お出かけ

坂東三十三観音巡り(4)

お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

10月4日の日曜日に、久しぶりとなる坂東札所巡礼に出かけてきた。

 

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札所18番 中禅寺(立木観音)

宇都宮日光道路に入ったあたりから雨が降り出してきたが、いろは坂を過ぎ中禅寺湖畔まで来ると雨は上がっていた。標高が高いだけあって、長袖シャツ1枚+袖なし笈摺という格好ではさすがに肌寒い(笑)。
札所18番の中禅寺は日光のシンボル的なお寺だけあって、観光客の姿が目立つ。

山門をくぐると鐘を撞けるようになっているので、志納金を箱の中に入れ、撞かせていただいてからお参り。担当のお坊さんが付いて境内を案内してくださる。こちらは天台宗のお寺で、本尊の千手観世音菩薩は、日光の地を開山した勝道上人が桂の立木を使って彫り上げたと伝えられることから、「立木観音」の別名を持つ。素朴さが滲み出る、やさしいお顔だ。

こちらでは、私と同じような格好で巡礼しているご夫妻と一緒になった。大阪から来られているそうで、すでにお四国のほか西国や秩父も回られたとか。
坂東の札所を回っていると、関西から来た人によく出会う。信心は向こうの人の方が厚いのだろうか。

(2009年10月4日巡礼=栃木県日光市中禅寺歌ケ浜2578)
※中禅寺公式HPはこちら

 

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札所19番 大谷寺(大谷観音)

山を下りて、札所19番の大谷観音に向かう。こちらも観光客で結構な人出。 お坊さんがガイドしてくれるのも、中禅寺と同じである。大谷観音は天台宗のお寺で、本尊は千手観世音菩薩。大谷石を刻んだ上に朱を塗り、細部を粘土で飾って仕上げた、国内でも珍しい仏さまである。お寺の堂宇が、大谷石の洞窟にめり込むように建っているのも珍しい。

参拝を終えると、お世話になっている金剛院のご住職のブログで紹介されていた平和観音にもお参り。像高88尺8寸8分(26.93メートル)というから、奈良の長谷寺、東京なら永平寺別院の大観音の2倍以上の大きさ。その迫力を味わってから、次の札所に向かう。

(2009年10月4日巡礼=栃木県宇都宮市大谷町1198)

 

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札所20番 西明寺(益子観音)

札所20番の西明寺に着いたのは、お昼を少し過ぎてから。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。

中禅寺や大谷寺とは打って変わって、山寺の風情があふれる境内は静かで、ゆったりした時が流れているようである。こちらの方が坂東のお札所に似つかわしいと思うのは、私のわがままだろうか。
両脇に坂東各札所の写しの石仏が並ぶ石段を上ると、本堂からお経の声が聞こえてくる。月例の護摩法要の真っ最中だったが、入り口にいらっしゃった檀家総代の方のご厚意で中に入れていただくことができた。私も護摩木を供えて、お勤めさせていただく。護摩法要に参列するのは坂東のお札所では初めてで、それ以外を含めても2回目。ちょっと緊張する。

こちらのご住職は、がんセンターの勤務経験もあるお医者様でもある。終末期医療に力を入れている診療所や介護施設を運営していることで知られる。このお寺の見所の一つ、「笑う閻魔さま」との縁を感じるのは、私だけか。
(2009年10月4日巡礼=栃木県益子町大字益子4469)
※西明寺公式HPはこちら

江戸観音巡りを再発願(5)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

26日の土曜日も、豊島八十八カ所の巡礼に引き続いて江戸三十三観音にもお参りする。

今回は4番・回向院に出かけてきた。この秋、両国一帯では「ぶらり両国街かど展」というイベントが行われていて、回向院では本堂内のロビーで、このお寺の歴史を紹介するパネル展が行われている。
回向院で相撲や出開帳が行われていたのは知っていたが、昔はその他の催し物もたくさん開かれていて、回向院が「文化ホール」の役割を担っていたのが分かる。

個人的に興味があったのは、「屁ひり男の見世物」。このブログにあるような内容だったのか。見てみたいのは山々だが、こういう芸を現代の日本で上演した日には間違いなくアレのお世話になる。

