弘法大師霊場

豊島八十八カ所巡り(13)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

26日の土曜日も、豊島八十八カ所のお参りに出掛ける。今回は、先日お留守などで巡礼できなかった、都電荒川線沿線のお札所から回る。

 

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札所65番 慈眼寺

最初に訪ねたのは、都電荒川線の町屋二丁目電停に程近い、札所65番の慈眼寺。近隣では「朝日薬師」の通称の方が通りが良い、真言宗豊山派のお寺である。本尊はもちろん薬師如来。

都電を降りて、小さな店や住宅が建ち並ぶ細い通りを北へ歩くと、程なく薄茶色の塀に囲まれた墓地が見えてくる。ここが目指す慈眼寺だ。小ぶりな山門をくぐると、いきなり墓地が広がるが、その中央を細い参道が本堂まで続いている。

このお寺で特徴的なのは、何と言っても本堂の造り。コンクリート造り4階建の事務所や工場とよく似た建て方をしているのだが、3階部分の壁面には金色の大きな薬師如来像が祀られていて、この建物がお寺の本堂であることを強烈にアピールしている。1階の入り口脇には石像の観音様が祀られ、通常のお参りはこちらで行う。本尊の薬師如来は、古くより眼病やお母さんの乳の出に霊験があるとされる。現在ではペット霊園も併設。荒川辺八十八カ所の札所9番でもある。
(慈眼寺 東京都荒川区町屋2-20-12=2009年9月26日巡礼)

 

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札所63番 阿遮院

次にお参りした札所63番・阿遮院は都電荒川線の東尾久三丁目電停からすぐ。もっとも、65番の慈眼寺からは歩いても10分かからない近さだ。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。

尾久消防署の下尾久出張所と向かい合うように参道の入り口があり、100メートルほど奥まった所に山門がある。参道の入り口にはこのお寺が豊島八十八カ所などの札所であることを示す看板が立ち、その下には御府内二十一カ所(現在の御府内八十八カ所とは別物)の札所であることを示す石碑が建つ。

このお寺の正式な名称は「阿遮羅山阿遮院蓮華寺」。「阿遮」は、本尊の不動明王のサンスクリット語の名前(梵名)「アチャラナータ」に由来すると伝えられる。鉄筋コンクリートのモダンな感じの本堂に祀られているお不動様を、ガラス越しに拝むことができた。

色とりどりの花がたくさん植えられた境内は、このお寺が尾久地区で最古の寺院で、かつてはいくつかの末寺を有していたことの名残だろうか。本堂とは対照的に、飾らない佇まいの庫裏で、若い和尚様が一生懸命お納経をしたためて下さった。「お気をつけてお参りを」と送り出して頂いたことが印象深い。
(阿遮院 東京都荒川区東尾久3-6-25=2009年9月26日巡礼)

 

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札所20番 地蔵寺

札所20番の地蔵院は、都電荒川線の小台電停から徒歩5分ほどで、尾久警察署の裏手に当たる。68番寶蔵院からは歩いて数分の近さだ。湯島に本山のある真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は聖徳太子作と伝えられる地蔵菩薩。1751(宝暦元)年の開基と伝えられる。

このお寺も建物が特徴的だ。都電を降りて路地を尾久署の脇の路地を隅田川方向に歩くと、屋上に鐘楼を備えた3階建ての伽藍がすぐに見えてくる。すぐ隣の八角堂には千躰地蔵尊や荒川区内唯一とされる阿弥陀三尊の画像板碑が祀られ、墓地を挟んで八角堂と向かい合うように、黒光りしている北向地蔵が立っている。

和尚さまは気さくな方で、お地蔵様信仰のことなどで話が弾むが、お参りの人が多く、ゆっくり話ができなかった。また機会を見てお話を伺いたいものである。
(地蔵寺 東京都荒川区西尾久3-10-6=2009年9月26日巡礼)

 

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札所33番 真性寺

「おばあちゃんの原宿」として、いつの間にか全国区の観光地になった東京・巣鴨の地蔵通り商店街。札所33番・真性寺は、その商店街のJR・都営地下鉄の巣鴨駅側入り口にある。

真性寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は秘仏の薬師如来…と書くと、首をひねる人がいるかもしれない。そう、このお寺は「江戸六地蔵」の札所3番として知られ、お地蔵様への参拝の人が絶えない。ただ、お地蔵様参りに来る人は、このお寺の本尊が薬師如来ということを知らない人がほとんどではないだろうか。1714(正徳4)年建立と伝えられるそのお地蔵様は長年の風雪による傷みがひどく、現在は京都に“入院”中。祀られているのは本来のものより少し小ぶりな、身代わりの仏さまである。本来のお地蔵様が帰ってこられるのは、2010年の4月とか。境内には松尾芭蕉の句碑もあり、こちらもお見逃しなく。

私がお参りしたときは本堂で法要中で、入り口から少し離れた所で小さな声でお勤め。その後寺務所にお納経に伺うが、札番印は同じ札番の御府内のものを兼用。御府内と豊島の両霊場の関係を示す一例であろう。

ここから都電の庚申塚電停に向かって延びる商店街の中ほどには、真性寺とともに巣鴨の地蔵信仰を担ってきた、「とげぬき地蔵尊」こと曹洞宗高岩寺がある。こちらにもお参りして、商店街を見て歩こう。「おばあちゃんの原宿」らしく、気取らずに安さと元気の良さで勝負するお店がいっぱいである。
(真性寺 東京都豊島区巣鴨3-21-21=2009年9月26日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(12)

