最近の投稿

武蔵国三十三観音巡り(その9)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場

武蔵国三十三観音巡りの続き。

19番札所 南川崎 普門寺

18番さんと19番札所の普門寺さまは歩いてもすぐの距離だが、一応車を移動させてお参りすることにした。

札所本尊の正観世音菩薩は本堂脇の観音堂に祀られている。本堂も観音堂も、堂々とした感じの建物だ。
何となくお寺全体が新しい感じがして、改めて納経帳に記されていた縁起に目を通すと、かつてこのお寺は同じ八潮市内の木曽根地区にあったが、中川の河川改修でこの地に移ってきたらしい。お寺に入って感じた雰囲気はこのためだったのだろう。ちなみに、納経帳の墨書印刷は「木曽根」のままだった。

(真言宗豊山派 八潮市南川崎440)

20番札所 鶴ケ曽根 宝幢寺

夕方近くになったが、統一閉堂時刻の夕方5時までにはまだ少し時間がある。御開帳が行われる11日間のうち私がお参りできる日数には限りがあるし、頑張って20番札所の宝幢院さまにお参りすることにした。

地元の方の誘導に従って車を止め、境内に入ると真新しい観音堂が目に入る。札所本尊の正観世音菩薩はこちらに祀られている。境内は草花が美しく、新しい造作も目立つ。御開帳に合わせてかなり境内を整備されたご様子だ。
各地の霊場を回っていると、札所となっている寺院仏堂では御開帳に合わせて境内や伽藍の整備を行うことが多いのに気付く。お寺様やお檀家さん、講をはじめとする地域の方々は相当前から周到な準備を進めているはずで、私たちはそれに感謝してお参りしなければならない。

1日目のお参りはこちらにで打ち止めとした。

(真言宗豊山派 八潮市鶴ケ曽根1819)

武蔵国三十三観音巡り(その8)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音霊場巡りの続き。

18番札所 川崎 仁兵衛屋敷

17番さんで次の札所への行き方を教えてもらい、18番札所の仁兵衛屋敷様に向かう。札所の近くでは揃いの法被を着た方が交通整理をしていて、私が運転する車を駐車場に誘導してくださる。

こちらは個人持ちの札所で、札所本尊は正観世音菩薩である。「仁兵衛屋敷」という札所の名の通り、個人宅内にある札所となっており、ちょっとした借家くらいの大きさの仏堂が母屋と棟続きになっていて、その中にご本尊が祀られている。

札所を代々維持されているのは、この地で清掃関係の仕事を営む方。個人持ちで母屋と棟続きの仏堂ともなればいろいろと管理が大変だし、12年ごとの御開帳の負担も相当なものではないだろうか。ご当主一家の皆様や関係の皆様のご苦労とご厚意に頭が下がるばかりである。

(個人持 八潮市南川崎410)

武蔵国三十三観音巡り(その7)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国33観音巡りの続きである。

15番札所 猿ヶ又 遍照院(和銅寺)

14番さんを出て三郷と金町を結ぶ通りに戻り、戸ヶ崎の十字路を越えてしばらく進むと東京都葛飾区に入り、水元公園の横に出る。その先の信号を左折して幟に従って進むと、15番札所の遍照院さまに着く。

こちらは幼稚園も経営されている大きな寺院で、札所本尊の正観世音菩薩は幼稚園の入り口に建つコンクリート造りのモダンな建物の2階に祀られている。建物のデザインは幼稚園と統一性を持たせている感じだ。2階に上がる階段の脇には大師堂があり、お大師さまの石像が数体祀られている。和尚様の話では「かつての四国写し霊場の名残で、さまざまな事情でこのお寺に移されたものもある」という。

寺号の和銅寺は和銅年間の創建という寺伝にちなむものだ。境内からは嘉元年間の板碑も発掘されているそうで、相当歴史の古い寺院であることは間違いない。現在では遍照院と呼ばれることが多く、「和銅寺」の名は幼稚園を運営する学校法人名などで使われている。

(真言宗豊山派 葛飾区水元5-5-33)

16番札所 飯塚 安福寺(長十郎屋敷)

