観音霊場

武蔵国三十三観音巡り(その15)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡りの続きである。

28番札所 西方 五郎兵衛屋敷

しばらくの間、越谷市内の札所巡りが続く。27番さんを出てすぐ元荒川を渡り、28番札所の五郎兵衛屋敷さまに向かう。札所自体にもわずかな駐車スペースはあるようだが、納経帳兼ガイドブックの勧めに従い、大聖寺さまの駐車場に車を止めてお参りする。
札所名に「屋敷」の文字が入っているが、現在は地区の集会所然とした建物で、その中で札所本尊の正観世音菩薩が御開帳されている。札所自体は通りから奥まった場所にあるが、近くの大きな交差点に派手な看板が掲げられていたのと、路地の入口にはお約束の御開帳の幟が立ち、道に迷うことはなかった。

こちらでは、お接待に握り飯をいただいた。よく考えたらきちんと昼飯を食べずにお参りしていたので、このお接待はありがたい。きちんとお礼のご挨拶をして、次にお参りする番外さんに向かった。

(真言宗豊山派 越谷市相模町6丁目・番場自治会館)

番外札所 大聖寺境外観音堂

続いて、大聖寺さまの本坊を挟んで反対側にある、番外札所の大聖寺さまの境外観音堂に向かう。
大聖寺さまは、「大相模不動尊」という通称で地域から親しまれている。天宝勝宝2(750)年に開かれた歴史ある寺院で、徳川家康とのかかわりが深いことでも知られている。
札所本尊十一面観世音菩薩を祀る境外観音堂は本坊から数百メートル西に行った場所にあり、普段は地域の方が管理されているようだ。これまでは非公式番外という位置付けだったが、今回の御開帳からは霊場会公認の番外札所として位置づけられるようになったという。

お参りに訪れると、地域の方が集まり、堂守をしながらささやかな宴を開いているところだった。私は車で回っているのでお酒は勘弁していただいたが、非公式番外時代のことを含め、いろいろと興味深いお話を聞くことができた。
非公式番外は多くの場合ガイドブックなどでも扱われず、余所者にはその存在をつかみずらい。最近になって分かったことだが、この春に御開帳を行った葛飾坂東霊場でも、実は数カ所非公式番外があるのだという。

(真言宗豊山派 越谷市相模町6丁目)

武蔵国三十三観音巡り(その14)

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武蔵国三十三観音巡りの続き。

27番札所 越谷 天岳寺境外観音堂

26番さんを出て、越谷市内に向かう街道を進み、27番札所となっている天岳寺さまの境外観音堂に向かう。
札所となっている観音堂は、天岳寺さまの本坊とは少し離れた、日光街道から東に入った場所にある。札所本尊は正観世音菩薩である。

こちらの札所は駐車スペースがほとんどなく、近くの路上に車を止めてのお参り。余地はあるが何分越谷の市街地だし、警察の巡回でもないかと冷や冷やしながらお勤めをさせていただいた。

納経帳には、「子育聖観世音菩薩」の印が押されていた。由来は聞き漏らしてしまったが、子育てに霊験のある観音様として地域の信仰が厚いのだろう。

(浄土宗 越谷市越ヶ谷5丁目)

武蔵国三十三観音巡り(その13)

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武蔵国三十三観音巡りの続き。

25番札所 赤井 円通寺

24番さんからは、しばらく川口市内のお札所が続く。いったん首都高川口線の側道に戻り、新郷の交差点を左折して25番札所の円通寺さまに向かう。
地図ではよく分からないが、お寺のある辺りはちょっとした丘のようになっていて、境内にたどり着くまでは狭い道を結構上る必要がある。私などは軽自動車で回っているからさして問題ないが、歩きや自転車で回られている方や、バスを使った団参の方には難所寺の一つといえるのではないだろうか。

札所本尊の正観世音菩薩は本堂でご開帳されている。かつては真言宗の寺院だった由だが、寛文年間に曹洞宗寺院として再興され現在に至っているという。境内の佇まいは禅宗の寺院そのものだ。