豊島八十八カ所巡り(13)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

26日の土曜日も、豊島八十八カ所のお参りに出掛ける。今回は、先日お留守などで巡礼できなかった、都電荒川線沿線のお札所から回る。

 

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札所65番 慈眼寺

最初に訪ねたのは、都電荒川線の町屋二丁目電停に程近い、札所65番の慈眼寺。近隣では「朝日薬師」の通称の方が通りが良い、真言宗豊山派のお寺である。本尊はもちろん薬師如来。

都電を降りて、小さな店や住宅が建ち並ぶ細い通りを北へ歩くと、程なく薄茶色の塀に囲まれた墓地が見えてくる。ここが目指す慈眼寺だ。小ぶりな山門をくぐると、いきなり墓地が広がるが、その中央を細い参道が本堂まで続いている。

このお寺で特徴的なのは、何と言っても本堂の造り。コンクリート造り4階建の事務所や工場とよく似た建て方をしているのだが、3階部分の壁面には金色の大きな薬師如来像が祀られていて、この建物がお寺の本堂であることを強烈にアピールしている。1階の入り口脇には石像の観音様が祀られ、通常のお参りはこちらで行う。本尊の薬師如来は、古くより眼病やお母さんの乳の出に霊験があるとされる。現在ではペット霊園も併設。荒川辺八十八カ所の札所9番でもある。
(慈眼寺 東京都荒川区町屋2-20-12=2009年9月26日巡礼)

 

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札所63番 阿遮院

次にお参りした札所63番・阿遮院は都電荒川線の東尾久三丁目電停からすぐ。もっとも、65番の慈眼寺からは歩いても10分かからない近さだ。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。

尾久消防署の下尾久出張所と向かい合うように参道の入り口があり、100メートルほど奥まった所に山門がある。参道の入り口にはこのお寺が豊島八十八カ所などの札所であることを示す看板が立ち、その下には御府内二十一カ所(現在の御府内八十八カ所とは別物)の札所であることを示す石碑が建つ。

このお寺の正式な名称は「阿遮羅山阿遮院蓮華寺」。「阿遮」は、本尊の不動明王のサンスクリット語の名前(梵名)「アチャラナータ」に由来すると伝えられる。鉄筋コンクリートのモダンな感じの本堂に祀られているお不動様を、ガラス越しに拝むことができた。

色とりどりの花がたくさん植えられた境内は、このお寺が尾久地区で最古の寺院で、かつてはいくつかの末寺を有していたことの名残だろうか。本堂とは対照的に、飾らない佇まいの庫裏で、若い和尚様が一生懸命お納経をしたためて下さった。「お気をつけてお参りを」と送り出して頂いたことが印象深い。
(阿遮院 東京都荒川区東尾久3-6-25=2009年9月26日巡礼)

 

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札所20番 地蔵寺

札所20番の地蔵院は、都電荒川線の小台電停から徒歩5分ほどで、尾久警察署の裏手に当たる。68番寶蔵院からは歩いて数分の近さだ。湯島に本山のある真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は聖徳太子作と伝えられる地蔵菩薩。1751(宝暦元)年の開基と伝えられる。

このお寺も建物が特徴的だ。都電を降りて路地を尾久署の脇の路地を隅田川方向に歩くと、屋上に鐘楼を備えた3階建ての伽藍がすぐに見えてくる。すぐ隣の八角堂には千躰地蔵尊や荒川区内唯一とされる阿弥陀三尊の画像板碑が祀られ、墓地を挟んで八角堂と向かい合うように、黒光りしている北向地蔵が立っている。

和尚さまは気さくな方で、お地蔵様信仰のことなどで話が弾むが、お参りの人が多く、ゆっくり話ができなかった。また機会を見てお話を伺いたいものである。
(地蔵寺 東京都荒川区西尾久3-10-6=2009年9月26日巡礼)

 

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札所33番 真性寺

「おばあちゃんの原宿」として、いつの間にか全国区の観光地になった東京・巣鴨の地蔵通り商店街。札所33番・真性寺は、その商店街のJR・都営地下鉄の巣鴨駅側入り口にある。

