お出かけ

豊島八十八カ所巡り(6)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

2回続けて納経ができなかった豊島八十八カ所の札所7番・正覚院と連絡がつき、6日の土曜日の午後ならということで、早速お参りしてきた。

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札所7番 正覚院

練馬区内の打ち納めとなる札所7番の正覚院は、環七通りから少し入った所にある、中野区との境に程近い場所にある。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。

これまでお参りした豊島のお札所のなかではコンパクトな部類の境内だが、山門を入ってすぐの左側には、堂々とした二重塔や大師堂が建っている。本堂の前でお勤めをして御詠歌を唱え終わったころ、本堂右側にある庫裏の玄関が開き、「お電話のあった豊島遍路の方ですか?」と声を掛けられる。別に大きな声で読経していたわけではないのだが、庫裏まで聞こえていたのだろうか。お寺の方は不在がちなことをしきりに詫びておられたが、突然お参りしたこちらこそ、お詫びしなければいけない立場。もとより豊島札所はほとんどが檀家寺で、お参りがお寺の都合に左右されるのは当然のこと。ある札所の御住職は「それが豊島の魅力です」と言い切ったが、同感である。

正覚院は太田道灌との関係が深い寺として知られる。道灌が信仰を寄せていた、当地にある天満宮の別当寺として創建された旨の略縁起が山門脇の説明板に記されている。本堂の扉や屋根瓦など至る所に天神さまの社紋である「梅鉢」が使われているのも、その証左。天満宮は現在でも氷川さまの末社として、隣接地に鎮座している。

ようやく練馬区内のお札所を打ち終えたが、回ったのはやっと20。残りは68、豊島遍路もなかなか手強いものがあるというのが正直な感想だ。
(正覚院 東京都練馬区豊玉南2-15-7=2009年6月6日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(5)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

30日の土曜日は、練馬区内札所の打ち納めを目指して札所7番の正覚院にお参りするが、またお留守で納経ができず、再度伺うことにした。このまま帰るのも何だし、近くのお札所にお参りして帰る。

 

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札所2番 東福寺

札所2番の東福寺は、正覚院から東へほぼ一直線に歩いて15分ほど。狭い路地を路線バスがひっきりなしに通るので、気をつけながら歩く。

こちらは中野区地籍で、小さな商店街のほぼ中央にある真言宗豊山派のお寺。本尊は不動明王で、御府内八十八カ所の2番札所にもなっている。歴代将軍が近くで鷹狩りをした時の休息所となるなど、歴史あるお寺である。

山門から本堂まで、緩やかな階段が続く。途中には「弘法大師霊場開創十周年記念」の大きな石碑が建つ。比較的新しい感じがする石碑で、御府内八十八カ所の開創は江戸時代のはずだからこの石碑は豊島のものか。だとすると大正時代後半の物のはずである。

境内には幼稚園が併設されている。最近では珍しい木造の園舎で、子どもの頃を思い出した。
(東福寺 東京都中野区江古田3-9-15)

豊島八十八カ所巡り(4)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

23日の土曜日に、豊島八十八カ所巡りの続きに出かけてきた。今回も練馬区内のお札所を回る。

 

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札所61番 能満寺

池袋でくだもの西武鉄道に乗り換え、江古田へ。今日の打ち始めとなる札所61番の能満寺は、日本大学芸術学部の裏手にある。何やら大普請をしている日芸キャンパスの縁を回るようなルートで歩くが、日差しを遮るものがなく暑いこと。

ただ、境内は深い緑に覆われていて、心地よい風も吹いていて一歩中に入ると暑さを忘れるくらい。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。板橋七福神の寿老人でもある(これまでの巡礼記で書き漏らしてしまったが、1番の安養院には弁財天が、50番の長命寺には福禄寿がそれぞれ祀られている)。

本堂向かいにあるお堂には、「豊島廿一カ所南拾七番札所」の扁額が掛かる。以前訪れた札所で「豊島二十一カ所の札所は同じ札番で豊島八十八カ所に移行した」と聞いていたが、ここのお寺は事情が違うようだ。17番の長命寺が同じ札番で御府内八十八カ所の札所になっていることと関係がありそうである。

お伺いした時は御住職が不在で、納経印は郵送して頂けることになった。
(能満寺 東京都練馬区旭丘2-15-3)

 

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札所19番 寿福寺

江古田から再び西武線に乗り、練馬で地下鉄大江戸線に乗り換え、練馬春日町へ。前回の札所42番の納経所騒動の割を食ってお参りできなかった、札所19番の寿福寺に向かう。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。

