霊場巡礼

1週間で72か…

お出かけ 中武蔵七十二薬師 寺社巡礼 日記 薬師霊場 霊場巡礼

先日のこのブログで取り上げた、寅年の春に御開帳の「中武蔵七十二薬師霊場」の巡礼。

今日も1番の龍福寺で頂いたガイド本を読みながら、巡礼ルートを考えるが…どう考えても、4月7日から13日までの1週間で、72の札所を全部回ることは不可能。

児玉の真東寺の四国写し霊場みたいに、同じ寺の境内にお薬師さまが72体あればともかく、こちらは埼玉県の中央部の4市4町にまたがる広い範囲。正直なところ、1週間丸々使って車で巡礼しても、恐らく不可能。

かといってムラ堂や個人宅の札所が多ければ、開帳の期間もこれ以上延ばすのは難しいだろう。
今年回れなかった所は、次回のご開帳に回すしかないだろう。それまで生きていればの話だがw

「豊島八十八カ所札所一覧」を改訂しました

お出かけ お知らせ 寺社巡礼 弘法大師霊場 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

「資料室」の方で公開している、「豊島八十八カ所札所一覧」を改訂しました。

恐れ入りますが、最新版をダウンロードしてご利用ください。

【中武蔵薬師】ガイド本が出来たそうです

お出かけ 中武蔵七十二薬師 寺社巡礼 日記 薬師霊場 霊場巡礼

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今年の4月にご開帳を行う、「中武蔵七十二薬師霊場」の札所1番を務める坂戸の龍福寺さんから、「ガイド本が出来上がりましたよ」と連絡を頂いた。午後から雪になるという予報もあったので、朝一番で坂戸まで車を走らせ受け取りに向かう。片道50分弱のドライブ。

72ある札所の大まかな所在地と写真、略地図が載って1冊1500円。中武蔵薬師の札所一覧をまとめた資料は他にはないようなので、巡礼には必携。ただ中武蔵薬師の札所は無住のムラ堂や個人宅敷地内のお堂が多そうな感じだが札所の番地が載っておらず、掲載されている地図だけだと巡礼は大変そうだ。

期間中は納経帳も扱うそうだが、汎用のもので構わないとのこと。無住札所では書き置き納経が多そうだから、できるだけ大き目のお帳面を持っていった方が良さそうだ。

坂東巡礼用きっぷ?

お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 日記 霊場巡礼

JR東日本が「高速1000円」対策で出した、格安フリー切符「ツーデーパス」が復活のようで。

利用エリアを改めてみると、坂東霊場のエリアにドンピシャ。駅レンも1日2000円で借りられるから、八溝の日輪寺とか、益子の西明寺とかいった公共交通機関が不便な札所でも便利。

札所会と組んで、納経帳とのセット販売でもしたらいいのに…。

坂東三十三観音巡り(5)

お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

去年の11月、茨城県内の坂東観音の3つの札所にお参りしてきたのに、まだ更新していなかったw
今更だがアップする。

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札所24番 楽法寺(雨引観音)

住まいから、東北道~北関東道のルートで札所24番の楽法寺へ。1時間40分ほどで着き、意外に近い。

楽法寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は延命観世音菩薩。
境内にクジャクがいると聞いていたのだが、巡礼者の心掛けが悪いせいか、見ることができなかった。

こちらは安産祈願で有名なお寺で、お参りの人が絶えない。お守りなど授与品も多い。以前から探している御影入れがあるかどうか尋ねてみたが、ないとのこと。どうやって保存しようか…。
(2009年11月4日巡礼=茨城県桜川市本木1)

 

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札所25番 大御堂

続いて、筑波山の中腹にある札所25番の大御堂へ。駐車場を見つけるのに手間取る。境内には無料のスペースもあったのだが、結局500円払って近くの有料駐車場に置く。

大御堂は真言宗豊山派の寺院で、本尊は千手観世音菩薩。こちらの納経所にいる尼僧さまは、9番慈光寺の和尚さまと同じような厳しい方と聞いていたので、ちょっと緊張した。まあ、取り越し苦労だったのだが。
(2009年11月4日巡礼=茨城県つくば市筑波748)

