最近の投稿
お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼
3日の文化の日は、江戸三十三観音のお参りに出かけてきた。
今回は虎ノ門の20番・天徳寺を振り出しに、28番・金地院→21番・増上寺→26番・済海寺→25番・魚籃寺→27番・道往寺→29番・高野山東京別院の順番でお参り。
増上寺だが、大普請の関係で納経所の場所が変わっている。三門の脇にあるプレハブ造りの建物で、札所の西向観音からは結構距離がある。またスペースの関係で混雑が激しいので、お参りには時間の余裕を持って。
次回で結願にしたいのだが、「難所」で有名な例のお寺が残っているので、首尾よくいけるかどうか(笑)。
2009年11月6日 10:12 PM |
コメントをどうぞ
日記 霊場巡礼
夜、読売のホムペを何気に眺めていたら、こんな記事が出ていてビクーリ。
読売のホムペは魚拓が取れないし、リンクもしばらくすると消え失せる筈だから要約だけしておく。
さいたま市から東京都にかけて、(不動明王を祀った)100の寺院を巡る「足立百不動尊」の再興をの様子を記録した古文書の価値を見直す機運が高まっているという記事である。
古文書が見つかったのは7年前で、蕨市の民俗資料館の元職員が、骨董市でたまたま購入したセットの中に入っていたものという。郷土史家の指摘もあり、同資料館は研究成果をまとめた「紀要」に改めて掲載し、県内の図書館などに配布することを検討している。
(要約こここまで)
足立百不動尊の存在は、今年の春に「足立坂東三十三観音」にお参りするときに知った。実は足立坂東霊場の札所で足立百不動尊の札所を兼務している所があり、南浦和の宝性寺では外から見えるところに扁額が現存しているほか、足立坂東番外の八丁観音寺(実際は地区の集会所だが)にもその遺構が残っているはずである。かつてはかなり賑わった霊場のようだ。
記事を読む限り、取材した読売の記者が霊場巡礼の知識があり、たまたま取材先で小耳に挟んだ話を基に関係先を取材してまとめた記事のように見える。大手紙でもそういう素養のある記者があるのか、はたまた最近の巡礼ブームに乗っかっただけなのか…。
埼玉県内では、行田市を中心にした「忍領三十三観音」を再興させる動きもある。巡礼ブームがもっと裾野が広がってくれるといいのだが。
2009年11月2日 9:41 PM |
コメントをどうぞ
お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼
24日の土曜日は、江戸観音巡りに併せて豊島八十八カ所にもお参りしてきた。今回は豊島区と新宿区のお札所を1カ所ずつお参りする。
札所78番 東福寺
最近装いを一新したJR大塚駅の改札を出て、「天祖神社」の鳥居がそびえる南口に出る。駅舎を出てすぐ左側のパチンコ屋の所に「大塚三業通」の看板が出ているが、その通りが札所78番・東福寺への道だ。
かつての花街の名残なのか、連れ込み系ホテルが目立つ道を進むと、東福寺への看板が見えてくる。急な石段の上にある山門は閉じられているが、その右側にある車道を通ってお参りできるようになっている。
東福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらの本堂は入り口が自動ドアになっていって、靴を履いたまま本尊を拝めるようになっている。バリアフリーを取り入れた様式で神社ではたまに見かける構造だが、街中のお寺でもこういう様式を目の当たりにするのは初めてだ。もちろん、中に入って御本尊を見ながらお勤めさせていただいた。
このお寺は当初は小石川方面にあったものが、元禄年間に今の場所に移ってきたとされる。山門に向かう石段の脇にある「疫牛供養塔」は明治43年の建立で、豊島霊場とほぼ同じ歴史を刻んでいる。現在では想像もつかないが、当時はこの周辺には酪農家が多く、病気で死んだ乳牛を供養するために建てられたという。その塔に刻まれる「牛乳搾取業」の文字も歴史を感じさせる。
(東福寺 東京都豊島区南大塚1-26-10=2009年10月24日巡礼)
札所24番 自性院
江戸観音12番の傳通院と同16番の安養寺(神楽坂聖天)にお参りしてから、豊島八十八カ所の札所24番、自性院に向かう。