寿福寺は幼稚園も経営していて、本堂のすぐ横には鉄筋コンクリート4階建の堂々たる園舎が建つ。平日なら、園庭から子どもたちの元気な遊び声が響いてくるのだろう。境内はコンパクトだが、手入れの整ったお庭が美しい。

こちらのお寺では、団参講が健在のようだ。地元の農協が音頭取りを務めているようで、本堂前の石塔には「JA講」の文字が刻まれている。
(寿福寺 東京都練馬区春日町3-2-22)

 

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札所11番 円光院

寿福寺から畑と新興住宅が混在する中を南に歩き、札所11番の円光院に向かう。境内はバス通りに接しているのだが、山門は入り組んだ路地の奥にあって、ちょっと迷う。

円光院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王で、腰や足の病に霊験あらたかとされる、「子ノ権現」を祀る寺としても知られる。朱塗りの山門が印象的だ。

印象的だったのは、よくある「境内で球技をしないこと…云々」の立て札に、「ただし子供は除く」と但し書きがしてあったこと。お寺や神社の境内を遊び場にしていた自分の子供時代を思い出し、ちょっぴり懐かしくなった。立て札のことを知ってか知らずか、鐘楼の下では子どもたちがゲームに興じていた。せっかくお寺が許しているのだから、鬼ごっこぐらいすれば良いものを…。
(円光院 東京都練馬区貫井5-7-3)

 

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札所15番 南蔵院

円光院から西武線の線路を越え、30分弱歩いて札所15番の南蔵院へ。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。

2階が鐘楼になっている山門は閉ざされていて、バス通り側の門から入るようになっている。薬師堂や閻魔堂もある広い境内は木々が多く、鬱蒼とした雰囲気。お参りに来る人も多く境内には町内会の事務所もあって、地域との関わりが深いお寺のようである。境内のあちこちに立てられている看板の文章が独特で、ちょっと面白い。

こちらも御住職が不在で、納経印は後ほど郵送と相成った。これからは、奉書紙も持ち歩かないといけない。
(南蔵院 練馬区中村1-15-1)

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この後、札所7番の正覚院に向かったがお寺の事情で納経ができず、再度お参りすることにした。来週なら大丈夫とのことで、練馬区内の打ち納めは次回に持ち越し。

四方吉うどん(埼玉県吉見町)

うどん お出かけ 日記 食べ物

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我が家から荒川を渡って車で10分くらいのところに、うどん屋さんが店開きしているのを発見。今日のお昼、早速出かけてきた。

訪ねた「四方吉うどん」は、吉見町の文化会館「フレサよしみ」のすぐそば。入り口に掛かる暖簾には、岡山の某路線バス会社の社紋そっくりのマークが染め抜かれている。特に関係はないのだろうがw

1時ごろだったが、店内には結構なお客さん。ざるうどんとご当地系のつけ麺タイプが数種。麺の盛りも数種類あったので、「肉汁うどんの中盛り」を頼む。750円也。

しばらくしてうどんが運ばれてきたが、麺の量にびっくり。「中盛り」は少ない方から数えて2番目の量だが、丼にすりきり一杯のような感じで麺が盛られ、食べ応え十分。麺はご当地系の腰が強いタイプで、結構長め。つゆは黒っぽいが、肉の甘味が効いていて、そのまま飲み干せる感じ。

レジで支払いを済ませると、5枚綴りの割引券を貰った。今度はきのこ汁うどんに挑戦だw
(吉見町中新井990-3)

豊島八十八カ所巡り(3)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

5月16日の土曜日は「天気は下り坂」という予報だったが、日中は何とか雨に降られずに済みそうだ。久しぶりに、豊島八十八カ所のお札所を回る。引き続き、練馬区内のお札所を中心に回るが、今回からはおいずると半袈裟を着用して巡礼する。心なしか気が引き締まるから不思議だ。

 

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札所50番 長命寺

池袋駅からバスで、札所50番の長命寺に向かう。こちらは以前お参りした時にお留守で納経できなかったので、再度のお参り。今回は本堂で法事をされていたが、外でお勤めをして庫裏に伺うと、御住職の奥様が納経の対応をしてくださった。

長命寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。川越街道と環七通りが交わる、非常に交通量の多い交差点に面しているが、境内に一歩入ると不思議に喧騒さを感じない。
(長命寺 板橋区東山町48-4)

 

