霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡り(その8)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音霊場巡りの続き。

18番札所 川崎 仁兵衛屋敷

17番さんで次の札所への行き方を教えてもらい、18番札所の仁兵衛屋敷様に向かう。札所の近くでは揃いの法被を着た方が交通整理をしていて、私が運転する車を駐車場に誘導してくださる。

こちらは個人持ちの札所で、札所本尊は正観世音菩薩である。「仁兵衛屋敷」という札所の名の通り、個人宅内にある札所となっており、ちょっとした借家くらいの大きさの仏堂が母屋と棟続きになっていて、その中にご本尊が祀られている。

札所を代々維持されているのは、この地で清掃関係の仕事を営む方。個人持ちで母屋と棟続きの仏堂ともなればいろいろと管理が大変だし、12年ごとの御開帳の負担も相当なものではないだろうか。ご当主一家の皆様や関係の皆様のご苦労とご厚意に頭が下がるばかりである。

(個人持 八潮市南川崎410)

武蔵国三十三観音巡り(その7)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国33観音巡りの続きである。

15番札所 猿ヶ又 遍照院(和銅寺)

14番さんを出て三郷と金町を結ぶ通りに戻り、戸ヶ崎の十字路を越えてしばらく進むと東京都葛飾区に入り、水元公園の横に出る。その先の信号を左折して幟に従って進むと、15番札所の遍照院さまに着く。

こちらは幼稚園も経営されている大きな寺院で、札所本尊の正観世音菩薩は幼稚園の入り口に建つコンクリート造りのモダンな建物の2階に祀られている。建物のデザインは幼稚園と統一性を持たせている感じだ。2階に上がる階段の脇には大師堂があり、お大師さまの石像が数体祀られている。和尚様の話では「かつての四国写し霊場の名残で、さまざまな事情でこのお寺に移されたものもある」という。

寺号の和銅寺は和銅年間の創建という寺伝にちなむものだ。境内からは嘉元年間の板碑も発掘されているそうで、相当歴史の古い寺院であることは間違いない。現在では遍照院と呼ばれることが多く、「和銅寺」の名は幼稚園を運営する学校法人名などで使われている。

(真言宗豊山派 葛飾区水元5-5-33)

16番札所 飯塚 安福寺(長十郎屋敷)

15番さんを出て、16番札所の安福寺さまに向かう。お寺は入り組んだ狭い路地の奥まった場所にあるが、案内の看板が分かりやすく迷わずに着くことができた。

札所本尊はこの地の豪族の屋敷内から掘り出されたという、懸仏の夕顔観世音菩薩。葛飾区の有形文化財に指定されている。札所名に長十郎屋敷とカッコ書きがあるのは、懸仏が掘り出され、当初お堂が設けられていた屋敷の名にちなむらしい。夕顔観音が安福寺さまに移されたのは、明治維新の後だという。

こちらではお接待のお茶を頂いているときに、早回り巡礼のことが話題になった。最近では御本尊に手も合わせずにお納経だけ済ませて次の札所へ行く人が目立つが、お接待も頂かずにお参りして回るのは味気ないと感じるのは、私だけか。

(真言宗豊山派 葛飾区西水元1-7-19)

17番札所 大瀬 太郎左衛門屋敷

16番さんを出て再び埼玉県内に戻り、潮止橋で中川を渡って八潮市に入る。17番札所の太郎左衛門屋敷さまは、潮止橋から中川を少しさかのぼった、土手の近くにある。

こちらは個人所有の札所で、札所本尊の正観世音菩薩は3間四方ほどの観音堂に祀られている。御開帳に合わせて整備したのだろうか、外壁は今風のサイディング仕上げになっていた。周囲には古い石碑が残り、ここが歴史ある札所であることを伝えている。

(個人持 八潮市大瀬979-1付近)

武蔵国三十三観音巡り(その6)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡りの続き。

12番札所 彦成 西福寺(彦成公民館)

