豊島八十八カ所

大切な忘れ物w

日記 豊島八十八カ所

せっかく本を出したのに、一つ大切な忘れ物が…。
書協(書籍出版協会)の書籍データベースへの登録がまだだったorz

これって書協の会員でなくても登録できるのだが、ISBNコードの説明書に「必ず登録しる」とあったのをすっかり忘れていた。

ネット登録の手続きがようやく完了。
奥付上の発行日である14日には、書協のデータベースで検索できるようになる。
神田村などでのセールスに、役立ってくれるのを祈るのみw

【豊島八十八ケ所】案内書はアマゾンでも取り扱い

弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所

先日刊行した、豊島霊場の案内書『お大師様と共にあゆむ 豊島八十八ケ所巡礼』だが、アマゾンでの販売に必要な手続きが終了し、初回の寄託分を発送した。
ちゃんと商品情報も出てくる→こちらへドゾー。

正直な話、初回の寄託分はごくわずか。ただ、小まめに在庫を補充して「コノザマ」防止に努めるので、筆者直販ともどもご贔屓の程を。

早速反響が

寺社巡礼 日記 豊島八十八カ所

昨日ご紹介した豊島霊場の案内書だが、早速反響があった。

3番の龍泉院さまからは、本で取り上げた掲示板について、ご指摘やご教示をいただいた。
ご指摘を踏まえ、次の版で文面を一部手無しするなどの対応をさせていただく。

いくつかの札所寺院からは、まとまったご注文も頂いた。本当に感謝。

【豊島八十八カ所】ガイド本ができました

お知らせ 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所

昨日のブログでお約束したとおり、私が今度出す本をご紹介させていただく。

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題名は『お大師様と共にあゆむ 豊島八十八ケ所巡礼』。豊島八十八カ所の案内書である。
巡礼中に知り合った76番札所・金剛院や1番札所・安養院の御住職からさまざまなご支援をいただき、発刊することができた。当方の知る限り、豊島霊場の案内書が発行されるのは、1990年以来20年ぶりのはず。

内容は札所案内のほか、巡礼モデルコース、お参りの基礎知識などを盛り込んだ。
札所案内は私が巡礼中に見聞した内容や当時のブログを基に、公的なものを含めできるだけ多くの資料に当たりまとめた。納経所の変更なども反映させてある。

巻頭には、33番札所・眞性寺の御住職で真言宗豊山派の第30代管長も勤められた鳥居愼誉猊下から、「すいせんの言葉」を頂戴した。また、国文学者でもある58番札所・荘厳寺の御住職には「巡礼の意義」を寄せていただいた。1番札所の御住職にはまえがきを、76番の御住職にはあとがきを執筆していただき、分不相応なことではないのかと面映い限りだ。

なお、この本は非売品でなく、巡礼者をはじめ一般の方でもできるだけ手に入れやすいようにしようと思っている。ISBNコードを取得したのも、その一環。
A5判128ページ、税込み定価は1800円である。

札所寺院では現在のところ、椎名町駅前の76番・金剛院さまと上板橋駅から1㌔のほどの場所にある1番・安養院さまで扱っていただくことになった。東上線や西武池袋線沿線の方は、こちらの寺院でお求めいただくのが、時間や送料もかからず一番便利だと思う。
お寺に足を運ぶ前には、あらかじめ電話を入れて日時を決めて在庫を確認してほしい。

筆者でもある当管理人による、直接販売も行っている。こちらは通販のみ(送料必要)とさせていただくが、詳しいことはメインメニューの「お問い合わせ」からメールを送ってほしい。近く別サイトを立ち上げ、そちらの方には販売コーナーを設ける予定だ。
アマゾンでも扱っていただけるよう、手続きを進めている。

何はともあれ、本が刊行できたことは何より嬉しい。いろいろ不備な点があるだろうが、実際に読んでいただき、ご感想やご意見を伺えれば幸いである。

刊行を支えていただいた金剛院と安養院の和尚さま、筆者の無理な要求にも手際よく対応していただいたデザイナーの佐藤さんと井上さん、短納期で仕上げてくれた恒信印刷の皆さん、暑い中にも関わらず大きな本の梱包を手運びしてくださった運送会社の皆さん、そして読者のみなさんにお礼を申し上げ、発刊のご挨拶とさせていただく。

