御朱印

足立坂東観音めぐり(4)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音


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午後もいい時間になってきたが、見沼田んぼ周辺の足立坂東観音札所巡りを続ける。

 

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札所29番 功得山慈眼寺観音院

真乗院から車をさらに南へ進め、鳩ケ谷市にある札所29番の慈眼寺に向かう。入り口が分かりにくく、周囲をウロウロしてしまう。

慈眼寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。現在は同じ宗派の地蔵院に合寺され、その観音堂として扱われている。

駐車場に車を入れて境内に入ると、「葬儀式場」を示す大きな立て看板が目に飛び込んでくる。観音堂に隣接する葬祭ホールでは、葬儀社や喪家の方が慌しく準備中。江戸観音巡りで放生寺にお参りしたときと同じ展開で、不安がよぎる。ダメなら日を改めようと観音堂へおじゃますると、御開帳は通常通りするのでお参りしてくださいとのこと。御厚意に甘えて本尊の前でお勤めさせていただく。観音さまは等身より少し大きい堂々たるもので、彩色されている。何でも以前火災に遭い、その修復時に彩色されたのだとか。

観音堂の上は仏教美術館になっていて、仏像や仏画などが多数展示されている。こちらも御厚意に甘えて、見せていただくことにした。いろいろな仏教美術が集められていて一言では言い表せないが、私の目を引いたのは、中国やベトナムの観音さまのコレクション。さすがに中国の観音さまは日本のそれと同じようなお顔をしているが、ベトナムの観音さまはずいぶんと柔らかな表情。国民性の違いが観音さまの表情にも表れるのか。
仏教美術館は日曜日の午後に開館。事前に地蔵院へ問い合わせてから訪問を。

なお、お葬式の準備中だったため慈眼寺では写真を撮影していない。後日改めて写真を撮ってこようと思う。

【御詠歌】ありがたや このうらでらに ほのみえて
                             ぐせいにはやく のりのをいかぜ

(2009年4月5日巡礼=鳩ケ谷市桜町5-5-39 地蔵院内)
※慈眼寺の地図はこちら

 

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札所32番 前川観音観福寺

目指す方向を西に変え、川口にある札所32番の観福寺に向かう。

こちらは「前川観音」の通称で親しまれる、真言宗智山派のお寺。本尊は千手観世音菩薩。
開基は平家の嫡流・平維盛の長子六大丸(六代)。現在の静岡県沼津市にあたる千本松原での処刑を免れ、川口の地に草庵を結んでこの地で生涯を終えたとの言い伝えが残る。

山門を入るとすぐに観音堂が見えるが、大回りするように順路が指定されている。その通りに進むと、本堂のすぐ前に回向柱が建てられ、長い善の綱が観音さまとのご縁を結んでいる。
近所の人が近道してお参りしようとすると、「折角苦労して角塔婆建てたんだから、ちゃんと順路通りお参りしてよ」と世話役の檀家の人に突っ込まれていた(笑)。

堂内でお勤めを終え、内陣を出ようとすると、お揃いの半袈裟をまとった30人ほどの団体とすれ違う。法衣姿の僧侶の方3人がお先達を務めているようだ。
全員が内陣に入ると、太鼓を鳴らしながら全員で観音経の読経が始まる。ものすごい迫力だ。聞けば、足立坂東の札所12番・沼影観音の講による団体参拝で、足立坂東のお札所では結構有名という。びっくりしたのは、講中に金髪・革ジャン姿の「どちらのロックバンドの方ですか」と聞きたくなるような、20代と思しき男性の姿があったこと。この男性も一心に観音経を唱えていた。若い人でも、信心深い人がいるんだなと驚く。

内緒だが、沼影観音一行のお先達の一人だったうら若き尼僧の方は、はっとするような美人。こういうところに目がいくあたり、私はまだまだ煩悩の塊のようである(笑)。御詠歌が意味深だ…。

【御詠歌】ふだらくの たきつながれの みづはやく
                                         こゝろのあかを すゝぐまへかわ

(2009年4月5日巡礼=川口市前川4-30-13)
※観福寺の地図はこちら

 

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札所20番 金亀山三学院極楽寺

御開帳終了時間の午後5時まではまだ間があるので、蕨市内のお札所にもお参りする。

札所20番の三学院は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。蕨市は全国で最も面積が小さい部類の自治体に入るのだが、それとは逆に三学院は境内が広く幼稚園も併設されていて、伽藍も堂々としている。建築中の阿弥陀堂も立派なもの。

こちらは有住寺院なので、前日にも一度訪れている。その時は明日にしてほしいとのことで、この日に再訪した次第。で、長屋門をくぐって「御開帳入口」の張り紙がしてある本堂を目指すと、前日に庫裏の場所を教えていただいた普段は授香所にいるらしい女性が、「あっ、昨日の御開帳の朱印の人」と、大声で手招きしてくださる(笑)。こういうフレンドリーさ、何度も書くがローカル霊場でないと味わえない魅力だ。

本尊は高さ1.7メートルほどの、等身の大きなもの。平安時代の慈覚大師作とされる。「大きな観音さまですね」と声を掛けると、「ここのお寺は何でも大きなのが好きなんですよ。お金ないはずなのに」と、件の女性は納経所にいる若い僧侶の方を向いて大笑い。僧侶の方も苦笑いしておられた。言われてみると伽藍もそうだが境内の弘法大師像もほかのお寺の倍近くの大きさのような気がする。「裏に回るともっと大きな観音さまがありますよ」とのことで、教えられた通りに行ってみると、境内の一番奥に高さ7~8メートルにもなる平和観音が祀られている。戦争の犠牲者を祀る観音さまという。

帰り際、来年の4月に阿弥陀堂の落慶法要を行うのでぜひ来てほしいと言われる。その時はぜひお参りしなければ。

このお寺、古くは真言宗の檀林(学問所)に列せられ、現在は大学に通いながら修行に励む若い僧侶の学寮としても機能しているようだ。4月29日の花祭りでは、お稚児さんと僧侶がきらびやかな衣装に身を包んでパレードすることでも知られている。

【御詠歌】はなをみよ ついにこのみは ごくらくじ
                                   とそつのみねの あめのめぐみに

(2009年4月5日巡礼=蕨市北町3-2-4)
※三学院の地図はこちら

 

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札所21番 竜亀山無量寿寺三蔵院

まだ少し時間があるので、三学院近くの札所21番・三蔵院にもお参りする。

こちらも真言宗智山派のお寺で、本尊は正観世音菩薩で、行基作とする資料もある。日常の管理は地区の方が行い、仏事の際は三学院からお坊さんが来るようだ。三学院の末寺ということもあるのだろうか、立派な伽藍である。