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13日の日曜日は前日と打って変わっての好天。先延ばしにしていた豊島八十八カ所巡りに出掛ける。今回は、くだもの電車西武新宿線沿いにある中野区内のお札所を回る。

 

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札所87番 東光寺

札所87番の東光寺は、西武新宿線を新井薬師駅で降りて、線路沿いの路地を高田馬場方向に戻ったところにある。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。江戸時代初期の開山と伝えられている。

静かな住宅街の一角にあり、三井財閥の資料を集め公開している「三井文庫」のすぐそばにある。都内のお寺としては広い部類に入る境内は、何より緑が豊か。木漏れ日が美しく、ここが都会であるのを一瞬忘れそうなくらいだ。入り口には龍神様が祀ってあり、周囲には鯉を放った池が巡らせてある。なかなか見事なので、お参りの際はぜひ見ておこう。山門を入るとすぐ左に、コンクリート造りの大日堂があるが、中は広間のようになっている。お参りした折は、地域の剣道教室として使われていて、私より少し年下くらいの美形の女性が、稽古をつけてもらっていた。

境内の一角では、このお寺がかつて経営していた幼稚園の園舎の取り壊しと周辺整備の工事が進められていた。少子化の進む折、これまで経営していた幼稚園を閉めてしまう例は豊島のほかのお札所でも見聞しているが、何となく寂しいものがある。かつて幼稚園があった場所は、どのように整備されるのだろうか…。

余談だが、高田馬場方向から電車を利用してお参りする場合、改札内の跨線橋を渡って、反対側のホームにある北口改札を使った方が早くお寺に着く。電車の本数が多く踏切が「開かず」なのだ。これは、48番や74番最寄りの沼袋駅でも同じなので、覚えておいたほうがいい。
(東光寺 東京都中野区上高田5-21-5=2009年9月13日巡礼)

 

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札所48番 禅定院

西武新宿線沼袋駅の北口改札を出た所から斜め右に延びる狭い道の商店街を歩くと、すぐに札所48番・禅定院の山門が見えてくる。山門の真正面につながるこの道、元々は禅定院の参道だったのだろうか。その山門は戦災をかいくぐった大正期のもので、数多く張られた千社札が長年の風雪を物語る(このブログの読者には野暮だろうが、現在は千社札は張ることはできない)。

禅定院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。このお寺で興味深いのは山号や寺号とご本尊の関係。正式なお寺の名前は「瑠璃光山禅定院薬王寺」。お寺の名前だけ見るとお薬師様を祀るお寺のようにも思えるが、現在の本尊は前述の通り。山号や寺号は、南北朝時代に禅定院が開かれた時のご本尊が薬師如来だったことに由来するという。現在の本尊である不動明王立像は、鎌倉時代の作。元々は土地の豪族、伊藤氏の菩提寺だったことから、現在でも「伊藤寺」の通称が残る。

境内はコンパクトだが、お庭の整備が行き届いていて気持ちよい。特に蓮や牡丹の花がきれいなようで、花の時期にもう一度お参りしたい。
こちらは、同じ札番で御府内八十八カ所の札所にもなっている。
(禅定院 東京都中野区沼袋2-28-2=2009年9月13日巡礼)
※禅定院の公式HPはこちら

 

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札所74番 実相院

禅定院と同じく沼袋駅に近い札所74番・実相院は、駅からも禅定院からも歩いて3分ほど。駅からだと、「沼袋親交会」の街灯が整備されている賑やかな商店街を進み、路地を少し入った所にある。

実相院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。新田義貞の一族の矢島家の菩提寺として開かれたお寺で、現在でも「矢島寺」の名前で親しまれている。コンクリート造りの瀟洒な山門をはじめ、境内の至る所に寄進者として矢島姓の名前が記されているのも、このお寺の開基に関係しているのだろう。現在でもお檀家の半数以上が矢島姓という。

境内はコンパクトだが、山門を入るとすぐ左側に大きな十一面観音の石像と弘法大師像が並んで建つ。観音像のほうは永代供養のための石像のようだ。
また、こちらのお寺は桜の隠れた名所として知られている。花の時期はライトアップされて、幻想的な美しい風景が楽しめる。お花見の時期はコンサートなどの催しも行われるという。

この辺りはお寺が密集していて、禅定院から実相院に抜ける路地の途中には、百観音のうつし霊場で知られる明治寺がある。時間が許せば、こちらにもお参りしたい。
(実相院 東京都中野区沼袋4-1-1=2009年9月13日巡礼)
※実相院の公式HPはこちら

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この後、引き続いて江戸観音の札所3カ寺にお参りして帰宅。歩数は1万4500歩、大体8キロ強か。足の怪我も治ったことだし、次回からもっと距離を伸ばしたいw

豊島八十八カ所巡り(11)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

5日の土曜日も、午後から豊島八十八カ所のお参りに出掛ける。今回も、都電荒川線沿線のお札所を巡る。

 

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札所83番 密厳院

まずは前回お参りできなかった札所20番・地蔵寺から回るが、3カ寺続けてお留守などでお参りが叶わなかった。「まあこういうこともある」と気を取り直し、都電を荒川2丁目の電停で降り、札所83番の密厳院へ向かう。公共交通機関利用なら、京成電車の新三河島駅を使った方が少し早いかもしれない。