花まつりに行ってみる

お出かけ 七福神 寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

お世話になっている某寺院の御住職からお誘いを受け、板橋区仏教会主催の花まつり法要に出かけてきた。

各寺院で毎年持ち回りで開いているようだが、今回は豊島八十八カ所の札所1番・安養院さんで開催。これも何かのご縁だ。

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安養院に着くと、ちょうど稚児行列が戻ってきたところ。
その後は法要だったが、お稚児さんがきちんとお釈迦さまに手を合わせていて、ちょっと感動。どこぞのサイト管理人とは違って、素直に育ってくれますように。

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安養院一帯は桜の名所。桜のトンネルが美しい中での花まつりだった。
俳優の滝田栄さんの講演も、聞き応え十分。

豊島八十八カ所・札所一覧のエクセル版公開

お出かけ お知らせ 寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

「豊島八十八カ所札所一覧表」のエクセル版をアップしました。
ダウンロードはこちらからどうぞ。LZHで圧縮してあるので、解凍してから使ってください。

豊島は札番が入り組んでいるので、住所をキーにして並べ替えてから巡礼ルートを組むと、効率的に回れます。
なお、使用はあくまでも自己責任でお願いします。

「豊島八十八カ所札所一覧」を改訂しました

お出かけ お知らせ 寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

「資料室」の方で公開している、「豊島八十八カ所札所一覧」を改訂しました。

恐れ入りますが、最新版をダウンロードしてご利用ください。

板橋七福神巡り

お出かけ 七福神 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

このところ、お正月の恒例行事と化している七福神巡り。
今年は、都内の「板橋七福神」にお参りした。

こちらの七福神は、実はすべての寺院が豊島八十八カ所のお札所とかぶっている。ということで参拝記はごく簡単に、祀っている神さまと札所名の対比のみにさせていただく。

弁財天=豊島1番・安養院
布袋尊=豊島80番・西光寺
福禄寿=豊島50番・長命寺
恵比寿=豊島88番・観明寺
大黒天=豊島82番・西光院
毘沙門天=豊島18番・文殊院
寿老人=豊島61番・能満寺

一回り歩くと10キロ以上。バスや電車を使うより、歩きや自転車で回った方が効率的。
参拝受け入れは7日まで。

豊島八十八カ所巡り(21)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

3月に始めた豊島八十八カ所巡りも、残りはわずか。12月13日と15日に、板橋区内などの残りの札所を回ってきた。

 

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札所43番 金剛寺

JRの王子駅から石神井川に沿って板橋方向にしばらく歩くと、左側に大きな伽藍が見えてくる。そこが、札所43番の金剛寺だ。駅からは少し離れているが、大きなスーパーなどもあって付近は賑やかだ。

金剛寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。弘法大師が東国を巡錫した折、石神井川を渡るために橋を架け、その際に不動明王像を彫り、橋の付近に祀ったのがお寺の開基とされている。

このお寺の別名は「もみじ寺」。徳川8代将軍吉宗が、金剛寺を中心に紅葉の木を植えさせ、付近が紅葉見物の名所となったことに由来する。歴代の歌川(安藤)広重によって、紅葉見物の賑わいが版画に描かれている。

境内には「滝野川七福神」の石柱が建つが、いくつかの社寺が集まった七福神霊場ではなく、金剛寺の境内だけで完結する「1カ所七福神」だ。山門を入って右側にある弁天堂を中心に、七福神が祀られている。
その弁天さまは、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にも登場するくらい、歴史の古いもの。他の神様は、露座の小さな石像なので、境内をよく探そう。ちなみに七福神の御朱印はないので、その点はご注意を。
お寺のある一帯は、源頼朝が武蔵国に攻め入った折、陣を取ったという言い伝えが残る。
(金剛寺 東京都北区滝野川3-88-17=2009年12月13日巡礼)

 

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札所12番 寿徳寺

金剛寺で道順を教えてもらい、札所12番の寿徳寺に向かう。金剛寺からだと石神井川をさらにさかのぼるように歩き、写真にある「谷津大観音」が見えたら、右側の路地を入ると山門に出る。直接向かう場合は、都営地下鉄三田線の新板橋駅から歩いて7~8分だ。

寿徳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は秘仏の聖観世音菩薩。お寺のできた時期や経緯についてはいくつかの説があるが、鎌倉時代の開基とみて間違いないようだ。