駐車場の向こうにそびえたつ鉄塔は、文化放送の送信所だという。埼玉県内にはNHKを含めて在京中波ラジオ局の送信所が多く存在するが、お寺の近くに立地するケースが多いのは、単なる偶然なのだろうか。

(曹洞宗 川口市赤井3-9-39)

26番札所 赤山・立野 西福寺

25番さんから車を北に進め、26番札所の西福寺さまに向かう。安行の植木屋さんが集まる一帯を抜けるコースを選んだが、大きなイベントがあったようで渋滞に悩まされながらの到着となった。

境内に入ると、堂々とした三重塔と観音堂が目を引く。今からおよそ1200年前、お大師様によって開かれたという伝承が残るのも頷ける立派さだ。札所本尊は如意輪観世音菩薩で、西国・坂東・秩父の百観音の仏像と共に観音堂に祀られている。

お勤めをして納経をお願いすると、「お加持してあります」との言葉を添えて、シール式の納経紙を手渡された。味気ないという人もいるだろうが、御開帳霊場の運営実務を考えるとやむを得ない点もあるだろう。
境内には見事な枝ぶりの桜の木があり、お花見のシーズンにまた訪れようと思う。

(真言宗豊山派 川口市西立野420)

武蔵国三十三観音巡り(その12)

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武蔵国三十三観音巡りの続き。

23番札所 伊興 実相院

谷塚の番外さんを出て、23番札所の実相院さまに向かう。街道が道路工事で激しく渋滞していたが、カーナビを頼りに抜け道をたどり、どうにかお寺に着くことができた。

こちらの札所は東京都足立区内にあり、札所本尊は正観世音菩薩。エリアが隣接する足立坂東観音霊場(蕨・定正寺さまがお札元の方)でも東京都内のお寺が札所になっている事例があるが、かつての旧国域と現在の行政区が一致しないことを示しているのだろう。こちらの観音様は、母乳の出をはじめとする子育てに霊験のある仏さまとして知られているそうだ。

近隣にはたくさんのお寺がある。このあたりは古くからの農村地帯だったはずだが、信仰心の篤さゆえなのか、東京都杉並区の方でも見られる都心部からの寺町の移転があったのかは分からない。

(真言宗豊山派 足立区伊興4-15-11)

24番札所 蓮沼 普門寺

今度は車を北に進め、24番札所の普門寺さまに向かう。通りからちょっと入った場所だったが、またまたナビを頼りにたどり着く。

山門を入ると朱塗りの観音堂があり、札所本尊である正観世音菩薩はそちらに祀られている。山門の脇には、ご開帳の由来などが記された達筆の墨書が張られていた。こういう掲示が増えると、ご開帳に対する地域の関心も増すのではないだろうか。

この辺りは、先ほども記した足立坂東霊場ともエリアが重なっている。数キロ圏内には足立坂東の札所がいくつかあるが、江戸時代の御開帳はさぞ賑やかだったことだろう。

(真言宗智山派 川口市本蓮1-12-27)

武蔵国三十三観音巡り(その11)

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武蔵国三十三観音巡礼記の続き。

22番札所 大曽根 蓮台寺

21番さんを出て、同じ市内にある22番札所の蓮台寺さまに向かう。距離が結構ある上、道路が渋滞していて車がなかなか進まない。車中でやきもきし始めた矢先、フロントガラスの向こうに車を誘導する地域の方が見えてきた。

こちらの札所本尊は十一面観世音菩薩で、本堂と並んで建っている朱塗りの観音堂に祀られている。
お寺の周囲は住宅が立ち並び、ロードサイド型の店舗も目立つ。都市化が進む中、12年ごとの定期開帳の伝統が守られているのは、特筆するべきではないだろうか。

(真言宗豊山派 八潮市大曽根343)