お勤めをして朱印帳を差し出すと、ここでも「朱印帳をどこで買ったのか」という話になる。「鳩居堂で」と答えると、やはり「ああそうか」という顔をされる。ちなみに、私が知る限り両面使わずに35個の朱印が押せる、蛇腹式の朱印帳を扱っているのは鳩居堂でも銀座本店と池袋の東武百貨店内にある出店だけ。いつも使っている新丸ビル内の店には置いていないことのほうが多い。

時間が迫ってきたので、今回はここで打ち納め。三蔵院を出たところで道中に札所9番があったことを思い出したが、そちらは駅から近い札所なので次回にする。

【御詠歌】あのくたら ぼだいのたまを みつのくら
                                  つきずくちせぬ たからなりけり

(2009年4月5日巡礼=蕨市中央2-30-10)
※三蔵院の地図はこちら

足立坂東観音めぐり(3)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

4月5日巡礼分の続き。欲を出してはいけないことは重々承知しているが、頑張って回らないと御開帳期間内に全札所を回れない(笑)。

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札所6番 慈了山清泰寺

東浦和駅前を経由して、JR武蔵野線の北側にある札所6番の清泰寺へ。 何かイベントがあるらしく、駅周辺は結構な交通渋滞で、ちょっと焦る。

清泰寺は天台宗のお寺で、本尊は正観世音菩薩。区画整理が進んだ住宅街の一角にあって、境内はなかなかの広さ。葬儀などに使われるらしいモダンなホールと、いかにも田舎のお寺らしい佇まいの本堂の対比が面白い。
本堂では、まだ30代とお見受けした若い御住職と檀家の方が一緒になって、巡礼者への対応やお接待に当たっていた。ここでも、あちこちの札所巡りの話で盛り上がる。都内霊場のお札所でオフィスビル化が進んでいること、御住職は「昼間の人口がほとんどいない地域で、寺を維持するにはやむを得ないのでは」と話しておられた。確かに都心部では檀家は減る一方だろうし、墓地の増設もままならない。「限界集落」は山間部や離島に限った話ではないことを改めて実感する。

お昼はたまたま見つけた、近くの「カフェレノン」という店で取る。ジョン・レノンのグッズがいっぱいのお店で、ファンにはたまらないお店だろう。700円のブランチセットは、喫茶店とは思えないボリュームで、お勧め。

【御詠歌】てるつきに さゞなみきよく たいらかに
                       うろくずまでも うかぶみずうみ

(2009年4月5日巡礼=さいたま市緑区東浦和5-18-9)
※清泰寺の地図はこちら

 

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番外札所 八丁観音寺

番外札所の八丁観音寺は、清泰寺から車で数分の距離。
見沼田んぼに半島のように突き出した微高地の上にあり、前を通る県道は乗用車同士のすれ違いにも気を使う狭さ。おまけにこの日はJR東日本主催の「駅からハイキング」が周辺で行われていて、車を止める場所を探すのに一苦労。お札所から300メートル近く離れた場所に駐車余地を見つけ、駐車禁止のステッカーを張られぬように走ってお札所まで移動する(笑)。

お札所の名前は「八丁観音寺」だが、実質的には地区の集会所兼用のお堂。その内部に本尊の聖観世音菩薩が祀られている。
お堂の中では、地区の女性らが御詠歌のおさらいの真っ最中。その手を休めてお接待をしてくださり、何か申し訳ない気分。その女性、「もう足腰がしんどくなる歳なのに、初めて御詠歌を教わっているの」と屈託ない笑顔で教えてくれる。観音さまを祀る祭壇に掛けられている布は、あの「ミッフィー」柄のもの。平成14年と書かれていたから、前回総開帳の時に作られたものか。元気な女性や可愛いウサギ柄の飾りに囲まれて、観音さまも楽しそうである。

JRのハイキング参加者で、興味深そうに御開帳の様子を眺める人が結構いる。ほかのお札所にもお参りしてくれれば良いのだが。

【御詠歌】まつのこと たきのつゞみは あふまぎの
                           もりはさながら ふだらくのみね

(2009年4月5日巡礼=さいたま市緑区大間木1907)
※八丁観音堂の地図はこちら

 

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札所31番 木揃堂

見沼田んぼの縁を南に下り、札所31番の木揃(きぞろ)堂へ。再び川口市地籍になるが、この辺りは行政界が複雑に入り組んでいて、道を誤りやすい。「五軒茶屋」という飲み屋が札所への目印になる。

木揃堂はその地籍から「木曽呂堂」と書かれることもある、地区管理のお堂。札元発行のパンフレットだと真言宗豊山派とあるが、これはお別当の寺院のことだろう。本尊は十一面観世音菩薩。
お堂の大きさは、足立坂東のお札所の中では一番小さいだろう。地区のお年寄り3人が堂守をされていたが、その中に入って私がお勤めをすると、内部はもう狭く感じる。

こちらの観音さまは、総高60~70センチはあろうかという、結構な大きさ。お勤めを終えて御朱印を頂く時、堂守の方が問わず語りに「お堂と観音さまの釣り合いが取れていないとよく言われる」と話すので、「浅草の観音さまの絶対秘仏の御本尊は高さ1寸8分(約5センチ)だし、お堂や観音さまの大きさと御利益は関係ないと思いますよ」と答えると、堂守さんは大きく頷かれて観音さまの縁起を話してくださった。何でも、お札所の本尊の観音さまは地区の氏神だった氷川神社(現在は別の神社に合祀)に祀られていたもので、明治維新のときの廃仏毀釈の波をかいくぐり、このお堂に安置されるようになったものという。堂々たるお姿も、かつて氷川社に祀られていたと聞けば納得。立派な観音さまをわずか数十センチの距離で心行くまで眺められるのは、ローカル霊場巡礼の大きな醍醐味だ。
「いつまでも観音さまを大切にしてください。次の総開帳(2014年)にも必ずお参りさせてもらいます」と再訪を誓い、札所を後にする。

【御詠歌】かをりくる はなのきぞろの しづかぜに
                     ふりしくにはの じょうどなるらん

(2009年4月5日巡礼=川口市木曽呂269)
※木揃堂の地図はこちら

 

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札所30番 長久山真乗院真福寺

木揃堂からさらに車を南に進め、札所30番の真乗院へ向かう。

こちらは真言宗智山派のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩(お寺の本尊は不動明王)。すぐそばには東京外環自動車道が通っているが、鬱蒼とした境内は静かそのもの。

広い本堂の右側に観音さまが祀られていて、その前でお勤め。
こちらでは御住職が自ら納経などの対応などをして下さった。本尊の観音さまは行基作と伝えられる。本堂の前にそびえ立つ高さ18メートルの立派なコウヤマキとともに、このお寺の伝統を物語る。

【御詠歌】われながら をもくおぼゆる つみとがを
                              のりのちからに かろきいしがみ

(2009年4月5日巡礼=川口市石神1253)
※真乗院の地図はこちら

 