お寺の別名は「谷津子育て観音」。その名の通り、子育てに霊験あらたかな観音さまとして、古くから信仰を集めている。寿徳寺は新撰組隊長・近藤勇の菩提寺としても知られ、山門の脇にはそのことを記した石柱が建っている。その墓はJR板橋駅近くの寿徳寺の境外墓地にあって、毎年4月25日の命日前後に、盛大な供養祭が行われている。

冒頭に登場した「谷津大観音」も、寿徳寺の境内の一部。志半ばで先代のご住職が亡くなられ、思いを受け継いだ現在のご住職により、2008年12月に開眼法要が行われたばかり。像高4.5メートル、総高8.5メートルの堂々たる観音さまである。
(寿徳寺 東京都北区滝野川4-22-2=2009年12月13日巡礼)
※寿徳寺の公式ホームページはこちら

 

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札所18番 文殊院

寿徳寺最寄りの新板橋駅から地下鉄に乗り、板橋区役所前で降りて札所18番の文殊院へ。途中には札所71番の遍照寺もあるが、こちらはお留守だった。このお寺のある一帯、昔の中山道板橋宿周辺は豊島のお札所が集まっているエリアだ。地下鉄の駅からは歩いて7~8分である。

文殊院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は文殊菩薩。板橋宿の仕切り役だった本陣・飯田家の菩提寺として、現在も山門脇に祀られる延命地蔵尊の境内を広げる形で、江戸時代初めに創建されたといわれている。

このお寺、古くは「出世寺」という愛称で親しまれていた。安政年間以降の正規の住職がいなかった時期に、仮住職として赴任してきたお坊さんが短期間で大きな寺に移ったことから、この愛称がついたのだという。今は正規のご住職がお寺を守られている。本尊は知恵を授けてくださる文殊菩薩だし、このお寺の草創は延命地蔵尊。おまけに先の伝承とくれば、「リストラ除けにご利益があるかも」と考えるのは、当サイト管理人だけだろうか…。

本堂の前には、ミニチュアのような鐘楼があり、参拝者が撞けるようになっている。ただ、法要中など本堂で行事が行われているときには遠慮しよう。戻り鐘がタブーなのは、お四国と同じである。
(文殊院 東京都板橋区仲宿28-5=2009年12月13日巡礼)

 

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札所49番 日曜寺

札所49番の日曜寺には、日を改めて出かける。都営地下鉄三田線の板橋本町駅からも、18番文殊院からも歩いて6~7分である。

日曜寺は真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は愛染明王。今から300年ほど前の正徳年間、宥慶和尚が小さなお堂を建てたのが開基とされる。その後、徳川8代将軍吉宗の子・田安宗武の帰依を受けて再興され、お寺の基盤を確立した。

山門に掛かる扁額は、「寛政の改革」で知られる、老中の松平定信の筆によるもので、板橋区の登録有形文化財。定信は宗武の子に当たり、代々日曜寺に帰依していたことがうかがえる。 当時の伽藍は空襲で焼失し、現在の本堂は1970(昭和45)年に再建されたもの。

本尊の愛染明王は水商売関係のほか、「藍染」に通じるとして染色業者からの信仰が厚いとされ、山門付近の玉垣には、芸妓組合や染色関連業者らの名前が刻まれる。お寺付近の商店街にも「愛染」の名が付けられていて、往時の賑わいを今に伝えている。縁結びのご利益もあるそうなので、婚活中の善男善女もぜひお参りを。
(日曜寺 東京都板橋区大和町42-1=2009年12月15日巡礼)

 

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札所71番 遍照寺

日曜寺から旧中山道に出て、賑わいをみせる板橋宿の商店街を通り、札所71番の遍照寺へ。日曜寺からは歩いて10分少々、地下鉄の板橋区役所前駅からは5分ほどである。

遍照寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。1662(寛文2)年、当時は近隣で唯一の天台宗寺院として創建したが、廃仏毀釈の波にのまれて明治初めに廃寺。その後、成田講の道場として1881(明治14)年、朝日不動堂として復活し、戦後の1947(昭和22)年に寺格を得て、現在は成田山新勝寺の末寺となっている。

うなぎの寝床のような、間口の狭い敷地の一番奥に住居兼用の小さな本堂があるが、入り口が分かりにくい。
商店街にある「おかしのまちおか」の向かい、小さな喫茶店脇にある「旭不動堂」と刻まれた豊島札所の石柱と、区教委の解説板が表札代わりだ。