11番さんを出てそのまま街道を南下し、幟を目印に東に入ると程なく、12番札所の西福寺さまに向かう路地が見えてくる。街道から入った道は幅員が4メートルあるかないかの大変狭い道なのだが、札所への路地と交差する地点には路線バスの停留所を示す標柱が立っている。車を止める適当な場所が見当たらず、道の脇ぎりぎりに車を寄せて止め、あとはお参り中にバスが来ないことを願うのみだ。

こちらの札所は札所名のカッコ書きで分かる通り、現在は独立した寺格や堂宇がなく、地区の公民館に札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。ただ、扱いとしては近くの真言宗豊山派・円明院さまの境外仏堂として位置付けられているようだ。
私が訪れた時は、札所寺院の御坊様と思しき方々が集団でお勤めをされていた。徒歩で巡礼されているようである。

路駐のこともあるので、急いでお勤めを済ませて車に戻り中川沿いの道へ出ようとすると、途中の交差点で件の路線バスとすれ違う。都内でもよく見かける幅広タイプの小型バスが配車されていたが、路駐個所で離合するのは不可能だったはずで、お参り中にバスが来たら一騒動になっていたのは間違いない。冷や汗ものである。

(真言宗豊山派 三郷市彦成1ー261)

13番札所 番匠免 迎攝院

中川沿いの道をさらに南下し、幟を頼りに細い路地に入ってうねうねと進むと、左側に13番札所の迎攝院(こうしょういん)さまのお堂が見えてきた。お寺の前に道幅が少し広くなっている個所があったので、そこに車を止めさせていただく。

札所本尊の準提観世音菩薩は、三郷市内でもっとも古い木造建築として市の文化財に指定されている観音堂に祀られている。境内ではご住職が巡礼者に声をかけられていて、私もしばらく話し込む。ご住職も私と同じく、八潮の番外札所に祀られている巨大な円空仏を拝むのを楽しみにされているご様子だ。

こちらのお寺では、神仏習合の歴史を今に伝える「番匠免の大般若経祭り」(県・市指定無形文化財)が毎年7月8日に近い土曜日に行われている。厄除けと無病息災を願ってご住職らが近くの神社で大般若経の転読を行い、その後経典を納めた木箱を神輿のように担いで地域を練り歩いて各戸で祈願を行うもののようだ。三郷市の観光協会が製作した動画がyoutubeで公開されているので、ご紹介しておく。

(真言宗豊山派 三郷市番匠免1-127-1)

14番札所 戸ヶ崎 常楽寺

中川沿いの道に戻って再び南に車を走らせ、人家が密集した戸ヶ崎地区の街並みに入ると、程なく14番札所の常楽寺さまである。

御開帳に合わせて境内を整備したのだろうか、参道や伽藍は真新しい雰囲気が漂う。札所本尊の千手観世音菩薩は、山門を入ってすぐ左側に建つ観音堂に祀られている。観音様は平安時代の仏師・定朝作とされる。お寺の本尊は薬師如来で、こちらは弘法大師作と伝えられている。

戸ヶ崎は昔から交通の要衝で現在も街道は車の往来が激しいのだが、参道を数百メートル入ったせいだろうか、境内は静かそのもの。雲一つない快晴だったこともあり、清々しい気分でお参りができた。

(真言宗豊山派 三郷市戸ケ崎2201)

武蔵国三十三観音巡り(その5)

お出かけ 寺社巡礼 武蔵国三十三観音 観音霊場

武蔵国三十三観音巡りの続き。

9番札所 中曽根 観音寺

7番さんの駐車場を出て、中川から東に入った、吉川市のコミュニティーバスが通る街道を南に下る。例によって御開帳の幟を頼りに進むと9番札所の観音寺に着く。周辺では地元の方が交通整理をしてくださっていて、ありがたい限り。

札所本尊の正観世音菩薩は観音堂に祀られている。昔の農家のような佇まいの本堂には本尊の大日如来が祀られているそうだ。その奥の庫裏は最近建てられたもののようだが、地区の集会所などとして機能しているのだろうか。ご住職は越谷の宝正院さまが兼務されている由である。