15番さんを出て、16番札所の安福寺さまに向かう。お寺は入り組んだ狭い路地の奥まった場所にあるが、案内の看板が分かりやすく迷わずに着くことができた。

札所本尊はこの地の豪族の屋敷内から掘り出されたという、懸仏の夕顔観世音菩薩。葛飾区の有形文化財に指定されている。札所名に長十郎屋敷とカッコ書きがあるのは、懸仏が掘り出され、当初お堂が設けられていた屋敷の名にちなむらしい。夕顔観音が安福寺さまに移されたのは、明治維新の後だという。

こちらではお接待のお茶を頂いているときに、早回り巡礼のことが話題になった。最近では御本尊に手も合わせずにお納経だけ済ませて次の札所へ行く人が目立つが、お接待も頂かずにお参りして回るのは味気ないと感じるのは、私だけか。

(真言宗豊山派 葛飾区西水元1-7-19)

17番札所 大瀬 太郎左衛門屋敷

16番さんを出て再び埼玉県内に戻り、潮止橋で中川を渡って八潮市に入る。17番札所の太郎左衛門屋敷さまは、潮止橋から中川を少しさかのぼった、土手の近くにある。

こちらは個人所有の札所で、札所本尊の正観世音菩薩は3間四方ほどの観音堂に祀られている。御開帳に合わせて整備したのだろうか、外壁は今風のサイディング仕上げになっていた。周囲には古い石碑が残り、ここが歴史ある札所であることを伝えている。

(個人持 八潮市大瀬979-1付近)

武蔵国三十三観音巡り(その6)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡りの続き。

12番札所 彦成 西福寺(彦成公民館)

11番さんを出てそのまま街道を南下し、幟を目印に東に入ると程なく、12番札所の西福寺さまに向かう路地が見えてくる。街道から入った道は幅員が4メートルあるかないかの大変狭い道なのだが、札所への路地と交差する地点には路線バスの停留所を示す標柱が立っている。車を止める適当な場所が見当たらず、道の脇ぎりぎりに車を寄せて止め、あとはお参り中にバスが来ないことを願うのみだ。

こちらの札所は札所名のカッコ書きで分かる通り、現在は独立した寺格や堂宇がなく、地区の公民館に札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。ただ、扱いとしては近くの真言宗豊山派・円明院さまの境外仏堂として位置付けられているようだ。
私が訪れた時は、札所寺院の御坊様と思しき方々が集団でお勤めをされていた。徒歩で巡礼されているようである。

路駐のこともあるので、急いでお勤めを済ませて車に戻り中川沿いの道へ出ようとすると、途中の交差点で件の路線バスとすれ違う。都内でもよく見かける幅広タイプの小型バスが配車されていたが、路駐個所で離合するのは不可能だったはずで、お参り中にバスが来たら一騒動になっていたのは間違いない。冷や汗ものである。

(真言宗豊山派 三郷市彦成1ー261)

13番札所 番匠免 迎攝院

中川沿いの道をさらに南下し、幟を頼りに細い路地に入ってうねうねと進むと、左側に13番札所の迎攝院(こうしょういん)さまのお堂が見えてきた。お寺の前に道幅が少し広くなっている個所があったので、そこに車を止めさせていただく。

札所本尊の準提観世音菩薩は、三郷市内でもっとも古い木造建築として市の文化財に指定されている観音堂に祀られている。境内ではご住職が巡礼者に声をかけられていて、私もしばらく話し込む。ご住職も私と同じく、八潮の番外札所に祀られている巨大な円空仏を拝むのを楽しみにされているご様子だ。

こちらのお寺では、神仏習合の歴史を今に伝える「番匠免の大般若経祭り」(県・市指定無形文化財)が毎年7月8日に近い土曜日に行われている。厄除けと無病息災を願ってご住職らが近くの神社で大般若経の転読を行い、その後経典を納めた木箱を神輿のように担いで地域を練り歩いて各戸で祈願を行うもののようだ。三郷市の観光協会が製作した動画がyoutubeで公開されているので、ご紹介しておく。

(真言宗豊山派 三郷市番匠免1-127-1)

14番札所 戸ヶ崎 常楽寺

中川沿いの道に戻って再び南に車を走らせ、人家が密集した戸ヶ崎地区の街並みに入ると、程なく14番札所の常楽寺さまである。

御開帳に合わせて境内を整備したのだろうか、参道や伽藍は真新しい雰囲気が漂う。札所本尊の千手観世音菩薩は、山門を入ってすぐ左側に建つ観音堂に祀られている。観音様は平安時代の仏師・定朝作とされる。お寺の本尊は薬師如来で、こちらは弘法大師作と伝えられている。