(2009年4月5日巡礼分続く)

足立坂東観音めぐり(2)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

5日の日曜日は、足立坂東観音霊場の御開帳の初日。この日は、見沼田んぼ周辺のお札所を中心に回る。

この辺りは公共交通が不便で、あったとしてもJRや地下鉄(埼玉高速鉄道)の駅に向かうものが大半。観音さま巡礼に使えるものではなく、今回は車を使って回る。また、限られた時間で効率よく回るため、巡礼コースはできるだけ一筆書きになるように組んだ。そのため、札所番号順になっていないことをお断りしておく。

 

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札所3番 富岡山瑞岸寺

さすがに日曜日の朝は道が空いている。裏道を使わずに国道17号を南下してJR浦和駅に近い札所3番の瑞岸寺に向かうが、家を出てからちょうど1時間で着いた。

瑞岸寺は、「本太観音堂」の通称で知られる天台宗のお堂で、本尊は聖観世音菩薩。現在は無住で、近くにある延命寺の境外仏堂扱いのようだ。周囲の掲示物もすべて延命寺名義である。

こちらの本尊は、さいたま市の指定有形文化財になっている。総高65.7センチの玉眼入り寄木造で、南北朝時代の作とされる。また、1840(天保11)年のものなど3枚の連経講(観音講)絵馬も、同様に文化財指定されている。

残念だったのは、瑞岸寺は今回の中開帳を「辞退」していることだ。御朱印の対応もなし。従って境内には回向柱や善の綱もないし、御開帳を知らせるポスターさえ見当たらない。本堂の扉は固く閉ざされていて、お賽銭を入れるようにガラスを切ってある所から中を覗くと、お堂の内部は前回2002年の総開帳の時のままのようで、御詠歌を書いた紙が、やや変色した状態で張られていた。燭台には途中で消された蝋燭が付いたままになっている。扁額の隅に小さく書かれた「足立坂東三番」の文字だけが、ここが観音札所であることを示している。

ある札所で、3番の開帳辞退について「高齢化で堂守の人手のやりくりがつかなかったようだ」とも聞いたが、瑞岸寺は浦和周辺に住む人にとって足立坂東の第一印象になる札所である。何より、御開帳は干支が一回りする間に2回しかない、観音さまとご縁を結ぶ貴重な機会。堂守の人手のやりくりがつかなかったのが事実としても、お別当の延命寺では御開帳終了の翌日にジャズ奏者の坂田明氏らを招いて盛大に花祭りの法要を行うのだから、書き置き朱印やごく限られた時間などの開帳など、違った対応ができたのではないかと残念でならない。
ボランティア的な観音講を作って、そちらが対応するわけにはいかないか。私は喜んで参加する。

【御詠歌】うへてみよ とみをかやまのふじがえも
                                             はなのうてなは むらさきのくも

(2009年4月5日巡礼=さいたま市浦和区本太2-23-5)
※瑞岸寺の地図はこちら

 

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札所5番 馬場観音堂

気を取り直して、札所5番の馬場観音堂に向けて車のハンドルを握る。駒場スタジアムの近くを通って、札所3番からは車で15分ほどか。区画整理が進んだ、住宅と農地が混在する一角にある。

馬場観音堂は、「三室堂」の通称で親しまれるお堂。一応天台宗に属しているが、実質は地区で管理する集会所兼用のお堂で、本尊の聖観世音菩薩はその一角に祀られている。

お伺いすると、別当寺の御住職による開帳法要がちょうど終わったところで、地区の方々と御住職が一緒になって内部の飾り付けを直されていた。前回の御開帳から7年が経つわけで、当時の記憶が薄れてしまっていてもやむを得まい。御朱印は私が第1号のようで、「やり方を教えてほしい」と言われ、御住職に確認しながら墨書のゴム印と札所番号の朱印を押す。本来あるはずの「御宝印」が見当たらず、菱形の札所番号印を中央に押す。以前、火災に遭った時に焼けてしまい、その後は御宝印を作らなかったらしい。

【御詠歌】こよいしも しんによのつきを みむろどう
                                                               くもゝさはりも はらふあきかぜ

(2009年4月5日巡礼=さいたま市緑区馬場2-38-3)
※馬場観音堂の地図はこちら

 

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札所4番 太田窪山普門寺

馬場観音堂から南に下り、札所4番の普門寺に向かう。浦和競馬場の真裏にあたる奥まった場所にあるが、見当をつけて適当に街道から路地に入ると、程なく札所への道案内があった。私のような余所者の巡礼者にとって、何よりありがたいお接待である。

太田窪(だいたくぼ)山普門寺は地区で管理するお堂で、本尊は千手観世音菩薩。
こちらでは、これまでの札所で見かけなかった札所の案内図やガイドブック、御詠歌集などを扱っていた。いい機会なので、一揃い求める。特に御詠歌集は、その後の巡礼で重宝した。

御朱印を頂くとき、集印帳をどこで求めたか尋ねられる。今回も例によって鳩居堂で求めた品を使っているのでその旨伝えると、「やはりあそこしかないんですかね」という言葉が返ってきた。無地の朱印帳で片面だけで三十三観音の集印ができる品、私が知る限り都内で扱うのは鳩居堂の限られた一部の店だけのはず。できればお札元で専用の品を授与していただけるとありがたいのだが…。

【御詠歌】なでしこの ながめにあかぬ だいたくぼ
       しめじがはらを めぐむちゝはゝ

(2009年4月5日巡礼=さいたま市南区太田窪4-9-10)
※普門寺の地図はこちら

 

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札所8番 福聚院

普門寺からさらに南に下り、8番札所の福聚院に向かう。こちらも地区で管理する集会所兼用のお堂で、本尊は正観世音菩薩。

福聚院は、馬場観音と比べるといくらかお堂らしい外観。内部は集会所としての使用を中心に考えて作られているようで、一番奥まった場所に観音さまが祀られている。こちらの札所ではお姿を頂くことができる。

【御詠歌】うどんげの みのりにいまぞ をゝやぐち
            ゆうもおろかや だいじだいひを

(2009年4月5日巡礼=さいたま市南区大谷口2295-1)
※福聚院の地図はこちら

 

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札所7番 観音院

札所7番の観音院は川口市の柳崎地籍になるが、福聚院からは車ですぐだ。

こちらは天台宗のお寺で、本尊は正観世音菩薩。入り口には「子安観世音霊場」の大きな看板が掛かる。安産や子育てに御利益のある観音さまのようである。周辺に植えられている桜は見事な花を咲かせている。

本堂でお勤めや御朱印を済ませると、檀家の方に階下の客殿に案内されてお接待。お漬物や茶菓でもてなして頂き、恐縮である。お勤めの時に御詠歌を唱えていたことから、「どこかの講に入っているのか」と尋ねられる。こちらのお寺は御詠歌の講が盛んで、御住職の奥様は天台宗ではかなり名を知られた、御詠歌の師範だという。客殿では江戸三十三観音など、あちこちの霊場巡りの話で盛り上がった。こういう触れ合いができるのが、ローカル霊場の醍醐味の一つ。メジャーな霊場ではなかなかこういう体験はできないはずだ。

