御朱印

豊島八十八カ所巡り(17)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

8日の日曜日は、例によって豊島八十八カ所の巡礼に出掛けてきた。今回は、日暮里・田端周辺のお札所にお参り。

 

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札所5番 浄光寺

JR日暮里駅を出て、まずは札所73番の養福寺に向かうが、あいにく法事の真っ最中。お参りをあきらめすぐ近くの札所5番・浄光寺にお参りする。

浄光寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。日暮里駅から西日暮里駅にかけて、JRの線路沿いに寺社が密集する地帯の中心に位置している。開基は定かではないが、鎌倉時代末期の武将・豊島左衛門尉経泰が、信州の諏訪大社から勧請した諏方神社の別当として創建したという伝承も残る古刹である。

境内に入ると、すぐ左側に高さ3メートルほどの、銅製の大きなお地蔵さまが祀られている。こちらは、「江戸最初の六地蔵」の3番札所として知られている。一般的に知られる江戸六地蔵は1708(宝永5)年に地蔵坊正元が発願し、主要な街道筋に建立されたものだが、浄光寺が属する六地蔵はそれより古く、1691(元禄4)年に開創されたものだが、こちらは現存するものが少なく知られているとはいえない。

荒川区地籍といえ、このあたりは一般的には“谷根千”の一角として認知されている地域。私がお参りしている間も、カメラを持った観光客の姿が目立った。
(浄光寺 東京都荒川区西日暮里3-4-3=2009年11月8日巡礼)

 

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札所56番 与楽寺

浄楽寺からJRの線路に沿うように田端方向に進み、札所56番の与楽寺に向かう。直接向かうなら、JR田端駅から歩いて5分ほど。

与楽寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は地蔵菩薩。弘法大師がこの地に寺院を建立したのがお寺の始まりと伝えられる。元々はこの周辺の本寺格で、広い境内や通りから延びる長い参道に往時の面影が残る。

本尊のお地蔵さまは弘法大師作と伝えられ、「賊除け地蔵」として親しまれている。はるか昔、与楽寺に賊が押し入った時、どこからともなく何人もの僧侶が出てきて賊の侵入を防いだ。その翌朝、本尊のお地蔵さまの足が汚れているのが見つかったことから、「賊除け地蔵」と呼ばれるようになったとされる。その時以来、本尊は秘仏になっている。

このお寺は江戸六阿弥陀の札所4番となっているほか、豊島霊場と同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。多くの霊場の札所を兼務しているのも、歴史と格式ゆえか。
(与楽寺 東京都北区田端1-25-1=2009年11月8日巡礼)

 

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札所66番 東覚寺

与楽寺からいったん田端駅に出てランチ。その後は坂を下り札所66番・東覚寺に向かう。お正月に谷中七福神巡りで訪れたお寺だ。

東覚寺は真言宗豊山派で、本尊は不動明王。1491(延徳3)年、現在の千代田区万世橋付近に真言宗御室派の僧、源雅和尚が不動明王を勧請して寺を興し、慶長年間(1596~1615)の初めに現在地に移ってきたとされる。最近、道路工事に伴い境内は装いを一新した。

このお寺は、病気平癒にご利益のある「赤紙仁王尊」として有名だ。山門の脇にある不動堂の前に立つ2体の金剛力士像には、びっしりと赤い紙が張られている。病気に悩む人が、体の悪い所と同じ部分に赤い紙を張り、病気が治るとわらじを奉納する風習は現代にも受け継がれている。近隣の酒店では、「赤紙仁王尊」と名付けられた清酒も取り扱っている。

谷中七福神の福禄寿のほか、豊島と同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。正月には七福神巡りの人でにぎわうが、来年(2010年)からは七福神の御開帳は期間が短くなり、1月10日までになるのでご注意を。
(東覚寺 東京都北区田端2-7-3=2009年11月8日巡礼)

 

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札所9番 光明院

東覚寺から、赤紙仁王通りを駒込方面に歩き、札所9番の光明院に向かう。歩いて5~6分の近さだが、山門が通りからかなり奥に入った所にあり、参道の入り口が見つけ辛いので要注意だ。JR駒込駅から直接訪ねる場合は歩いて7~8分ほど。