真性寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は秘仏の薬師如来…と書くと、首をひねる人がいるかもしれない。そう、このお寺は「江戸六地蔵」の札所3番として知られ、お地蔵様への参拝の人が絶えない。ただ、お地蔵様参りに来る人は、このお寺の本尊が薬師如来ということを知らない人がほとんどではないだろうか。1714(正徳4)年建立と伝えられるそのお地蔵様は長年の風雪による傷みがひどく、現在は京都に“入院”中。祀られているのは本来のものより少し小ぶりな、身代わりの仏さまである。本来のお地蔵様が帰ってこられるのは、2010年の4月とか。境内には松尾芭蕉の句碑もあり、こちらもお見逃しなく。

私がお参りしたときは本堂で法要中で、入り口から少し離れた所で小さな声でお勤め。その後寺務所にお納経に伺うが、札番印は同じ札番の御府内のものを兼用。御府内と豊島の両霊場の関係を示す一例であろう。

ここから都電の庚申塚電停に向かって延びる商店街の中ほどには、真性寺とともに巣鴨の地蔵信仰を担ってきた、「とげぬき地蔵尊」こと曹洞宗高岩寺がある。こちらにもお参りして、商店街を見て歩こう。「おばあちゃんの原宿」らしく、気取らずに安さと元気の良さで勝負するお店がいっぱいである。
(真性寺 東京都豊島区巣鴨3-21-21=2009年9月26日巡礼)

声明ライブ&読経の庭

お出かけ 寺社巡礼 日記

豊島八十八カ所へのお参りで知り合い、それから懇意にさせていただいているお札所のご住職の勧めで、18日の夜、新小岩の小さなバーで開かれた声明のライブに出かけてきた。

声明と言っても「○○についての見解」の類ではなくて、私が聴いてきたのは「旋律をつけて唱える、お経などの仏典」の方。この場合は「しょうみょう」と呼ぶ。
声明について知りたい人はこちらコチラを参照。

声明を披露されたのは、真言宗の3人のお坊さん。中には初めて聞くお経もあったのだが、自然に頭の中に入ってきて、何か不思議。声明は日本の音楽の源流というが、それを理解するDNAが私たちには先天的に備わっているのだろうか。その時のお坊さんのお話では、グレゴリオ聖歌隊が歌う曲の中には声明とよく似たメロディーのものがあるそうで、この種の旋律を感じ取る遺伝子は、洋の東西を問わず共通しているのかもしれない。会場には私より若い人も結構いたが、楽しんでいた様子。

今回のライブはギターと西アフリカの太鼓・ジャンベを奏でる若いバンドとの競演。こちらもしんみりとした曲が主体で、なかなか良かった。「ボケとツッコミ」のような、関西風味の若い二人の掛け合いも私的にはポイント高し。

 

翌日は、声明ライブの中心になっている江戸川区の密蔵院さんの「読経の庭」に参加させていただく。
豊島八十八カ所や観音さま巡りの時にはいくつかお経を唱えるわけだが、誦み方が自己流になってしまっているので、こういう場で正しい読みを覚えておこうと思った次第。お経のCDは持ってはいるのだが、お経を“ライブ”で聞く機会はあまりないのだ。

こちらのお寺では錫杖経を唱える。祈祷の時などに使われるお経だが、私はそれと分かって聞くのも唱えるの初めて。経本を見ながら必死についていくのがやっと。漢字なので何となく意味が分かるのが救いだった。
お経について、誦み方もその意味も、もっと勉強しないといけないと実感。

江戸観音巡りを再発願(4)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

13日の日曜日は、豊島八十八カ所巡りに引き続いて江戸三十三観音のお札所にもお参りしてきた。

今回は19番東円寺→17番宝福寺→18番真成院の順で回る。

宝福寺は、観音堂が火災に遭いお参りできるかどうか心配だったが、本堂の一部が仮の観音堂になっていて、焼失を免れた札所本尊がお祀りされている。まだ普請の最中のようで、巡礼の際は足元に御注意を。

(2009年9月13日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(12)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

13日の日曜日は前日と打って変わっての好天。先延ばしにしていた豊島八十八カ所巡りに出掛ける。今回は、くだもの電車西武新宿線沿いにある中野区内のお札所を回る。

 