都営地下鉄大江戸線の落合南長崎駅から新青梅街道を哲学堂方面に向かうと、左側に自性院の通称である「猫地蔵堂入口」の看板や招き猫の石像が見えてくる。真言宗豊山派のお寺で、本尊は来迎阿弥陀如来。
自性院には2体の猫地蔵が祀られている。一つは、1477(文明9)年ごろの「江古田ヶ原の戦い」で、この近くにあった豊島城を攻め込んでいた太田道灌が道に迷い、自性院まで猫に導かれここで一夜を明かし、戦に勝利したことから、その猫の死後に奉納したもの。いわゆる「道灌招ぎ猫」伝説で、今は“婚活のお宮”として有名になった浅草の今戸神社や世田谷の豪徳寺とともに招き猫発祥の地とされる所以である。
もう一つの猫地蔵は、江戸時代中ごろの名和年間、ある貞女の死を悼んだ人が1体の猫の顔をしたお地蔵様をこの自性院に奉納したことに由来する。
猫地蔵尊は2体とも秘仏で、毎年の節分会の折に御開帳となる。最近は猫好きの人の参拝が多いようだ。
(自性院 東京都新宿区西落合1-11-23=2009年10月24日巡礼)
2009年11月1日 1:15 AM |
コメントをどうぞ
お出かけ お知らせ 寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼
豊島八十八カ所の札所一覧を公開しました。私がお参りの時に使っているものをPDF化したものです。
豊島霊場の巡礼案内は20年ほど前に私家版に近い形で出版されたほか、大法輪閣の「全国霊場巡拝事典」にも掲載されていて、ネット上でもそれらを引用した形で札所一覧を紹介しているサイトがあります。
しかし、その後は住職が不在になったなどの理由でいくつかの札所で納経所が変更になっていますが、ネット上の情報でもそれらはほとんど反映されていないのが現実です。今回公開したものは、今までのお参りの中で判明した納経所の変更を反映させてあります。ダウンロードして、お参りの時の資料に使っていただければと思います。
また、誤記や納経所の変更などにお気づきの場合は、当サイトのメールフォームから管理人宛お知らせいただければ幸いです。
札所一覧はこのたび新設した「資料室」コーナーに置いてあります(こちらをクリック)。
【お願い】
- 諸般の事情でPDFファイル名を変更することがありますので、リンクはPDFファイル直接ではなく、https://news-tool.com/xoops/modules/shiryoshitsu/index.php?cid=3&lid=1にお願いします。
- 札所情報の修正もあり得ますので、ダウンロードしたPDFファイルを他のサイトで公開することは御遠慮ください。
2009年10月28日 12:10 AM |
コメントをどうぞ
お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼
24日の土曜日は、豊島八十八カ所のお参りに併せて、近くの江戸三十三観音12番の傳通院と16番の安養寺にお参りしてきた。
16番では今回も湖東三山の名刹出身の奥様が、境内の仏様などをくまなく案内して下さり、感激もの。22番の麻布大観音もそうだが、都内にも立派な仏さまがあちこちにあって、その多くは容易に拝観できること、あまり知られていないんだよな。かく言う漏れも、江戸三十三観音巡りをして初めて分かったクチだが…。
諸般の事情で江戸札所と坂東札所のお参りのペースを上げなくてはいけなくなったので、来週も気合を入れて回る。
(2009年10月24日巡礼)
2009年10月27日 11:02 PM |
コメントをどうぞ
お出かけ 寺社巡礼 日記
何かとお世話になっているある和尚さまから、「高野山のお土産だよ」と菅笠を頂いた。
今まで使っていた竹製とは違い、本物の菅で編んだものでちゃんと梵字も入っている。ビニールカバーが付いているのも嬉しい。
都内のビル風対策で紐を丈夫な太いものに取り替え、有難く使わせていただく。ちょっと勿体ないような気もするが…。
玄関に造り付けのコート掛けに吊るすとなかなか壮観。まあ、笠が2つということで、同居人が出来たのかとか詮索されることはないだろうがw
2009年10月23日 11:57 PM |
コメントをどうぞ
お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼
11日の日曜日は、豊島八十八カ所のお札所に巡ってきた。今回は、北区と板橋区のお札所を回る。
札所45番 宝幢院
JR赤羽駅の大宮寄り改札から東口に出て、京浜東北線の高架に並行する、夜は妖しいネオンが輝いていそうな通りを荒川・大宮方向(北向き)に進む。 7~8分ほど歩いてT字路に突き当たったところが、札所45番の宝幢院(ほうどういん)である。
宝幢院は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。室町時代の1461(寛正2)年の開山と伝えられ、当初は現在の船渡二丁目付近にあったが、水害を避けるため現在地に移転したとされている。
住宅や商店が混在する一帯にあるお寺で、境内は広いもののこざっぱりとした感じで、豊島霊場のお札所としてはやや殺風景な部類に入るだろうか。六地蔵やお不動様が、それぞれ独立した小さなお堂に祀られている。
山門の左脇には、江戸時代中期に建立されたという道標の石柱が残り、「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国冨士道 板橋道」「南 江戸道」の文字を読み取ることができる。「川口善光寺」とは、現在は荒川のスーパー堤防上に建つ足立坂東観音霊場の24番札所・善光寺のことで、当時は参拝者や巡礼者で賑わっていたようだ。現在の歓楽街は、かつて信仰や祈りの道だったということか。皮肉なものである。
(宝幢院 東京都北区赤羽3-4-2=2009年10月11日巡礼)
札所37番 大満寺
続いて札所69番の真頂院を訪ねるが、法事の真っ最中でお参りは遠慮。すぐ近くの札所37番・大満寺にお参りする。宝幢院からも目と鼻の先で、直接訪ねる場合は地下鉄南北線・埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵駅3番出口の真裏になる。真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来。
「四国八十八ヶ所 三十七番写」と記された、明治35年に建てられた石柱が残る山門をくぐると、正面に立派な不動堂が目に入ってくる。本堂は山門から見て左側ほぼ直角の位置にあるが、通常のお参りは不動堂の方で行うようだ。成田山から勧請したお不動さまで、「岩淵不動尊」の愛称で親しまれている。不動堂のそばには本四国の「手かざし霊場」がある。弘法大師像を取り囲むように設けられた、本四国霊場各札所の銘板に 張られた点字に手をかざしてお参りすると、お四国の札所を巡礼したとの同じ功徳が得られるという。
こちらのご住職は占いへの造詣が深く、真言密教に基づく運勢判断もしている。毎月28日のお不動さまの縁日に占ってもらえるそうだ。
(大満寺 東京都北区岩渕町35-7=2009年10月11日巡礼)
※大満寺の公式ホームページはこちら。
札所25番 常楽院
赤羽駅に戻り、ときわ台駅行きの国際興業バスで札所25番の常楽院に向かう。地下鉄利用なら、都営三田線の志村坂上駅から歩いて15分ほどか。
常楽院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。室町時代末期、熊野神社の別当として草庵が結ばれたのを開基としている。
住宅街の中にあるお寺だが境内は広く、幼稚園や多目的ホールなども運営。1938(昭和13)年には境内や周辺から弥生式土器が数多く出土し寺で保存していることから、「土器寺」の愛称で親しまれている。フリーマーケットなど、地域と一体になった行事を手掛ける寺院の先駆けとしても知られる。境内には桜の木がたくさん植えられていて、花の時期は壮観なことだろう。その時はお寺でコンサートなどのイベントが盛大に行われるという。
こちらの隠れた名物が、掲示板の標語。有名人の言葉や幼稚園児がふと漏らした一言など、読んでいて思わず頷いたり、ニヤリとさせられる言葉が掲示されている。ユニークなものが多いので、お参りの折はぜひ御一読を。
(常楽院 東京都板橋区前野町4-20-8=2009年10月11日巡礼)
※常楽院の公式ホームページはこちら。
札所14番 長徳寺
常楽院から首都高速池袋線の側道を歩いて、札所14番の長徳寺に向かう。都営地下鉄三田線の本蓮沼駅からは歩いて7~8分だ。