光明院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は大日如来。詳しい開基は不明だが、1591(天正19)年の検地記録に白髭神社別当としてこのお寺の名前があり、少なくとも四百数十年の歴史を刻んでいることになる。

境内はかなりの広さだが、樹木が植えられお庭になっている部分はわずか。大半はお寺が経営している幼稚園の運動場として利用されているようだ。現在の伽藍は本堂と庫裏だけだが、1945(昭和20)年4月に戦災で焼失する前は、観音堂や薬師堂があったという。

庫裏でお納経を頂くと、豊島の札番印のほかに「滝野川寺院めぐり第5番」の印も押してある。応対してくださった奥様に伺うと、地元の滝野川仏教会が1993年に開創した霊場で、豊島56番でもある与楽寺から同12番の寿徳寺まで16カ寺を巡礼するのだという。私が昨年巡礼した行田救済菩薩霊場と同じような趣旨の霊場だが、滝野川の場合は日蓮宗や浄土真宗の寺院も加わっており、多彩な宗派により成り立っている点が興味深い。真宗系の寺は朱印を断るケースが多いのだが、札番印が存在するところを見ると真宗寺院でも納経は可能なようだ。機会を見て訪れたい。
(光明院 東京都北区田端3-21-5=2009年11月8日巡礼)

 

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札所21番 大龍寺

光明院から、今回の打ち納めとなる札所21番・大龍寺に向かう。光明院からは歩いて数分で、JR駒込駅からは徒歩10分弱だ。

大龍寺は湯島に本山がある真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は両部大日如来。慶長年間(1596~1615)に新義真言宗の「不動院浄仙寺」として創建され、安永年間(1772~80)に現代の名前に改め、霊雲寺派に属するようになったと伝えられる。現在の本堂は平成に入ってから建て替えられたもので、鉄筋コンクリートの堂々とした伽藍である。

このお寺の境内には俳人・正岡子規の墓があり、現在でもお参りする人が絶えない。墓地には子規のほか、陶芸家として初めて文化勲章を受けた板谷波山や柔道家の横山作次郎ら、多くの著名人が眠っている。ちなみに大龍寺は毎週月曜日が「定休日」になっている。お参りの時はご注意を。

(大龍寺 東京都北区田端4-18-4=2009年11月8日巡礼)

江戸観音巡りを再発願(9)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

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7日の土曜日は、江戸観音巡りに出掛けてきた。

今回は22番長谷寺(麻布大観音)を振り出しに、24番梅窓院(外苑前)→32番世田谷観音→33番目黒不動尊の順でお参りする。

家を出たのが遅かったのに加え、32番では地元美術館の団参と遭遇。ご住職から縁起を聞けたのは良かったが、時間を取られた…やっぱり32番は江戸観音有数の難所だw

納めの札所となる目黒不動尊に着いたのは3時半過ぎ。江戸観音の納経時間は札所会の申し合わせで4時までのはずで、慌ててお参りする。前回もそうだが、お参りを終えて納経帳に結願印を押していただくときの感動は格別。今後も精進しなければと改めて誓い、目黒不動尊を後にした。

豊島八十八カ所巡り(16)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

今年も早いもので、もう11月。1日の日曜日は豊島八十八カ所のお札所を回る。今回は北区内を中心に、4カ寺にお参りしてきた。

 

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札所47番 城官寺

JR上中里駅の南口から高台方向に向かう道を進むと、左側に札所47番・城官寺の山門が見えてくる。

城官寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。江戸時代には道を挟んで向かい合う平塚神社の別当を務め、鍼医だった検校の山川城官や名医を輩出した多紀家と縁が深いお寺だ。境内にある多紀一族の墓は、都の史跡に指定されている。

お勤めをしようと本堂の前に進むと、「愛染明王拝観の方は寺務所まで」という張り紙がある。本尊は阿弥陀如来のはずだし、「?」と思いながら勤行を始めると、お寺の方が本堂の戸を開け、「中でお勤めしてください」と声を掛けてくれた。お言葉に甘えて本堂に上がると、先ほどの疑問は氷解。本堂の左側に、客仏のような形で愛染明王がお祀りされていた。
何でも、この秋に出たばかりの首都圏の仏像を紹介したガイド本にこの愛染明王が紹介され、それからお参りの人が絶えないのだそうだ。愛染明王は男女の仲に御利益のある仏さまだし、婚活の願掛けということか…きっと女性のお参りが多いのだろうな。愛染明王の隣には、一見マリア観音のようにも見える聖観世音菩薩の陶像が祀られている。東京芸大の教官を務めていた、日本の陶彫の第一人者・沼田一雅氏の作で、手の部分には戦災で焼けた浅草寺の灰が使われているという。近くで見せていただくと、確かに手の部分が灰色がかっている。