番外札所 谷塚 宝持院

地元の方の誘導で車を街道に出し、番外札所の宝持院さまを目指す。ここからは目立った渋滞もなく、東武スカイツリーライン(昔の伊勢崎線のことで、野田線に至ってはアーバンパークラインとやらに改称したようだ)の谷塚駅西口近くのお寺にはスムーズに着いた。

この辺りは私が社会人になった頃には宅地化がかなり進んでいた記憶があるが、広い境内は静かそのもので、ご開帳は十間四方という大きな本堂で行われていた。札所本尊はお寺の本尊である長谷寺式の十一面観世音菩薩。番外札所に列せられたのは1970年代のことらしい。番外札所は、ご開帳ごとに少しずつ増えているようである。

(真言宗豊山派 草加市谷塚1051)

武蔵国三十三観音巡り(その10)

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武蔵国三十三観音巡りの続き。

21番札所 八条 清勝院境外観音堂

2日目のお参りは、21番札所となっている八潮市八条地内にある清勝院さまの境外観音堂からお参りする。納経帳に載っていた住所をカーナビに入力し、誘導されてたどり着いたのは清勝院さまの本堂の方である。札所となっている境外観音堂は首都高速を越えた先にあり、初日からドタバタのスタートと相成った。

すぐ近くの番外さんと共用の駐車スペースに車を止めてお参り。札所本尊の正観世音菩薩は地区の集会所のような建物の中に祀られている。納経帳に記された縁起によれば、以前のお堂が老朽化した際、当時の和尚様のご配慮で、地域の寄り合いにも使える現在の堂宇に建て替えたものらしい。

(真言宗豊山派 八潮市八条3866)

番外札所 八条 大経寺

続いて、すぐ近くにある番外札所の大経寺さまにお参りする。こちらの札所本尊は円空仏の千手観世音菩薩で、今回の巡礼に当たり、私がお参りできるのを最も楽しみにしていた札所である。

円空仏を祀る観音堂にお参りすると、御厨子の扉は閉まったままで、肝心の円空仏を拝むことができない。お勤めを済ませ、納経の時に話を伺うと、「円空仏をご開帳するのは、4月14~18日の5日間だけ」という答えが返ってきた。

よく話を聞いてみると、こちらの円空仏の本開帳は実は子年で、武蔵国三十三観音の総開帳が行われる午年は半開帳という位置づけのようだ。ちなみに、本開帳の際は4月16日とその前後の合わせて3日間に限って開帳される由である。したがって、次に円空仏を拝めるのは2020年の春。その時は、仕事を休んででもお参りすることを誓った。

(浄土宗 八潮市八条3877)

武蔵国三十三観音巡り(その9)

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武蔵国三十三観音巡りの続き。

19番札所 南川崎 普門寺

18番さんと19番札所の普門寺さまは歩いてもすぐの距離だが、一応車を移動させてお参りすることにした。

札所本尊の正観世音菩薩は本堂脇の観音堂に祀られている。本堂も観音堂も、堂々とした感じの建物だ。
何となくお寺全体が新しい感じがして、改めて納経帳に記されていた縁起に目を通すと、かつてこのお寺は同じ八潮市内の木曽根地区にあったが、中川の河川改修でこの地に移ってきたらしい。お寺に入って感じた雰囲気はこのためだったのだろう。ちなみに、納経帳の墨書印刷は「木曽根」のままだった。

(真言宗豊山派 八潮市南川崎440)

20番札所 鶴ケ曽根 宝幢寺

夕方近くになったが、統一閉堂時刻の夕方5時までにはまだ少し時間がある。御開帳が行われる11日間のうち私がお参りできる日数には限りがあるし、頑張って20番札所の宝幢院さまにお参りすることにした。

地元の方の誘導に従って車を止め、境内に入ると真新しい観音堂が目に入る。札所本尊の正観世音菩薩はこちらに祀られている。境内は草花が美しく、新しい造作も目立つ。御開帳に合わせてかなり境内を整備されたご様子だ。
各地の霊場を回っていると、札所となっている寺院仏堂では御開帳に合わせて境内や伽藍の整備を行うことが多いのに気付く。お寺様やお檀家さん、講をはじめとする地域の方々は相当前から周到な準備を進めているはずで、私たちはそれに感謝してお参りしなければならない。