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札所87番 東光寺

札所87番の東光寺は、西武新宿線を新井薬師駅で降りて、線路沿いの路地を高田馬場方向に戻ったところにある。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。江戸時代初期の開山と伝えられている。

静かな住宅街の一角にあり、三井財閥の資料を集め公開している「三井文庫」のすぐそばにある。都内のお寺としては広い部類に入る境内は、何より緑が豊か。木漏れ日が美しく、ここが都会であるのを一瞬忘れそうなくらいだ。入り口には龍神様が祀ってあり、周囲には鯉を放った池が巡らせてある。なかなか見事なので、お参りの際はぜひ見ておこう。山門を入るとすぐ左に、コンクリート造りの大日堂があるが、中は広間のようになっている。お参りした折は、地域の剣道教室として使われていて、私より少し年下くらいの美形の女性が、稽古をつけてもらっていた。

境内の一角では、このお寺がかつて経営していた幼稚園の園舎の取り壊しと周辺整備の工事が進められていた。少子化の進む折、これまで経営していた幼稚園を閉めてしまう例は豊島のほかのお札所でも見聞しているが、何となく寂しいものがある。かつて幼稚園があった場所は、どのように整備されるのだろうか…。

余談だが、高田馬場方向から電車を利用してお参りする場合、改札内の跨線橋を渡って、反対側のホームにある北口改札を使った方が早くお寺に着く。電車の本数が多く踏切が「開かず」なのだ。これは、48番や74番最寄りの沼袋駅でも同じなので、覚えておいたほうがいい。
(東光寺 東京都中野区上高田5-21-5=2009年9月13日巡礼)

 

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札所48番 禅定院

西武新宿線沼袋駅の北口改札を出た所から斜め右に延びる狭い道の商店街を歩くと、すぐに札所48番・禅定院の山門が見えてくる。山門の真正面につながるこの道、元々は禅定院の参道だったのだろうか。その山門は戦災をかいくぐった大正期のもので、数多く張られた千社札が長年の風雪を物語る(このブログの読者には野暮だろうが、現在は千社札は張ることはできない)。

禅定院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。このお寺で興味深いのは山号や寺号とご本尊の関係。正式なお寺の名前は「瑠璃光山禅定院薬王寺」。お寺の名前だけ見るとお薬師様を祀るお寺のようにも思えるが、現在の本尊は前述の通り。山号や寺号は、南北朝時代に禅定院が開かれた時のご本尊が薬師如来だったことに由来するという。現在の本尊である不動明王立像は、鎌倉時代の作。元々は土地の豪族、伊藤氏の菩提寺だったことから、現在でも「伊藤寺」の通称が残る。

境内はコンパクトだが、お庭の整備が行き届いていて気持ちよい。特に蓮や牡丹の花がきれいなようで、花の時期にもう一度お参りしたい。
こちらは、同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。
(禅定院 東京都中野区沼袋2-28-2=2009年9月13日巡礼)
※禅定院の公式HPはこちら

 

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札所74番 実相院

禅定院と同じく沼袋駅に近い札所74番・実相院は、駅からも禅定院からも歩いて3分ほど。駅からだと、「沼袋親交会」の街灯が整備されている賑やかな商店街を進み、路地を少し入った所にある。

実相院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。新田義貞の一族の矢島家の菩提寺として開かれたお寺で、現在でも「矢島寺」の名前で親しまれている。コンクリート造りの瀟洒な山門をはじめ、境内の至る所に寄進者として矢島姓の名前が記されているのも、このお寺の開基に関係しているのだろう。現在でもお檀家の半数以上が矢島姓という。

境内はコンパクトだが、山門を入るとすぐ左側に大きな十一面観音の石像と弘法大師像が並んで建つ。観音像のほうは永代供養のための石像のようだ。
また、こちらのお寺は桜の隠れた名所として知られている。花の時期はライトアップされて、幻想的な美しい風景が楽しめる。お花見の時期はコンサートなどの催しも行われるという。

この辺りはお寺が密集していて、禅定院から実相院に抜ける路地の途中には、百観音のうつし霊場で知られる明治寺がある。時間が許せば、こちらにもお参りしたい。
(実相院 東京都中野区沼袋4-1-1=2009年9月13日巡礼)
※実相院の公式HPはこちら

