【御開帳情報】美濃西国は来年4月6日~20日
岐阜県の南部に札所が広がる「美濃西国三十三観音」の霊場会公式サイトによると、来年4月6日から同20日までの約2週間にわたって、午年総開帳が行われます。各札所では寺宝の公開も併せて行われ、総開帳を盛り上げるようです。
詳細は情報を入手次第お伝えします。
2013年11月11日 12:35 AM | コメントをどうぞ
霊場巡礼
岐阜県の南部に札所が広がる「美濃西国三十三観音」の霊場会公式サイトによると、来年4月6日から同20日までの約2週間にわたって、午年総開帳が行われます。各札所では寺宝の公開も併せて行われ、総開帳を盛り上げるようです。
詳細は情報を入手次第お伝えします。
2013年11月11日 12:35 AM | コメントをどうぞ
先日のブログで送り大師のことを取り上げて以来、首都圏各地の送り大師風習のことをいろいろ調べるようになった。さまざまな情報に当たる中、非常に興味深いサイトを見つけたので、ご紹介する。
相馬霊場は茨城県の取手市周辺に札所が点在する、江戸時代に開創されたお四国の写し霊場である。現在は地域の篤信家の皆さんを中心に「巡る会」を作り、霊場の護持に当たっている由。
現在は年に5回ほどウオーキング形式の区切り打ちを行い、2年で結願になるそうだ。公式サイトは大変分かりやすく、資料も充実している。区切り打ちイベントの実施やら資料の作成やら、いろいろとご苦労がおありのはずで、ただただ頭の下がる思いである。
相馬霊場もかつては送り大師の風習があったのだろう。ただ、送り大師は農閑期と農繁期を区切るイベントとしての意味合いもあったはずで、地域の都市化・住宅地化が進むに従い、古来の姿をそのまま伝えるのは困難になるのは否めない。区切り打ちになるのも、現代社会ではやむを得ない(この点において、取手から東京寄りの柏や印西で、送り大師の風習が受け継がれているのは特筆される)。
何はともあれ、お参りの人が増えないと霊場の護持が難しくなるのは歴史の示す通り。
昨今の巡礼ブームで、地元の霊場に目を向ける人が増えてくれるといい方向に回りだすはずなのだが…。
2013年11月7日 1:42 AM | コメントをどうぞ
お出かけ 坂東三十三観音 寺社巡礼 日記 観音霊場 霊場巡礼
昨日は久しぶりに、坂東三十三観音のお参りに出かけた。妻と一緒に、18番の中禅寺さまと19番の大谷観音さまを回る。
最初に回ったのは19番大谷観音さま。前回の時もそうだったが、間近に拝む磨崖仏の迫力に圧倒される。時間があったので、宝物殿や裏手のお庭も散策。紅葉が美しく、心が洗われる思いである。
続いて18番中禅寺さまに向かう。途中で雨が降り出し心配だったが、中禅寺湖畔に着いたときには薄日が差していた。これも観音様のご加護だろうか。案内役の御坊様がいろいろと説明をしてくださるのは、前回のお参りの時と変わらない。優しそうな観音様の前で、しばし手を合わせる。通常だとこちらは鐘を撞けるのだが、今回は鐘楼が工事中で鐘を撞けなかったのが、ちょっと心残りである。
栃木県内の札所は、これで打ち納め。次は寒さが厳しくならないうちに、群馬県のお札所2カ寺を回りたい…。
2013年11月5日 5:00 AM | コメントをどうぞ
以前のこのブログで取り上げた、柏市郷土資料室の「送り大師」展と、古河市三和資料館の「観音信仰」展を見に行ってきた。
最初に行ったのは、柏の送り大師展。市の沼南庁舎2階にある資料室の入り口には、送り大師が結願した時のお練りで使う万灯が飾られている。
展示は巡拝経路を記した絵馬や納経帳などの巡礼用品はもちろん、慶応2年に送り大師を再興した時の世話人名簿や各地区の大師講に関する文書類、御影の版木など盛りだくさん。