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札所27番 円明院

長命寺から再びバスに乗り、札所27番の円名院へ。住宅街の中にあるお寺だが、境内は結構広い。

山門の脇に、このお寺が豊島八十八カ所の札所であることを示す石碑が建つ。真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。境内には広い墓地があり、本四国八十八カ所のお砂踏み霊場も勧請している。お参りしたときはちょうど檀家さんの納骨法要が終わった所だったが、御住職は嫌な顔一つせず、御朱印を認めて、大きなサイズのお姿を付けて納経帳を戻してくださった。豊島八十八カ所は原則的に真言宗系の檀家寺ばかりで成り立っている霊場だが、こうした心配りが目立つのもその性格と、巡礼者の少なさなるが故か。
(円明院 練馬区錦1-19-25)

 

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札所32番 金乗院

札所32番の金乗院は、円明院から歩いて数分の近さ。円明院の札所石碑にも「金乗院まで3丁」とある。メートル法に直すと300メートルほどか。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。

こちらも境内は広く、お庭も整備されていて気持ちがいい。山門を入って左手には、現在は檀信徒会館として使われている、幼稚園の園舎のような建物がある。かつては幼稚園も経営していたのだろうか。

お昼近くで、本堂では法事が行われていて、納経を受け付ける客殿では別の檀家の方の法事後の食事の真っ最中だが、嫌な顔一つせず納経の対応をして下さった。ありがたい限りである。
(金乗院 練馬区錦2-4-28)

 

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札所84番 成田山不動大教会

札所84番の成田山不動大教会は板橋区地籍になるが、東武東上線の下赤塚駅のすぐそばなので今回お参りする。
「教会」と名前がついているが、どう見てもお堂の構えはお寺。成田山関係の講の礼拝所という位置付けのようである。当然ながら真言宗智山派に属し、本尊は不動明王。地元では梶山不動尊の通称で親しまれている。

お堂の横にある庫裏に伺うと、御住職の奥様だろうか、巫女姿(袴は紺色だが)の女性が納経の対応をしてくださる。待っている間、お子さんらしい3歳くらいの坊やの遊び相手をして過ごす。なかなか元気があって、かわいい坊やだ。

納経帳を受け取り、いつも通り小さなポチ袋に入れた納経料を手渡そうとすると、「うちは頂いてませんから」と固辞される。「お寺でなく講の礼拝所なので」という趣旨のようだが、時間を掛けて墨書して頂いたり、お下がりを頂いたりと格別のお接待を受け恐縮なので、庫裏を出てからお堂の前の賽銭箱に納経料の入ったポチ袋を入れ、次の札所に向かった。
(成田山不動大教会 板橋区赤塚1-9-11)

 

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札所42番 阿弥陀堂

成田山不動大教会からひたすら南に下り、札所42番の阿弥陀堂へ。入り組んだ場所にあるかと思ったら、案外簡単に見付かった。

こちらは豊島八十八カ所では珍しい無住札所で、その名の通り阿弥陀如来を祀るお堂。真言宗智山派に属する。以前お参りした「足立坂東三十三観音」によくある墓地の中にあるお堂で、墓地入り口の門扉は開けられるようになっていたので、境内に入ってお参りする。門の右側には、豊島八十八カ所の札所であることを示す石柱が立っていて、その反対側には札所開創の由来を記した石碑が建つ。日露戦争の戦没者を慰霊するためにつくられた霊場という。

なお、阿弥陀堂の納経所は最近になって変更され、下赤塚駅近くの「幸寿司」(連絡先はリンク参照)で扱っている。ネット上を含め、ほとんどの資料で「42番阿弥陀堂の納経所は26番愛染院」と紹介されているが、現在は愛染院では阿弥陀堂の納経は扱っていないので、御注意を。また幸寿司も営業時間がランチとディナーに限られ、納経を扱うのは大将一人だけの様子。事前に電話してから訪ねた方が良さそうである。納経は書き置き対応だが、非常に大きな物。お楽しみに。
(阿弥陀堂 練馬区田柄2-7-10)

 

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札所26番 愛染院

阿弥陀堂からさらに南に下り、都営地下鉄大江戸線の練馬春日町駅近くにある、札所26番の愛染院に向かう。ほとんど当てずっぽうで向かったのだが、どうやら迷わずにたどり着いた。

こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は愛染明王。この札所の正式な寺名は「練月山愛染院観音寺」だが、観音様が本尊として祀られているわけではないのが面白い。こちらも境内は広く、立派な葬儀場も備えた、なかなか格式の高いお寺であるようだ。お庭の雰囲気は禅寺のような趣である。