 

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札所26番 清瀧寺

この日の打ち納めは、札所26番の清瀧寺へ。静かな農村地帯にある、小さなお寺である。

清瀧寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。無住のお札所だが、地域の老人会の皆さんが交代で納経を受けてくださる。夕方近くのお参りでもあり、境内は静寂そのもの。参拝者の姿も少なく、ちょっと申し訳ない気分になりながらお納経を済ませた。
(2009年11月4日巡礼=茨城県土浦市小野1151)

武蔵野三十三観音がご開帳

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今年は寅年だが、西武沿線の武蔵野三十三観音が、開創70周年を記念し3月18日から11月18日まで、ご開帳になるそうだ。
http://www.musashino-kannon.com/osirase.htm

武蔵野観音は西武沿線とはいえ公共交通機関が不便な札所が多く、車を併用した方が効率的かもしれない。期間中は限定品の特製散華の授与もあるようだ。

今年はこれにお参りしてみようか…。

次はどこへ…

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先日お伝えしたように、年末ギリギリに豊島八十八カ所を何とか結願。
で、年が明けたらまた「巡礼の虫」が疼きだしているw

豊島と多くの札所が被っている「御府内八十八カ所」という手もあるのだが、こちらは歴史的な経緯で秦野(神奈川県)の山奥に札所があったり、豊島と被っていない御府内単独の札所の一部で首を傾げたくなる対応があると聞いたりしていて、二の足を踏んでしまう。

坂東巡礼は長期戦になりそうだし、今年一年かけてゆっくり回る札所を近場で探しているのだが…。
埼玉県内にもういくつか四国の写し霊場が存在するようだが、そのほとんどは現在、機能していないようである。

うーん、どうしたものか。私向きのローカル霊場をご存じの方、教えてください(笑)。

中武蔵七十二薬師霊場がご開帳

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坂戸市など埼玉県内の4市4町にまたがる、薬師如来を祀るお寺やお堂で構成する「中武蔵七十二薬師」が、下記の日程でご開帳となる。

日程:4月7日(水)~13日(火)

詳細は情報を入手次第お伝えする。ガイドブックや専用納経帳も期間中に頒布されるようだ。

板橋七福神巡り

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このところ、お正月の恒例行事と化している七福神巡り。
今年は、都内の「板橋七福神」にお参りした。

こちらの七福神は、実はすべての寺院が豊島八十八カ所のお札所とかぶっている。ということで参拝記はごく簡単に、祀っている神さまと札所名の対比のみにさせていただく。

弁財天=豊島1番・安養院
布袋尊=豊島80番・西光寺
福禄寿=豊島50番・長命寺
恵比寿=豊島88番・観明寺
大黒天=豊島82番・西光院
毘沙門天=豊島18番・文殊院
寿老人=豊島61番・能満寺

一回り歩くと10キロ以上。バスや電車を使うより、歩きや自転車で回った方が効率的。
参拝受け入れは7日まで。

豊島八十八カ所巡り(21)

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3月に始めた豊島八十八カ所巡りも、残りはわずか。12月13日と15日に、板橋区内などの残りの札所を回ってきた。

 

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札所43番 金剛寺

JRの王子駅から石神井川に沿って板橋方向にしばらく歩くと、左側に大きな伽藍が見えてくる。そこが、札所43番の金剛寺だ。駅からは少し離れているが、大きなスーパーなどもあって付近は賑やかだ。

金剛寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。弘法大師が東国を巡錫した折、石神井川を渡るために橋を架け、その際に不動明王像を彫り、橋の付近に祀ったのがお寺の開基とされている。

このお寺の別名は「もみじ寺」。徳川8代将軍吉宗が、金剛寺を中心に紅葉の木を植えさせ、付近が紅葉見物の名所となったことに由来する。歴代の歌川(安藤)広重によって、紅葉見物の賑わいが版画に描かれている。