配布物もなかなか面白い。展示目録には送り大師の歴史やしきたり、運営などがコンパクトにまとめられ、それ自体が大きな資料的価値を持っている。今年の送り大師で使われた順路図の写しも配られていて、こちらも大変な価値がある。
続いて、古河市の三和資料館(さんさん館)で開かれている観音信仰展を訪ねた。図書館と入り口が共通で場所が分かりにくいが、玄関を入って左側の奥が、観音信仰展が行われている資料館である。
資料館に入ってすぐのところでは、ミニチュアの角塔婆から切り絵の観音様に「善の綱」が結ばれ、御開帳の光景を再現している。そのわきにはスタンプと納経帳に似せた台紙が置かれている。ちょっとでも気分を盛り上げようという趣向なのか。
展示物は地域での観音信仰を示す資料や葛飾坂東、猿島阪東各霊場の納経帳など、こちらも盛りだくさん。観音信仰や12年ごとの観音霊場総開帳が地域に根差していることが分かり、興味深い。
両展とも交通の便が良くない場所にあるが、巡礼やその歴史に興味がある人にはお勧めの展示会だと思う。
2013年11月4日 11:43 AM | コメントをどうぞ
このブログでも何度かご紹介している来春の葛飾坂東霊場の午年総開帳ですが、地元の方のブログによると、3月18日から4月17日までの日程で行われることが決まったそうです。霊場開創300年を記念した大開帳になるようで、公式サイトも設置される由。
葛飾坂東霊場公式サイトはこちら(本稿執筆時点では「準備中」表示)
詳細は随時お伝えします。
2013年10月31日 6:29 AM | コメントをどうぞ
妻から「栃木県の足利市に円空仏を祀るお寺があるらしい」と聞き、いろいろと調べていると、その足利市では年に1度、市を挙げて文化財の一斉公開をしているのが分かった。今年は来月23、24日の両日に行うようである。
足利の文化財一斉公開2013を開催します!(足利市公式サイト)
残念ながら円空仏を祀るお寺さまは今年は御開帳をしないようだが、結構な数の寺社で御開帳があるようである。足を運べるといいのだが。
2013年10月30日 3:21 AM | コメントをどうぞ
先日のブログ『偶然見つけた「送り大師」』を書いて以来、首都圏の送り大師風習のことが気になりいろいろと調べていたら、千葉県柏市の郷土資料展示室で送り大師の企画展が行われてることを知った。会期は12月23日までの由。
第16回柏の歴史企画展 送り大師 ―柏に伝わる県下最大級の巡礼文化―(柏市公式HP)
ホムペには展示目録も掲載されているが、送り大師の歴史を伝えるさまざまな資料が展示されている由で、地域の巡礼文化を知る上でもなかなか興味深い。
折しも、企画展の会場がある柏市の沼南庁舎から、車を使えばそれほど遠くない古河市の三和資料館では、11月から地域の観音霊場に関する企画展が始まる。何かの偶然だろうか。
2013年10月19日 6:43 AM | コメントをどうぞ
昨日は終日、仕事で栃木県の那須方面を回っていた。
取材先に車を止めるスペースがなく、近隣の「千本松牧場」の駐車場をお借りしようと車のハンドルを切ると、駐車場の傍らに1間四方くらいのお堂が建っている。
仕事を済ませてから駐車場に戻り、お参りしようとお堂に向かうと、「弘法大師」の扁額が掛かっており、ここが大師堂であることが分かる。お堂は荒れた様子はなく、周辺の除草も行き届いており、しっかりと管理されている。
国道端にはここが「下野国新四国八十八ケ所霊場」の札所であることを示す標柱と、大師堂の縁起を記した案内板が建っている。こちらも、きちんと整備されている感じ。縁起によれば、千本松牧場の運営会社が管理しているお堂のようだ。霊場の開創は明治の中ごろで、豊島八十八ケ所の開創よりちょっと古いくらいか。