【御詠歌】はるさめに いとくりかへす やなぎざき
        ながきめぐみを むすぶたのもし

(2009年4月5日巡礼=川口市柳崎4-11-30)
※観音院の地図はこちら

(4月5日巡礼分続く)

足立坂東観音めぐり(1)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

4月の5~11日に中開帳が行われる、さいたま市とその周辺に札所が広がる「足立坂東観音霊場」にお参りすることにした。

この霊場の存在を知ったのは、たまたまお参りした近所のお寺の観音堂に「足立坂東観音札所」の看板が掲げられているのを見たのがきっかけ。その時は御住職の奥様に「午年の御開帳の時でないと納経が受けられない」と伺ったのだが、ネットで調べるとこの霊場、いろいろと面白い点がある。

まず、同じ県内で巡礼路が異なる霊場に同じ名前が付けられていること。そう、「足立坂東観音霊場」は、埼玉県内に2カ所あるのである。

一つは、桶川市の古刹・知足院を1番札所に、JR高崎線やニューシャトル(埼玉新都市交通)の沿線を回ってさいたま市北区の満福寺を33番札所にするもので、1702(元禄15)年の開創とされる。こちらの札元は知足院。
もう一つは、その満福寺を1番札所に、蕨市の定正寺を33番札所にする番外2カ寺を含む35のお寺からなる巡礼路で、こちらは1705(宝永2)年の開創とされる。後者の札元は定正寺。

で、ここまで書くとお分かりだろうが「同じ名前の異なる霊場」で、両方の札所を兼ねているお寺があるのも面白い。ちなみに、私がたまたま発見した「足立坂東」は前者の知足院が札元の方で、今回お参りするのは後者の定正寺が札元の方である。

この足立坂東観音霊場、さいたま市とその周辺に札所が点在している(札所一覧と地図はこちら)。ご開帳は午年の本開帳と丑年の中開帳である。この辺の観音霊場や薬師霊場は地区で管理しているお堂が札所になっているケースが多く、この機会を逃すと次の御開帳までお参りできないケースも考えられる。このチャンスにぜひ回っておきたいと考え、正確な御開帳期間の把握など準備を進めた。

 

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札所1番 楽邦山満福寺

何はともあれ、せっかくの御開帳だし1番札所から回るのが筋というもの。ただし、御開帳期間中の休みは公休の2日間と有給1日が確保できたのみで、この3日間だけで番外を含め35ある札所を全部回るのは、これまでの巡礼の経験から考えるとかなり厳しいというか、まず不可能。そこで一計を案じ、前もって有住の札所をいくつかお参りすることにした。

札所1番の満福寺は地籍は日進町だが、公共交通機関で行くなら大宮からニューシャトルに乗って、鉄道博物館前で降りた方がいくらか便利かもしれない。こちらは真言宗智山派のお寺で、札所本尊(脇本尊)は正観世音菩薩である。ちなみにお寺の本尊は不動明王。

満福寺では本堂の大普請が始まっていて、現在は基礎がほぼ出来上がった段階。札所本尊の観音さまは京都の仏師へ修理に出しているとのことで、今回は御開帳を見合わせるとのこと。やむを得ないが、本堂の方を向いてお勤めをして、仮の本堂となっている庫裏で御朱印を頂く。

ここが2つの「足立坂東観音霊場」の札所を兼ねているのは、どうやら明治維新のときの廃仏毀釈に端を発しているらしい。これから回る方の足立坂東観音霊場の1番札所は、もともとは大宮氷川神社の別当だった観音寺で、観音寺が廃寺になる際、法縁(お寺の親戚)だった満福寺に本尊や札所をすべて移したことでこちらが札所1番を兼ねることになったようである。

工事中の境内には、当時の遺構と思われる石碑が無造作に積み上げられたりしている。それらを見ながら、当時に思いを馳せるのも一興だろう。

【御詠歌】ふだらくや ねがいもかなう まんぷくじ
                                  いつもたへせぬ のりのともしび

(2009年3月29日巡礼=さいたま市北区日進町2-1003)
※満福寺の地図はこちら

 

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札所10番 大谷場宝性寺

札所10番の宝性寺は、JR京浜東北線と武蔵野線が接続する交通の要衝、南浦和駅のすぐそばにあるお寺。京浜東北線などからはこのお寺の大きな看板が見えるので、ご存じの方も多いかもしれない。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。本堂には足立坂東観音のほか、お不動様や新四国霊場の扁額が掛かる。大きいとはいえないお堂だが、いろいろと由緒深いお寺のようである。
寺務所で御開帳の準備をされていた御住職が、仕事の手を休めて対応をしてくださった。有難い限りである。

【御詠歌】しらまゆみ かりにいるみの やばやぐも
                          おぼへずあたる のりのおしへに

(2009年4月4日巡礼=さいたま市南区南本町2-13-4)
※宝性寺の地図はこちら

 

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札所23番 無動山妙智院観音寺

南浦和から赤羽経由で、札所23番観音寺最寄りのJR埼京線の北赤羽駅に向かう。目指す観音寺へは、北赤羽駅の浮間口から歩いて10分ほどか。

こちらは足立坂東霊場で、唯一東京都内にある札所。といっても、もともとこの辺りは現在の埼玉県に属していたらしいから、足立坂東の札所に名を連ねていても当然か。真言宗智山派のお寺で、札所本尊の聖観世音菩薩は独立した観音堂に祀られている(お寺の本尊は不動明王)。

観音堂の前には回向柱が建てられ、善の綱が既に結ばれていた。境内入り口にある桜が見事。

【御詠歌】きようまでは たびのかりねの うきまくら
                               かねにめざめて かへるふるさと

(2009年4月4日巡礼=東京都北区浮間4-9-2)
※観音寺の地図はこちら

 

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番外札所 園通山法福寺

一度赤羽に戻り、国際興業バスで鳩ケ谷へ。番外札所の法福寺に向かう。やや分かりにくい場所にあるが、サミットストアを目印にすると良い。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらも回向柱が建ち、受け入れ準備は万端のようだ。突然の参拝に対応してくださった御住職夫妻、道順のことをしきりに気にされていた。こちらは札所巡りに最適な地図を持ち歩いている旨を伝えると、ひと安心された様子。
こちらも境内の桜が見事。帰りにはお供物も頂き、恐縮する。

【御詠歌】やまざとを めぐりたづねて ゆきみれば
                         のりのふくじゆに しらたきのおと

(2009年4月4日巡礼=鳩ケ谷市里1577)
※法福寺の地図はこちら

 