密厳院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。「三河島大師」の通称があり、江戸時代には開運や厄除けを願う人で賑わったと伝えられている。
荒川区内の社寺を紹介したサイトなどで「いつも山門が閉まっている」と書かれているが、今回もやっぱり門は閉まっている。その脇には「開運厄除 弘法大師」と刻まれた石柱がコンクリートに埋もれるように建ち、このお寺が弘法大師霊場であることを示している。

無理に中に入って妙な騒ぎになってもいけないので門の外でお勤めするが、困るのがお納経。どこかのお寺と兼務としてもご住職はいらっしゃる筈だが、どこに行けば良いのか分からない。幸いにもすぐ近くの札所6番・観音寺が同じ宗派なので、何か知っているのではとお参りかたがたお伺いする。

観音寺でお話を伺ってから、もう一度お参りしようと密厳院の前まで来ると、今度は門が開いている。境内の一部が月極め駐車場として使われていて、車の出入りがあるときは門が開くようだ。中に入って慌しくお参りさせていただく。本堂は鉄筋コンクリートの瀟洒な建物。正面には何枚か、お賽銭と思しき硬貨が置いてある。わずかだがお参りに来る人はいるようだ。

現在は足立の方にあるお寺のご住職が密厳院も兼務されていて、境内には身内の方がお住まいになっているという。但し、その方は寺務にはあまりタッチされていないようで、お納経は6番・観音寺で代印して頂ける。また、新田明江氏の手による豊島霊場のガイド本に記されている電話番号も、現在はこのお寺と直接的な関係はないようだ。門が閉まっている時は、無理をせずに門前でお勤めしよう。
(密厳院 東京都荒川区荒川4-16-3=2009年9月5日巡礼)

 

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札所6番 観音寺

札所6番の観音寺は車の往来が激しい明治通り沿いにあり、札所83番の密厳院は目と鼻の先。京成電車の新三河島駅からは歩いて7~8分である。

観音寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。荒川辺八十八カ所の札所6番でもある。

境内に入るとすぐ、大きな伽藍が目に飛び込んでくる。豊島のお札所ではよくみられる、1階が客殿、2階が本堂というタイプだ。幼稚園も併設されていて、平日の日中は子どもたちの元気な声で賑やかなことだろう。私がお参りした土曜日は幼稚園は休みだったが、代わりにお寺で飼っているワンちゃんたちが元気よく出迎えてくれた(笑)。

住宅や工場が密集している今では考えられないことだが、江戸時代はこの一帯に鶴が飛来し、農閑期には餌付けも行われていたという。「鶴お成り」と呼ばれた将軍家の鶴狩りも頻繁に行われ、観音寺などが御膳所(食事を取る場所)に指定されていたという記録が残る。その際には「三河島菜」と呼ばれる白菜の親類のような伝統野菜が献上されていたが、鶴の飛来ともども今では見られなくなり、文献に残るのみである。

お参りの時は、83番密厳院のお納経も忘れずに頂いておこう。
(観音寺 東京都荒川区荒川4-5-1=2009年9月5日巡礼)
※参考 観音寺が経営する幼稚園のHPはこちら

豊島八十八カ所巡り(10)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

8月22日にお医者さまに診てもらったところ、例の足の怪我はほぼ完治で、次の通院まであと2週間、テーピングで固定しておけば良いという。
リハビリを兼ねて(笑)、翌23日は早速豊島八十八カ所巡りの続きに出掛ける。雲行きがちょっと気になるが、今回は都電荒川線沿線のお札所を巡る。

 

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札所55番 金輪寺

JR王子駅の北口を山側に出て、線路沿いの道を赤羽方向へ道なりに10分近く歩くと、王子稲荷の先に札所55番の金輪寺が見えてくる。JRの電車からも見える、「海草風呂」と書かれた銭湯の煙突が目印。

金輪寺は古義真言宗に属する真言宗霊雲寺派のお寺で、本尊は一字金輪仏頂。古くは関東古義派5カ寺の1つに数えられて数多くの支坊を持ち、王子稲荷神社の別当も務めていた古刹。境内の駐車スペースの横にある塀にはかつての支坊名が刻まれていて、往時を偲ぶことができる。王子稲荷の総門がお寺のような趣をしているのも、この兼ね合いだろう。
墓地の奥にある本堂は鉄筋コンクリートの堂々とした伽藍。2階部分にご本尊が祀られているようだが、通常は2階へ上る階段には柵がしてあって、階段の下でお参りする。

本尊に一字金輪仏頂を祀るお寺は極めて少ない。豊島八十八カ所ではここだけだし、本四国にも見当たらない。深い瞑想の境地に至った仏さま(如来)を神格化したもので、梵字1文字の「ボロン」を真言として唱えることから、「一字」の冠がついている。全ての仏さまの功徳を集約する、ありがたいご本尊で、その修法は極めて強力という。本堂に近づけないようにしているのも、このためなのだろうか。

こちらのお寺は月曜日が「定休日」。お参りのときはご注意を。
(金輪寺 東京都北区岸町1-12-22=2009年8月23日巡礼)

 

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札所75番 阿弥陀堂

金輪寺から王子神社の裏手を通り、札所75番の阿弥陀堂に向かう。目指すお札所は、北区役所本庁舎の裏手、同じ区役所の第4庁舎とマンションに挟まれた墓地の中にある。

阿弥陀堂はかつては札所75番・金輪寺の支坊の一つ「弥陀坊」だったところで、現在は金輪寺の境外仏堂となっている。真言宗霊雲寺派に属し、本尊は阿弥陀如来。豊島八十八カ所に2つある無住札所の一つである。無住札所がいずれも「阿弥陀堂」を名乗っているのも興味深い。