駐車代がわりにと牧場内のレストランで昼ご飯を済ませ、レジの人に大師堂のことを聞くと、「総合事務所に分かる人がいる」とのこと。事務所を訪ね、頂ける資料がないかを尋ねると、手持ちの物をコピーしてくださるそうで、ありがたい限り。
頂いたコピーは、地元の雲照寺さま(真言宗東寺派)がお別当を務める大師講のパンフレット。毎年3月下旬に、送り大師方式で全札所を回るようだ。詳しいことは雲照寺さまでないと分からない由。年間を通じて納経ができるかどうかは分からない(おそらく無理だと思う)。
送り大師は千葉・埼玉・茨城といった利根川流域の限られたエリアだけの風習とばかり思っていたが、那須連山の麓にも存在していると知り、ちょっと驚いている。基本的には瀬戸内などの島遍路と同じシステムであり、全国各地にあっても不思議ではないのだが、ついつい固定観念が先立ってしまうのも事実。「知られざる送り大師」は、全国にまだまだあるのかもしれない。
2013年10月16日 9:40 PM | コメントをどうぞ
いつも「新聞屋の道具箱」をご覧いただき、ありがとうございます。
拙著『お大師様と共にあゆむ 豊島八十八ケ所巡礼』が、アマゾンで在庫切れとなっています。WEB上で在庫が復活するのは、今週半ば過ぎから週末になる見込みです。
アマゾン上での欠品が多く、皆様にはご迷惑をおかけし申し訳ございません。
お急ぎの方は
・中山書房仏書林様(東京都文京区湯島)での店売り
※所在地・定休日はこちらから。
・拙著取り扱い一部札所寺院様
・当サイト「お問い合わせ」メニューからのご注文
のいずれかをご利用ください。
システム上、アマゾンへの寄託部数積み増しが難しく、お参りの皆様にご迷惑をおかけすることが続いていることをお詫び申し上げます。
『お大師様と共にあゆむ 豊島八十八ケ所巡礼』著者
「新聞屋の道具箱」管理人
2013年10月14日 10:11 AM | コメントをどうぞ
野暮用で朝早く車を走らせていた折、狭い上に見通しの悪く、交通量も多い交差点を避けようと脇道に入ると、クランクの突き当りのような場所に小さなお堂があるのを見つけた。傍らには高さ2メートルほどの石像の観音さまや、数基の板碑らしきものがある。
この道は夜通ることが多く、お堂の存在に気付かなかった。で、件のお堂の前を通り過ぎてしばらくしてから、「このお堂、廃寺とされている忍領三十三観音5番の観音院跡では?」と気づいた。
以前にも書いたが、忍領5番の観音院は廃寺とされ、現在では鴻巣市(かつての川里町)の赤城地籍にある、工業団地近くの墓地内にある小堂を観音院と見なしている資料が多い。ただ、この小堂には「臨済宗円覚寺派 慶龍寺」の表示があり、こちらを兼務している騎西の龍興寺様の話では、慶龍寺は龍興寺の隠居寺として造られたもので、件のお堂も観音堂ではなく阿弥陀堂とのことである。
また、観音院の御詠歌には「廣田に浮かぶ月影は」という文言があり、観音院が広田地籍にあることを示唆している。
この観音院、これも以前書いた通り、『新編武蔵風土記稿』にも『川里町史』にもほとんど記述がない。明治維新の廃仏毀釈の折、川里地域では観音院と修験寺院の2カ寺が廃寺になったという記録はあるが、所在地などは分からない。また旧川里町では、近隣市町村で行われた地域内の仏像・神像の調査が行われておらず、この線から探ることも難しい。
また、市町村合併のあおりで川里町の公民館や資料館は閉鎖されてしまい、地域に詳しい職員も異動してしまった由だ。
昼間にお参りして近所の方に話を伺えば、何か手がかりが掴めるかもしれない。改めて訪れようと思う。
2013年10月9日 6:54 AM | 2件のコメント