ちなみにこの本、豊島の発願札所・安養院をはじめ、豊島のお札所がいくつか紹介されている。ただ、説明の中に「豊島八十八カ所」の文字が一つも出てこないのは、巡礼者としては少し寂しい。同じ札番で御府内八十八カ所の札所を兼ねている。
(城官寺 東京都北区上中里1-42-8=2009年11月1日巡礼)

 

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札所53番 不動院

予定では城官寺の次に59番・無量寺にお参りする予定だったが、法事が立て込んでいるご様子でお参りは遠慮。近くの札所53番・不動院に向かう。

不動院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。今から400年ほど前の開基とされ、岩槻街道に近かったこともあり、江戸時代には将軍が鷹狩りをするときの休息所に指定されていたという、格式があるお寺だ。

伽藍はモダンな鉄筋2階建て。2階部分が本堂になる。その本堂へ上がる階段や山門の脇には、まだ新しい「碁」と書かれた黒御影の石柱が建つ。お寺で囲碁の会を催しているのだろうか。伽藍の正面には観音さまの石像が祀られ、その前に香炉が設えてある。2階の本堂の前には何もなく、「日常のお参りはこちらで」ということだろう。本尊のお不動様は護身や泥棒除けに霊験があることで知られている。

無量寺から不動院に向かう途中にある曹洞宗の昌林寺は、江戸六阿弥陀の番外「木残り観音」を祀る。時間に余裕がある向きは、こちらにお参りするのも面白い。
(不動院 東京都北区西ケ原3-23-2=2009年11月1日巡礼)

 

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札所62番 西福寺

続いては駒込にある札所62番・西福寺へ。歩いてみて分かったのだが、西ケ原から駒込までは案外近い。道を探しながらだったが、20分掛からなかった。

西福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。開基の時期は定かではないが、境内にある豊島区教委の解説板によれば、江戸時代には駒込の地に存在していたという。

このお寺のある辺りはかつては染井村と呼ばれ、植木栽培が盛んだった土地。日本の桜を代表する品種「ソメイヨシノ(染井吉野)」の生まれ故郷として知られる。山門の脇には「染井吉野の里」の石碑が建ち、歴史を伝えている。境内にはソメイヨシノの育成者とされる伊藤伊兵衛政武の墓地があり、都の史跡に指定されている。ソメイヨシノは「東京都の花」でもあるが故か。

お納経などを扱う寺務所の中には、江戸時代末期から明治時代初期にかけての一帯の様子を描いた絵地図が掲げられている。道沿いに桜が途切れることなく植えられていて、西福寺の境内は一面の桜で覆われている。花の時期には、吉野山のように美しい光景が広がっていたことだろう。境内では現在でも、桜の花を楽しむことができる。
(西福寺 東京都豊島区駒込6-11-4=2009年11月1日巡礼)

 

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札所36番 薬王院

駒込からJR山手線と西武新宿線を乗り継ぎ、下落合駅最寄りの札所36番・薬王院へ向かう。

薬王院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。鎌倉時代の中期、源頼朝が深く帰依していた願行上人の開山と伝えられている。

「東長谷寺」の寺号を持つこのお寺は、本山の奈良・長谷寺と同じく花のお寺として知られている。とりわけ有名なのが牡丹で、1966(昭和41)年に長谷寺から移植されたのに端を発し、現在では約40種の牡丹が咲き競う、都内有数の牡丹の名所だ。開花時期には多くの見物客でにぎわう。このほか、梅や枝垂桜の花も見事で、首都圏にある100余りの花寺でつくる「東国花の寺」2番札所にもなっている。できれば、花の時期にお参りしたいものだ。

本堂も長谷寺を模した、舞台様式の伽藍。通常は寺務所のから見上げるような形でお参りするようだ。
同じ札番で御府内八十八カ所の札所を兼務する。
(薬王院 東京都新宿区下落合4-8-2=2009年11月1日巡礼)
※薬王院の公式ホームページはこちら