1日目のお参りはこちらにで打ち止めとした。

(真言宗豊山派 八潮市鶴ケ曽根1819)

武蔵国三十三観音巡り(その8)

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武蔵国三十三観音霊場巡りの続き。

18番札所 川崎 仁兵衛屋敷

17番さんで次の札所への行き方を教えてもらい、18番札所の仁兵衛屋敷様に向かう。札所の近くでは揃いの法被を着た方が交通整理をしていて、私が運転する車を駐車場に誘導してくださる。

こちらは個人持ちの札所で、札所本尊は正観世音菩薩である。「仁兵衛屋敷」という札所の名の通り、個人宅内にある札所となっており、ちょっとした借家くらいの大きさの仏堂が母屋と棟続きになっていて、その中にご本尊が祀られている。

札所を代々維持されているのは、この地で清掃関係の仕事を営む方。個人持ちで母屋と棟続きの仏堂ともなればいろいろと管理が大変だし、12年ごとの御開帳の負担も相当なものではないだろうか。ご当主一家の皆様や関係の皆様のご苦労とご厚意に頭が下がるばかりである。

(個人持 八潮市南川崎410)

武蔵国三十三観音巡り(その7)

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武蔵国33観音巡りの続きである。

15番札所 猿ヶ又 遍照院(和銅寺)

14番さんを出て三郷と金町を結ぶ通りに戻り、戸ヶ崎の十字路を越えてしばらく進むと東京都葛飾区に入り、水元公園の横に出る。その先の信号を左折して幟に従って進むと、15番札所の遍照院さまに着く。

こちらは幼稚園も経営されている大きな寺院で、札所本尊の正観世音菩薩は幼稚園の入り口に建つコンクリート造りのモダンな建物の2階に祀られている。建物のデザインは幼稚園と統一性を持たせている感じだ。2階に上がる階段の脇には大師堂があり、お大師さまの石像が数体祀られている。和尚様の話では「かつての四国写し霊場の名残で、さまざまな事情でこのお寺に移されたものもある」という。

寺号の和銅寺は和銅年間の創建という寺伝にちなむものだ。境内からは嘉元年間の板碑も発掘されているそうで、相当歴史の古い寺院であることは間違いない。現在では遍照院と呼ばれることが多く、「和銅寺」の名は幼稚園を運営する学校法人名などで使われている。

(真言宗豊山派 葛飾区水元5-5-33)

16番札所 飯塚 安福寺(長十郎屋敷)

15番さんを出て、16番札所の安福寺さまに向かう。お寺は入り組んだ狭い路地の奥まった場所にあるが、案内の看板が分かりやすく迷わずに着くことができた。

札所本尊はこの地の豪族の屋敷内から掘り出されたという、懸仏の夕顔観世音菩薩。葛飾区の有形文化財に指定されている。札所名に長十郎屋敷とカッコ書きがあるのは、懸仏が掘り出され、当初お堂が設けられていた屋敷の名にちなむらしい。夕顔観音が安福寺さまに移されたのは、明治維新の後だという。

こちらではお接待のお茶を頂いているときに、早回り巡礼のことが話題になった。最近では御本尊に手も合わせずにお納経だけ済ませて次の札所へ行く人が目立つが、お接待も頂かずにお参りして回るのは味気ないと感じるのは、私だけか。

(真言宗豊山派 葛飾区西水元1-7-19)

17番札所 大瀬 太郎左衛門屋敷

16番さんを出て再び埼玉県内に戻り、潮止橋で中川を渡って八潮市に入る。17番札所の太郎左衛門屋敷さまは、潮止橋から中川を少しさかのぼった、土手の近くにある。

こちらは個人所有の札所で、札所本尊の正観世音菩薩は3間四方ほどの観音堂に祀られている。御開帳に合わせて整備したのだろうか、外壁は今風のサイディング仕上げになっていた。周囲には古い石碑が残り、ここが歴史ある札所であることを伝えている。