戦争の犠牲者を追悼する「平和地蔵」などがある墓地の中央部にある、一見普通の住宅にも見える建物がお札所である。扁額や石碑など、ここが豊島八十八カ所の札所であることを示す表示類は一切ないので、ちょっと戸惑うかもしれない。こちらは42番とは異なり、お留守番の女性がいらっしゃる。
金輪寺のご住職から、「お留守番の方に断って、お堂の外からお参りしてください」と言われていたので、ご挨拶をしようとお堂の玄関を訪ねると、「どうぞご本尊を拝んでいってください」とのこと。お言葉に甘えて中でお勤めさせていただく。

2階の仏間に祀られている金色に彩られた阿弥陀如来は、総高70センチくらいの堂々としたもの。西国霊場の1番札所・青岸渡寺の如意輪観世音菩薩の写し本尊や閻魔大王、かなり古い時代の作と思われる千手観世音菩薩も祀られている。

こちらの札所の納経は、55番金輪寺で扱う。先に金輪寺を訪ねて、お参りの仕方などを尋ねておいた方が良いだろう。
(阿弥陀堂 東京都北区王子本町1-5-17=2009年8月23日巡礼)

 

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札所68番 寶蔵院

王子から三ノ輪橋行きの都電に乗り、札所68番の寶蔵院を訪ねる。小台電停で都電を降り、そのまま隅田川のある北方向に道なりに歩き、「蓮華会館」の看板があるところから境内に入る。山門は反対側の細い路地に面して建っている。昔はこちらが本筋だったのだろう。

寶蔵院は和歌山県岩出市にある根来寺を本山とする新義真言宗のお寺で、本尊は虚空蔵菩薩。ガラス戸越しに本堂の中を覗くと、閻魔大王などを脇侍に祀っているようだ。境内には荒川区の保護樹木に指定されているイチョウの木がそびえる。10月16日には、収穫に感謝するお十夜の法要が行われるようだ。

お納経を頂こうと庫裏を訪ねると、息子さんなのだろうか、若いお坊さんが対応してくださる。奥に入ってしたためた朱印を、来客の相手をされていたご住職が確認してから納経帳を返してくださった。真面目そうな、最近では珍しい好青年である。こちらは、「荒川辺八十八カ所」の札所13番でもある。
(寶蔵寺 荒川区西尾久3-16-19=2009年8月23日巡礼)

 

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札所54番 華蔵院

寶蔵院から札所20番の地蔵寺に向かうが、法事が立て込んでいるご様子でお参りが叶わず、そのまま札所54番の華蔵院に向かう。直接訪ねる場合は、都電を宮ノ前電停で降り、そのまま北に歩くと分かりやすいだろう。

華蔵院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。鉄筋コンクリートの大きなお堂で、2階が本堂で、1階は客殿として使っているようだ。山門の脇には弘法大師像と、豊島54番と荒川辺11番であることを示す新しい石碑が建っている。

お納経は書き置き対応だったが、札番印は豊島と荒川辺の2つの弘法大師霊場を一緒にしたもの。札番の違う霊場を一つの札番印にまとめる例は珍しいが、両方ともお参りの人はそう多くはないだろうし、札番印を間違えないようにするにはこちらの方が合理的ということだろう。

華蔵院を出たところで夕立が降り始め、今回のお参りはこちらでお開き。
(華蔵院 荒川区東尾久8-46-2=2009年8月23日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(9)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 豊島八十八カ所 霊場巡礼

足の怪我もかなり良くなって、お医者様からウオーキング再開の許可も出た。早速豊島八十八カ所巡りを再開する。今回はリハビリ(笑)も兼ね、狭い範囲に豊島のお札所と江戸観音のお札所が集まっている早稲田界隈を巡る。

 

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札所41番 南蔵院

江戸札所13番の護国寺と同14番の金乗院にお参りしてから、豊島八十八カ所の札所41番・南蔵院に向かう。といっても金乗院とは目と鼻の先で、歩いても5分かからない…というか、金乗院の山門の前から南蔵院がはっきり見えるほどの距離だ。

南蔵院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。御府内八十八カ所の29番札所でもある。
山門を入ってやや奥まったところに、鉄筋コンクリートのモダンな伽藍がそびえる。本堂は2階になるが、防犯上の理由で階段の上り口でお勤めをするよう掲示されているので、それに従う。ご本尊の近くでお参りできないのは残念だが、最近は罰当たりな泥棒やマナーの悪い参拝者も多いから、致し方ないか。境内は草花が多く、巡礼者の心を癒やしてくれる。
(南蔵院 東京都豊島区高田1-19-16=2009年8月8日巡礼)

 

