観音霊場

円覚寺百観音めぐり(6)

お出かけ 円覚寺百観音 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 霊場巡礼

4月19日には、近所にある臨済宗円覚寺派の百観音札所にお参りしてきた。

 

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札所42番 円通寺観音堂

「大本山円覚寺百観音霊場」の札所42番・円通寺観音堂は、かつての埼玉県川里町、現在の鴻巣市にあるお寺。わが家からは自転車でも30分ほどの所にある。

鴻巣駅から新落合橋方面のバスが通る県道に面して、札所の観音堂が建つ。慶長年間の建立といわれる総ヒノキ造りの堂々たるお堂で、本尊の馬頭観世音菩薩木像などとともに市の文化財に指定されている。
このお寺、元々は「観音寺」という独立したお寺で、1690(元禄3)年開創とされる西国三十三観音うつしの「忍領三十三観音(忍新西国観音)霊場」の6番札所になっている。明治維新の廃仏毀釈が影響しているのか、現在は円通寺の飛び地境内にある観音堂としての扱い。専用納経帳に「観音寺」と記されているのは、こうした由来によるもののようだ。

お納経は、観音堂から少し歩いたところにある、円通寺本坊の庫裏で扱っていただける。百観音霊場の扁額も、こちらの山門に掛かっている。本坊の境内にはやはり市の文化財になっている石像の三十三観音もあり、こちらもぜひ見てほしい。
(円通寺 埼玉県鴻巣市屈巣2147=2009年4月19日巡礼)

足立坂東観音めぐり(8=完)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

足立坂東観音霊場の丑年中開帳最終日となる11日の土曜日も、絶好のお参り日和。最終日は片付けやお別当の閉扉法要の関係で早仕舞いのお札所が多いと聞いていたので、早めに家を出る。今回は駅から近いお札所が多く、電車利用だ。

 

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札所2番 廓信寺

大宮からJR京浜東北線で北浦和へ。この駅を利用するのは大学入試のとき以来のはずだが、当時の記憶があいまいでどのくらい変わったか覚えていない。まあ、落ちた大学だし仕方がないかw

廓信寺は浄土宗のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。北浦和駅から与野方向に数分戻った所にあって、幼稚園などがある境内は結構広い。観音さまは本堂と路地を挟んで向き合う、客殿兼用の地蔵堂で御開帳されている。回向柱は路地に建っていて、そこから善の綱が観音さまに延びる。回向柱が建つ路地は近所の生活道路を兼ねていて、「御開帳のため自転車は押してお通り下さい」という立て看板が、いかにもローカル霊場の趣。

御朱印を頂くと、「針が谷観音寺(廓信寺管理)」の文字がある。もともとのお札所は観音寺で、それが廓信寺に合寺された結果、廓信寺が札所2番を務めているのでこう表記しているとのこと。地蔵堂は以前火事に遭って建て直されている由だが、焼け残った梁や柱は再利用され、かすかだが往時の雰囲気を伝えている。

【御詠歌】みがけたゞ おのをもすりて はりがやと
                                 なりしためしに をのがこゝろを

(4月11日巡礼=さいたま市浦和区北浦和3-15-22)
※廓信寺の地図はこちら

 

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札所26番 並木堂

北浦和駅に戻り、再びJR京浜東北線に乗って西川口へ。札所26番の並木堂は、西川口駅東口から川口方向に進んだ所にある。西川口駅方面からだと、札所案内の表示が見えずらいので注意が必要。

こちらは浄土宗のお堂ということになっているが、実質的には地区が管理するいわゆるムラ堂で、本尊は聖観世音菩薩。現在は、かつての観音堂を建て直した町会会館の一室に観音様が祀られている。

観音様が祀られている仏間は6畳くらいの広さ。その狭さゆえに、間近に観音様を拝んでお勤めできるのがうれしい。茶菓の接待をしている休憩スペースでは、昔の写真や資料をいろいろと展示していた。戦後しばらくまで使われた観音堂は、茅葺きの建物だったようで、いかにも田舎のお堂らしく好ましい。

【御詠歌】これやこの なみきさくらのはなのはる
                                              たしようのゑんを むすぶいといふ

(4月11日巡礼=川口市並木2-37-5)
※並木堂の地図はこちら

 