境内は宿場の馬つなぎ場になっていて、参道の脇には馬頭観音が祀られている。本堂には、豊島八十八カ所の原型の一つとされる豊島二十一カ所の納め札所となっていたことを示す扁額が、豊島八十八カ所のものとともに今なお掲げられている。昔の人の信仰の篤さを示すものと言えるだろう。
(遍照寺 東京都板橋区仲宿40-7=2009年12月15日巡礼)

 

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札所88番 観明寺

さあ、残る札所はあと一つ。遍照寺から旧中山道の商店街をJR板橋駅方向に進み、札所88番の観明寺に向かう。地下鉄の板橋区役所前からも、71番遍照寺からも歩いて5分ほどだ。

観明寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。1338(暦応元)年の開基で、1677(延宝5)年の中興開山と伝えられている。

このお寺も文殊院や遍照寺とともに江戸時代の板橋宿の中にあり、古くから信仰を集めていた。明治6年には、地域の繁栄を願おうと千葉の成田山から不動明王の分身を勧請。「出世不動」として、現在でもお参りの人が絶えない。お寺の前の商店街が「板橋宿不動通り商店街」と名付けられているのは、このお寺に由来する。

境内にはこのほか、もともとは加賀藩の江戸下屋敷にあったというお稲荷さまも祀る。参道入り口の庚申塔は、青面金剛像が彫られたものとしては都内最古で、現在は区の指定有形文化財だ。

観音さまやお不動さま、それにお稲荷さま…私たちのあらゆる願いや悩みを聞き届けてくれそうな、結願所にふさわしいお寺である。一見すると街中の普通のお寺だが、本堂の前には線香の煙が絶えない。現在でも地域からの信仰を集めている証だろう。
(観明寺 東京都板橋区板橋3-25-1=2009年12月15日巡礼)

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発願から9カ月。途中で思わぬアクシデントもあったが、年内に結願することができた。

都内の遍路というと、お四国に比べて楽そうなイメージがあるが、正直なところなかなか大変だった。本四国とは違って檀家寺ばかりの構成で、お札所の事情によって何度も同じ寺を訪ねることになった。また、お寺が無住になっていて納経所が人知れず変更されていたケースもあり、情報が少ない霊場を巡礼する難しさも実感した。
歩いた距離は150キロほどのはずなんだが…。

札所一覧の地図や朱印の一覧は近日中に整備しようと思っているし、巡礼の記録を何らかの形で後世に伝えたいとも考えている。

さあ、次はどこの札所を回ろうか…。

豊島八十八カ所巡り(20)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

6、7の両日は、例によって豊島八十八カ所のお参りに出かけてきた。
今回は、京浜東北線沿線のお札所を回る。

 

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札所30番 西音寺

JR京浜東北線を東十条で降り、今回の打ち初めになる札所30番の西音寺に向かう。東十条駅からは歩いて5~6分の近さだ。

西音寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。文明2(1470)年、太田道灌の帰依を受けて玄仲法印が創建したと伝えられている。

入り口に「檀家以外の入山を断る」という趣旨の掲示があるが、以前電話した折には「豊島巡礼は構わない」とのことで、脇の戸を開けて境内に入る。防犯対策で戸を開けるとかなり大きな音でチャイムが鳴るが、某コンビニのそれと同じメロディー。人気急上昇中の、「僧職系男子」こと蝉丸Pさんが住職を務めるお寺のチャイムも同じメロディーだそうだし、真言宗のお坊さんはこのメロディーが好きなのだろうか…。

境内は手入れが行き届いた、和風庭園のたたずまい。本尊の不動明王は、新義真言宗の始祖・興教大師が平安時代に自ら彫ったものとされ、開運や厄除けに霊験ありと古くから信仰を集めている。寺の前を通る岩槻街道は、江戸幕府の歴代将軍が日光参拝のルートに使った歴史の道。3代将軍・徳川家光は日光参拝に向かう途中、しばしばこの寺に立ち寄って休息を取ったという。広い境内と堂々とした伽藍が、歴史を今に伝えている。
(西音寺 東京都北区中十条3-27-10=2009年12月6日巡礼)

 

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札所29番 真光寺

西音寺から岩槻街道を南に下り、 札所29番の真光寺へ。西音寺からも、東十条駅からも歩いて6~7分ほど。豊島の札所にしては珍しく、この一帯は札番が続けて打たれている。

真光寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は観世音菩薩。かつての火災で記録類が失われていて、創建された時期など詳しいことは分からない。