江戸観音巡りを再発願(8)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

3日の文化の日は、江戸三十三観音のお参りに出かけてきた。

今回は虎ノ門の20番・天徳寺を振り出しに、28番・金地院→21番・増上寺→26番・済海寺→25番・魚籃寺→27番・道往寺→29番・高野山東京別院の順番でお参り。

増上寺だが、大普請の関係で納経所の場所が変わっている。三門の脇にあるプレハブ造りの建物で、札所の西向観音からは結構距離がある。またスペースの関係で混雑が激しいので、お参りには時間の余裕を持って。

次回で結願にしたいのだが、「難所」で有名な例のお寺が残っているので、首尾よくいけるかどうか(笑)。

豊島八十八カ所巡り(15)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

24日の土曜日は、江戸観音巡りに併せて豊島八十八カ所にもお参りしてきた。今回は豊島区と新宿区のお札所を1カ所ずつお参りする。

 

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札所78番 東福寺

最近装いを一新したJR大塚駅の改札を出て、「天祖神社」の鳥居がそびえる南口に出る。駅舎を出てすぐ左側のパチンコ屋の所に「大塚三業通」の看板が出ているが、その通りが札所78番・東福寺への道だ。
かつての花街の名残なのか、連れ込み系ホテルが目立つ道を進むと、東福寺への看板が見えてくる。急な石段の上にある山門は閉じられているが、その右側にある車道を通ってお参りできるようになっている。

東福寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらの本堂は入り口が自動ドアになっていって、靴を履いたまま本尊を拝めるようになっている。バリアフリーを取り入れた様式で神社ではたまに見かける構造だが、街中のお寺でもこういう様式を目の当たりにするのは初めてだ。もちろん、中に入って御本尊を見ながらお勤めさせていただいた。

このお寺は当初は小石川方面にあったものが、元禄年間に今の場所に移ってきたとされる。山門に向かう石段の脇にある「疫牛供養塔」は明治43年の建立で、豊島霊場とほぼ同じ歴史を刻んでいる。現在では想像もつかないが、当時はこの周辺には酪農家が多く、病気で死んだ乳牛を供養するために建てられたという。その塔に刻まれる「牛乳搾取業」の文字も歴史を感じさせる。
(東福寺 東京都豊島区南大塚1-26-10=2009年10月24日巡礼)

 

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札所24番 自性院

江戸観音12番の傳通院と同16番の安養寺(神楽坂聖天)にお参りしてから、豊島八十八カ所の札所24番、自性院に向かう。

都営地下鉄大江戸線の落合南長崎駅から新青梅街道を哲学堂方面に向かうと、左側に自性院の通称である「猫地蔵堂入口」の看板や招き猫の石像が見えてくる。真言宗豊山派のお寺で、本尊は来迎阿弥陀如来。

自性院には2体の猫地蔵が祀られている。一つは、1477(文明9)年ごろの「江古田ヶ原の戦い」で、この近くにあった豊島城を攻め込んでいた太田道灌が道に迷い、自性院まで猫に導かれここで一夜を明かし、戦に勝利したことから、その猫の死後に奉納したもの。いわゆる「道灌招ぎ猫」伝説で、今は“婚活のお宮”として有名になった浅草の今戸神社や世田谷の豪徳寺とともに招き猫発祥の地とされる所以である。

もう一つの猫地蔵は、江戸時代中ごろの名和年間、ある貞女の死を悼んだ人が1体の猫の顔をしたお地蔵様をこの自性院に奉納したことに由来する。

猫地蔵尊は2体とも秘仏で、毎年の節分会の折に御開帳となる。最近は猫好きの人の参拝が多いようだ。
(自性院 東京都新宿区西落合1-11-23=2009年10月24日巡礼)

江戸観音巡りを再発願(7)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

24日の土曜日は、豊島八十八カ所のお参りに併せて、近くの江戸三十三観音12番の傳通院と16番の安養寺にお参りしてきた。

16番では今回も湖東三山の名刹出身の奥様が、境内の仏様などをくまなく案内して下さり、感激もの。22番の麻布大観音もそうだが、都内にも立派な仏さまがあちこちにあって、その多くは容易に拝観できること、あまり知られていないんだよな。かく言う漏れも、江戸三十三観音巡りをして初めて分かったクチだが…。