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札所9番 二ツ堂

西川口から大宮方向に1駅戻って蕨へ。札所9番の二ツ堂は川口市地籍だが、JRの最寄り駅は蕨である。足立坂東札所を回って実感したが、京浜東北線の沿線は自治体の境界が入り組んでいるケースがとても多い。

二ツ堂は臨済宗のお堂とされているが、並木堂などと同じく、実質は地区管理のお堂。本尊は聖観世音菩薩。臨済宗建長寺派に属する川口市の長徳寺がお別当を務められているようだ。

ここのお堂、名前の通り2つのお堂がくっついたような形をしている。1624年にお堂が建てられたとき、右側が土地の豪族だった須賀氏の菩提寺として千手観音を祀り、左側は長徳寺檀家の集会所や法事の場所として、聖観音を祀ったことに端を発しているようだ。二つのお堂をつなげたのはずっと後の話らしい。

お堂の中には西国三十三観音の掛け軸がずらりと並べられている。観音さまの上半身には赤い布がかけられ、拝むことができなかった。お世話役の女性の一人は、開帳初日の田島観音での忘れ物を教えて下さった方で、あらためてお礼をする。

【御詠歌】ゑんむすぶ みはつかばらの さしもぐさ
                                           さしもまそをの すぐになれつゝ

(4月11日巡礼=川口市芝塚原2-18-12)
※二ツ堂の地図はこちら

 

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札所33番 塚越瑞塚山定正寺

結願となる札所33番の定正寺には、二ツ堂から歩いて向かう。定正寺は蕨市地籍になるが、歩いて20~25分というところか。途中にはひなびたいい感じの御嶽山神社もあり、そちらにもお参り。

定正寺は真言宗智山派のお寺ということになっているが、こちらも事実上は地区管理のお堂。本尊は正観世音菩薩。足立坂東霊場のお札元である。

このお寺、塚越稲荷神社の境内に同居し、神仏習合の名残をとどめている。かつては稲荷神社の別当も務めていたようだが、神仏分離のときに観音堂だけが残り、今のような姿になった由。お堂の横には、往時は新四国霊場だったことを示す石碑も建っている。

お勤めをして御朱印を頂くと、「結願」の印を押してくれた。結願印を頂くのは江戸観音に続いて2回目だが、この達成感は格別のものである。

境内にはテントが張られて、巡礼者へ茶菓のお接待をしている。私も御厚意に甘え、花吹雪の中で冷たいお茶を頂く。「お前さんに似合わず風流だな」という声が聞こえてきそうだが(笑)。

お茶を頂きながら、一つ面白い話を聞いた。札所の地元に住むある男性、本家坂東、秩父、西国の百観音を回り、さらに本四国でお遍路をしている時、ある札所で百観音を全部回ったことを話したら、そこの札所の人に「地元には足立坂東の観音霊場があるはずだが、地元の霊場をないがしろにするとは何事か」と叱られ、菅笠においずる姿でこの御開帳期間、足立坂東の巡礼をしているそうだ。ここの霊場、全国のローカル霊場を網羅した「全国霊場巡拝事典」(大法輪閣)にも載っていないので知る人ぞ知る存在とばかり思っていたのだが、お四国の札所にこの霊場の存在を知っている人がいたとは意外である。観音様の力、やはり侮れず。

【御詠歌】まよいしも いつかこしぬる みづせがわ
                                               ふかきめぐみに うかぶうれしき
ちゝはゝと たのみをかけし をいづりを
                                               かたじけなくも をさむこのてら

(4月11日巡礼=蕨市塚越3-2-14)
※定正寺の地図はこちら

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天候にも恵まれ、いい気分で番外含め35のお札所を回ることができて良かった。どこのお札所でも、地元の方々による心のこもったお接待があり、ありがたい限り。瀬戸内の「島遍路」と同じ温かさである。一部の札所で御開帳を見合わせたのは残念だったが、5年後の総開帳では、全部のお札所で観音様とのご縁を深められるのを願って、つたない巡礼記をひとまず「打ち納め」とさせていただく。

※本巡礼記の内容について、各町内会や札所・別当寺など関係先への問い合わせは御遠慮いただくようお願いします。内容についてのご質問は、左側メニューの「お問い合わせ」からどうぞ。