無住の札所42番の納経所が変わっていることは、愛染院に伺って初めて知った。資料を頼りに愛染院にお参りした際に42番の納経を済ませようとして来た道を戻る人間、私以外にも結構いるようである。
(愛染院 練馬区春日町4-17-1)

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実はもう一つ回る予定だったが、阿弥陀堂の納経で予想外の問題が起きたことで、今回は愛染院までで打ち納め。次回で練馬区内の札所を打ち終えたいが、うまくいくかな…。

円覚寺百観音めぐり(7)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

朝から雨が降ったり時折強い風が吹いたりとあいにくの天気だが、近くの「大本山円覚寺百観音霊場」札所にお参りしてきた。

 

札所44番 吉祥寺

今回訪ねたのは、埼玉県栗橋町にある札所44番・吉祥寺。国道125号の高柳交差点の近くで、拙宅からは車で50分ほどである。

実はこのお寺には、大型連休前にも一度訪れている。その時は境内整備のためお参りできないとのことで、今回は事前に御都合を伺ってからあらためて巡礼した次第。

百観音専用の納経帳や札所案内のパンフレットに「TEL:なし」と書かれているように、このお寺は無住札所。お別当は高柳交差点に面した同じ円覚寺派の寶聚寺が務めていて、今回のお参りも前もって寶聚寺に伺う。法事を終えたばかりの若い御住職が待っていて下さり、少し離れた場所に札所があるので、檀家の方に案内して頂けるという。ありがたい限りだ。

境内での作務の手を休めて吉祥寺まで案内してくださったのは、「顔立ちが整った美人」という趣の、私より少し年上に見える女性。寶聚寺から数百メートル西に向かい、あぜ道や民家の敷地内を入った奥まった場所に、目指す吉祥寺がある。

ある札所の御住職から「あそこはお堂というより祠に近い」と伺っていたが、100メートル四方ほどの草刈りしたばかりの境内地のほぼ中央に広さ3畳ほどの小さなお堂が建っている。案内していただいた檀家の方がお堂の鍵を開けて下さり、本尊の聖観世音菩薩を拝むことができた。
観音さまは総高30センチほどの木像だろうか。黒く彩色されていて、玉眼入りの堂々とした風貌である。古びたお厨子が年月を感じさせ、檀家の方によれば「観音さまが作られてから400年ほど経っているのでは」とのことである。

吉祥寺は寶聚寺の隠居寺として、17世紀の初めに創建されたものらしい。古来よりこの周辺は水害が絶えない地だが、地域の人々の暮らしを守ってきた観音さまということだろうか。普通なら別の場所に移されて祀られるケースだが、こうして開基の地に祀られ続けているのは、地域の信仰の深さなるが故のことだろう。ちなみに、お別当の寶聚寺は足利一族との関係が深いお寺である。

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先に書いたように、吉祥寺は公道から直接入れず、民家の敷地内や田んぼの横を通らないとたどり着けない。一部の地図サイトでは住所を入れるとほぼ正確な場所が表示されるが、無断でのお参りはお寺や近隣の方に迷惑を掛けることになる。お参りの際は、必ず事前に寶聚寺に連絡して、日時などを打ち合わせてお寺の指示に従ってほしい。
また、このような事情があるため今回は写真の撮影をしていないことをお断りしておく。
(吉祥寺 埼玉県北葛飾郡栗橋町高柳1969)

円覚寺百観音めぐり(6)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

4月19日には、近所にある臨済宗円覚寺派の百観音札所にお参りしてきた。

 

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札所42番 円通寺観音堂

「大本山円覚寺百観音霊場」の札所42番・円通寺観音堂は、かつての埼玉県川里町、現在の鴻巣市にあるお寺。わが家からは自転車でも30分ほどの所にある。

鴻巣駅から新落合橋方面のバスが通る県道に面して、札所の観音堂が建つ。慶長年間の建立といわれる総ヒノキ造りの堂々たるお堂で、本尊の馬頭観世音菩薩木像などとともに市の文化財に指定されている。
このお寺、元々は「観音寺」という独立したお寺で、1690(元禄3)年開創とされる西国三十三観音うつしの「忍領三十三観音(忍新西国観音)霊場」の6番札所になっている。明治維新の廃仏毀釈が影響しているのか、現在は円通寺の飛び地境内にある観音堂としての扱い。専用納経帳に「観音寺」と記されているのは、こうした由来によるもののようだ。