戸ヶ崎は昔から交通の要衝で現在も街道は車の往来が激しいのだが、参道を数百メートル入ったせいだろうか、境内は静かそのもの。雲一つない快晴だったこともあり、清々しい気分でお参りができた。

(真言宗豊山派 三郷市戸ケ崎2201)

武蔵国三十三観音巡り(その5)

お出かけ 寺社巡礼 武蔵国三十三観音 観音霊場

武蔵国三十三観音巡りの続き。

9番札所 中曽根 観音寺

7番さんの駐車場を出て、中川から東に入った、吉川市のコミュニティーバスが通る街道を南に下る。例によって御開帳の幟を頼りに進むと9番札所の観音寺に着く。周辺では地元の方が交通整理をしてくださっていて、ありがたい限り。

札所本尊の正観世音菩薩は観音堂に祀られている。昔の農家のような佇まいの本堂には本尊の大日如来が祀られているそうだ。その奥の庫裏は最近建てられたもののようだが、地区の集会所などとして機能しているのだろうか。ご住職は越谷の宝正院さまが兼務されている由である。

(真言宗豊山派 吉川市中曽根1-18-6)
※住所は住居表示適用後のものです。

10番札所 彦糸 実相院(彦糸公民館)

件のコミバス通りをさらに南下すると、いつの間にか車の現在地は三郷市を示していた。幟を頼りに東に入ると、法被を着た地元の方が交通整理をしていて、駐車場に車を誘導してくださった。

10番札所の実相院さまは現在では独立した堂宇がなく、かつてお寺のあった場所に建つ彦糸公民館の中に札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。地区の集会所内に札所本尊が祀られているのは埼玉県内の地方霊場では珍しい事例ではなく、各地で一般的に見られる光景だ。私などは普通にお参りするが、初めて巡礼される方などは戸惑う場合もあるようだ。中武蔵薬師の某札所など、そういったケースでも独自の寺格を有し、宗教法人認証を受けている。

公民館の周辺では、地域を挙げてのお接待が行われていた。子供たちも一生懸命にお手伝いする姿が見られたが、こういう経験を通じて午年総開帳の伝統が受け継がれていくのだろう。

(真言宗豊山派 三郷市彦糸1-10)

11番札所 彦富 兵左衛門屋敷(彦成集会所)

再びコミバス通りに戻り、さらに南に進むとまた御開帳の幟が見えてくる。車を止めると道端の集会所の前に角塔婆が建ち、ここが11番札所の兵左衛門屋敷さまであることが分かった。近くの空き地に車を止めても大丈夫とのことで、ご厚意に甘えてお参りする。

こちらの札所本尊は正観世音菩薩で、現在は集会所の建物内に祀られている。「兵左衛門屋敷」の札所名は、かつてこの地の豪族だった美田兵左衛門氏の屋敷内にあった観音堂を札所としたことに由来する。美田氏はかつて三郷市長を務めた家柄で、法要などは同じ市内の円明院さまが勤められているようだ。

(地元持 三郷市彦成1-88)

武蔵国三十三観音巡り(その4)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡礼記の続きである。

7番札所 高久 密厳院

6番さんでのお参りを済ませ、ナビをセットしてから7番札所の密厳院さまに向かう。いったん中川沿いの街道に戻り、水元方面に車を進め、御開帳の幟を目印に東に入ると大きなお堂が見えてくる。札所本尊は正観世音菩薩である。

こちらのお寺のシンボルとなっている銀杏の木は樹齢800年以上といい、埼玉県の天然記念物に指定されている。お寺の本尊である地蔵菩薩が子育てに霊験があるとされており、子育て銀杏の愛称で親しまれているそうだ。お地蔵様や観音様とともに祀られているお薬師様は、寅年に開帳されるという。

(真言宗系単立 吉川市高久1-18-2)

8番札所 高富 観龍院(龍善院)