足立坂東観音めぐり(7)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

7日の足立坂東三十三観音巡りの続き。まだ時間があるので、戸田・川口方面のお札所を頑張って回る。

 

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札所22番 龍光山不退院常福寺

海禅寺からさらに東に向かい、札所22番の常福寺に向かう。裏手にある「参詣者用駐車場」には止めるスペースがなかったが、山門側にちゃんと巡礼者用のスペースが確保されていた。

常福寺は浄土宗のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩(浄土宗寺院なので言わずもがなだが、お寺の本尊は阿弥陀如来)。観音さまは境内にある観音堂に祀られている。今回の御開帳はどこの札所でも茶菓のお接待があり、「お下がり」が頂ける。こちらの札所のお接待は葵の御紋の入った瓦せんべい。袋を見ると増上寺関連の品のようだ。そういえば、江戸観音めぐりでも浄土宗のお札所で瓦せんべいを頂いたことがあったが、瓦せんべいと浄土宗って何か関係があるのだろうか。お下がりを入れる袋には、観音さまのお姿が描かれている。大事にしないと。御詠歌入りの紙風船も頂けた。子供連れのお参りにもお勧めの札所である。

【御詠歌】しもとだに しらでつもりし をいのゆき
                                          きえなんのちを たのみおくかな

(2009年4月7日巡礼=戸田市中町2-4-11)
※常福寺の地図はこちら

 

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札所25番 最勝院

荒川の堤防に沿う形で、札所25番の最勝院へ。これより川口市内のお札所となる。駐車場が見当たらなかったので、向かい側のコインパーキングに車を止めてお参りする。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。
実はある札所で、「25番も開帳を見合わせているらしい」という話を聞いていて、不安を抱きながらのお参りだったのだが、参道の入り口に御開帳を知らせるポスターが張られていて、ちゃんと回向柱も建っており一安心。
こちらは本堂の2階に仏間があり、外からは九十九折の階段で上がっていくのだが、善の綱はちゃんと階段に沿って張られていた。作業が大変だっただろうに…。

最勝院には本尊の十一面観音のほか、屋外には石像の子安観音も祀られている。慈悲に満ちたいいお顔をである。

【御詠歌】ごくらくを いづことひとは いゝづかの
                                         とはぬさきより まつかぜのおと

(2009年4月7日巡礼=川口市飯塚1-15-24)
※最勝院の地図はこちら

 

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札所24番 平等山善光寺

荒川沿いにさらに西に進み、JR京浜東北線などのガードをくぐって、札所25番の善光寺へ。荒川の「スーパー堤防」上にある珍しい立地で、JRの電車から本堂がよく見えるから、ご存じの向きも多いかもしれない。

善光寺は真言宗智山派のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。
本堂周辺には御開帳を知らせるポスターの類が一切張られておらず25番の一件もあったので不安だったが、本堂の扉を開けると中にちゃんと告知がしてあり、一安心。2階の仏間でお勤めさせていただく。

浄土宗と天台宗が事実上共管している長野の善光寺とは宗派が違うが、名前の通りにお寺の本尊は一光三尊の阿弥陀如来(いわゆる阿弥陀三尊)。阿弥陀三尊を祀る寺社でつくる「全国善光寺会」の会員でもある。江戸時代には手軽な江戸近郊からの善光寺参りや、足立坂東札所の玄関口として賑わったそうだ。御朱印を頂く時に、信州善光寺の御開帳の案内も頂戴する。そういえば、善光寺会の霊場もあるんだよな…。

【御詠歌】くらきより くらきにまよう われわれを
                                           みちびきたまへ よきひかりてら

(2009年4月7日巡礼=川口市船戸1-29)
※善光寺の地図はこちら

 

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札所27番 良光院

帰宅しようと北に進路を取ったのだが、札所27番の良光院の近くまで来た時に時計に目をやると午後4時半を少し過ぎた所。ダメもとでお参りすることにした。

良光院は浄土宗のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩。コンパクトな境内だが、本堂とは別に観音堂があって、札所本尊はそちらにお祀りされている。観音さまのお顔がちょっと優しげに見えるのは気のせいか。

