豊島八十八カ所巡り(1)

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江戸三十三観音巡礼を結願して、もうすぐ1カ月。次に回る都内の霊場をどこにしようか考えていたのだが、旧豊島郡(現在の板橋、練馬、北、新宿区など)のお寺を回る、四国八十八カ所の「うつし霊場」である「豊島八十八カ所」を巡礼してみることにした。

東京23区内で現在巡礼できる弘法大師霊場としては、豊島以外にも都内全域を回る「御府内八十八カ所」と多摩川沿いのお寺を巡る「玉川八十八カ所」があるし、“簡略版遍路”としては「隅田川二十一霊場」も巡礼可能のようだ。以前にも書いたように、私の都内社寺巡礼はメタボ対策のウオーキングを兼ねたもの。できるだけ歩く距離が取れる方が良いし、埼玉県北部に位置する我が家から通う便を考えると、豊島八十八カ所が一番便利が良い。1番札所に電話してみると、応対もしっかりしていて感じが良い。御府内や玉川と違って、指定の朱印帳も特にないそうだ。いつも使っている東京楠堂製の朱印帳2冊を鳩居堂で買い求め、昨日の土曜日から早速回ることにした。

ただ問題なのが、札所の並び順。本家四国八十八カ所や江戸三十三観音では、ほぼ札所番号順に回るようになっているはずだが、豊島八十八カ所は札所の順番が完全にランダム。とてもじゃないが番号順に回るわけにはいかず、札所一覧を表計算ソフトに入れて住所を基準に並べ替えた上で都内の「歩き用地図」に落とし込み、近接する札所をまとめて回る方法を取った。

 

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札所1番 武王山安養院

池袋で東武東上線に乗り換え、上板橋で降りる。家からざっと1時間半で、通勤時間とほぼ同じだ。札所1番の安養院さんは、上板橋駅南口の賑やかな商店街を抜けて、城北学園高校を目印に20分ほどの歩き。閑静な住宅街といった趣で、あちこちに植えられている桜は見ごろを迎えているものも多い。

安養院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。山門の前には、豊島八十八カ所の札所1番であることを示す古びた「弘法大師霊場」の石柱が立っている。境内もかなり広く、四国八十八カ所のお砂踏み霊場や西国三十三観音のうつし霊場もある。本堂左手に大師堂があったので、そちらで読経してから、本堂にもお参りする。庫裏を訪ねて御朱印をお願いする。お茶を頂き、応対してくださった御住職の奥様としばらく世間話。こういうお寺さんとの触れ合いが楽しいのは、江戸三十三観音と同じである。

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お寺の前の道に植えられている桜もまさに見ごろ。奥様の話では「桜川」の地名の通り、この辺りは桜の名所という。
(安養院 板橋区東新町2丁目30-23)
※安養院の地図はこちら

 

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札所58番 医王山荘厳寺

安養院から札所50番の長命寺に向かったのだが、お留守のようで納経ができず、来た道を半ば戻る形で札所58番の荘厳寺に向かう。途中の桜並木もきれいに咲いていて、心が和まされる。安養院からまっすぐ歩けば、15~20分ほどか。長命寺には改めてお参りすることにした。

荘厳寺も境内はかなり広い。近所の方だろうか、お参りする人が多い。お庭も手入れが行き届いている。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。庫裏の玄関横に簡単な納経所が設えてあって、呼び鈴を押すとそちらを開けて納経の対応をして頂いた。御住職が不在とのことで書き置き対応だったが、こちらは大小2種類の用紙を用意してある。紙質もクリーム色のちょっと珍しいもの。

参道入り口の所には法話の掲示板があるが、よくある本山で印刷したものではなく、御住職の直筆と思われる長文が張り出されている。人間が何も持たずに生まれてくることを例えに、昨今の経済状況への対応について述べられている。確かに、今の不況は人間の欲が暴走した結果引き起こしたもの。厳しくも温かく励ます文面に感心する。
(荘厳寺 練馬区氷川台3丁目14-26)
※荘厳寺の地図はこちら

 

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札所10番 大明山光傳寺

札所10番の光傳寺へは、荘厳寺から地下鉄の氷川台駅方向へ歩いて10分ほど。ただ、入り口がバス通りに面しておらず、墓地の塀を目印に路地をぐるっと回り込む形になるので、ちょっと迷うかもしれない。

光傳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。本堂前には練馬区の登録天然記念物になっている、コウヤマキの巨木がそびえ立つ。境内にはこれも区の登録文化財になっている三十三観音菩薩像などが祀られている。

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本堂左側には豊島八十八カ所の札所であることを示す細長い扁額が掲げられているが、その反対側には「豊島廿一カ所第十番」などと書かれた、明治と大正の年号入りの扁額が下がっている。田上善夫氏の論文や手元にある「全国霊場巡拝事典」(大法輪閣)によると豊島八十八カ所は1908(明治41)年に開創された由だが、札所番号も同じだし、何となく気になる。

納経の時に御住職に伺うと、豊島八十八カ所が開創される前、「豊島二十一カ所」という弘法大師霊場があり、件の扁額はその名残だとか。豊島八十八カ所は、その二十一カ所霊場の札所を受け継ぎ、22番以降を加えて開創されたものという。だとすれば札所番号が巡礼路にかかわらずランダムに振られているのも納得できる。
ただ、この2枚の扁額はいずれも豊島八十八カ所の開創以降に奉納されたもの。この巡礼路が四国うつしの八十八カ所として認知されるまで、時間が掛かったということか。

賽銭箱には、来月16日に開かれる寄席の案内が張ってあった。定期的に行われているもののようで、地域と密着したお寺なのだろう。
(光傳寺 東京都練馬区氷川台3丁目24-4)
※光傳寺の地図はこちら

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回り始めがお昼になってしまったこともあり、今回は3カ寺で打ち納め。円覚寺百観音を回る時に騎西の龍興寺の御住職がおっしゃられたように、ガツガツせずのんびり結願を目指そうと思う。

また、お参りを終えて何気なく岡山の山陽新聞のホムペを見ていたら、私が学生時代にお世話になったベテラン記者による本四国巡礼のルポが始まっていた。長いことお目にかかっていないが、感謝と遍路の無事を祈って、トラックバックさせていただく。無事の結願を祈ります>横田様

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