8番札所の観龍院さまは、7番さんのすぐ裏手にある。密厳院さまの駐車場にそのまま車を置かせていただき、徒歩でお参りする。

案内書兼納経帳によるとかつては独立した観音堂があったそうだが、札所本尊の正観世音菩薩は現在、本堂に祀られている。札所名の表記が観龍院(龍善院)となっているのは、明治維新のころ、もともと札所だった龍善院と観蔵院が合寺し、現在の院号を名乗ることに由来するらしい。埼玉県内の地方霊場では、寺院の合併で札所を引き継いだ場合、かつての寺号や院号を併記する例が多い。

(真言宗豊山派 吉川市高久1-2-4)

武蔵国三十三観音巡り(その3)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡礼記の続き。

4番札所 中井 東眼寺

3番さんを出ていったん中川沿いの街道に戻り、1番さん近くの平沼交差点を東に入る。片側1車線の県道をしばらく進み、案内に従って北に入ると4番札所の東眼寺さまが見えてくる。近くの空き地が巡礼者用の駐車場になっていたので、そちらに車を止めてお参りする。

一帯は田んぼが広がる、東京への通勤圏とは思えないのどかな風景。田んぼの中に浮かぶようにして小さなお堂があり、その中に札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。

お堂の近くには小さな祠のような建造物がある。「南無大師遍照金剛」という幟が立ち、そこが大師堂であると教えてくれた。2番さんの石碑に記された二十一大師の札所なのだろうか。

(真言宗豊山派 吉川市中井3-119)

5番札所 中島 万福寺

4番さんを出て、いったん県道に戻り、すぐ南に入ると5番札所の万福寺さまへの道しるべとなる幟が見えてくる。こちらも、一面に田んぼが広がるのどかな風景の中に、お寺が浮き島のように建っている。本堂に向かって右側に小さな観音堂があり、札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。

お納経をしている間に、地元の方としばし雑談。私の住まいを聞くと、「御開帳が始まったばかりなのに、遠方からのお参りが多い」と少々驚かれている様子。いずれにせよ、私のような余所者にも温かく接してくださる地元の皆様のお心配りは大変ありがたい。

(真言宗智山派 吉川市中島463)

6番札所 三輪野江 定勝寺

車に戻り、ナビをセットしてから常磐道沿いにある6番札所の定勝寺さまに向かう。案内書を見る限り大した距離ではなさそうだが、走ってみると結構時間がかかった。後から考えてみると、私の使っているカーナビが遠回りなルートを示したことが原因のようだが…。

境内に入ると広い敷地に大きな本堂が建っており、地域の本寺格寺院のようだ。札所本尊は十一面観世音菩薩だが、納経帳に「総本山本尊御分身」という印が押してあったところをみると、長谷寺式の十一面観音を祀るお寺であるようだ。こちらのお寺でも、お納経の時にいろいろと話し込んでしまった。

(真言宗豊山派 吉川市三輪野江1553)

武蔵国三十三観音巡り(その2)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡礼記の続きである。

3番札所 関 普門院

1番さんで求めた納経帳兼案内書の『観音霊場巡拝のしおり』では、1番さんから時計回りに札所を巡るようになっていて、3番の普門院さまで結願とされている。ただ、初めて回る霊場でもありできるだけ順打ちにしようと思い、先に3番さんにお参りすることにした。

1番さんの駐車場に車を取りに戻り、中川沿いの街道を北に進むとすぐに吉川市役所である。そこの交差点を東に入るとすぐに普門院である。立派な本堂が建っているが通常は地区管理の由で、札所本尊は十一面観世音菩薩である。

境内に入るなり、堂守をされていた地域の方から、「●●先生」と声をかけられた。●●は私の姓ではなく、もちろん先生と呼ばれる職業に就いているわけでもない。人違いだと思って聞いてみると、私の顔が武蔵国観音某札所の御坊様にそっくりなのだという。

(真言宗智山派 吉川市関34)

武蔵国三十三観音巡り(その1)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

ここ1カ月ほど公私ともにいろいろな出来事があり、当ブログの更新をしばらくお休みさせていただいていた。おかげさまで少しずつだが落ち着いてきたので、本日からブログの更新を再開させていただくことにする。まずは、4月にお参りしてきた埼玉県と東京都にまたがる武蔵国三十三観音の巡礼記から始める。