長徳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。1190年ごろに中興されたという記録が残っている、歴史のあるお寺である。
山門をくぐろうとして驚いたのが、写真にあるように豊島霊場の札所であることを示す立派な看板が建っていること。多くの札所では苔むしたり風化が進んだりして判読が難しくなっている石柱が建つのみだが、豊島霊場の歴史を後世に伝えていこうというお寺の意気込みの表れか。境内に入ると、上部が3分の1ほど欠けている、豊島霊場の石碑が残る。このお寺は戦災に遭っているので、その時に欠けてしまったのだろう。
戦後、お寺を再建するときに岩手県平泉の中尊寺にあった阿弥陀如来の木像を勧請した。板橋区内でも有数の古い仏像とのことで、現在は区の有形文化財に指定されている。
(長徳寺 東京都板橋区大原町40-7=2009年10月11日巡礼)
札所34番 南蔵院
長徳寺から路地のような道をたどって、国道17号(中山道)沿いにある札所34番の南蔵院へ向かう。 都営地下鉄三田線の本蓮沼駅が最寄りで、歩いて5分ほど。
南蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。中山道から鉄筋コンクリートのモダンな本堂に向かって参道が延びる。山門の脇に豊島八十八カ所の札所34番であることを示す石柱が建ち、その向かいには豊島八十八カ所の起源の一つとされる「豊島二十一カ所」の札所4番の石柱が残る。古くから弘法大師霊場として親しまれたお寺のようだ。
境内は桜がたくさん植えられ、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が「櫻寺」と名付けたのも頷ける。現代ではその見事さから、区が選定する「板橋十景」の一つになっている。桜の時期にはいろいろなイベントが催されるという。境内には不動堂もあり、関東三十六不動尊の札所12番を兼ねている。不動堂での護摩法要は毎月28日。
(南蔵院 東京都板橋区蓮沼町48-8=2009年10月11日巡礼)
※南蔵院の公式ホームページはこちら。
札所31番 普門院
中山道を巣鴨方向に進み、都営地下鉄三田線の本蓮沼駅の所で左折して、今回の打ち納めとなる札所31番・普門院に向かう。途中で西が丘サッカー場の脇を通るが、天皇杯の最中で歓声がすごい。
普門院は真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。1367(徳知2)年の創建とされる。直接訪ねる場合は、JR赤羽駅の西口から歩いて7~8分。
このお寺の見所は、山門(鐘楼門)をはじめとする、ユニークな建築物の数々。昔のトンネルのような石造りの山門の上に中国風の鐘楼が乗っている風変わりな門は、高架線をゆくJRの電車からもよく見える。その山門を抜けると、インドのブッダガヤにある仏塔をモデルにしたという、背の高い納骨堂がそびえ立つ。山門左側にある本堂兼庫裏は垢抜けた感じの西洋風の趣で、私たちが持っている「お寺」の概念を完全に打ち壊すかのような境内の風景だ。静岡県富士市出身の当管理人は、「吉原の毘沙門天」こと妙法寺の境内風景を思い出した(リンク先は「珍寺大道場」)。
わずかに開いている本堂の扉越しに内部を拝むと、かなり大きな本尊の聖観世音菩薩が見える。やはり、ここはお寺なのだと実感。
庫裏へ納経に伺うと、玄関脇に掛けられていたのれんは、観音様が横になって休んでいる絵柄。根来寺の名前が入っていて、ご住職によれば「頂き物です」とのこと。写真でお見せできないのが残念だが、ちょっと珍しい絵柄だ。
(普門院 東京都北区赤羽西2-14-20=2009年10月11日巡礼)
2009年10月17日 1:57 AM |
コメントをどうぞ
お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼
10日の土曜日は、江戸三十三観音のお札所を回ってきた。
今回は、23番大圓寺→10番浄心寺→8番清林寺→9番定泉寺→11番圓乗寺の順にお参り。
お寺の方が不在のことが多く、「隠れた難所」ともいわれた11番は新たなご住職が着任された様子だ。奥様らしい女性が納経所にいらっしゃり、本堂には「晋山祝い」と書かれた花が飾られていた。納経のために11番に何度も足を運ぶケースは、少なくなりそうである。
