送り大師

隣町でプチ大師巡り

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今日は月遅れの「お大師様の日」。

隣町の国道沿いに建つ観音堂で、毎年恒例のお大師様の御開帳が行われる日なので、今年もお参りに出掛ける。
例年同様、国道端に御開帳を知らせる赤い幟が立ち、地域の方がお参りに来る人を迎えている。


いつものようにお堂に上がらせて頂き、ご本尊の観音様の前でお勤めをさせて頂く。脇侍としてお地蔵様とお大師様が祀られており、今日は3体とも開帳されていた。

お勤めを済ませ、地域の方と雑談をしていると、このお堂から車で数分の距離にある真言宗豊山派のお寺にある大師堂でも、御開帳の行事があると教えて頂き、そちらにもお参りすることにした。

ここでもお寺の境内には御開帳を知らせる赤い幟が立ち、地域の方が茶菓の接待をされていた。
お堂に上げて頂いてお勤めを済ませてから、お茶をご馳走になる。隣町から来た旨を告げると、そういう人は殆どいないとのことで、ちょっと驚かれていた。
こちらのお寺には塩断ち地蔵も祀られており、そちらにもお参りする。金銅色の座像だったが、初めてみる様式でちょっと興味深い。

お参りを済ませると、お寺の方から、数キロ離れた場所にある個人持の大師堂でも御開帳が行われていると教えて頂き、今度はそちらにお参りすることにした。

教えて頂いた道順の通りに車を走らせると、少し先に赤い幟が立っている。ここかと思い車を近づけると、正解だった。
こちらの大師堂は、送り大師の札所でよく見られる形式のもので、3尺四方くらいの小さいお堂の中に、石像の大師像が祀られており、「第四番」「大正六年」などと書かれた扁額が掲げられている。

お堂を守る御家の方にお話を伺うと、「昔は地域を挙げての大師参りの行事があり、露天商なども出てそれは賑やかだった」と過去の様子を教えて頂いた。
年月の経過で文字は読みにくくなっているが、扁額には御詠歌と思しき文字も書かれており、先ほどのお話と合わせると、かつてはこの地域でも送り大師の風習があったものと推察される。

ただ、扁額からわずかに読み取れる御詠歌は、本四国霊場のものとは異なるようだ。
独自の御詠歌があったのか、或いは送り大師以外の巡礼が存在したのか。

調べてみたいとは思うが、資料が残っているのだろうか…。

埼玉県内にもあった送り大師

日記 観音霊場 送り大師 霊場巡礼

昨日の土曜日は、ちょっと気乗りのしない休日出勤。半日で仕事を切り上げられたので、帰路はさいたま市の埼玉県立浦和図書館で開かれている企画展「資料でたどる埼玉の札所」を見に行くことにした。

図書館の入り口付近に特設コーナーができていて、県内に札所がある坂東や秩父についての資料はもちろん、県内の主だったローカル霊場についての所蔵資料を1カ所にまとめて展示している。

立地ゆえか県南地域の霊場に関する資料がほとんどだが、私にとって特に興味深かったのは、かつて川越周辺にあった三十三観音についてまとめた資料と、県内の弘法大師霊場についてまとめた資料だ。その中でも浦和周辺の「北足立八十八ケ所」に関する資料は、著者の方が全文コピーに同意してくださっているとの由で、ご厚意に甘えて資料の全量を複写させていただいた。戦後の高度経済成長期まで何度も行われた、札所の再編成の足跡をまとめた貴重な資料である。

また、展示されている資料からは、この北足立八十八ケ所と羽生市周辺の二十一大師(簡略版のお四国写しである)が、送り大師方式で巡礼されていたことも読み取れる。千葉や茨城で盛んに行われていた送り大師の風習が、埼玉県内にも存在していたことはいろいろな意味で興味深い。

また、展示されていた資料には、熊谷在の「幡羅(郡)八十八ケ所」や県西部の「比企西国観音」、「高麗坂東観音」といった、高度成長期を境に巡礼者が途絶え、現在では歴史の彼方に忘れ去られようとしている霊場についてまとめた書物も多い。これらの資料が末永く保存され、できれば早期にデジタル化されて今後の調査・研究に役立てられるように願う。