境内には「滝野川七福神」の石柱が建つが、いくつかの社寺が集まった七福神霊場ではなく、金剛寺の境内だけで完結する「1カ所七福神」だ。山門を入って右側にある弁天堂を中心に、七福神が祀られている。
その弁天さまは、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にも登場するくらい、歴史の古いもの。他の神様は、露座の小さな石像なので、境内をよく探そう。ちなみに七福神の御朱印はないので、その点はご注意を。
お寺のある一帯は、源頼朝が武蔵国に攻め入った折、陣を取ったという言い伝えが残る。
(金剛寺 東京都北区滝野川3-88-17=2009年12月13日巡礼)

 

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札所12番 寿徳寺

金剛寺で道順を教えてもらい、札所12番の寿徳寺に向かう。金剛寺からだと石神井川をさらにさかのぼるように歩き、写真にある「谷津大観音」が見えたら、右側の路地を入ると山門に出る。直接向かう場合は、都営地下鉄三田線の新板橋駅から歩いて7~8分だ。

寿徳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は秘仏の聖観世音菩薩。お寺のできた時期や経緯についてはいくつかの説があるが、鎌倉時代の開基とみて間違いないようだ。

お寺の別名は「谷津子育て観音」。その名の通り、子育てに霊験あらたかな観音さまとして、古くから信仰を集めている。寿徳寺は新撰組隊長・近藤勇の菩提寺としても知られ、山門の脇にはそのことを記した石柱が建っている。その墓はJR板橋駅近くの寿徳寺の境外墓地にあって、毎年4月25日の命日前後に、盛大な供養祭が行われている。

冒頭に登場した「谷津大観音」も、寿徳寺の境内の一部。志半ばで先代のご住職が亡くなられ、思いを受け継いだ現在のご住職により、2008年12月に開眼法要が行われたばかり。像高4.5メートル、総高8.5メートルの堂々たる観音さまである。
(寿徳寺 東京都北区滝野川4-22-2=2009年12月13日巡礼)
※寿徳寺の公式ホームページはこちら

 

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札所18番 文殊院

寿徳寺最寄りの新板橋駅から地下鉄に乗り、板橋区役所前で降りて札所18番の文殊院へ。途中には札所71番の遍照寺もあるが、こちらはお留守だった。このお寺のある一帯、昔の中山道板橋宿周辺は豊島のお札所が集まっているエリアだ。地下鉄の駅からは歩いて7~8分である。

文殊院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は文殊菩薩。板橋宿の仕切り役だった本陣・飯田家の菩提寺として、現在も山門脇に祀られる延命地蔵尊の境内を広げる形で、江戸時代初めに創建されたといわれている。

このお寺、古くは「出世寺」という愛称で親しまれていた。安政年間以降の正規の住職がいなかった時期に、仮住職として赴任してきたお坊さんが短期間で大きな寺に移ったことから、この愛称がついたのだという。今は正規のご住職がお寺を守られている。本尊は知恵を授けてくださる文殊菩薩だし、このお寺の草創は延命地蔵尊。おまけに先の伝承とくれば、「リストラ除けにご利益があるかも」と考えるのは、当サイト管理人だけだろうか…。

本堂の前には、ミニチュアのような鐘楼があり、参拝者が撞けるようになっている。ただ、法要中など本堂で行事が行われているときには遠慮しよう。戻り鐘がタブーなのは、お四国と同じである。
(文殊院 東京都板橋区仲宿28-5=2009年12月13日巡礼)

 

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札所49番 日曜寺

札所49番の日曜寺には、日を改めて出かける。都営地下鉄三田線の板橋本町駅からも、18番文殊院からも歩いて6~7分である。

日曜寺は真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は愛染明王。今から300年ほど前の正徳年間、宥慶和尚が小さなお堂を建てたのが開基とされる。その後、徳川8代将軍吉宗の子・田安宗武の帰依を受けて再興され、お寺の基盤を確立した。

山門に掛かる扁額は、「寛政の改革」で知られる、老中の松平定信の筆によるもので、板橋区の登録有形文化財。定信は宗武の子に当たり、代々日曜寺に帰依していたことがうかがえる。 当時の伽藍は空襲で焼失し、現在の本堂は1970(昭和45)年に再建されたもの。