(2009年10月10日巡礼)
2009年10月13日 5:30 AM |
コメントをどうぞ
お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼
10月4日の日曜日に、久しぶりとなる坂東札所巡礼に出かけてきた。
札所18番 中禅寺(立木観音)
宇都宮日光道路に入ったあたりから雨が降り出してきたが、いろは坂を過ぎ中禅寺湖畔まで来ると雨は上がっていた。標高が高いだけあって、長袖シャツ1枚+袖なし笈摺という格好ではさすがに肌寒い(笑)。
札所18番の中禅寺は日光のシンボル的なお寺だけあって、観光客の姿が目立つ。
山門をくぐると鐘を撞けるようになっているので、志納金を箱の中に入れ、撞かせていただいてからお参り。担当のお坊さんが付いて境内を案内してくださる。こちらは天台宗のお寺で、本尊の千手観世音菩薩は、日光の地を開山した勝道上人が桂の立木を使って彫り上げたと伝えられることから、「立木観音」の別名を持つ。素朴さが滲み出る、やさしいお顔だ。
こちらでは、私と同じような格好で巡礼しているご夫妻と一緒になった。大阪から来られているそうで、すでにお四国のほか西国や秩父も回られたとか。
坂東の札所を回っていると、関西から来た人によく出会う。信心は向こうの人の方が厚いのだろうか。
(2009年10月4日巡礼=栃木県日光市中禅寺歌ケ浜2578)
※中禅寺公式HPはこちら。
札所19番 大谷寺(大谷観音)
山を下りて、札所19番の大谷観音に向かう。こちらも観光客で結構な人出。 お坊さんがガイドしてくれるのも、中禅寺と同じである。大谷観音は天台宗のお寺で、本尊は千手観世音菩薩。大谷石を刻んだ上に朱を塗り、細部を粘土で飾って仕上げた、国内でも珍しい仏さまである。お寺の堂宇が、大谷石の洞窟にめり込むように建っているのも珍しい。
参拝を終えると、お世話になっている金剛院のご住職のブログで紹介されていた平和観音にもお参り。像高88尺8寸8分(26.93メートル)というから、奈良の長谷寺、東京なら永平寺別院の大観音の2倍以上の大きさ。その迫力を味わってから、次の札所に向かう。
(2009年10月4日巡礼=栃木県宇都宮市大谷町1198)
札所20番 西明寺(益子観音)
札所20番の西明寺に着いたのは、お昼を少し過ぎてから。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。
中禅寺や大谷寺とは打って変わって、山寺の風情があふれる境内は静かで、ゆったりした時が流れているようである。こちらの方が坂東のお札所に似つかわしいと思うのは、私のわがままだろうか。
両脇に坂東各札所の写しの石仏が並ぶ石段を上ると、本堂からお経の声が聞こえてくる。月例の護摩法要の真っ最中だったが、入り口にいらっしゃった檀家総代の方のご厚意で中に入れていただくことができた。私も護摩木を供えて、お勤めさせていただく。護摩法要に参列するのは坂東のお札所では初めてで、それ以外を含めても2回目。ちょっと緊張する。
こちらのご住職は、がんセンターの勤務経験もあるお医者様でもある。終末期医療に力を入れている診療所や介護施設を運営していることで知られる。このお寺の見所の一つ、「笑う閻魔さま」との縁を感じるのは、私だけか。
(2009年10月4日巡礼=栃木県益子町大字益子4469)
※西明寺公式HPはこちら。
2009年10月12日 6:42 PM |
コメントをどうぞ
日記 食べ物
昨日、出勤のため電車に乗ってしばらくしてから、猛烈な胸焼けと吐き気に襲われる。朝食に取ったものの中で「当たり(笑)」があったようだが、会社についてからも数十分おきに胃液をもどす有り様。
当然ながら昼の弁当を食べられる状態ではなく、帰宅後に仕方なく弁当を処分。寝る前には吐き気はかなり収まったので無理をすれば食べられたのだが、作ってから時間が経ち過ぎているし危ないと判断して、泣く泣く処分。
「食べ物を粗末にするな」と育てられてきた人間には、激しく罪悪感を覚える行為…。
2009年10月3日 5:48 PM |
コメントをどうぞ
<
150
151
152
153
154
155
156
>