(真言宗豊山派 吉川市中曽根1-18-6)
※住所は住居表示適用後のものです。

10番札所 彦糸 実相院(彦糸公民館)

件のコミバス通りをさらに南下すると、いつの間にか車の現在地は三郷市を示していた。幟を頼りに東に入ると、法被を着た地元の方が交通整理をしていて、駐車場に車を誘導してくださった。

10番札所の実相院さまは現在では独立した堂宇がなく、かつてお寺のあった場所に建つ彦糸公民館の中に札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。地区の集会所内に札所本尊が祀られているのは埼玉県内の地方霊場では珍しい事例ではなく、各地で一般的に見られる光景だ。私などは普通にお参りするが、初めて巡礼される方などは戸惑う場合もあるようだ。中武蔵薬師の某札所など、そういったケースでも独自の寺格を有し、宗教法人認証を受けている。

公民館の周辺では、地域を挙げてのお接待が行われていた。子供たちも一生懸命にお手伝いする姿が見られたが、こういう経験を通じて午年総開帳の伝統が受け継がれていくのだろう。

(真言宗豊山派 三郷市彦糸1-10)

11番札所 彦富 兵左衛門屋敷(彦成集会所)

再びコミバス通りに戻り、さらに南に進むとまた御開帳の幟が見えてくる。車を止めると道端の集会所の前に角塔婆が建ち、ここが11番札所の兵左衛門屋敷さまであることが分かった。近くの空き地に車を止めても大丈夫とのことで、ご厚意に甘えてお参りする。

こちらの札所本尊は正観世音菩薩で、現在は集会所の建物内に祀られている。「兵左衛門屋敷」の札所名は、かつてこの地の豪族だった美田兵左衛門氏の屋敷内にあった観音堂を札所としたことに由来する。美田氏はかつて三郷市長を務めた家柄で、法要などは同じ市内の円明院さまが勤められているようだ。

(地元持 三郷市彦成1-88)

武蔵国三十三観音巡り(その4)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡礼記の続きである。

7番札所 高久 密厳院

6番さんでのお参りを済ませ、ナビをセットしてから7番札所の密厳院さまに向かう。いったん中川沿いの街道に戻り、水元方面に車を進め、御開帳の幟を目印に東に入ると大きなお堂が見えてくる。札所本尊は正観世音菩薩である。

こちらのお寺のシンボルとなっている銀杏の木は樹齢800年以上といい、埼玉県の天然記念物に指定されている。お寺の本尊である地蔵菩薩が子育てに霊験があるとされており、子育て銀杏の愛称で親しまれているそうだ。お地蔵様や観音様とともに祀られているお薬師様は、寅年に開帳されるという。

(真言宗系単立 吉川市高久1-18-2)

8番札所 高富 観龍院(龍善院)

8番札所の観龍院さまは、7番さんのすぐ裏手にある。密厳院さまの駐車場にそのまま車を置かせていただき、徒歩でお参りする。

案内書兼納経帳によるとかつては独立した観音堂があったそうだが、札所本尊の正観世音菩薩は現在、本堂に祀られている。札所名の表記が観龍院(龍善院)となっているのは、明治維新のころ、もともと札所だった龍善院と観蔵院が合寺し、現在の院号を名乗ることに由来するらしい。埼玉県内の地方霊場では、寺院の合併で札所を引き継いだ場合、かつての寺号や院号を併記する例が多い。

(真言宗豊山派 吉川市高久1-2-4)

武蔵国三十三観音巡り(その3)

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武蔵国三十三観音巡礼記の続き。

4番札所 中井 東眼寺

3番さんを出ていったん中川沿いの街道に戻り、1番さん近くの平沼交差点を東に入る。片側1車線の県道をしばらく進み、案内に従って北に入ると4番札所の東眼寺さまが見えてくる。近くの空き地が巡礼者用の駐車場になっていたので、そちらに車を止めてお参りする。

一帯は田んぼが広がる、東京への通勤圏とは思えないのどかな風景。田んぼの中に浮かぶようにして小さなお堂があり、その中に札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。