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札所28番 鳩井山千手院

やや日が傾き始めたが、頑張ってもう一つ回る。札所28番の千手院は、草加市との境に程近い場所にある。この霊場唯一の曹洞宗のお寺で、本尊は千手観世音菩薩。

山門の扉は閉まっていたが、その脇から出入りできるようになっていたので、本堂の前でお勤めする。庫裏では御住職の息子さんだろうか、若い僧侶の方が対応してくださった。
山門の脇には足立坂東札所であることを示す石柱が立っている。

なお、この札所は細い路地の奥まったところにあり、自動車での参拝は困難。路上駐車は近所の方の迷惑になるので厳禁だ。近くの商店街にあるコインパーキングなどを利用するか、バスでの訪問をお勧めする。

【御詠歌】はらみつの かいのはかりに はとがやの
                             とびたつほどに おもへだいひを

(2009年4月4日巡礼=鳩ケ谷市坂下2-15-5)
※千手院の地図はこちら

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各札所の所在地は定正寺発行の「足立坂東観音霊場巡拝案内図」に、御詠歌は同「足立坂東順礼歌」に準拠している。

豊島八十八カ所巡り(1)

お出かけ 寺社巡礼 弘法大師霊場 御朱印 日記 豊島八十八カ所 霊場巡礼

江戸三十三観音巡礼を結願して、もうすぐ1カ月。次に回る都内の霊場をどこにしようか考えていたのだが、旧豊島郡(現在の板橋、練馬、北、新宿区など)のお寺を回る、四国八十八カ所の「うつし霊場」である「豊島八十八カ所」を巡礼してみることにした。

東京23区内で現在巡礼できる弘法大師霊場としては、豊島以外にも都内全域を回る「御府内八十八カ所」と多摩川沿いのお寺を巡る「玉川八十八カ所」があるし、“簡略版遍路”としては「隅田川二十一霊場」も巡礼可能のようだ。以前にも書いたように、私の都内社寺巡礼はメタボ対策のウオーキングを兼ねたもの。できるだけ歩く距離が取れる方が良いし、埼玉県北部に位置する我が家から通う便を考えると、豊島八十八カ所が一番便利が良い。1番札所に電話してみると、応対もしっかりしていて感じが良い。御府内や玉川と違って、指定の朱印帳も特にないそうだ。いつも使っている東京楠堂製の朱印帳2冊を鳩居堂で買い求め、昨日の土曜日から早速回ることにした。

ただ問題なのが、札所の並び順。本家四国八十八カ所や江戸三十三観音では、ほぼ札所番号順に回るようになっているはずだが、豊島八十八カ所は札所の順番が完全にランダム。とてもじゃないが番号順に回るわけにはいかず、札所一覧を表計算ソフトに入れて住所を基準に並べ替えた上で都内の「歩き用地図」に落とし込み、近接する札所をまとめて回る方法を取った。

 

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札所1番 武王山安養院

池袋で東武東上線に乗り換え、上板橋で降りる。家からざっと1時間半で、通勤時間とほぼ同じだ。札所1番の安養院さんは、上板橋駅南口の賑やかな商店街を抜けて、城北学園高校を目印に20分ほどの歩き。閑静な住宅街といった趣で、あちこちに植えられている桜は見ごろを迎えているものも多い。

安養院は真言宗豊山派のお寺で、本尊は阿弥陀如来。山門の前には、豊島八十八カ所の札所1番であることを示す古びた「弘法大師霊場」の石柱が立っている。境内もかなり広く、四国八十八カ所のお砂踏み霊場や西国三十三観音のうつし霊場もある。本堂左手に大師堂があったので、そちらで読経してから、本堂にもお参りする。庫裏を訪ねて御朱印をお願いする。お茶を頂き、応対してくださった御住職の奥様としばらく世間話。こういうお寺さんとの触れ合いが楽しいのは、江戸三十三観音と同じである。

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お寺の前の道に植えられている桜もまさに見ごろ。奥様の話では「桜川」の地名の通り、この辺りは桜の名所という。
(安養院 板橋区東新町2丁目30-23)
※安養院の地図はこちら

 

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札所58番 医王山荘厳寺

安養院から札所50番の長命寺に向かったのだが、お留守のようで納経ができず、来た道を半ば戻る形で札所58番の荘厳寺に向かう。途中の桜並木もきれいに咲いていて、心が和まされる。安養院からまっすぐ歩けば、15~20分ほどか。長命寺には改めてお参りすることにした。

荘厳寺も境内はかなり広い。近所の方だろうか、お参りする人が多い。お庭も手入れが行き届いている。こちらは真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。庫裏の玄関横に簡単な納経所が設えてあって、呼び鈴を押すとそちらを開けて納経の対応をして頂いた。御住職が不在とのことで書き置き対応だったが、こちらは大小2種類の用紙を用意してある。紙質もクリーム色のちょっと珍しいもの。

参道入り口の所には法話の掲示板があるが、よくある本山で印刷したものではなく、御住職の直筆と思われる長文が張り出されている。人間が何も持たずに生まれてくることを例えに、昨今の経済状況への対応について述べられている。確かに、今の不況は人間の欲が暴走した結果引き起こしたもの。厳しくも温かく励ます文面に感心する。
(荘厳寺 練馬区氷川台3丁目14-26)
※荘厳寺の地図はこちら

 

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札所10番 大明山光傳寺

札所10番の光傳寺へは、荘厳寺から地下鉄の氷川台駅方向へ歩いて10分ほど。ただ、入り口がバス通りに面しておらず、墓地の塀を目印に路地をぐるっと回り込む形になるので、ちょっと迷うかもしれない。

光傳寺は真言宗豊山派のお寺で、本尊は不動明王。本堂前には練馬区の登録天然記念物になっている、コウヤマキの巨木がそびえ立つ。境内にはこれも区の登録文化財になっている三十三観音菩薩像などが祀られている。

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本堂左側には豊島八十八カ所の札所であることを示す細長い扁額が掲げられているが、その反対側には「豊島廿一カ所第十番」などと書かれた、明治と大正の年号入りの扁額が下がっている。田上善夫氏の論文や手元にある「全国霊場巡拝事典」(大法輪閣)によると豊島八十八カ所は1908(明治41)年に開創された由だが、札所番号も同じだし、何となく気になる。

納経の時に御住職に伺うと、豊島八十八カ所が開創される前、「豊島二十一カ所」という弘法大師霊場があり、件の扁額はその名残だとか。豊島八十八カ所は、その二十一カ所霊場の札所を受け継ぎ、22番以降を加えて開創されたものという。だとすれば札所番号が巡礼路にかかわらずランダムに振られているのも納得できる。
ただ、この2枚の扁額はいずれも豊島八十八カ所の開創以降に奉納されたもの。この巡礼路が四国うつしの八十八カ所として認知されるまで、時間が掛かったということか。