北区立荒川小学校の正門がある路地を進むと、突き当たりに山門があり、すぐに2階建ての伽藍がある。1階がコンクリート造りの客殿、2階が木造の本堂という構造は、豊島のお札所でたまに見られるタイプ。
境内に入ってすぐ右側の六角堂には、勢至菩薩を祀っている。かつてこの地域を治めていた豪族・豊島清光が、荒川で水死した子息を供養するために建立した「豊島七仏」の一つで、先の戦争中に真光寺に移されたとされる。

お寺のすぐ近くには、古墳に溶岩を積み上げ富士山に見立てた「十条富士塚」がある。現在でも6月30日と7月1日には開山祭が行われ、富士講の歴史を受け継いでいる。
(真光寺 東京都北区中十条3-1-5=2009年12月6日巡礼)

 

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札所73番 養福寺

真光寺の近くにある札所28番の地福寺は、ご住職が不在でお参りできず、日暮里の札所73番・養福寺にて6日の打ち納めとする。諏訪台通り沿いの、JR日暮里駅から西日暮里駅にかけての寺社が密集する一角にあり、日暮里駅からは徒歩5~6分ほど。

養福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。1620(元和6)年、乗蓮和尚によって開かれたと伝えられる。かつては観音堂や地蔵堂なども備えた堂々たる境内で、西国・坂東・秩父の百観音の写しを祀り、参拝者でにぎわったという。残念なことに、太平洋戦争時の空襲で仁王門を残して伽藍を焼失。現在の本堂は昭和40年に再建されたもの。
焼け残った仁王門はその後、1701(宝永5)年の建立と分かり、1988(昭和63)年に荒川区の指定文化財となっている。

境内で目を引くのは、区の登録文化財になっている「自堕落先生の碑」。1700(元禄13)年に生まれ、中年時代までは武士をしていたが、「宮仕えは性に合わぬ」と職を放り出し、その後は酒と遊びと俳諧に明け暮れる生活を送る。40歳の時には、自らこしらえた柩に入り、この寺で〝生前葬〟を行うが、住職の読経中に柩から飛び出して参列者を驚かせ、その後は飲めや歌えの大宴会になったのだとか。
この碑も、自堕落先生が自ら建立したもの。江戸時代にもハチャメチャな人はいたのだ。
(養福寺 東京都荒川区西日暮里3-3-8=2009年12月6日巡礼)

 

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札所44番 延命寺

7日の打ち始めは、隅田川沿いにある札所44番・延命寺とした。王子で都電荒川線に乗り換え、荒川遊園前電停から歩いて6~7分、荒川遊園地のすぐそばにある。

延命寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は地蔵菩薩。応永年間、田端にある札所56番・与楽寺の本尊であるお地蔵さまの分身を、現在の荒川区西尾久6丁目付近に祀ったのがお寺の始まりという。その後、1678(延宝6)年、現在地に移って寺容が整ったとされる。

真新しい山門は閉まっていたが、脇のくぐり戸が開いていたので、そこからお参り。境内は静かそのもので、ここが東京23区内とは思えない。山門の脇には、1686(貞享3)年に建立された聖観世音菩薩をはじめ、1682(天和2)年の先住の塔、1712(正徳2)年の庚申塔の3つの石像が建ち、このお寺の歴史を伝えている。

隣接する荒川遊園は、23区内唯一の公営遊園地。園内では軽い食事もでき、隅田川を見下ろす広場もある。歩き遍路で疲れたとき、一息入れるのにもってこいの場所だ。
(延命寺 東京都北区堀船4-10-12=2009年12月7日巡礼)

 

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札所57番 福性寺

延命寺を出て、かつてはキリンビールの工場だった読売や日刊スポーツの印刷工場の脇を通って歩き、10分足らずで札所57番・福性寺に着く。直接訪れる場合は、都電荒川線の梶原電停から歩いて7~8分ほど。

福性寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は大日如来(胎蔵界)。火災に遭うなどして詳しいことは不明だが、1625(寛永2)年ごろ創建されたと伝えられている。かつては隣接する白山神社の別当を務めていた。

このお寺の見どころは、扁額をはじめ境内の至る所に掲げられている梵字の数々。お納経の対応をしてくださった先代住職の奥様の話では、その先代が梵字の専門家だったことから、今のような姿になったのだとか。梵字の研究で文学博士号を取られた、学究肌のお坊さんである。お寺を継がれた、息子さんに当たる現在の御住職はお医者さま。分野は違っても、学究肌の血は受け継がれているようである。