お堂の近くには小さな祠のような建造物がある。「南無大師遍照金剛」という幟が立ち、そこが大師堂であると教えてくれた。2番さんの石碑に記された二十一大師の札所なのだろうか。

(真言宗豊山派 吉川市中井3-119)

5番札所 中島 万福寺

4番さんを出て、いったん県道に戻り、すぐ南に入ると5番札所の万福寺さまへの道しるべとなる幟が見えてくる。こちらも、一面に田んぼが広がるのどかな風景の中に、お寺が浮き島のように建っている。本堂に向かって右側に小さな観音堂があり、札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。

お納経をしている間に、地元の方としばし雑談。私の住まいを聞くと、「御開帳が始まったばかりなのに、遠方からのお参りが多い」と少々驚かれている様子。いずれにせよ、私のような余所者にも温かく接してくださる地元の皆様のお心配りは大変ありがたい。

(真言宗智山派 吉川市中島463)

6番札所 三輪野江 定勝寺

車に戻り、ナビをセットしてから常磐道沿いにある6番札所の定勝寺さまに向かう。案内書を見る限り大した距離ではなさそうだが、走ってみると結構時間がかかった。後から考えてみると、私の使っているカーナビが遠回りなルートを示したことが原因のようだが…。

境内に入ると広い敷地に大きな本堂が建っており、地域の本寺格寺院のようだ。札所本尊は十一面観世音菩薩だが、納経帳に「総本山本尊御分身」という印が押してあったところをみると、長谷寺式の十一面観音を祀るお寺であるようだ。こちらのお寺でも、お納経の時にいろいろと話し込んでしまった。

(真言宗豊山派 吉川市三輪野江1553)

武蔵国三十三観音巡り(その2)

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武蔵国三十三観音巡礼記の続きである。

3番札所 関 普門院

1番さんで求めた納経帳兼案内書の『観音霊場巡拝のしおり』では、1番さんから時計回りに札所を巡るようになっていて、3番の普門院さまで結願とされている。ただ、初めて回る霊場でもありできるだけ順打ちにしようと思い、先に3番さんにお参りすることにした。

1番さんの駐車場に車を取りに戻り、中川沿いの街道を北に進むとすぐに吉川市役所である。そこの交差点を東に入るとすぐに普門院である。立派な本堂が建っているが通常は地区管理の由で、札所本尊は十一面観世音菩薩である。

境内に入るなり、堂守をされていた地域の方から、「●●先生」と声をかけられた。●●は私の姓ではなく、もちろん先生と呼ばれる職業に就いているわけでもない。人違いだと思って聞いてみると、私の顔が武蔵国観音某札所の御坊様にそっくりなのだという。

(真言宗智山派 吉川市関34)

武蔵国三十三観音巡り(その1)

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ここ1カ月ほど公私ともにいろいろな出来事があり、当ブログの更新をしばらくお休みさせていただいていた。おかげさまで少しずつだが落ち着いてきたので、本日からブログの更新を再開させていただくことにする。まずは、4月にお参りしてきた埼玉県と東京都にまたがる武蔵国三十三観音の巡礼記から始める。

1番札所 吉川 延命寺

武蔵国三十三観音の御開帳日程は札所19番・普門寺さまの公式サイトで告知されていたが、納経のシステムなどはお参りに行くまで分からずじまいのままだった。念のため、お参りに使うカバンの中に銀座の鳩居堂で求めた汎用の納経帳を入れ、マイカーで吉川市にある札所1番の延命寺さまに向かう。

この辺りの本寺的な存在なのだろうか、大きな客殿を備えた堂々たる風格の寺院である。札所本尊は正観世音菩薩である(以下、聖観音の表記については納経帳通りとさせていただく)。境内には札所開創の経緯を記した石碑が立つ。

本堂でお勤めを済ませて納経のことを伺うと、各札所の事情もあり、できれば案内書と一体になった納経帳を使ってほしいとの由で、1部求めることにした。札所の縁起や地図と墨書きが見開きで掲載されており、各札所では御宝印を頂いて回る仕組みだ。臨済宗円覚寺派の百観音巡りと同じシステムである。