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この後、引き続いて江戸観音の札所3カ寺にお参りして帰宅。歩数は1万4500歩、大体8キロ強か。足の怪我も治ったことだし、次回からもっと距離を伸ばしたいw

豊島八十八カ所巡り(11)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

5日の土曜日も、午後から豊島八十八カ所のお参りに出掛ける。今回も、都電荒川線沿線のお札所を巡る。

 

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札所83番 密厳院

まずは前回お参りできなかった札所20番・地蔵寺から回るが、3カ寺続けてお留守などでお参りが叶わなかった。「まあこういうこともある」と気を取り直し、都電を荒川2丁目の電停で降り、札所83番の密厳院へ向かう。公共交通機関利用なら、京成電車の新三河島駅を使った方が少し早いかもしれない。

密厳院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。「三河島大師」の通称があり、江戸時代には開運や厄除けを願う人で賑わったと伝えられている。
荒川区内の社寺を紹介したサイトなどで「いつも山門が閉まっている」と書かれているが、今回もやっぱり門は閉まっている。その脇には「開運厄除 弘法大師」と刻まれた石柱がコンクリートに埋もれるように建ち、このお寺が弘法大師霊場であることを示している。

無理に中に入って妙な騒ぎになってもいけないので門の外でお勤めするが、困るのがお納経。どこかのお寺と兼務としてもご住職はいらっしゃる筈だが、どこに行けば良いのか分からない。幸いにもすぐ近くの札所6番・観音寺が同じ宗派なので、何か知っているのではとお参りかたがたお伺いする。

観音寺でお話を伺ってから、もう一度お参りしようと密厳院の前まで来ると、今度は門が開いている。境内の一部が月極め駐車場として使われていて、車の出入りがあるときは門が開くようだ。中に入って慌しくお参りさせていただく。本堂は鉄筋コンクリートの瀟洒な建物。正面には何枚か、お賽銭と思しき硬貨が置いてある。わずかだがお参りに来る人はいるようだ。

現在は足立の方にあるお寺のご住職が密厳院も兼務されていて、境内には身内の方がお住まいになっているという。但し、その方は寺務にはあまりタッチされていないようで、お納経は6番・観音寺で代印して頂ける。また、新田明江氏の手による豊島霊場のガイド本に記されている電話番号も、現在はこのお寺と直接的な関係はないようだ。門が閉まっている時は、無理をせずに門前でお勤めしよう。
(密厳院 東京都荒川区荒川4-16-3=2009年9月5日巡礼)

 

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札所6番 観音寺

札所6番の観音寺は車の往来が激しい明治通り沿いにあり、札所83番の密厳院は目と鼻の先。京成電車の新三河島駅からは歩いて7~8分である。

観音寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。荒川辺八十八カ所の札所6番でもある。

境内に入るとすぐ、大きな伽藍が目に飛び込んでくる。豊島のお札所ではよくみられる、1階が客殿、2階が本堂というタイプだ。幼稚園も併設されていて、平日の日中は子どもたちの元気な声で賑やかなことだろう。私がお参りした土曜日は幼稚園は休みだったが、代わりにお寺で飼っているワンちゃんたちが元気よく出迎えてくれた(笑)。

住宅や工場が密集している今では考えられないことだが、江戸時代はこの一帯に鶴が飛来し、農閑期には餌付けも行われていたという。「鶴お成り」と呼ばれた将軍家の鶴狩りも頻繁に行われ、観音寺などが御膳所(食事を取る場所)に指定されていたという記録が残る。その際には「三河島菜」と呼ばれる白菜の親類のような伝統野菜が献上されていたが、鶴の飛来ともども今では見られなくなり、文献に残るのみである。

お参りの時は、83番密厳院のお納経も忘れずに頂いておこう。
(観音寺 東京都荒川区荒川4-5-1=2009年9月5日巡礼)
※参考 観音寺が経営する幼稚園のHPはこちら