本尊の愛染明王は水商売関係のほか、「藍染」に通じるとして染色業者からの信仰が厚いとされ、山門付近の玉垣には、芸妓組合や染色関連業者らの名前が刻まれる。お寺付近の商店街にも「愛染」の名が付けられていて、往時の賑わいを今に伝えている。縁結びのご利益もあるそうなので、婚活中の善男善女もぜひお参りを。
(日曜寺 東京都板橋区大和町42-1=2009年12月15日巡礼)

 

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札所71番 遍照寺

日曜寺から旧中山道に出て、賑わいをみせる板橋宿の商店街を通り、札所71番の遍照寺へ。日曜寺からは歩いて10分少々、地下鉄の板橋区役所前駅からは5分ほどである。

遍照寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。1662(寛文2)年、当時は近隣で唯一の天台宗寺院として創建したが、廃仏毀釈の波にのまれて明治初めに廃寺。その後、成田講の道場として1881(明治14)年、朝日不動堂として復活し、戦後の1947(昭和22)年に寺格を得て、現在は成田山新勝寺の末寺となっている。

うなぎの寝床のような、間口の狭い敷地の一番奥に住居兼用の小さな本堂があるが、入り口が分かりにくい。
商店街にある「おかしのまちおか」の向かい、小さな喫茶店脇にある「旭不動堂」と刻まれた豊島札所の石柱と、区教委の解説板が表札代わりだ。

境内は宿場の馬つなぎ場になっていて、参道の脇には馬頭観音が祀られている。本堂には、豊島八十八カ所の原型の一つとされる豊島二十一カ所の納め札所となっていたことを示す扁額が、豊島八十八カ所のものとともに今なお掲げられている。昔の人の信仰の篤さを示すものと言えるだろう。
(遍照寺 東京都板橋区仲宿40-7=2009年12月15日巡礼)

 

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札所88番 観明寺

さあ、残る札所はあと一つ。遍照寺から旧中山道の商店街をJR板橋駅方向に進み、札所88番の観明寺に向かう。地下鉄の板橋区役所前からも、71番遍照寺からも歩いて5分ほどだ。

観明寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。1338(暦応元)年の開基で、1677(延宝5)年の中興開山と伝えられている。

このお寺も文殊院や遍照寺とともに江戸時代の板橋宿の中にあり、古くから信仰を集めていた。明治6年には、地域の繁栄を願おうと千葉の成田山から不動明王の分身を勧請。「出世不動」として、現在でもお参りの人が絶えない。お寺の前の商店街が「板橋宿不動通り商店街」と名付けられているのは、このお寺に由来する。

境内にはこのほか、もともとは加賀藩の江戸下屋敷にあったというお稲荷さまも祀る。参道入り口の庚申塔は、青面金剛像が彫られたものとしては都内最古で、現在は区の指定有形文化財だ。

観音さまやお不動さま、それにお稲荷さま…私たちのあらゆる願いや悩みを聞き届けてくれそうな、結願所にふさわしいお寺である。一見すると街中の普通のお寺だが、本堂の前には線香の煙が絶えない。現在でも地域からの信仰を集めている証だろう。
(観明寺 東京都板橋区板橋3-25-1=2009年12月15日巡礼)

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発願から9カ月。途中で思わぬアクシデントもあったが、年内に結願することができた。

都内の遍路というと、お四国に比べて楽そうなイメージがあるが、正直なところなかなか大変だった。本四国とは違って檀家寺ばかりの構成で、お札所の事情によって何度も同じ寺を訪ねることになった。また、お寺が無住になっていて納経所が人知れず変更されていたケースもあり、情報が少ない霊場を巡礼する難しさも実感した。
歩いた距離は150キロほどのはずなんだが…。

札所一覧の地図や朱印の一覧は近日中に整備しようと思っているし、巡礼の記録を何らかの形で後世に伝えたいとも考えている。

さあ、次はどこの札所を回ろうか…。

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