こちらでは、京都から嫁いできたという方と地元の方と3人で次の札所まで歩く。西の方の霊場の話もなかなか興味深く、一度お参りせねばと思う。

(真言宗智山派 吉川市吉川1541)

2番札所 平沼 智勝院

2番札所の智勝院さままでは歩いてもすぐとの由で、車をそのまま延命寺さまに置かせていただいてお参りする。街道からちょっと入ったところにお寺があり、札所本尊は正観世音菩薩である。

本堂の前には、かつてこの地域に存在したらしい二十一大師の石碑が建つ。よく読むと、送り大師の風習で知られる下総八十八ケ所を写す形で、当地の二十一大師が開創されたことが記されている。札番の数が違うが、二十一大師には八十八カ所巡礼の簡略版的な意味合いもあることを考えると、違和感はない。
納経所にいらした年配の女性は、「二十一大師は送り大師方式で巡礼していたことは覚えているが、詳しい回り方などは分からない」といい、ご住職も「資料が残っていない」と申しておられた。いずれにせよ戦後しばらくの間まで、送り大師の風習が続いていたことは間違いないようである。

千葉県内にある「東葛印旛送り大師」の巡礼の模様を伝える動画が見つかったのでご紹介しておく。

(真言宗智山派 吉川市平沼153)

葛飾坂東観音巡礼記(8=完)

お出かけ 寺社巡礼 日記 葛飾坂東三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

葛飾坂東観音巡礼記の続き。

22番札所 宝蔵寺

24番札所の円能寺さまを出て、案内板に従い22番札所の宝蔵寺さまに向かう。

幼稚園も経営されている大きな寺院で、祀られている仏像から鎌倉時代の創建と考えられているようだ。本堂と向かい合うように建つ観音堂で御開帳が行われている。札所本尊は聖観世音菩薩である。

こちらは布教に特に力を入れている寺院のようで、お茶を頂いた客殿にはいろいろな催しの告知が張り出されていた。掲示板にはご住職の略歴も張り出されていたが、民間企業出身の由で、その時の経験を生かされているのかもしれない。
(真言宗豊山派 茨城県古河市諸川342-1=地図

23番札所 長性寺

23番札所の長性寺さまは、宝蔵寺さまから目と鼻の先にある。車を宝蔵寺さまの駐車場に引き続き置かせていただき、徒歩で長松寺さまに向かう。

個人病院の敷地を回り込むように延びる路地を進むと、その傍らに長性寺さまのお堂が建っている。1間半四方くらいだろうか、小さなお堂の中に札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。

観音堂の隣には、さらに小さな地蔵堂があり、観音堂とともにきちんと手入れがされている。地元の方の信仰がしのばれる。
(真言宗豊山派 茨城県古河市諸川430=地図

番外札所 永光寺

車を東に進め、番外札所の永光寺さまに向かう。駐車場から境内までは結構標高差があり、少し汗をかきながら石段を上る。

こちらも幼稚園を経営されている規模の大きな寺院だ。札所本尊は十一面観世音菩薩である。春には牡丹を目当てに多くの人がお参りに訪れるようだ。

こちらは北関東三十六不動関東八十八カ所(東国遍路)の札所にもなっている。北関東三十六不動には以前から興味があり、回り方などを教えていただいた。パンフレットのようなものがあるか尋ねてみたが、あいにく在庫切れの由だった。
(真言宗豊山派 茨城県古河市尾崎954=地図

21番札所 遍照院

車を北に進めると、街道沿いの広場に御開帳を知らせる幟が立ち、地元の方が車を誘導している。指示された場所に車を止め、路地を入った先にある21番札所の遍照院さまに向かう。

お堂は路地に面して建っており、その中に札所本尊の馬頭観世音菩薩が祀られている。葛飾坂東で馬頭観音を札所本尊にする唯一の存在である。

私は午歳生まれということもあり、煩悩を食べていただこうと念じながらお勤めしてきた。馬頭観音様に願いは通じただろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市尾崎880=地図
※地図の位置はお堂付近であることにご注意ください。