観音堂で堂守をされていた女性に来意を告げると、「どうぞお参りしてください」とのこと。御厚意に甘えて、本堂にある納経所にいらっしゃった御住職に朱印帳を預けてから、観音さまの前でお勤めさせていただく。
お勤め中には背後で随分と人の気配を感じたのだが、最後に御詠歌を唱えてからお礼をしようと振り返ると、お寺や手伝いの方がずらり勢ぞろいw 御住職の前で下手糞な読経と御詠歌を披露したわけで、穴があったら入りたい気分だが、「ご詠歌まで唱えて頂いて…」と言われ、少しほっとする。

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コンパクトなお堂だが、中には御詠歌の入った大正時代の扁額が掲げられている。よく見ると、「足立坂東拾七番観音」とあり、居合わせた皆さんと首をひねるが、経緯の分かる方は誰もいない。埼玉県のホームページで見ることができる足立坂東霊場の開山記原本の絵図には27番となっているし、戦前の一時期、札所番号が入れ替わったことでもあったのだろうか。謎である。

【御詠歌】よろづよを ふれどまつばの しもあをき
                                                   みのりのはるは ときはなりけり

(2009年4月7日巡礼=川口市中青木4-15-3)
※良光院の地図はこちら

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残るお札所は、2番、9番、26番、33番の4枚。何とか御開帳最終日の11日に回れそうである。

足立坂東観音めぐり(6)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

2009年4月7日巡礼分の続き。
お昼を過ぎた所なので、まだまだ頑張って回る。

 

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札所16番 三宝山自性院徳祥寺

普門寺からさらに南に下って、札所16番の徳祥寺に向かう。北関東系の大型家電系の店の角を曲がる所があるのだが、マナーの悪い車が多く、危ないこと。

徳祥寺は真言宗智山派のお寺だが、今回回るお札所の多くと同じように、実質は地区管理のお堂のようである。お別当は同じ戸田市内の慈眼寺の由。本尊は正観世音菩薩。

近くには首都高速の高架も通っているのだが、境内は静かなもの。向かい側には「村の鍛冶屋」のような趣の、どこからか焼玉エンジンの音が聞こえてきそうな小さな農機具屋さんが現役で頑張っていて、この一角だけは別の時間が流れているようだ。

昭和の終わりに建て直されたというお堂の中には、観音講中が千手観音を囲み読経する姿を描いた「千手観音供養図絵馬」が掲げられている。但しこの絵馬は戸田市の指定文化財で、お堂に掲げられているものはレプリカだとか。

【御詠歌】みほとけに はなをさゝげし わたづみの
                                                みめそのまゝに うかぶこのてら

(2009年4月7日巡礼=戸田市美女木7-4-1)
※徳祥寺の地図はこちら

 

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札所17番 普門山平等寺

進路を東に変えて、札所17番の平等寺に向かう。ここからはしばらく、東に向かってほぼ一直線上にお札所が続く。

平等寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は正観世音菩薩。ここからはしばらく有住の札所となる。
参道の中間あたりに枝垂桜が植えられていて、お伺いした折はちょうど見ごろ。納経の対応をされていた御住職と、花の話などで盛り上がる。

こちらのお寺は保育園や幼稚園も経営されている。10日が入園式の由で、「桜がそれまで持つかなあ」と、御住職は気がかりな御様子だった。

【御詠歌】あられふる おとにをどろく たまざさめ
                                           うきよのゆめを さとるあけぼの

(2009年4月7日巡礼=戸田市笹目6-5-4)
※平等寺の地図はこちら

 

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札所18番 観音寺

そのままバス通りを東に向かい、札所18番の観音寺へ。

観音寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は如意輪観世音菩薩。
境内は広く手入れが行き届いていて、桜が真っ盛りのお庭が美しい。伽藍も堂々としたものだ。
ここの札所もなかなかフレンドリーなお寺で、本堂の前ではお寺の子どもら数人が遊んでいる。御住職の奥様が巡礼者への対応をしていて、本堂でお勤めを終えると、内陣の一番奥にある観音さまの前に案内してくださって「心行くまで拝んでください」と心配りをして頂いた。

【御詠歌】たがうへし ぽたへのたねの もへいでて
                                       いまぞむかしの はなをみるかな

(2009年4月7日巡礼=戸田市新曽1791)
※観音寺の地図はこちら

 