豊島八十八カ所巡り(10)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

8月22日にお医者さまに診てもらったところ、例の足の怪我はほぼ完治で、次の通院まであと2週間、テーピングで固定しておけば良いという。
リハビリを兼ねて(笑)、翌23日は早速豊島八十八カ所巡りの続きに出掛ける。雲行きがちょっと気になるが、今回は都電荒川線沿線のお札所を巡る。

 

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札所55番 金輪寺

JR王子駅の北口を山側に出て、線路沿いの道を赤羽方向へ道なりに10分近く歩くと、王子稲荷の先に札所55番の金輪寺が見えてくる。JRの電車からも見える、「海草風呂」と書かれた銭湯の煙突が目印。

金輪寺は古義真言宗に属する真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は一字金輪仏頂。古くは関東古義派5カ寺の1つに数えられて数多くの支坊を持ち、王子稲荷神社の別当も務めていた古刹。境内の駐車スペースの横にある塀にはかつての支坊名が刻まれていて、往時を偲ぶことができる。王子稲荷の総門がお寺のような趣をしているのも、この兼ね合いだろう。
墓地の奥にある本堂は鉄筋コンクリートの堂々とした伽藍。2階部分にご本尊が祀られているようだが、通常は2階へ上る階段には柵がしてあって、階段の下でお参りする。

本尊に一字金輪仏頂を祀るお寺は極めて少ない。豊島八十八カ所ではここだけだし、本四国にも見当たらない。深い瞑想の境地に至った仏さま(如来)を神格化したもので、梵字1文字の「ボロン」を真言として唱えることから、「一字」の冠がついている。全ての仏さまの功徳を集約する、ありがたいご本尊で、その修法は極めて強力という。本堂に近づけないようにしているのも、このためなのだろうか。

こちらのお寺は月曜日が「定休日」。お参りのときはご注意を。
(金輪寺 東京都北区岸町1-12-22=2009年8月23日巡礼)

 

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札所75番 阿弥陀堂

金輪寺から王子神社の裏手を通り、札所75番の阿弥陀堂に向かう。目指すお札所は、北区役所本庁舎の裏手、同じ区役所の第4庁舎とマンションに挟まれた墓地の中にある。

阿弥陀堂はかつては札所75番・金輪寺の支坊の一つ「弥陀坊」だったところで、現在は金輪寺の境外仏堂となっている。真言宗霊雲寺派に属し、本尊は阿弥陀如来。豊島八十八カ所に2つある無住札所の一つである。無住札所がいずれも「阿弥陀堂」を名乗っているのも興味深い。

戦争の犠牲者を追悼する「平和地蔵」などがある墓地の中央部にある、一見普通の住宅にも見える建物がお札所である。扁額や石碑など、ここが豊島八十八カ所の札所であることを示す表示類は一切ないので、ちょっと戸惑うかもしれない。こちらは42番とは異なり、お留守番の女性がいらっしゃる。
金輪寺のご住職から、「お留守番の方に断って、お堂の外からお参りしてください」と言われていたので、ご挨拶をしようとお堂の玄関を訪ねると、「どうぞご本尊を拝んでいってください」とのこと。お言葉に甘えて中でお勤めさせていただく。

2階の仏間に祀られている金色に彩られた阿弥陀如来は、総高70センチくらいの堂々としたもの。西国霊場の1番札所・青岸渡寺の如意輪観世音菩薩の写し本尊や閻魔大王、かなり古い時代の作と思われる千手観世音菩薩も祀られている。

こちらの札所の納経は、55番金輪寺で扱う。先に金輪寺を訪ねて、お参りの仕方などを尋ねておいた方が良いだろう。
(阿弥陀堂 東京都北区王子本町1-5-17=2009年8月23日巡礼)

 

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札所68番 寶蔵院

王子から三ノ輪橋行きの都電に乗り、札所68番の寶蔵院を訪ねる。小台電停で都電を降り、そのまま隅田川のある北方向に道なりに歩き、「蓮華会館」の看板があるところから境内に入る。山門は反対側の細い路地に面して建っている。昔はこちらが本筋だったのだろう。

寶蔵院は和歌山県岩出市にある根来寺を本山とする新義真言宗のお寺で、本尊は虚空蔵菩薩。ガラス戸越しに本堂の中を覗くと、閻魔大王などを脇侍に祀っているようだ。境内には荒川区の保護樹木に指定されているイチョウの木がそびえる。10月16日には、収穫に感謝するお十夜の法要が行われるようだ。

