めていることで知られる。お納経にも「救らいの寺」という印が捺され、境内には関係する石碑も多い。御住職はその功績から、第30回正力松太郎賞を受けている。薬師如来を祀るお寺にふさわしい活動と思うのは、私だけだろうか。
(地福寺 東京都北区中十条2-1-20=2009年12月7日巡礼)


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