この展示会は、今年の春に県内各地の観音霊場で午歳総開帳が行われるのに併せて企画されたもの。県内の文化施設が連携して開催しており、他館での展示も楽しみである。

送り大師を伝える努力

弘法大師霊場 日記 送り大師 霊場巡礼

先日のブログで送り大師のことを取り上げて以来、首都圏各地の送り大師風習のことをいろいろ調べるようになった。さまざまな情報に当たる中、非常に興味深いサイトを見つけたので、ご紹介する。

新四国相馬靈場八十八ヶ所を巡る会

相馬霊場は茨城県の取手市周辺に札所が点在する、江戸時代に開創されたお四国の写し霊場である。現在は地域の篤信家の皆さんを中心に「巡る会」を作り、霊場の護持に当たっている由。
現在は年に5回ほどウオーキング形式の区切り打ちを行い、2年で結願になるそうだ。公式サイトは大変分かりやすく、資料も充実している。区切り打ちイベントの実施やら資料の作成やら、いろいろとご苦労がおありのはずで、ただただ頭の下がる思いである。

相馬霊場もかつては送り大師の風習があったのだろう。ただ、送り大師は農閑期と農繁期を区切るイベントとしての意味合いもあったはずで、地域の都市化・住宅地化が進むに従い、古来の姿をそのまま伝えるのは困難になるのは否めない。区切り打ちになるのも、現代社会ではやむを得ない(この点において、取手から東京寄りの柏や印西で、送り大師の風習が受け継がれているのは特筆される)。

何はともあれ、お参りの人が増えないと霊場の護持が難しくなるのは歴史の示す通り。
昨今の巡礼ブームで、地元の霊場に目を向ける人が増えてくれるといい方向に回りだすはずなのだが…。

素朴な巡礼の歴史がいっぱい

お出かけ 日記 葛飾坂東三十三観音 観音霊場 送り大師

以前のこのブログで取り上げた、柏市郷土資料室の「送り大師」展と、古河市三和資料館の「観音信仰」展を見に行ってきた。

送り大師の万灯

最初に行ったのは、柏の送り大師展。市の沼南庁舎2階にある資料室の入り口には、送り大師が結願した時のお練りで使う万灯が飾られている。

展示は巡拝経路を記した絵馬や納経帳などの巡礼用品はもちろん、慶応2年に送り大師を再興した時の世話人名簿や各地区の大師講に関する文書類、御影の版木など盛りだくさん。
配布物もなかなか面白い。展示目録には送り大師の歴史やしきたり、運営などがコンパクトにまとめられ、それ自体が大きな資料的価値を持っている。今年の送り大師で使われた順路図の写しも配られていて、こちらも大変な価値がある。

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続いて、古河市の三和資料館(さんさん館)で開かれている観音信仰展を訪ねた。図書館と入り口が共通で場所が分かりにくいが、玄関を入って左側の奥が、観音信仰展が行われている資料館である。

資料館に入ってすぐのところでは、ミニチュアの角塔婆から切り絵の観音様に「善の綱」が結ばれ、御開帳の光景を再現している。そのわきにはスタンプと納経帳に似せた台紙が置かれている。ちょっとでも気分を盛り上げようという趣向なのか。
展示物は地域での観音信仰を示す資料や葛飾坂東、猿島阪東各霊場の納経帳など、こちらも盛りだくさん。観音信仰や12年ごとの観音霊場総開帳が地域に根差していることが分かり、興味深い。

両展とも交通の便が良くない場所にあるが、巡礼やその歴史に興味がある人にはお勧めの展示会だと思う。

送り大師の歴史伝える展示会

寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 送り大師

先日のブログ『偶然見つけた「送り大師」』を書いて以来、首都圏の送り大師風習のことが気になりいろいろと調べていたら、千葉県柏市の郷土資料展示室で送り大師の企画展が行われてることを知った。会期は12月23日までの由。

第16回柏の歴史企画展 送り大師 ―柏に伝わる県下最大級の巡礼文化―(柏市公式HP)

ホムペには展示目録も掲載されているが、送り大師の歴史を伝えるさまざまな資料が展示されている由で、地域の巡礼文化を知る上でもなかなか興味深い。

折しも、企画展の会場がある柏市の沼南庁舎から、車を使えばそれほど遠くない古河市の三和資料館では、11月から地域の観音霊場に関する企画展が始まる。何かの偶然だろうか。