諸般の事情で江戸札所と坂東札所のお参りのペースを上げなくてはいけなくなったので、来週も気合を入れて回る。

(2009年10月24日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(14)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

11日の日曜日は、豊島八十八カ所のお札所に巡ってきた。今回は、北区と板橋区のお札所を回る。

 

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札所45番 宝幢院

JR赤羽駅の大宮寄り改札から東口に出て、京浜東北線の高架に並行する、夜は妖しいネオンが輝いていそうな通りを荒川・大宮方向(北向き)に進む。 7~8分ほど歩いてT字路に突き当たったところが、札所45番の宝幢院(ほうどういん)である。

宝幢院は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。室町時代の1461(寛正2)年の開山と伝えられ、当初は現在の船渡二丁目付近にあったが、水害を避けるため現在地に移転したとされている。

住宅や商店が混在する一帯にあるお寺で、境内は広いもののこざっぱりとした感じで、豊島霊場のお札所としてはやや殺風景な部類に入るだろうか。六地蔵やお不動様が、それぞれ独立した小さなお堂に祀られている。

山門の左脇には、江戸時代中期に建立されたという道標の石柱が残り、「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国冨士道 板橋道」「南 江戸道」の文字を読み取ることができる。「川口善光寺」とは、現在は荒川のスーパー堤防上に建つ足立坂東観音霊場の24番札所・善光寺のことで、当時は参拝者や巡礼者で賑わっていたようだ。現在の歓楽街は、かつて信仰や祈りの道だったということか。皮肉なものである。
(宝幢院 東京都北区赤羽3-4-2=2009年10月11日巡礼)

 

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札所37番 大満寺

続いて札所69番の真頂院を訪ねるが、法事の真っ最中でお参りは遠慮。すぐ近くの札所37番・大満寺にお参りする。宝幢院からも目と鼻の先で、直接訪ねる場合は地下鉄南北線・埼玉高速鉄道線の赤羽岩淵駅3番出口の真裏になる。真言宗智山派のお寺で、本尊は大日如来。

「四国八十八ヶ所 三十七番写」と記された、明治35年に建てられた石柱が残る山門をくぐると、正面に立派な不動堂が目に入ってくる。本堂は山門から見て左側ほぼ直角の位置にあるが、通常のお参りは不動堂の方で行うようだ。成田山から勧請したお不動さまで、「岩淵不動尊」の愛称で親しまれている。不動堂のそばには本四国の「手かざし霊場」がある。弘法大師像を取り囲むように設けられた、本四国霊場各札所の銘板に 張られた点字に手をかざしてお参りすると、お四国の札所を巡礼したとの同じ功徳が得られるという。

こちらのご住職は占いへの造詣が深く、真言密教に基づく運勢判断もしている。毎月28日のお不動さまの縁日に占ってもらえるそうだ。
(大満寺 東京都北区岩渕町35-7=2009年10月11日巡礼)
※大満寺の公式ホームページはこちら

 

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札所25番 常楽院

赤羽駅に戻り、ときわ台駅行きの国際興業バスで札所25番の常楽院に向かう。地下鉄利用なら、都営三田線の志村坂上駅から歩いて15分ほどか。

常楽院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。室町時代末期、熊野神社の別当として草庵が結ばれたのを開基としている。

住宅街の中にあるお寺だが境内は広く、幼稚園や多目的ホールなども運営。1938(昭和13)年には境内や周辺から弥生式土器が数多く出土し寺で保存していることから、「土器寺」の愛称で親しまれている。フリーマーケットなど、地域と一体になった行事を手掛ける寺院の先駆けとしても知られる。境内には桜の木がたくさん植えられていて、花の時期は壮観なことだろう。その時はお寺でコンサートなどのイベントが盛大に行われるという。

こちらの隠れた名物が、掲示板の標語。有名人の言葉や幼稚園児がふと漏らした一言など、読んでいて思わず頷いたり、ニヤリとさせられる言葉が掲示されている。ユニークなものが多いので、お参りの折はぜひ御一読を。
(常楽院 東京都板橋区前野町4-20-8=2009年10月11日巡礼)
※常楽院の公式ホームページはこちら

 