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札所19番 瑞光山海禅寺

観音寺から中央通りをさらに東に進み、札所19番の海禅寺に向かう。

海禅寺はある程度寺の名前で察しがつくように臨済宗建長寺派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。
境内は禅宗のお寺らしく、簡素な佇まい。こちらでも御住職自ら納経の対応をして頂いた。霊場の縁起を記した開山記も置いてあって、一冊求める。

足立坂東霊場で、海禅寺は有住札所唯一の臨済宗寺院。無住札所まで含めれば札所9番の二ツ堂のお別当も臨済宗のお寺である。

【御詠歌】ひたすらに いのれふくじゆの かいぜんじ
                                 なみかづかづに ふかきちかいを

(2009年4月7日巡礼=戸田市上戸田3-7-18)
※海禅寺の地図はこちら

 

(2009年4月7日巡礼分続く)

足立坂東観音めぐり(5)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

7日の火曜日は、有給休暇を取って足立坂東三十三観音巡りの続きに出掛ける。土曜日と日曜日だけじゃ、番外さんを含め35札所はとても回れないw
今回は、JR埼京線沿いのお札所を回るが、公共交通機関の関係からマイカー巡礼にした。

 

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札所13番 寶栄山如意輪寺

ちょっと朝寝坊してしまい出発が遅れる。平日だし裏道を使ったが、家から札所13番の如意輪寺までは車で1時間40分ほどかかった。ここの札所は駐車スペースがなく、数百メートル離れたダイエーのコインパーキングに車を止めてお参りする。

札所13番の如意輪寺は、「田島観音」の通称で知られる。お札元発行のガイドブックには真言宗智山派の寺とあるが、実際には地区で管理しているお堂のようだ。お寺の名前からも察しがつくだろうが、本尊は如意輪観世音菩薩。

境内は結構広く、参道沿いに吊るされている「開扉」と書かれた赤い提灯が巡礼者を迎えてくれる。境内の奥には鐘楼があり、ちゃんと鐘が吊るされている。除夜の鐘をつくことができるのだろうか。境内には集会所もあって、文字通り地域の拠り所となっているようである。

私がお勤めを済ませるのと入れ違いに、札所9番・二ツ堂の講の皆さんが20人以上で参拝に訪れる。お揃いの手拭いを半袈裟のように下げて、なかなか粋である。

【御詠歌】みわたせば あきのたじまの ほむしろに
                                         しくものもなき のりのにはかな

(2009年4月7日巡礼=さいたま市桜区田島3-28-9)
※如意輪寺の地図はこちら

 

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札所14番 四谷観音寺

車を止めたダイエーの駐車場から南に下り、札所14番の四谷観音寺に向かう。こちらは境内に車を止めることができた。田島観音からは歩いても10分ほどの距離である。

四谷観音寺は一応真言宗智山派に属するが、田島観音と同じく地区で管理するお堂。本尊は聖観世音菩薩。
お堂でお勤めしようとすると…般若心経の経本がない。どうやら田島観音に忘れてきたようだ。以前浅草寺で頂いた、十句観音経を唱えるのに使う経本に般若心経も載っているので、とりあえずそちらを使う。

お勤めを済ませると、先ほどの二ツ堂の講の皆さんがやってきた。年配の女性が私を見つけて、田島観音で経本を預かっていただいていることを教えてくれる。恥ずかしい限りだが、心配りに多謝。

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こちらのお堂も参道沿いに提灯が飾られているが、地区の方の手書きの絵と言葉が面白く、思わず見入ってしまう。

【御詠歌】うまれくる しなのよつやは ありぬとも
                                   ひとつはらすに のりのみちかな

(2009年4月7日巡礼=さいたま市南区四谷3-7)
※四谷観音寺の地図はこちら

 

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札所12番 鶴住山広田寺観音堂

般若心経の経本を受け取りに田島観音へ寄ってから、札所12番の広田寺に向かう。四谷観音からは歩いて10分足らずである。こちらでは、札所に隣接する自治会館に車を止めさせていただく。