お納経は、観音堂から少し歩いたところにある、円通寺本坊の庫裏で扱っていただける。百観音霊場の扁額も、こちらの山門に掛かっている。本坊の境内にはやはり市の文化財になっている石像の三十三観音もあり、こちらもぜひ見てほしい。
(円通寺 埼玉県鴻巣市屈巣2147=2009年4月19日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(2)

お出かけ 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

足立坂東観音霊場の御開帳も終わり、のんびりと豊島八十八カ所巡りを再開する。しばらくの間は、練馬区内のお札所を中心に回る。

 

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札所46番 教学院

埼玉県北部の我が家から向かうと一番奥まった場所にある、札所46番の教学院からお参りしていく。

西武池袋線の大泉学園駅からは、歩いて15~20分ほど。結構分かりにくい場所にあるが、実は職場の元上司にこの近くに住んでいて、行き方を事前に聞いていたので助かった。静かな住宅街の一角にある、真言宗智山派のお寺である。札所本尊は十一面観世音菩薩。

豊島八十八カ所の御詠歌が記された扁額が掛かる山門をくぐると、何と本堂は大普請中で骨組みの一部が残るのみ。仕方なく、庫裏の横にある弘法大師像に向かってお参りする。御朱印を頂く時に尋ねると、弘法大師像の後ろにある建物に本尊を祀ってあるとのことで、お参りはこれで良いそうだ。御住職不在のため、御朱印は後ほど半紙に認めたものを郵送いただけるとか。こういう扱いは初めてで、どのようなものが送られてくるか、ちょっと楽しみである。

境内ではボタンの花が見ごろだった。
(教学院 練馬区大泉町6-24-25=2009年4月18日巡礼)

 

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札所17番 長命寺

教学院からしばらく歩いて、東映だかの撮影所跡地にあるショッピングセンターからバスに乗って札所17番の長命寺に向かう。

長命寺は御府内八十八カ所の札所17番や武蔵野三十三観音の札所1番も兼ねる、真言宗豊山派のお寺。本尊は十一面観世音菩薩。境内は結構広く、大師堂や観音堂も立派なものが建っていて、全部お参りして回る。

あちこちで目に付いたのは、来年行われる武蔵野三十三観音総開帳を知らせるポスター。半年ほど行われる大掛かりなものだが、寅年に観音様の御開帳とは珍しい。ポスターから見る限り西武鉄道との結び付きが強い観音霊場のようである。
(長命寺 練馬区高野台3-10-3=2009年4月18日巡礼)

 

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札所81番 観蔵院

長命寺から笹目通りを南に下り、札所81番の観蔵院に向かう。徒歩で15分ほどだが、幹線道路の歩道を歩くのは、この札所巡りには何となくそぐわない。

観蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。境内は決して広くはないが、花木が美しい。
こちらのお札所は「曼荼羅寺」という寺名の通り、曼荼羅の製作やコレクションで知られ、庫裏には「曼荼羅美術館」も併設されている。時間の都合で拝観できなかったが、朱印を頂く時にも玄関越しにコレクションの一部が目に入ってきて、かなり本格的に曼荼羅の展示に取り組まれているようである。文学博士号を持つ御住職は大正大学の学長も務められていて、各種の文化教室にも熱心に取り組んでいるお寺だ。お寺と地域社会の新たな関わり方を示唆しているのかもしれない。

ちなみに、観蔵院の御朱印は御本尊の名前が全て梵字で書かれている。あちこちで結構御朱印を頂いてきたが、初の経験である。
(観蔵院 練馬区南田中4-15-24=2009年4月18日巡礼)
※観蔵院の公式ホームページはこちら

 

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札所70番 禅定院

観蔵院から石神井公園近くの札所70番・禅定院を目指して西へ歩く。練馬区内は東京23区の中でも農業が盛んな土地柄で、ブルーベリーや梨などの果樹畑が多い。道中には、生け垣代わりにお茶の木を植えてある果樹園もあった。お茶の加工はどこでしているんだろうか…。

禅定院は真言宗智山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。こちらは御府内八十八カ所の70番札所でもある。山門は閉まっているが、すぐ横の駐車場に「参道入り口」の看板があり、こちらからお参りする決まりのようである。
境内はボタンが見ごろで、近所に住むお年寄りが一生懸命スケッチをされていた。「ここのお寺は静かなんで、スケッチするのにもってこいなの」という。

こちらのお寺、御家族がピアノ教室をされているようで、境内にも何枚かPRの掲示がある。お寺とピアノ教室の取り合わせが面白い。境内のキリシタン燈籠もお見逃しなく。
(禅定院 練馬区石神井町5-19-10=2009年4月18日巡礼)

 