お納経を頂こうと庫裏を訪ねると、息子さんなのだろうか、若いお坊さんが対応してくださる。奥に入ってしたためた朱印を、来客の相手をされていたご住職が確認してから納経帳を返してくださった。真面目そうな、最近では珍しい好青年である。こちらは、「荒川辺八十八カ所」の札所13番でもある。
(寶蔵寺 荒川区西尾久3-16-19=2009年8月23日巡礼)

 

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札所54番 華蔵院

寶蔵院から札所20番の地蔵寺に向かうが、法事が立て込んでいるご様子でお参りが叶わず、そのまま札所54番の華蔵院に向かう。直接訪ねる場合は、都電を宮ノ前電停で降り、そのまま北に歩くと分かりやすいだろう。

華蔵院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。鉄筋コンクリートの大きなお堂で、2階が本堂で、1階は客殿として使っているようだ。山門の脇には弘法大師像と、豊島54番と荒川辺11番であることを示す新しい石碑が建っている。

お納経は書き置き対応だったが、札番印は豊島と荒川辺の2つの弘法大師霊場を一緒にしたもの。札番の違う霊場を一つの札番印にまとめる例は珍しいが、両方ともお参りの人はそう多くはないだろうし、札番印を間違えないようにするにはこちらの方が合理的ということだろう。

華蔵院を出たところで夕立が降り始め、今回のお参りはこちらでお開き。
(華蔵院 荒川区東尾久8-46-2=2009年8月23日巡礼)

江戸観音巡りを再発願(3)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

8月15日は、坂東札所のお参りに併せ、京浜急行沿線にある江戸三十三観音のお札所を回ってきた。

30番一心寺→31番品川寺→番外・海雲寺の順にお参りする。
一心寺の御朱印の墨書きが前回のお参り時と違っているのに気づくが、ここは2パターンの御朱印があるようだ。納経の有無で分けているのだろうか…。

(2009年8月15日巡礼)

坂東三十三観音巡り(3)

お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

先の週末、15日と16日は坂東三十三観音と江戸三十三観音のお札所を回ってきた。

 

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札所13番 浅草寺(浅草観音)

今回のお参りは坂東の札所13番・浅草寺から。雷門に着いたのは10時過ぎだったが、既に結構な人出。

浅草寺は聖観音宗の本山に当たるお寺で、本尊は秘仏の聖観世音菩薩。でも、浅草寺の宗派とか本尊って、「知る人ぞ知る」の典型のように思うのは、私だけか。

今回も例によってお内陣に上げていただいてのお参り。この日は旧盆の法要があるせいか、いつもより内陣でのお参りが多いような気がする。お納経も江戸観音の時と同じく、影向(ようこう)堂で。こちらでもお坊さんがお経を上げていた。浅草寺には何度もお参りしているが、影向堂での法要は初めて見た。
(2009年8月15日巡礼=東京都台東区浅草2-3-1)
※浅草寺の公式ホムペはこちら

 

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札所14番 弘明寺

浅草から都営浅草線と京浜急行を乗り継いで、札所14番の弘明寺へ。経路上にある「江戸三十三観音」の3つのお札所にも、途中下車してお参りする。

弘明寺は高野山真言宗のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。
駅を出ると程なくお堂の屋根が見えるのだが、すり鉢の底のような場所に山門があり、結構歩かされる。知名度の高いお寺だし大伽藍を想像していたのだが、境内の広さもお堂の大きさも21番日輪寺くらいか。

こちらはお内陣でお参りするのは拝観料300円が必要とのことで、納経料とは別にお納めして中でお勤めさせていただく。本尊の十一面観音は行基作といわれ、鉈の彫り目が残る木像。国の重要文化財に指定されている。ちょっと優しそうな表情が印象的だ。

本堂には来春に行われる、近隣の薬師霊場のご開帳を知らせるポスターが張ってあった。来年は寅年で、私の住まいの近所の薬師霊場でも御開帳があるはずだ。

駅に戻る途中、見知らぬ年配の女性から「巡礼ご苦労さまです」と声を掛けられる。おいずる姿で回っているせいだろうが、何となく嬉しくなる。
(2009年8月15日巡礼=神奈川県横浜市南区弘明寺町267)