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札所52番 観音寺

南蔵院を出て、面影橋を渡ってから都電の線路がある通りを早稲田方向に歩き、札所52番の観音寺に向かう。

観音寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらも御府内八十八カ所の札所になっているが、札番は豊島と同じ。
こちらのお寺も鉄筋コンクリートの堂々たる伽藍だが、一見お寺には見えない変わったデザインのお寺として知られている。設計したのは隣接する早稲田大学の教授、石山修武さんとか。「鉄筋の変わったデザインの伽藍」と書くと、最近ありがちな「参拝者の来訪を拒否するようなデザイン」とか、「都心部のようなオフィスビル化した伽藍」を連想する向きもありそうだが、ここのお寺の建物はそれらと一線を画すもの。確かに遠目には奇抜なデザインに見えるが、近くまで来ればそこがお寺ということは分かる造りになっているし、一見の参拝者でもどこでお参りしたらよいのか、ちゃんと分かるようになっているのはさすが。施主の意向もあるのだろうが、石山教授は寺社建築の基本をきちんと押さえている方とお見受けした。

余談になるが、豊島八十八カ所のお札所には「観音寺」というお寺がたくさんある。お納経の時や御詠歌を唱える時など、札番をよくよく確認しよう。

(観音寺 東京都新宿区西早稲田1-7-1=2009年8月8日巡礼)

 

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札所3番 龍泉院

観音寺を出て早稲田大学の正門前を通り(この時、天才バカボンの「バカ田大学校歌」を口ずさんでいたのは内緒w)、札所3番の龍泉院へ。穴八幡の交番がある交差点のそばで、江戸観音の札所15番・放生寺のすぐそばだ。

龍泉院は真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。お参りしたのは法事の直後だったが、応対してくださったご住職の「どうぞ中でお参りを」という言葉に甘え、入堂してお勤めさせていただく。本尊の観音さまは、高さ1.5メートルほどの堂々としたものだ。虫封じに御利益があるお寺のようで、お納経でもその旨記された印が押してあった。

こちらのお寺のもう一つの見所は、掲示板の法話。時期に応じたテーマで、ご住職の肉筆の法話は読み応えがあり、面白い。お参りの時には、こちらもお見逃しなく。
(龍泉院 新宿区西早稲田1-1-12=2009年8月8日巡礼)

 

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札所72番 玄国寺

龍泉院のすぐそばにある、江戸観音15番の放生寺にお参りしてから、今回の打ち納めとなる札所72番・玄国寺に向かう。放生寺の前を通る諏訪通りを西に向かって歩き、やんごとない方々が通う某私立学校の先にある。

玄国寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。山門は諏訪通りから奥まった所にあるので、見落とさないように注意。
こちらの本堂はちょっと変わった構造で、鉄筋コンクリートの建物の上に木造の本堂が乗っかっている。本堂の方は相当の年月を経た建物のように見受けられるが、もともとあった本堂を移築したのだろうか。ちなみに庫裏は、かつての岩倉具視邸を移築したものらしい。

本堂横では、鐘楼の普請の真っ最中。立派なものができるようである。そこで仕事をされていた若い男性が、お納経の時に「お四国も回っているのですか?」などと声を掛けてくださる。てっきり建築作業の方とばかり思っていたが、ご住職の息子さんのようだ。普請の手伝いも修行のうちか。

少し離れた場所にある墓地の中には、「田植地蔵」として親しまれているお地蔵様が祀られている。農繁期になると旅僧姿で田植えを手伝ったという言い伝えが残る。
(玄国寺 東京都新宿区高田馬場1-12-10=2009年8月8日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(8)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

昨日の土曜日(27日)は、梅雨の晴れ間で絶好のお参り日和。暑くなりそうだったが、豊島八十八カ所巡りの続きに出掛ける。今回は板橋区内のお札所を回るが、暑さ対策も兼ねて例の菅笠を被っての巡礼だ。

 

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札所77番 青蓮寺

東武東上線の成増駅でバスに乗り換え、札所77番の青蓮寺に向かう。ネットで検索したバスと停留所に待機していたバスの系統番号が違っていて、ちょっと焦るw

青蓮寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。御府内八十八カ所(19番)や荒川辺八十八カ所(86番)の札所も兼ねている。こじんまりとした境内だが、訪れる人が絶えず結構賑やかなお寺だ。納経の対応をして下さった奥様と世間話をしている間にも、結構な数の来客がある。間もなく「東京盆」の季節を迎えるせいもあるのだろうが、地元と密着したお寺であることは間違いない。

奥様の話だと「最近は豊島の巡礼の人が増えて、嬉しい限り」とか。まさかこのブログのせいではないだろうが、巡礼する者として仲間が多いのは心強い。
(青蓮寺 東京都板橋区成増4-36-2=2009年6月27日巡礼)

 

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札所51番 清涼寺

青蓮寺で道順を教えていただき、札所51番の清涼寺に向かう。東京大仏に程近い場所だ。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。新築されて間もないモダンな本堂が印象的である。
訪れた時は法事の真っ最中で、邪魔にならぬよう小さな声でお勤めをしてから庫裏に納経に伺うと「もう少しで法事が終わるから、住職に書いてもらう方がいいでしょう」とのこと。お言葉に甘えて待たせていただくが、わざわざ茶菓を出してくださり、申し訳ない限り。

程なくお見えになったご住職は、どことなく三遊亭円歌師匠に似た風貌。歯切れの良い江戸っ子言葉を使われるので、そのイメージが強くなるのか。そういえば円歌師匠も出家されて、僧侶(日蓮宗だが)との二足のわらじを履いていたはずである。こちらでも次の札所への道順を教えていただいた。気遣いに感謝である。
(清涼寺 東京都板橋区赤塚4-8-3=2009年6月27日巡礼)

 

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札所23番 泉福寺

途中で見つけた中華料理屋さんで昼飯を食べてから、札所23番の泉福寺へ。板橋区赤塚支所の近くだが、通りから奥まった場所に本堂があり、気をつけていないと通り過ぎてしまうような場所にある。