賽銭箱には、来月16日に開かれる寄席の案内が張ってあった。定期的に行われているもののようで、地域と密着したお寺なのだろう。
(光傳寺 東京都練馬区氷川台3丁目24-4)
※光傳寺の地図はこちら

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回り始めがお昼になってしまったこともあり、今回は3カ寺で打ち納め。円覚寺百観音を回る時に騎西の龍興寺の御住職がおっしゃられたように、ガツガツせずのんびり結願を目指そうと思う。

また、お参りを終えて何気なく岡山の山陽新聞のホムペを見ていたら、私が学生時代にお世話になったベテラン記者による本四国巡礼のルポが始まっていた。長いことお目にかかっていないが、感謝と遍路の無事を祈って、トラックバックさせていただく。無事の結願を祈ります>横田様

円覚寺百観音めぐり(5)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

日曜日(15日)の「大本山円覚寺百観音霊場」巡りの続き。
札所7~9番は円覚寺山外の札所になる。

 

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札所7番 松岡山東慶寺

円覚寺の総門を出て、JR横須賀線の踏切を渡ると、札所7番の東慶寺はすぐそこ。「縁切り寺」と書いた方が分かりやすいだろうか。そう、現在は私がかつて暮らしていた諏訪市に居を構える、あの歌手のヒットソングのタイトルになっているお寺だ(はっきり書きたいのだが某著作権管理団体への許諾申請が烈しく面倒臭いので)。但し現在は男僧のお寺である。

東慶寺の本尊は釈迦如来で、札所本尊は聖観世音菩薩。私が訪れたときは宝物殿に当たる「松ヶ岡宝蔵」で一般公開されていた(5月末まで)。観音さまの横には、きちんと御詠歌入りの鎌倉三十三観音の扁額が掲げられていた。

境内はお庭がきれい。ここは「東国花の寺」の札所にもなっていて、四季それぞれにお花が楽しめる。入り口の脇にあるヒガンザクラがもう咲き始めていた。今度はイワタバコや花菖蒲の時期に、花の寺巡礼でお参りしよう。 境内の茶室では、若い女性が集まりお茶会を催していた。
(神奈川県鎌倉市山ノ内1367)
※東慶寺公式ホームページはこちら。(公式ブログもあり)

 

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札所8番 金宝山浄智寺

東慶寺を出て、鎌倉街道を市街地方向に少し進み、案内板に従ってJR横須賀線の踏切の手前で右折。だらだら坂を上っていくと、程なく札所8番の浄智寺に着く。

このお寺の本尊は阿弥陀如来など3体で、札所本尊は聖観世音菩薩。観音さまは本堂の裏手の一角を仕切ってお祀りされている。こちらのお寺も鎌倉三十三観音の札所になっていて、観音堂には御詠歌入りの扁額が掛かっている。

山門を入ったときの印象とは裏腹に、このお寺の境内は結構広い。源氏山に食い込んだ谷がそれだけ深いということか。拝観コースは境内の縁をなぞるように造られているので、結構歩き甲斐がある。一番奥まったところにはシイタケの原木がたくさん並べてあって、肉厚でいい感じのシイタケが何本も生えているw 途中には布袋様も祀ってあって、掲示の通りにお腹を撫ぜてきたが、御利益はあるだろうか。
(神奈川県鎌倉市山ノ内1402)

 

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札所9番 錦屏山瑞泉寺

鎌倉市内の札所では、9番の瑞泉寺だけがほかの札所と離れている。鎌倉宮からさらに山側に15分ほど歩いたところにある。地図で見ると坂東三十三観音や鎌倉三十三観音の発願札所になっている杉本寺(杉本観音)からそう遠くない。

札所本尊は千手観世音菩薩。本堂裏手にある崖を利用した「石庭」は必見。お参りの後にゆっくり見たかったのだが、訪れた時はあいにく某県の「歩け歩けの会」が団体参拝中で、急き立てられるようにお庭を後にした。このご一行は参拝マナーも決して褒められたものではなく、結構なお年の人ばかりだったのにちょっと残念。
(神奈川県鎌倉市二階堂710)

円覚寺百観音めぐり(4)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

鎌倉の円覚寺百観音巡りの続き。

 

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札所4番 佛日庵

札所4番の佛日庵は、続燈庵から少し参道を下ったところにある。円覚寺の塔頭では数少ない、外来者ウエルカムのお寺だ。こちらは、円覚寺のとは別に拝観料がかかる。拝観だけの料金とお抹茶付き料金の2本立てで、小腹も空いていたし後者を選び、木戸で500円を支払う。

佛日庵は、円覚寺を開基した北条時宗の廟所として知られる。札所本尊の十一面観世音菩薩坐像は、本堂ではなく廟所にお祀りされている。お抹茶を頂いてから心行くまでお参りする。

こちらは、写経を納めないとお参りすらできないお寺があるなど、「難所」が多いことで知られる鎌倉三十三観音の結願札所にもなっている。朱印所で私のすぐ後ろに並んだ中年カップルは、「結願です」とにこやかに納経所を預かる女性に声を掛けていた。私も「おめでとうございます」と声を掛ける。あちらは、私が手にしていた納経帳に興味があるようで、朱印所で何か聞いていた。
(佛日庵 神奈川県鎌倉市山ノ内434)

 

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札所5番 南山寿徳庵

札所5番の寿徳庵は、佛日庵からさらに少し参道を下り、札所の看板を目印に急な石段を登ったところにある。こちらは札所3番と同じく、「寺用の方以外お断り」の掲示があるのだが、後ろがいやに騒がしいと思って振り返ると、日本人ガイド?に引率された外国人グループが後をついてくる。嫌な予感がしたが、件のグループは案の定、山門のところで御住職に追い返されていた。日本人がついているんだから、注意くらいすれば良いのだが、ひょっとして(以下自粛)。私は百観音参りの来意を伝えると中に入れて頂け、「本堂でお参りしてください」とのことで、お言葉に甘える。

こちらは、戦国の世に当地周辺を治めていた三浦一族との関係が深いお寺。札所本尊は室町時代の作とされる聖観世音菩薩。両手で長い蓮の花を持つ仕草が印象的だ。
(寿徳庵 神奈川県鎌倉市山ノ内444)

 

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札所6番 龍隠庵

結願札所を別にして円覚寺山内での打ち納めとなる札所6番の龍隠庵は、札所1番の横の小道を入って、九十九折の石段を登った小高い場所にある。

石段を登りきると、まさしく庵という感じの建物の隅に観音さまが安置されていて、その前には茣蓙が敷かれていて、お茶のお接待もある。茣蓙に上がってお参りしても構わないかと思って、お寺の人を呼ぼうと鐘を鳴らすと程なく人の良さそうな作務衣姿の若い僧侶の方が出てきた。百観音参りの来意を告げると、こちらでも「本堂でお参りしてください」とのことで少し離れた本堂に案内される。