 

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札所1番 杉本寺(杉本観音)

まだ時間があったので、金沢八景でバスに乗り換え、札所1番の杉本寺にもお参りする。

杉本寺は天台宗のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。拝観料200円を払って境内に入る。日が傾きかけた時間だったが、そこは観光地・鎌倉のこと、結構な人出。長い石段で知られるお寺だが、本堂付近は回り道をするように指定されている。

源頼朝との関係ゆえか、禅宗のような簡素な造りの茅葺きの本堂には、行基、慈覚、京心の3師がそれぞれ作ったとされる、本尊の十一面観音が祀られている。拝観料にはお内陣の分も含まれているようなので、納経所の方に一言断ってから、入堂してお勤めさせていただく。せっかく拝観料を払っているのに、本堂の前で手を合わせて帰る人が目立つ。何か勿体ないような気がするのは、私だけか。

ちなみに、こちらのお姿は3体1組での授与。従ってお姿代は300円。私のように納経料やお姿代をあらかじめポチ袋に入れてお参りする人は、十分御注意を。
(2009年8月15日巡礼=神奈川県鎌倉市二階堂903)

 

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札所15番 長谷寺(白岩観音)

翌16日は、先日買ったカーナビのテストも兼ね、群馬県内のお札所を回る。

最初にお参りした札所15番の長谷寺(ちょうこくじ)は金峯山修験本宗のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。

駐車場から直接本堂の前に出られるようになっているが、ちょっと遠回りして山門からお参りする。すると、山門を入ってすぐ、右側に朱塗りの鐘楼が目に入ってくる。100円納めると鐘を撞けるようなので、1回撞かせていただく。坂東札所では初めての体験で、力の加減を誤っていい音が出なかったw

このお寺は拝観料200円をお納めすると、入堂してお勤めができる。修験道のお寺ということもあってか、本堂の内部はどことなく神社の雰囲気も漂う。心ゆくまで観音さまを拝みながらお勤めさせていただいた。

参拝後、お納経をしながらご住職から修験道のお話をいろいろ伺う。戦前は苦難の歴史が続き、天台宗に属していたのだとか。現在の宗派名「金峯山修験本宗」にピンと来ない向きも多いだろうが、御本山は桜で有名な吉野山にある金峯山寺と言えば、分かっていただけるだろうか。
(2009年8月16日巡礼=群馬県高崎市白岩町448

 

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札所16番 水澤寺(水澤観音)

続いて札所16番の水澤寺に向かう。広い駐車場に車を止めてから、門前のうどん屋さんで昼食を取る。まあ、ここまで来て名物の「水沢うどん」を食べぬ手はない。

水澤寺は天台宗の寺院で、本尊は千手観世音菩薩。
伊香保温泉の近くにあるせいか、境内は浅草寺並みの結構な人出。こちらでも鐘が撞かせていただいてからお参りする。私の後に撞いた人は「戻り鐘」のようにも思えたのだが、教えてあげた方が良かったのだろうか。

こちらはお願いすると入堂してお参りできることもあるようだが、この日は祈祷の予定が立て込んでいて、外からのお参り。あまりに人出が多いので、脇に寄ってお経を上げる。

本堂の横には、お地蔵様を祀る「六角堂」がある。京都の有名寺院と同じく六角形をしているのだが、こちらのお堂は六地蔵を祀る部分が回転するようになっていて、左回りに3周してお参りすると願いが叶うのだとか。私もお地蔵様の真言と願い事を交互に唱えながら、六地蔵を3回転させてお参り。子どももはしゃぎながらお地蔵様を回している。子どもの目には、「石でできた仏さまが乗ったメリーゴーランド」にしか見えないのだろうが、もともとお地蔵様は子どもの守り本尊だから、これが自然な姿なのかもしれない。

無料拝観中の釈迦堂では「東上州観音霊場」のガイド本を入手。機会があればお参りしたい。
(2009年8月16日巡礼=群馬県渋川市伊香保町水沢214)
※水澤寺の公式ホムペはこちら

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