境内にある古い石造物の多くは、太田道灌につながる家系の武将・梶原源太政景が眠る「梶原塚」にあったもの。河川改修などの際、お寺の境内に移されたもののようだ。

写真の扁額の梵字、どうも山号や寺号ではなさそうだが、どういうものなのかを聞き漏らした。ご存じの方はぜひご教示を。
(福性寺 東京都北区堀船3-10-16=2009年12月7日巡礼)

 

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札所67番 西福寺

福性寺から団地沿いの道を進み、石神井川に架かる橋を渡ると札所67番の西福寺だ。JR王子駅からだと、歩いて15分ほど。

西福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。およそ1300年前、聖武天皇時代の開基と伝えられ、古くは長福寺という禅宗のお寺だったが、後に真言宗豊山派に属し現在の寺号に改められた。

このお寺は、江戸時代に隆盛を誇った「江戸六阿弥陀」の第一番として知られる。当時の本尊は行基作とされているが、1945(昭和20)年4月の空襲で焼失してしまった。現在では、当時の本尊を模した高さ5メートルの彩色された阿弥陀如来像が、本堂の横に建つ。

巡礼の折にぜひ見てほしいのが、山門を入ってすぐ左側にある「お馬さんの墓」。高知県に伝わる民謡「よさこい節」の歌詞に、♪土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た――とあるが、お坊さんがほれた相手が、西福寺に眠るお馬さんである。後に別の男性と結婚したお馬さんは、長男を頼って1885(明治18)年に上京し、その18年後にこのお寺の近くで生涯を閉じた。戦後、お馬さんがこの寺に眠っていることが過去帳から分かり、慰霊のための石碑を建立したという。
(西福寺 東京都北区豊島2-14-1=2009年12月7日巡礼)

 

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札所59番 無量寺

西福寺からいったん王子に出て、地下鉄に乗り札所59番の無量寺へ。地下鉄の西ケ原駅からも、JRの上中里駅からも、それぞれ歩いて7~8分ほど。旧古河庭園に近い、入り組んだ路地の奥のような場所にお寺があって、道に迷いやすいので注意が必要。

無量寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。お寺の始まりについてはよく分かっていないが、境内から14世紀ごろのものとみられる板碑が多く出土していることから、鎌倉時代から室町時代にかけての開基とする見方が強い。

こちらは江戸六阿弥陀の第3番として知られ、山門の脇には大きな石柱が建つ。境内は手入れが行き届いていて、京都のお寺のようなたたずまいだ。庫裏にお納経に伺うと、対応してくださったのは尼僧さま。豊島の札所を随分回ってきたが、尼僧さまにお目にかかるのは初めて。納経の文字も女性らしい優しい感じで、飴玉のお接待を添えていただく気配りもさすがである。

本尊の不動明王は、「足止め不動」の異名を持つ。その昔、このお寺に盗っ人が押し入った時、ご本尊の前で急に足が動かなくなり翌朝捕らえられたことから、この名がついた。大師堂の中に祀られている観音さまには、雷よけのご利益もあるそうだ。同じ札番で御府内八十八カ所の札所を兼ねている。
(無量寺 東京都北区西ケ原1-34-8=2009年12月7日巡礼)

 

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札所28番 地福寺

7日の打ち納めは、お寺の事情で前日にお参りできなかった、札所28番の地福寺だ。JR東十条駅の南口から歩いて7~8分、岩槻街道沿いにある。

地福寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。今から1000年ほど前、康平年間の開基という。

参道の右側には「茶垣の参道」と書かれた石灯籠が建ち、近くにはお茶の木が数本植えられている。説明板によると、日清戦争のころまでこの一帯ではお茶の栽培が盛んだったという。地区の特産物を後世に伝えるため、戦災に遭った本堂を再建するとき、参道の脇にお茶の木を植えたのだとか。現在の住宅密集ぶりからは想像できないが、かつてはのどかな農村地帯だったのだろう。

このお寺は、ハンセン病への理解を深める、さまざまな取り組みを進めていることで知られる。お納経にも「救らいの寺」という印が捺され、境内には関係する石碑も多い。御住職はその功績から、第30回正力松太郎賞を受けている。薬師如来を祀るお寺にふさわしい活動と思うのは、私だけだろうか。
(地福寺 東京都北区中十条2-1-20=2009年12月7日巡礼)

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