札所本尊の聖観世音菩薩は丈が30~40センチほどだろうか。わざわざお灯明をつけて下さり、焼香してから読経する。読経が終わって御朱印が出来上がるのを待っていると、先ほどの若い僧侶の方が、お抹茶とお菓子を持ってきて下さった。僅かな納経代だけで申し訳ない…と思いながら頂き、いろいろと話が弾む。程なく御住職もお見えになり、百観音参りを始めた経緯をお話しして、いろいろとアドバイスを頂戴する。まだ回っていない札所でも無住のところなど「難所」があるようだ。「頑張って回りなさい」と励ましの言葉も掛けていただき、ありがたい限り。
あまりのお接待に、お寺を後にするとき賽銭箱の中に気持ちばかりの金額を改めて入れる。
こちらはいろいろな催しもあるようなので、また来たい。本当にいいお寺である。
(龍隠庵 神奈川県鎌倉市山ノ内450)

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円覚寺山外にある札所7~9番は、別稿で。

円覚寺百観音霊場めぐり(3)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場

昨日の土曜日から空模様は一転して、雲一つない青空が広がる絶好のお出かけ日和。「大本山円覚寺百観音霊場」巡りの続きに出掛ける。

 

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札所1番 瑞鹿山円覚寺

円覚寺百観音巡礼記のその1に書いた通りの事情で、発願寺はわが家から近い騎西町の龍興寺さんに定めたのだが、1番札所をいつまでも放っておくのは気分が良くない。天気も良いことだし、鎌倉まで遠出をしてみたw

JR北鎌倉駅の下りホーム先端にある臨時改札を出ると、程なく円覚寺の総門に着く。ここで拝観料300円也を払って、境内へ。木戸のすぐ先に朱印所がある。話を聞くと件数が多く結構時間が掛かるようなので、先に納経帳を預けてから札所1番にお参りする。

こちらの札所本尊は大慈大悲観世音菩薩。お寺の本尊である釈迦如来を祀る仏殿のすぐそばにある、「選佛場」に観音さまが祀られている。選佛場は僧侶が座禅を組むためのお堂。写真の通り結構な人出で、他の人の邪魔にならぬように通路の一番端で読経する。観光地化されているし致し方ないのだろうが、手も合わせずに観音さまだけ「見仏」して帰る人の多いこと…数珠を手に読経する私を怪訝な表情で見る人もいるくらいだ…怪しい風体なのは認めざるを得ないがねwww
(円覚寺 神奈川県鎌倉市山ノ内409)
※円覚寺ホームページはこちら

 

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札所2番 伝衣山黄梅院

札所2~6番は、円覚寺山内にある塔頭寺院。札所2番の黄梅院は、その中でも一番奥まった場所にある。歩く距離も高低差も結構あり、円覚寺の広さを実感。

黄梅院の札所本尊は千手観世音菩薩と聖観世音菩薩の2体。いずれも本堂に安置されていて通常は拝むことができないようだが、「お前立ち」ということだろうか、境内にある観音堂には別の聖観音がお祀りされている。
札所の看板はあるのだが、納経所を示す類のものがない。本堂の玄関を訪ねたら、こちらで正解だった。「よくお参りです」と声を掛けていただき、御朱印を頂けた。

別の札所で聞いたのだが、黄梅院の御住職は山内の要職も務められているようで、お留守のことが多いらしい。「一度で御朱印を頂けるとは運がいいですよ」とのことだが、これも観音さまの御加護だろうか。
(黄梅院 神奈川県鎌倉市山ノ内428)

 

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札所3番 万富山続燈庵

黄梅院から参道を少し下りて、札所の看板を目印に石段を上がったところに札所3番の続燈庵がある。
石段の横には「寺用の方以外はお断り」の掲示があるが、「百観音巡りは大丈夫だろう」と思って石段を上がる。本堂のガラス戸が開いていて観音さまを拝めたので、外から読経して本堂の玄関で来意を告げても、人の気配がしない。しばらくすると、本堂奥の墓地などがあるところから「お参りですか?」と作業服姿の男性がこちらに声を掛けてくれる。その方が御住職だった。

本堂に上がってお参りしてほしいとのことで、御住職の仕事を止めさせて申し訳ないと思いつつ、お言葉に甘える。こちらの札所本尊は聖観世音菩薩だが、童女のような可愛らしい表情をしている。南北朝時代の作とのことで、このお寺が関東大震災の被害にあった際に、法類(お寺の親戚関係のようなもの)に当たる札所7番の東慶寺から奉安されたものと御住職は説明してくださった。

百観音霊場を知ったきっかけなど、いろいろと話が弾む。こちらの御住職、龍興寺の御住職とも親しいようである。何としても結願しなければと気が引き締まる。
(続燈庵 神奈川県鎌倉市山ノ内431)

長くなるので続きは別記事で。

円覚寺百観音めぐり(2)

お出かけ 円覚寺百観音 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

空模様が怪しいが、近所の「大本山円覚寺百観音霊場」巡りに出掛けてきた。

 

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札所39番 常楽山養竹院

わが家からは荒川を渡って車で30分ほどの、札所39番の養竹院さんから回る。参道の入り口が県道に面していないため、ちょっと迷うw

山門の脇にひなびた観音堂があって、そちらに「大本山円覚寺百観音霊場三十九番札所」の扁額が掛かる。札所本尊は千手観世音菩薩。
観音堂でお参りして読経してから農家然とした本堂へお参りに伺うと、ご住職の奥様が出てこられ、「○○(管理人の苗字)さんですか?」と聞かれる。「龍興寺さんから電話がありましたから」とのことで、心配りに感謝。お話好きな奥様で、昔話やら霊場巡礼のことやら、いろいろと話が尽きない。札所本尊の千手観世音菩薩は地域で「子安観音」と呼ばれていて、安産に霊験あらたかなのだとか。「あなたはもうお子さんいらっしゃるの?」と聞かれたので「いえいえ、相手がおりませんで…」と答え、二人で呵呵大笑www
このお寺は太田道灌の子資家が父を供養するために開基したとされ、境内には「太田道灌の陣屋跡」の石碑がある。昔は隣接する八幡神社を含め境内地は広大だったそうだが、農地改革などで今のような姿になったのだとか。

縁側に持ってきて下さった朱印を納める箱の中に「中武蔵三十二番札所」という印があったので尋ねると、この地域のお薬師様の巡礼路とのこと。来年の寅年が御開帳だそうで、ちょっと楽しみだ。鬼に笑われそうだがw
山門の脇には、「中武蔵札所」であることを示す新しい石碑も建っている。
(養竹院 埼玉県川島町表9)
養竹院の地図はこちら

 