1番札所 吉川 延命寺

武蔵国三十三観音の御開帳日程は札所19番・普門寺さまの公式サイトで告知されていたが、納経のシステムなどはお参りに行くまで分からずじまいのままだった。念のため、お参りに使うカバンの中に銀座の鳩居堂で求めた汎用の納経帳を入れ、マイカーで吉川市にある札所1番の延命寺さまに向かう。

この辺りの本寺的な存在なのだろうか、大きな客殿を備えた堂々たる風格の寺院である。札所本尊は正観世音菩薩である(以下、聖観音の表記については納経帳通りとさせていただく)。境内には札所開創の経緯を記した石碑が立つ。

本堂でお勤めを済ませて納経のことを伺うと、各札所の事情もあり、できれば案内書と一体になった納経帳を使ってほしいとの由で、1部求めることにした。札所の縁起や地図と墨書きが見開きで掲載されており、各札所では御宝印を頂いて回る仕組みだ。臨済宗円覚寺派の百観音巡りと同じシステムである。

こちらでは、京都から嫁いできたという方と地元の方と3人で次の札所まで歩く。西の方の霊場の話もなかなか興味深く、一度お参りせねばと思う。

(真言宗智山派 吉川市吉川1541)

2番札所 平沼 智勝院

2番札所の智勝院さままでは歩いてもすぐとの由で、車をそのまま延命寺さまに置かせていただいてお参りする。街道からちょっと入ったところにお寺があり、札所本尊は正観世音菩薩である。

本堂の前には、かつてこの地域に存在したらしい二十一大師の石碑が建つ。よく読むと、送り大師の風習で知られる下総八十八ケ所を写す形で、当地の二十一大師が開創されたことが記されている。札番の数が違うが、二十一大師には八十八カ所巡礼の簡略版的な意味合いもあることを考えると、違和感はない。
納経所にいらした年配の女性は、「二十一大師は送り大師方式で巡礼していたことは覚えているが、詳しい回り方などは分からない」といい、ご住職も「資料が残っていない」と申しておられた。いずれにせよ戦後しばらくの間まで、送り大師の風習が続いていたことは間違いないようである。

千葉県内にある「東葛印旛送り大師」の巡礼の模様を伝える動画が見つかったのでご紹介しておく。

(真言宗智山派 吉川市平沼153)

地域の仏様がいっぱい

お出かけ 日記

先日の当ブログでご紹介した、栃木県小山市の市立車屋美術館で開催中の「小山の仏教美術~仏像・仏画展」に出かけてきた。

蔵造り風の建物に入るとすぐに、市内の天翁院(曹洞宗)に祀られている釈迦三尊像が展示されている。堂々としている一方で、飾り気のない雰囲気の、いかにも禅宗寺院の仏像という趣だ。
展示室には、興法寺(天台宗)や西光寺(時宗)に祀られている、一光三尊の善光寺式阿弥陀如来(善光寺如来)が展示されている。来年の善光寺御開帳を意識したものかもしれないが、双方の善光寺如来とも光背が省かれた形で展示されていたのはちょっと残念。光背とともに展示してこそ、善光寺如来の特徴が分かりやすくなるとと思うのは私だけか…。

展示でひときわ目立ったのが、かつては市内の中島薬師堂に祀られ、現在は市の博物館が管理しているという菩薩形立像と阿弥陀如来立像だ。
菩薩形立像は、一瞬「円空さまの作では?」と思うほどの素朴な雰囲気。造りの特徴も円空仏に似ている部分があるが、製作年代からそうではないことに気づく。阿弥陀如来は堂々としたお姿である。

「中島薬師堂」のことが気になり、学芸員の方に大まかな所在地を教えてもらい、帰りに寄ってみた。薬師堂は農村地帯の集落の中心にある稲荷神社の一角にあり、朽ちかけた1間四方ほどのお堂の前に市教委の解説板があり、そこが「中島薬師堂」であることを示している。内部には小さな仏像が祀られているが、お薬師様とは見えなかった。
お宮さんを挟んで反対側には、寺院か草庵の名残のような古びた建物が残る。かつては堂守の方が暮らしていたようだが、庇の下には彫刻を施した扁額を掲げられるようになっている板が残り、この建物の来歴を示している。建物の奥には仏像が祀られていた。

< 4 5 6 7 8 9 10 >