泉福寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は不動明王。本堂には「豊島八塔霊場第四番」の扁額が掛かっていて、御詠歌はこちらのものを唱えた。御住職に伺うと、今の豊島八十八カ所のルーツの一つなのだとか。このお寺には区の指定文化財になっている十一面観世音菩薩の立像もあって、絵葉書と略縁起を頂いた。柔和な表情の本面が印象深い。
(泉福寺 東京都板橋区赤塚6-39-7=2009年6月27日巡礼)

 

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札所35番 安楽寺

泉福寺から東へほとんど一直線、札所35番の安楽寺に向かう。2キロほどの歩きだろうか、日差しを遮るものがなく暑さが増してくる。

安楽寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。立派な長屋門が目印だ。このお寺は区立紅梅小学校に隣接していて、平日なら子どもたちの元気な声が境内まで響いてくるのだろう。そういえば寺紋は梅鉢だが、学校名と何か関係があるのだろうか。

長屋門を入って右奥に本堂がある。境内で作業をされていた石材店の方が、私の巡礼姿を見て「鐘楼の奥に先住(歴代住職)のお墓があるから、手を合わせてくるといいですよ」とのことで、そちらにもお参り。ご住職は30代くらいの方で、私の姿に「本格的だねえ」と声を掛けてくれた。豊島巡礼も遍路には違いない。最近は人の目も気にならなくなったがw
(安楽寺 東京都板橋区徳丸8-9-1=2009年6月27日巡礼)

 

 

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札所60番 蓮華寺

安楽寺からさらに東へ歩き、大東文化大の所から首都高沿いに進む。札所60番の蓮華寺は、頭上に首都高が通る車の往来が激しい通りに面している。真言宗智山派のお寺で、本尊は薬師如来。

私が境内に入るのと入れ違いに、若い僧侶の方が寺務所から出てきて、車に乗られる。何となく嫌な予感がする中いつも通りお勤めをしようとすると、先ほどの僧侶の方が「豊島のお参りの方ですか?」と声を掛けてくださる。「白衣姿なのでそうじゃないかと思って。私はこれから留守にするので、先にお納経を書いておきます」とのこと。申し訳ないと思いながら、お言葉に甘える。
(蓮華寺 東京都板橋区蓮根1-10-15=2009年6月27日巡礼)

 

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札所64番 延命寺

蓮華寺から東上線の上板橋駅方向に進み、札所64番の延命寺へ向かう。

こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。幼稚園も経営されていて、広い境内は園庭も兼ねているようで、あちこちに遊具が並ぶ。隅っこにあった「鶴丸」マーク入りの日航機を象った乗り物が、幼稚園の歴史を示しているようだ。

お納経の時、ご住職から「どのくらいで回るつもりなのか」と聞かれる。1回に6カ寺回れればいい方なので、「一年近く掛かるかもしれません」と、苦笑いしながら答える。

余談だが、板橋区内の豊島八十八カ所のお札所でもう一つ、札所22番で同じ名前のお寺がある。しかも、両者の直線距離は1キロほどの近さ。お納経の時など、間違えないようにご注意を。
(延命寺 東京都板橋区中台3-22-18=2009年6月27日巡礼)

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札所77番の項でも書いたが、東京のお盆は新暦が大半。檀家寺がほとんどの豊島八十八カ所や江戸三十三観音のお札所も忙しくなるわけで、都内の霊場巡礼は7月の前半は「夏休み」。その間は坂東三十三観音を回るつもりなんだが、天候が気になる…。

豊島八十八カ所巡り(7)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

13日の土曜日も、例によって豊島八十八カ所巡りに出掛ける。天気が次第に崩れるとの予報でコースの選択に迷うが、雨が降り出したらいつでも巡礼を打ち切って帰宅できるよう、電車の駅から近いお札所を回るコースにした。

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札所76番 金剛院

今回の打ち始めは、お寺のホムペを見て以前から行ってみたいと思っていた、椎名町にある札所76番・金剛院にした。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来を祀る。同じ札番で、御府内八十八カ所のお札所にもなっている。

くだもの鉄道西武池袋線の椎名町駅北口を出ると、すぐ目の前に長崎不動尊、そしてその奥に豊島区の指定文化財になっている金剛院の朱塗りの山門が見える。まずはお不動様にお参り。駅前ということもあってか、若いカップルや親子連れら参拝する人が絶えない。お不動様のお堂の前には石像の聖観世音菩薩も祀られている。お母さんと一緒に来た子供がデジカメの使い方で悩んでいたので、レンズのズームを効かせるよう手伝ってあげると、大喜びでお堂の写真を撮っていた。学校の研究課題なのだろうか、たまにはこちらからお接待だw

金剛院の東側には交通量が著しく多い山手通りが通っているのだが、一歩境内に入るとそうとは思えない静けさ。参道左側には立派な大師堂があり、そちらからお参りする。扉の上には豊島・御府内の両弘法大師霊場の76番札所であることを示す扁額が掛かり、独自の御詠歌が記されている。お経を誦んでから、扁額を見ながらその御詠歌も唱えさせていただく。今まで回った豊島札所では本四国の同じ札番の御詠歌が扁額に掲げられていることがほとんどで、独自の御詠歌は珍しい。