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札所16番 三宝寺

禅定院から石神井公園の縁を辿るように西へ進み、今回の打ち納めとなる札所16番の三宝寺へ向かう。

三宝寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。豊島八十八カ所のほか、御府内八十八箇所や武蔵野三十三観音、関東三十六不動など多くの霊場の札所になっている。境内も結構広く、四国八十八箇所のお砂踏みもある。大師堂や観音堂も別に設えてあるが、一番圧巻だったのは墓地の入り口にある「平和大観音」。石像だろうか、高さ10メートルはあろうかという堂々たる十一面観世音菩薩である。私がお参りしたときはちょうど後光が差しているかのようなお日さまの向きで、思わずデジカメのシャッターを切った。

納経所で対応してくださった御住職は話し好きな方のようで、これまで回った霊場のことなどで、しばし世間話。「豊島八十八カ所を回っているとは珍しい」とのこと。こちらでは現在絶版扱いのガイドブックも扱っていて、早速一冊求めた。
(三宝寺 練馬区石神井台1-15-6=2009年4月18日巡礼)

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(本日の歩数=23900)

足立坂東観音めぐり(8=完)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

足立坂東観音霊場の丑年中開帳最終日となる11日の土曜日も、絶好のお参り日和。最終日は片付けやお別当の閉扉法要の関係で早仕舞いのお札所が多いと聞いていたので、早めに家を出る。今回は駅から近いお札所が多く、電車利用だ。

 

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札所2番 廓信寺

大宮からJR京浜東北線で北浦和へ。この駅を利用するのは大学入試のとき以来のはずだが、当時の記憶があいまいでどのくらい変わったか覚えていない。まあ、落ちた大学だし仕方がないかw

廓信寺は浄土宗のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。北浦和駅から与野方向に数分戻った所にあって、幼稚園などがある境内は結構広い。観音さまは本堂と路地を挟んで向き合う、客殿兼用の地蔵堂で御開帳されている。回向柱は路地に建っていて、そこから善の綱が観音さまに延びる。回向柱が建つ路地は近所の生活道路を兼ねていて、「御開帳のため自転車は押してお通り下さい」という立て看板が、いかにもローカル霊場の趣。

御朱印を頂くと、「針が谷観音寺(廓信寺管理)」の文字がある。もともとのお札所は観音寺で、それが廓信寺に合寺された結果、廓信寺が札所2番を務めているのでこう表記しているとのこと。地蔵堂は以前火事に遭って建て直されている由だが、焼け残った梁や柱は再利用され、かすかだが往時の雰囲気を伝えている。

【御詠歌】みがけたゞ おのをもすりて はりがやと
                                 なりしためしに をのがこゝろを

(4月11日巡礼=さいたま市浦和区北浦和3-15-22)
※廓信寺の地図はこちら

 

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札所26番 並木堂

北浦和駅に戻り、再びJR京浜東北線に乗って西川口へ。札所26番の並木堂は、西川口駅東口から川口方向に進んだ所にある。西川口駅方面からだと、札所案内の表示が見えずらいので注意が必要。

こちらは浄土宗のお堂ということになっているが、実質的には地区が管理するいわゆるムラ堂で、本尊は聖観世音菩薩。現在は、かつての観音堂を建て直した町会会館の一室に観音様が祀られている。

観音様が祀られている仏間は6畳くらいの広さ。その狭さゆえに、間近に観音様を拝んでお勤めできるのがうれしい。茶菓の接待をしている休憩スペースでは、昔の写真や資料をいろいろと展示していた。戦後しばらくまで使われた観音堂は、茅葺きの建物だったようで、いかにも田舎のお堂らしく好ましい。

【御詠歌】これやこの なみきさくらのはなのはる
                                              たしようのゑんを むすぶいといふ

(4月11日巡礼=川口市並木2-37-5)
※並木堂の地図はこちら

 

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札所9番 二ツ堂

西川口から大宮方向に1駅戻って蕨へ。札所9番の二ツ堂は川口市地籍だが、JRの最寄り駅は蕨である。足立坂東札所を回って実感したが、京浜東北線の沿線は自治体の境界が入り組んでいるケースがとても多い。

二ツ堂は臨済宗のお堂とされているが、並木堂などと同じく、実質は地区管理のお堂。本尊は聖観世音菩薩。臨済宗建長寺派に属する川口市の長徳寺がお別当を務められているようだ。