(個人持 八潮市大瀬979-1付近)

武蔵国三十三観音巡り(その6)

お出かけ 寺社巡礼 日記 武蔵国三十三観音 観音霊場 霊場巡礼

武蔵国三十三観音巡りの続き。

12番札所 彦成 西福寺(彦成公民館)

11番さんを出てそのまま街道を南下し、幟を目印に東に入ると程なく、12番札所の西福寺さまに向かう路地が見えてくる。街道から入った道は幅員が4メートルあるかないかの大変狭い道なのだが、札所への路地と交差する地点には路線バスの停留所を示す標柱が立っている。車を止める適当な場所が見当たらず、道の脇ぎりぎりに車を寄せて止め、あとはお参り中にバスが来ないことを願うのみだ。

こちらの札所は札所名のカッコ書きで分かる通り、現在は独立した寺格や堂宇がなく、地区の公民館に札所本尊の正観世音菩薩が祀られている。ただ、扱いとしては近くの真言宗豊山派・円明院さまの境外仏堂として位置付けられているようだ。
私が訪れた時は、札所寺院の御坊様と思しき方々が集団でお勤めをされていた。徒歩で巡礼されているようである。

路駐のこともあるので、急いでお勤めを済ませて車に戻り中川沿いの道へ出ようとすると、途中の交差点で件の路線バスとすれ違う。都内でもよく見かける幅広タイプの小型バスが配車されていたが、路駐個所で離合するのは不可能だったはずで、お参り中にバスが来たら一騒動になっていたのは間違いない。冷や汗ものである。

(真言宗豊山派 三郷市彦成1ー261)

13番札所 番匠免 迎攝院

中川沿いの道をさらに南下し、幟を頼りに細い路地に入ってうねうねと進むと、左側に13番札所の迎攝院(こうしょういん)さまのお堂が見えてきた。お寺の前に道幅が少し広くなっている個所があったので、そこに車を止めさせていただく。

札所本尊の準提観世音菩薩は、三郷市内でもっとも古い木造建築として市の文化財に指定されている観音堂に祀られている。境内ではご住職が巡礼者に声をかけられていて、私もしばらく話し込む。ご住職も私と同じく、八潮の番外札所に祀られている巨大な円空仏を拝むのを楽しみにされているご様子だ。

こちらのお寺では、神仏習合の歴史を今に伝える「番匠免の大般若経祭り」(県・市指定無形文化財)が毎年7月8日に近い土曜日に行われている。厄除けと無病息災を願ってご住職らが近くの神社で大般若経の転読を行い、その後経典を納めた木箱を神輿のように担いで地域を練り歩いて各戸で祈願を行うもののようだ。三郷市の観光協会が製作した動画がyoutubeで公開されているので、ご紹介しておく。

(真言宗豊山派 三郷市番匠免1-127-1)

14番札所 戸ヶ崎 常楽寺

中川沿いの道に戻って再び南に車を走らせ、人家が密集した戸ヶ崎地区の街並みに入ると、程なく14番札所の常楽寺さまである。

御開帳に合わせて境内を整備したのだろうか、参道や伽藍は真新しい雰囲気が漂う。札所本尊の千手観世音菩薩は、山門を入ってすぐ左側に建つ観音堂に祀られている。観音様は平安時代の仏師・定朝作とされる。お寺の本尊は薬師如来で、こちらは弘法大師作と伝えられている。

戸ヶ崎は昔から交通の要衝で現在も街道は車の往来が激しいのだが、参道を数百メートル入ったせいだろうか、境内は静かそのもの。雲一つない快晴だったこともあり、清々しい気分でお参りができた。

(真言宗豊山派 三郷市戸ケ崎2201)

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