34番札所 養性寺

葛飾坂東のお参りもいよいよ大団円である。車を南に走らせ、34番札所の養性寺さまに向かう。近くにある地区の施設が駐車場になっており、そちらに車を止めてお参りする。路地の先にお堂があり、札所本尊の十一面観世音菩薩が祀られている。

無事に結願できたことを感謝しながらお勤めをさせていただく。御開帳の伝統を守る地域の方の優しい心にも触れ、気分を新たにすることができたお参りだった。霊場会の公式サイトによると期間中にお参りされた方は延べ3万人にも達したようで、首都圏のローカル霊場としてはかなり大きな部類に入る筈だ。12年後の御開帳には、再びお参りさせていただこうと思っている。
(真言宗豊山派 茨城県古河市恩名2362=地図

葛飾坂東観音巡礼記(7)

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前回の更新から間隔が空いてしまったが、葛飾坂東観音巡礼記の続きである。

28番札所 福智院

29番千手院さまから街道を東に進み、28番札所の福智院さまにお参りする。例によって御開帳を知らせる幟に従って進むと、駐車場の交通整理をする方が見えた。ネット情報の一部では開帳場所について異なる記載もあったようだが、札所本尊の十一面観世音菩薩を祀るお堂で御開帳が行われていた。

お堂のある地区では、今でもなお十九夜講や二十日講の伝統が続いているという。関東でこういった講が続いているのは珍しいのではないだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市稲宮1079=地図

番外札所 小久保堂

続いて車の進路を北に変え、番外札所の小久保堂さまに向かう。街道から延びる農道に案内の幟が立ち、お堂のある屋敷に巡礼者を導いている。

こちらの札所は個人が管理されており、お堂の名の「小久保」は持ち主の方の姓から取ったもの。古くから続く豪農の家系のようである。屋敷内の奥まった場所に小さなお堂があり、札所本尊である金銅仏の十一面観世音菩薩を祀っている。この観音様はここちらのお宅の守護仏であり、古河市の文化財に指定されている。

お納経とお接待は庭先で行われていた。管理者の方の娘さんかお孫さんなのだろうか、幼稚園くらいのかわいい女の子が、「ようこそお参りです」と挨拶しながらお茶を運んでいたのが印象に残る。
(真言宗豊山派 茨城県古河市上大野1489=地図

27番札所 真定院

小久保堂さまから27番札所の真定院さまに向かう番地は少し飛んでいるが距離はほんのわずかで、番外さんを出るとすぐ、27番の幟が見えてくる。

こちらは地区管理のお堂で、境内に入って右側の堂宇で御開帳が行われていた。札所本尊は十一面観世音菩薩である。
境内の奥にある建物では、おなじみの人形展示などが行われていた。校舎のような造りの建物だったが、境内に隣接して学校でもあったのだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市上大野1999=地図

26番札所 一乗院

いったん国道125号に戻り、幟を頼りに車を東に進めて26番札所の一乗院さまに向かう。かつての寺院跡地とおぼしき場所に地区のコミュニティー施設が建ち、その一角にある観音堂で御開帳が行われている。札所本尊は十一面観世音菩薩である。

お堂はやや古びた感じだが、御詠歌を記した扁額は取り付けられて間もない感じがした。今回の御開帳に合わせて整備したのだろうか。
(真言宗豊山派 茨城県古河市下片田364=地図

24番札所 円能寺

再び国道125号に戻り、諸川交差点を北に入って案内板の通りに進むと、24番札所の円能寺さまに着く。こちらは22番札所の宝蔵寺さまの末寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。かつては安産の観音様として信仰を集めていたようだ。

こちらでは、2日目の巡礼で何度も見かけた方と再びご一緒する。お接待をされていた地域の方が、「国会議員の先生」だと問わず語りで教えてくれた。
(真言宗豊山派 茨城県古河市五部348=地図

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