ここのお堂、名前の通り2つのお堂がくっついたような形をしている。1624年にお堂が建てられたとき、右側が土地の豪族だった須賀氏の菩提寺として千手観音を祀り、左側は長徳寺檀家の集会所や法事の場所として、聖観音を祀ったことに端を発しているようだ。二つのお堂をつなげたのはずっと後の話らしい。

お堂の中には西国三十三観音の掛け軸がずらりと並べられている。観音さまの上半身には赤い布がかけられ、拝むことができなかった。お世話役の女性の一人は、開帳初日の田島観音での忘れ物を教えて下さった方で、あらためてお礼をする。

【御詠歌】ゑんむすぶ みはつかばらの さしもぐさ
                                           さしもまそをの すぐになれつゝ

(4月11日巡礼=川口市芝塚原2-18-12)
※二ツ堂の地図はこちら

 

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札所33番 塚越瑞塚山定正寺

結願となる札所33番の定正寺には、二ツ堂から歩いて向かう。定正寺は蕨市地籍になるが、歩いて20~25分というところか。途中にはひなびたいい感じの御嶽山神社もあり、そちらにもお参り。

定正寺は真言宗智山派のお寺ということになっているが、こちらも事実上は地区管理のお堂。本尊は正観世音菩薩。足立坂東霊場のお札元である。

このお寺、塚越稲荷神社の境内に同居し、神仏習合の名残をとどめている。かつては稲荷神社の別当も務めていたようだが、神仏分離のときに観音堂だけが残り、今のような姿になった由。お堂の横には、往時は新四国霊場だったことを示す石碑も建っている。

お勤めをして御朱印を頂くと、「結願」の印を押してくれた。結願印を頂くのは江戸観音に続いて2回目だが、この達成感は格別のものである。

境内にはテントが張られて、巡礼者へ茶菓のお接待をしている。私も御厚意に甘え、花吹雪の中で冷たいお茶を頂く。「お前さんに似合わず風流だな」という声が聞こえてきそうだが(笑)。

お茶を頂きながら、一つ面白い話を聞いた。札所の地元に住むある男性、本家坂東、秩父、西国の百観音を回り、さらに本四国でお遍路をしている時、ある札所で百観音を全部回ったことを話したら、そこの札所の人に「地元には足立坂東の観音霊場があるはずだが、地元の霊場をないがしろにするとは何事か」と叱られ、菅笠においずる姿でこの御開帳期間、足立坂東の巡礼をしているそうだ。ここの霊場、全国のローカル霊場を網羅した「全国霊場巡拝事典」(大法輪閣)にも載っていないので知る人ぞ知る存在とばかり思っていたのだが、お四国の札所にこの霊場の存在を知っている人がいたとは意外である。観音様の力、やはり侮れず。

【御詠歌】まよいしも いつかこしぬる みづせがわ
                                               ふかきめぐみに うかぶうれしき
ちゝはゝと たのみをかけし をいづりを
                                               かたじけなくも をさむこのてら

(4月11日巡礼=蕨市塚越3-2-14)
※定正寺の地図はこちら

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天候にも恵まれ、いい気分で番外含め35のお札所を回ることができて良かった。どこのお札所でも、地元の方々による心のこもったお接待があり、ありがたい限り。瀬戸内の「島遍路」と同じ温かさである。一部の札所で御開帳を見合わせたのは残念だったが、5年後の総開帳では、全部のお札所で観音様とのご縁を深められるのを願って、つたない巡礼記をひとまず「打ち納め」とさせていただく。

※本巡礼記の内容について、各町内会や札所・別当寺など関係先への問い合わせは御遠慮いただくようお願いします。内容についてのご質問は、左側メニューの「お問い合わせ」からどうぞ。

足立坂東観音めぐり(7)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

7日の足立坂東三十三観音巡りの続き。まだ時間があるので、戸田・川口方面のお札所を頑張って回る。

 

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札所22番 龍光山不退院常福寺

海禅寺からさらに東に向かい、札所22番の常福寺に向かう。裏手にある「参詣者用駐車場」には止めるスペースがなかったが、山門側にちゃんと巡礼者用のスペースが確保されていた。

常福寺は浄土宗のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩(浄土宗寺院なので言わずもがなだが、お寺の本尊は阿弥陀如来)。観音さまは境内にある観音堂に祀られている。今回の御開帳はどこの札所でも茶菓のお接待があり、「お下がり」が頂ける。こちらの札所のお接待は葵の御紋の入った瓦せんべい。袋を見ると増上寺関連の品のようだ。そういえば、江戸観音めぐりでも浄土宗のお札所で瓦せんべいを頂いたことがあったが、瓦せんべいと浄土宗って何か関係があるのだろうか。お下がりを入れる袋には、観音さまのお姿が描かれている。大事にしないと。御詠歌入りの紙風船も頂けた。子供連れのお参りにもお勧めの札所である。