先日、こちらの御住職のブログにコメントを書かせて頂いたのが縁で、御住職としばらく話し込む。いろいろと面白い話を聞かせていただき、長居してしまった。お接待も頂き恐縮ものである。

こちらのホムペは、御住職のブログや単なるお寺の略縁起の掲載にとどまらず、近隣のさまざまなスポットの紹介や仏教講座、精進料理レシピの紹介など、大寺院のホムペ以上に充実した内容。御住職は「精進料理で検索して訪れる人が多い」とのことだったが、そのほかにも面白い内容がいっぱい。ぜひ御訪問を。
(金剛院 東京都豊島区長崎1-9-2=2009年6月13日巡礼)

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札所4番 光徳寺

いったん池袋に戻り、東武デパートにある鳩居堂の出店で三十三観音用の納経帳(江戸三十三観音をまた回るのだ)を求めてから、西武新宿線下落合駅近くの札所4番・光徳院に向かう。真言宗豊山派のお寺で、本尊は大日如来。

コンパクトな境内の中央に、鉄筋コンクリートのモダンなお堂がそびえる。そちらでお参りしてから庫裏に御朱印を頂きに伺うが、御住職の趣味だろうか、庫裏の周りのあちこちに観賞魚の水槽がある。御朱印をお願いすると、わざわざ書道具を取り出し、一生懸命墨をすりながら御朱印を認めて頂いた。ありがたいことである。

境内に入ってすぐ右手に、大きな地蔵菩薩の石像が鎮座している。坐像のお地蔵様は、ちょっと珍しいかもしれない。
(光徳院 東京都新宿区上落合1-23-4=2009年6月13日巡礼)

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札所85番 観音寺

光徳院からは歩いて札所85番・観音寺へ。新宿区内にはもう一つ同じ寺号の札所があるので、間違えないよう地図を再確認しながら歩く。直線距離だとすぐ近くなのだが、下水処理場(最近は水再生センターとかいうようだが)の縁を回るように進むので、結構な距離になる。

観音寺は真言宗系単立のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。こちらも同じ札番で御府内八十八カ所のお札所を兼ねている。本堂と客殿が一体化した建物でどちらにお参りしていいか最初は分からず、寺務所に伺うと「2階の本堂でお参りしてください」とのことで、お言葉に甘える。豊島札所では本堂に上げていただくのは初めてで、ちょっと感激。

御朱印を頂き、帰りの電車の中で改めて見ると札番の印が御府内のもの。御府内に比べて豊島の巡礼者は桁違いに少ないはずで、独自の札番印を用意していないのかもしれない。そういえば光徳院でも札番は墨書きだった。
(観音寺 東京都新宿区高田馬場3-37-26=2009年6月13日巡礼)

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札所8番 圓照寺

小滝橋通りを南に進み、今日の打ち納めとなる札所8番・圓照寺に向かう。真言宗豊山派のお寺で、本尊は行基作といわれる薬師如来。

手入れの行き届いているお庭が素晴らしい。本堂左奥に小さなお堂があり、大師堂かと思いそちらに先にお参りしようとすると、後ろから「そっちは大師堂じゃないよ」との声。お庭の手入れをされていたこちらのお寺の僧侶の方で、おいずる姿の私を見て豊島遍路と分かったようだ。聞けばそのお堂は閻魔堂とか。それはそれで興味深い。

本堂では御住職が法事のお勤めをしていて、終わるのを待つ間、この僧侶の方といろいろと話し込む。在家の出身で、歳を取られてから出家されたのだとか。お経の上げ方や服装などいろいろアドバイスを頂いた。中でも興味深かったのが、「仏様との付き合い方」についてのアドバイス。「お参りするとき、自分の悩みや相談ごとなどを、仏さまに話しかけるといい。きっといいお返事をくれるはずだし、仏さまと“お友達”に慣れると思う」と話してくださった。なるほど、確かにその通りだ。早速実践してみることにする。
今回は何かと内容の濃いお参りになった。次回も楽しみである。
(圓照寺 東京都新宿区北新宿3-23-2=2009年6月13日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(6)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

2回続けて納経ができなかった豊島八十八カ所の札所7番・正覚院と連絡がつき、6日の土曜日の午後ならということで、早速お参りしてきた。

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札所7番 正覚院

練馬区内の打ち納めとなる札所7番の正覚院は、環七通りから少し入った所にある、中野区との境に程近い場所にある。真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。

これまでお参りした豊島のお札所のなかではコンパクトな部類の境内だが、山門を入ってすぐの左側には、堂々とした二重塔や大師堂が建っている。本堂の前でお勤めをして御詠歌を唱え終わったころ、本堂右側にある庫裏の玄関が開き、「お電話のあった豊島遍路の方ですか?」と声を掛けられる。別に大きな声で読経していたわけではないのだが、庫裏まで聞こえていたのだろうか。お寺の方は不在がちなことをしきりに詫びておられたが、突然お参りしたこちらこそ、お詫びしなければいけない立場。もとより豊島札所はほとんどが檀家寺で、お参りがお寺の都合に左右されるのは当然のこと。ある札所の御住職は「それが豊島の魅力です」と言い切ったが、同感である。

正覚院は太田道灌との関係が深い寺として知られる。道灌が信仰を寄せていた、当地にある天満宮の別当寺として創建された旨の略縁起が山門脇の説明板に記されている。本堂の扉や屋根瓦など至る所に天神さまの社紋である「梅鉢」が使われているのも、その証左。天満宮は現在でも氷川さまの末社として、隣接地に鎮座している。