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札所14番 長徳寺

常楽院から首都高速池袋線の側道を歩いて、札所14番の長徳寺に向かう。都営地下鉄三田線の本蓮沼駅からは歩いて7~8分だ。

長徳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。1190年ごろに中興されたという記録が残っている、歴史のあるお寺である。

山門をくぐろうとして驚いたのが、写真にあるように豊島霊場の札所であることを示す立派な看板が建っていること。多くの札所では苔むしたり風化が進んだりして判読が難しくなっている石柱が建つのみだが、豊島霊場の歴史を後世に伝えていこうというお寺の意気込みの表れか。境内に入ると、上部が3分の1ほど欠けている、豊島霊場の石碑が残る。このお寺は戦災に遭っているので、その時に欠けてしまったのだろう。

戦後、お寺を再建するときに岩手県平泉の中尊寺にあった阿弥陀如来の木像を勧請した。板橋区内でも有数の古い仏像とのことで、現在は区の有形文化財に指定されている。
(長徳寺 東京都板橋区大原町40-7=2009年10月11日巡礼)

 

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札所34番 南蔵院

長徳寺から路地のような道をたどって、国道17号(中山道)沿いにある札所34番の南蔵院へ向かう。 都営地下鉄三田線の本蓮沼駅が最寄りで、歩いて5分ほど。

南蔵院は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。中山道から鉄筋コンクリートのモダンな本堂に向かって参道が延びる。山門の脇に豊島八十八カ所の札所34番であることを示す石柱が建ち、その向かいには豊島八十八カ所の起源の一つとされる「豊島二十一カ所」の札所4番の石柱が残る。古くから弘法大師霊場として親しまれたお寺のようだ。

境内は桜がたくさん植えられ、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が「櫻寺」と名付けたのも頷ける。現代ではその見事さから、区が選定する「板橋十景」の一つになっている。桜の時期にはいろいろなイベントが催されるという。境内には不動堂もあり、関東三十六不動尊の札所12番を兼ねている。不動堂での護摩法要は毎月28日。
(南蔵院 東京都板橋区蓮沼町48-8=2009年10月11日巡礼)
※南蔵院の公式ホームページはこちら

 

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札所31番 普門院

中山道を巣鴨方向に進み、都営地下鉄三田線の本蓮沼駅の所で左折して、今回の打ち納めとなる札所31番・普門院に向かう。途中で西が丘サッカー場の脇を通るが、天皇杯の最中で歓声がすごい。

普門院は真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。1367(徳知2)年の創建とされる。直接訪ねる場合は、JR赤羽駅の西口から歩いて7~8分。

このお寺の見所は、山門(鐘楼門)をはじめとする、ユニークな建築物の数々。昔のトンネルのような石造りの山門の上に中国風の鐘楼が乗っている風変わりな門は、高架線をゆくJRの電車からもよく見える。その山門を抜けると、インドのブッダガヤにある仏塔をモデルにしたという、背の高い納骨堂がそびえ立つ。山門左側にある本堂兼庫裏は垢抜けた感じの西洋風の趣で、私たちが持っている「お寺」の概念を完全に打ち壊すかのような境内の風景だ。静岡県富士市出身の当管理人は、「吉原の毘沙門天」こと妙法寺の境内風景を思い出した(リンク先は「珍寺大道場」)。
わずかに開いている本堂の扉越しに内部を拝むと、かなり大きな本尊の聖観世音菩薩が見える。やはり、ここはお寺なのだと実感。

庫裏へ納経に伺うと、玄関脇に掛けられていたのれんは、観音様が横になって休んでいる絵柄。根来寺の名前が入っていて、ご住職によれば「頂き物です」とのこと。写真でお見せできないのが残念だが、ちょっと珍しい絵柄だ。
(普門院 東京都北区赤羽西2-14-20=2009年10月11日巡礼)

江戸観音巡りを再発願(6)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 江戸三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

10日の土曜日は、江戸三十三観音のお札所を回ってきた。

今回は、23番大圓寺→10番浄心寺→8番清林寺→9番定泉寺→11番圓乗寺の順にお参り。

お寺の方が不在のことが多く、「隠れた難所」ともいわれた11番は新たなご住職が着任された様子だ。奥様らしい女性が納経所にいらっしゃり、本堂には「晋山祝い」と書かれた花が飾られていた。納経のために11番に何度も足を運ぶケースは、少なくなりそうである。