【御詠歌】しもとだに しらでつもりし をいのゆき
                                          きえなんのちを たのみおくかな

(2009年4月7日巡礼=戸田市中町2-4-11)
※常福寺の地図はこちら

 

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札所25番 最勝院

荒川の堤防に沿う形で、札所25番の最勝院へ。これより川口市内のお札所となる。駐車場が見当たらなかったので、向かい側のコインパーキングに車を止めてお参りする。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。
実はある札所で、「25番も開帳を見合わせているらしい」という話を聞いていて、不安を抱きながらのお参りだったのだが、参道の入り口に御開帳を知らせるポスターが張られていて、ちゃんと回向柱も建っており一安心。
こちらは本堂の2階に仏間があり、外からは九十九折の階段で上がっていくのだが、善の綱はちゃんと階段に沿って張られていた。作業が大変だっただろうに…。

最勝院には本尊の十一面観音のほか、屋外には石像の子安観音も祀られている。慈悲に満ちたいいお顔をである。

【御詠歌】ごくらくを いづことひとは いゝづかの
                                         とはぬさきより まつかぜのおと

(2009年4月7日巡礼=川口市飯塚1-15-24)
※最勝院の地図はこちら

 

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札所24番 平等山善光寺

荒川沿いにさらに西に進み、JR京浜東北線などのガードをくぐって、札所25番の善光寺へ。荒川の「スーパー堤防」上にある珍しい立地で、JRの電車から本堂がよく見えるから、ご存じの向きも多いかもしれない。

善光寺は真言宗智山派のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。
本堂周辺には御開帳を知らせるポスターの類が一切張られておらず25番の一件もあったので不安だったが、本堂の扉を開けると中にちゃんと告知がしてあり、一安心。2階の仏間でお勤めさせていただく。

浄土宗と天台宗が事実上共管している長野の善光寺とは宗派が違うが、名前の通りにお寺の本尊は一光三尊の阿弥陀如来(いわゆる阿弥陀三尊)。阿弥陀三尊を祀る寺社でつくる「全国善光寺会」の会員でもある。江戸時代には手軽な江戸近郊からの善光寺参りや、足立坂東札所の玄関口として賑わったそうだ。御朱印を頂く時に、信州善光寺の御開帳の案内も頂戴する。そういえば、善光寺会の霊場もあるんだよな…。

【御詠歌】くらきより くらきにまよう われわれを
                                           みちびきたまへ よきひかりてら

(2009年4月7日巡礼=川口市船戸1-29)
※善光寺の地図はこちら

 

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札所27番 良光院

帰宅しようと北に進路を取ったのだが、札所27番の良光院の近くまで来た時に時計に目をやると午後4時半を少し過ぎた所。ダメもとでお参りすることにした。

良光院は浄土宗のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。コンパクトな境内だが、本堂とは別に観音堂があって、札所本尊はそちらにお祀りされている。観音さまのお顔がちょっと優しげに見えるのは気のせいか。

観音堂で堂守をされていた女性に来意を告げると、「どうぞお参りしてください」とのこと。御厚意に甘えて、本堂にある納経所にいらっしゃった御住職に朱印帳を預けてから、観音さまの前でお勤めさせていただく。
お勤め中には背後で随分と人の気配を感じたのだが、最後に御詠歌を唱えてからお礼をしようと振り返ると、お寺や手伝いの方がずらり勢ぞろいw 御住職の前で下手糞な読経と御詠歌を披露したわけで、穴があったら入りたい気分だが、「ご詠歌まで唱えて頂いて…」と言われ、少しほっとする。

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コンパクトなお堂だが、中には御詠歌の入った大正時代の扁額が掲げられている。よく見ると、「足立坂東拾七番観音」とあり、居合わせた皆さんと首をひねるが、経緯の分かる方は誰もいない。埼玉県のホームページで見ることができる足立坂東霊場の開山記原本の絵図には27番となっているし、戦前の一時期、札所番号が入れ替わったことでもあったのだろうか。謎である。

【御詠歌】よろづよを ふれどまつばの しもあをき
                                                   みのりのはるは ときはなりけり

(2009年4月7日巡礼=川口市中青木4-15-3)
※良光院の地図はこちら

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残るお札所は、2番、9番、26番、33番の4枚。何とか御開帳最終日の11日に回れそうである。

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