ようやく練馬区内のお札所を打ち終えたが、回ったのはやっと20。残りは68、豊島遍路もなかなか手強いものがあるというのが正直な感想だ。
(正覚院 東京都練馬区豊玉南2-15-7=2009年6月6日巡礼)

豊島八十八カ所巡り(5)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

30日の土曜日は、練馬区内札所の打ち納めを目指して札所7番の正覚院にお参りするが、またお留守で納経ができず、再度伺うことにした。このまま帰るのも何だし、近くのお札所にお参りして帰る。

 

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札所2番 東福寺

札所2番の東福寺は、正覚院から東へほぼ一直線に歩いて15分ほど。狭い路地を路線バスがひっきりなしに通るので、気をつけながら歩く。

こちらは中野区地籍で、小さな商店街のほぼ中央にある真言宗豊山派のお寺。本尊は不動明王で、御府内八十八カ所の2番札所にもなっている。歴代将軍が近くで鷹狩りをした時の休息所となるなど、歴史あるお寺である。

山門から本堂まで、緩やかな階段が続く。途中には「弘法大師霊場開創十周年記念」の大きな石碑が建つ。比較的新しい感じがする石碑で、御府内八十八カ所の開創は江戸時代のはずだからこの石碑は豊島のものか。だとすると大正時代後半の物のはずである。

境内には幼稚園が併設されている。最近では珍しい木造の園舎で、子どもの頃を思い出した。
(東福寺 東京都中野区江古田3-9-15)

豊島八十八カ所巡り(4)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

23日の土曜日に、豊島八十八カ所巡りの続きに出かけてきた。今回も練馬区内のお札所を回る。

 

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札所61番 能満寺

池袋でくだもの西武鉄道に乗り換え、江古田へ。今日の打ち始めとなる札所61番の能満寺は、日本大学芸術学部の裏手にある。何やら大普請をしている日芸キャンパスの縁を回るようなルートで歩くが、日差しを遮るものがなく暑いこと。

ただ、境内は深い緑に覆われていて、心地よい風も吹いていて一歩中に入ると暑さを忘れるくらい。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。板橋七福神の寿老人でもある(これまでの巡礼記で書き漏らしてしまったが、1番の安養院には弁財天が、50番の長命寺には福禄寿がそれぞれ祀られている)。

本堂向かいにあるお堂には、「豊島廿一カ所南拾七番札所」の扁額が掛かる。以前訪れた札所で「豊島二十一カ所の札所は同じ札番で豊島八十八カ所に移行した」と聞いていたが、ここのお寺は事情が違うようだ。17番の長命寺が同じ札番で御府内八十八カ所の札所になっていることと関係がありそうである。

お伺いした時は御住職が不在で、納経印は郵送して頂けることになった。
(能満寺 東京都練馬区旭丘2-15-3)

 

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札所19番 寿福寺

江古田から再び西武線に乗り、練馬で地下鉄大江戸線に乗り換え、練馬春日町へ。前回の札所42番の納経所騒動の割を食ってお参りできなかった、札所19番の寿福寺に向かう。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。

寿福寺は幼稚園も経営していて、本堂のすぐ横には鉄筋コンクリート4階建の堂々たる園舎が建つ。平日なら、園庭から子どもたちの元気な遊び声が響いてくるのだろう。境内はコンパクトだが、手入れの整ったお庭が美しい。

こちらのお寺では、団参講が健在のようだ。地元の農協が音頭取りを務めているようで、本堂前の石塔には「JA講」の文字が刻まれている。
(寿福寺 東京都練馬区春日町3-2-22)

 

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札所11番 円光院

寿福寺から畑と新興住宅が混在する中を南に歩き、札所11番の円光院に向かう。境内はバス通りに接しているのだが、山門は入り組んだ路地の奥にあって、ちょっと迷う。

円光院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王で、腰や足の病に霊験あらたかとされる、「子ノ権現」を祀る寺としても知られる。朱塗りの山門が印象的だ。

印象的だったのは、よくある「境内で球技をしないこと…云々」の立て札に、「ただし子供は除く」と但し書きがしてあったこと。お寺や神社の境内を遊び場にしていた自分の子供時代を思い出し、ちょっぴり懐かしくなった。立て札のことを知ってか知らずか、鐘楼の下では子どもたちがゲームに興じていた。せっかくお寺が許しているのだから、鬼ごっこぐらいすれば良いものを…。
(円光院 東京都練馬区貫井5-7-3)

 

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札所15番 南蔵院

円光院から西武線の線路を越え、30分弱歩いて札所15番の南蔵院へ。真言宗豊山派のお寺で、本尊は薬師如来。

2階が鐘楼になっている山門は閉ざされていて、バス通り側の門から入るようになっている。薬師堂や閻魔堂もある広い境内は木々が多く、鬱蒼とした雰囲気。お参りに来る人も多く境内には町内会の事務所もあって、地域との関わりが深いお寺のようである。境内のあちこちに立てられている看板の文章が独特で、ちょっと面白い。

こちらも御住職が不在で、納経印は後ほど郵送と相成った。これからは、奉書紙も持ち歩かないといけない。
(南蔵院 練馬区中村1-15-1)

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この後、札所7番の正覚院に向かったがお寺の事情で納経ができず、再度お参りすることにした。来週なら大丈夫とのことで、練馬区内の打ち納めは次回に持ち越し。

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