(2009年10月10日巡礼)

坂東三十三観音巡り(4)

お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

10月4日の日曜日に、久しぶりとなる坂東札所巡礼に出かけてきた。

 

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札所18番 中禅寺(立木観音)

宇都宮日光道路に入ったあたりから雨が降り出してきたが、いろは坂を過ぎ中禅寺湖畔まで来ると雨は上がっていた。標高が高いだけあって、長袖シャツ1枚+袖なし笈摺という格好ではさすがに肌寒い(笑)。
札所18番の中禅寺は日光のシンボル的なお寺だけあって、観光客の姿が目立つ。

山門をくぐると鐘を撞けるようになっているので、志納金を箱の中に入れ、撞かせていただいてからお参り。担当のお坊さんが付いて境内を案内してくださる。こちらは天台宗のお寺で、本尊の千手観世音菩薩は、日光の地を開山した勝道上人が桂の立木を使って彫り上げたと伝えられることから、「立木観音」の別名を持つ。素朴さが滲み出る、やさしいお顔だ。

こちらでは、私と同じような格好で巡礼しているご夫妻と一緒になった。大阪から来られているそうで、すでにお四国のほか西国や秩父も回られたとか。
坂東の札所を回っていると、関西から来た人によく出会う。信心は向こうの人の方が厚いのだろうか。

(2009年10月4日巡礼=栃木県日光市中禅寺歌ケ浜2578)
※中禅寺公式HPはこちら

 

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札所19番 大谷寺(大谷観音)

山を下りて、札所19番の大谷観音に向かう。こちらも観光客で結構な人出。 お坊さんがガイドしてくれるのも、中禅寺と同じである。大谷観音は天台宗のお寺で、本尊は千手観世音菩薩。大谷石を刻んだ上に朱を塗り、細部を粘土で飾って仕上げた、国内でも珍しい仏さまである。お寺の堂宇が、大谷石の洞窟にめり込むように建っているのも珍しい。

参拝を終えると、お世話になっている金剛院のご住職のブログで紹介されていた平和観音にもお参り。像高88尺8寸8分(26.93メートル)というから、奈良の長谷寺、東京なら永平寺別院の大観音の2倍以上の大きさ。その迫力を味わってから、次の札所に向かう。

(2009年10月4日巡礼=栃木県宇都宮市大谷町1198)

 

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札所20番 西明寺(益子観音)

札所20番の西明寺に着いたのは、お昼を少し過ぎてから。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。

中禅寺や大谷寺とは打って変わって、山寺の風情があふれる境内は静かで、ゆったりした時が流れているようである。こちらの方が坂東のお札所に似つかわしいと思うのは、私のわがままだろうか。
両脇に坂東各札所の写しの石仏が並ぶ石段を上ると、本堂からお経の声が聞こえてくる。月例の護摩法要の真っ最中だったが、入り口にいらっしゃった檀家総代の方のご厚意で中に入れていただくことができた。私も護摩木を供えて、お勤めさせていただく。護摩法要に参列するのは坂東のお札所では初めてで、それ以外を含めても2回目。ちょっと緊張する。

こちらのご住職は、がんセンターの勤務経験もあるお医者様でもある。終末期医療に力を入れている診療所や介護施設を運営していることで知られる。このお寺の見所の一つ、「笑う閻魔さま」との縁を感じるのは、私だけか。
(2009年10月4日巡礼=栃木県益子町大字益子4469)
※西明寺公式HPはこちら

江戸観音巡りを再発願(5)

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26日の土曜日も、豊島八十八カ所の巡礼に引き続いて江戸三十三観音にもお参りする。

今回は4番・回向院に出かけてきた。この秋、両国一帯では「ぶらり両国街かど展」というイベントが行われていて、回向院では本堂内のロビーで、このお寺の歴史を紹介するパネル展が行われている。
回向院で相撲や出開帳が行われていたのは知っていたが、昔はその他の催し物もたくさん開かれていて、回向院が「文化ホール」の役割を担っていたのが分かる。

個人的に興味があったのは、「屁ひり男の見世物」。このブログにあるような内容だったのか。見てみたいのは山々だが、こういう芸を現代の日本で上演した日には間違いなくアレのお世話になる。

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