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札所38番 大龍山清河寺

札所39番から再び荒川を渡り、札所38番の清河寺(せいがんじ)さんへ。ここも県道からの入り口が分かりにくく、ちょっと迷う。やっぱり車にナビをつけないとダメか…www

本堂や庫裏を建て直して間もないようで、木の香りがしてきそうな感じだ。足利一族との関係が深い古刹で、札所本尊は千手観世音菩薩。山門を入って左側にある「慈水堂」と名付けられた観音堂の中にお祀りされている。

路地から100メートルほどの参道の両側には、見事な梅の並木。いい香りが漂っていた。簡素ながら美しい、いかにも臨済宗という感じのお寺だ。
(清河寺 さいたま市西区清河寺792)
※清河寺の地図はこちら

 

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札所41番 寶王山少林寺

札所38番から国道17号を北上し、上尾卸売市場がある交差点を右折して、札所41番の少林寺さんへ向かう。

上尾市の文化財に指定されている朱塗りの山門の脇に、百観音霊場の幟が立っている。1288年開基の古刹で、本尊は聖観世音菩薩。
このお寺のある一帯は西門前という地籍なのだが、その「門前」とはこの少林寺門前のことを指している。昔は相当大きなお寺だったようだ。境内では四季の草花が楽しめるが、その美しさも伝統のなせる技か。本堂にはおびんずる様も安置されている。

お寺から頂いた略縁起の末尾に、大本山円覚寺百観音と並んで「足立新秩父34ヶ所第十二番札所」の文字があった。ご住職に伺うと、江戸時代に始まった秩父札所の「うつし霊場」で、現在では廃寺になっている札所もあって、全部回るのは難しいのでは…とのこと。午年ごとの総開帳の連絡も30年以上絶えているそうで、「音頭取りをする人がいなくなっているのだろうなあ。うちのお寺の御詠歌もあるのですが」と、残念そうなご様子だった。
(少林寺 埼玉県上尾市西門前399)
※少林寺の地図はこちら

 

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札所40番 瑞露山密厳院

上尾市の西北部、歩いて数分で桶川市という場所にある札所40番の密厳院(みつごんいん)さんを訪ねる。

このお寺、実は先週も一度訪れている。その時はデジカメを家に置いてきてしまったのと、無住のようで納経先などが分からず、龍興寺さんで教えて頂いて改めて出直した次第。札所本尊は如意輪観世音菩薩。山門に百観音霊場の扁額が掛かる。養竹院と同様、太田家との所縁が深いお寺という。境内には新しい六地蔵と並び、古びた「馬頭観世音」の石碑が建つ。お堂の横に妙な空間があるのは、馬頭観世音を祀っていたことの名残か。

密厳院は、桶川市の知足院を札所1番とする坂東札所のうつし霊場、足立坂東(北足立)三十三観音の20番札所でもある。別のお寺で聞いた話では、足立坂東三十三観音は午年ごとの総開帳の伝統は守られているようだ。百観音の納経は、養竹院で受けて頂ける。
(密厳院 上尾市藤波2-196)
※密厳院の地図はこちら

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先日書き漏らしてしまったが、円覚寺百観音の大半の札所は、通常の檀家寺。この点は江戸三十三観音も同じなのだが、こちらはまだまだ巡礼者が少ないし、事前にお寺にお参りの日時を連絡しておいた方が良い。ご住職が不在の場合は納経が受けられないお寺もある。

円覚寺百観音霊場めぐり(1)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 観音霊場 霊場巡礼

臨済宗円覚寺派が開創した、「大本山円覚寺百観音霊場」を回り始めた。

この霊場を知ったのは、本当にひょんなきっかけ。隣町の巨大ショッピングセンターに買い物に行こうと車を走らせていたら、たまたま前を通ったお寺さんの前に、「観音霊場」と書かれた青い幟が掲げられているのが見えた。この辺りは江戸時代の開創とされる「忍領西国霊場」「忍秩父三十四札所」などの巡礼が盛んだった土地柄なのでその類かと思い車を路肩に寄せて幟をよく見ると「臨済宗円覚寺派百観音霊場」と書いてある。

たまたま、ご住職夫妻が生け垣に水を撒かれていたので声を掛けると「臨済宗円覚寺派でつくった観音霊場です。資料があるのでお暇なときに寄ってください」とのことだった。

後日、改めてこの龍興寺さんを訪ね、ご住職夫妻から回り方などを伺う。先に伺った通り、臨済宗円覚寺派のお寺だけで構成する観音霊場で、札所1番は大本山円覚寺の聖観世音菩薩、結願札所はやはり円覚寺の百観音で、現在は神奈川、埼玉、静岡、栃木、群馬、新潟の各県に札所が点在しているようだ。札所になっているお寺で専用の納経帳を受けて回る決まりという。唱えるお経は般若心経で良いそうだ。興味がわいたので、納経帳を受けてお参りすることにした。

 

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札所43番 大光山龍興寺

本来ならば鎌倉にある札所1番の円覚寺から回らなければいけないのだろうが、この霊場の存在を知ったきっかけから、わが家最寄りの札所43番、龍興寺さんを発願札所に定める。

このお寺は騎西町上崎地籍だが鴻巣市との市町境に近く、公共の交通機関で行く場合はJR高崎線の鴻巣駅を使った方が便利で、市町境の近くまではコミュニティバスもある。お寺の本尊は釈迦如来で、札所本尊は千手観世音菩薩。

境内はいかにも臨済宗らしい枯山水の趣で、簡素な中にも清々しさが漂う。本堂のそばにある法話の掲示板はご住職の直筆のようで、話題の選び方や話の中身が身近で分かりやすい。このお寺は足利氏との関係が深かったようで、境内に足利持氏、春王、安王の供養塔がある。境内が広く感じるのもそれ故か。

ご住職は元気で人当たりがよく、法話も上手そうにお見受けした。県内の守り本尊霊場を回っていることを話し、私が午年であることを言うと、「同じだね」とにっこり笑われた。この霊場の回り方についてもアドバイスを受けた。「札所巡りをしているとどうしても欲が出て、一日に多くのお寺を回ろうとしがちだが、それではいけない。お参りには時間が掛かるものだし、欲を出してはいけない。1日に5つのお寺を回ろうとして、実際には4つ回るくらいのつもりでちょうど良い」「札所を回ろうと発願する、その気持ちこそが大切」とご住職はおっしゃる。行田霊場や江戸三十三観音を回った経験からご住職のアドバイスは頷けるものばかりで、この霊場巡りからはゆっくり回ろうと心に誓う。
次に回るお寺が無住のような気がしたので尋ねたら納経所になっているお寺を教えていただき、わざわざ電話連絡までして頂いた。ただただ感謝。

何せ広いエリアの霊場、結願を急がずのんびり回ろうと思う。
(龍興寺 埼玉県北埼玉郡騎西町上崎1890)
※龍興寺の地図はこちら

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