広田寺は「沼影観音」の通称で知られる、地区管理のお堂。本尊は聖観世音菩薩で、天台宗のお寺が別当を務められているようだ。

境内が児童公園になっていて、子どもたちが元気いっぱいに遊んでいる。時折訪れる巡礼者を、不思議そうに見つめて親に尋ねている子どももいた。桜がちょうど満開。あまり知られていないようだが、観音堂の裏手には文殊菩薩がお祀りしてある。どうも由緒深いお寺のようだ。
札所23番・前川観音の項でも記したが、こちらのお札所は講がしっかりしていて、団体参拝も熱心な御様子だ。

【御詠歌】むつのなみ たつともまゝよ ぬまかげの
                                               にごりにしまぬ はすのうてなに

(2009年4月7日巡礼=さいたま市南区沼影1-6)
※広田寺の地図はこちら

 

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札所11番 白幡観音堂

沼影観音から南西に進み、札所11番の白幡観音堂に向かう。こちらは、中山道に面した札所である。沼影観音からは歩いて15分ほどか。バス停がすぐ目の前にあり、浦和方面から公共交通機関で巡礼するときは、浦和駅からこちらまでバスで来て、お参りを済ませたら田島観音までバスで行ったほうがいいかもしれない。

白幡観音堂は地区管理のお堂のようだが、真言宗豊山派に属している。本尊は聖観世音菩薩。
こちらの札所は周囲を高層住宅に囲まれ、お堂の周囲だけが昔の雰囲気を漂わせている。ここでも境内の桜が見事。

お堂の中では、本尊の聖観世音菩薩と並んで如意輪観世音菩薩も祀られていて、併せて御開帳されていた。堂守をされていた地区の方に如意輪観音を祀るようになった由来を尋ねたが、詳しいことは分からないという。

ご朱印にお姿を添えていただいた。ありがたい限りである。

【御詠歌】むかいとり たもうときには ありがたや
                                           みなみのそらに たまのしらはた

(2009年4月7日巡礼=さいたま市南区白幡4-14-25)
※白幡観音堂の地図はこちら

 

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札所15番 普門寺

白幡観音から、裏道を辿ってさいたま市と戸田市の境が入り組んだ地域にある札所15番の普門寺に向かう。

こちらは地区管理のお堂で、本尊は聖観世音菩薩。
お堂の中には、本尊を含め3体の観音さまが祀られている。堂守をされていた方に由来を伺うが、先ほどの白幡観音同様、詳しい縁起は分からないという。

こちらはお堂の横に庫裏のような建物があって、ちゃんと表札が出ている。無住の札所と伺っていたが、どうやらお留守番の人を置いているようだ。同じような形態のお札所は豊島八十八カ所にもいくつかあるようだが、物騒な御時世、無住のお堂でもこうした管理が望ましいのは言うまでもない。

お昼は近くにある、埼玉県民おなじみのファミレス「馬車道」で頂く。ハンバーグとコーンコロッケのランチだったが、なかなか美味。

【御詠歌】ただたのめ あまねくかどに しなじなを
                                        もらさでてらす ありあけのつき

(2009年4月7日巡礼=さいたま市南区内谷5-16-3)
※普門寺の地図はこちら

(2009年4月7日巡礼分続く)

足立坂東観音めぐり(4)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音


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午後もいい時間になってきたが、見沼田んぼ周辺の足立坂東観音札所巡りを続ける。

 

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札所29番 功得山慈眼寺観音院

真乗院から車をさらに南へ進め、鳩ケ谷市にある札所29番の慈眼寺に向かう。入り口が分かりにくく、周囲をウロウロしてしまう。

慈眼寺は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。現在は同じ宗派の地蔵院に合寺され、その観音堂として扱われている。

駐車場に車を入れて境内に入ると、「葬儀式場」を示す大きな立て看板が目に飛び込んでくる。観音堂に隣接する葬祭ホールでは、葬儀社や喪家の方が慌しく準備中。江戸観音巡りで放生寺にお参りしたときと同じ展開で、不安がよぎる。ダメなら日を改めようと観音堂へおじゃますると、御開帳は通常通りするのでお参りしてくださいとのこと。御厚意に甘えて本尊の前でお勤めさせていただく。観音さまは等身より少し大きい堂々たるもので、彩色されている。何でも以前火災に遭い、その修復時に彩色されたのだとか。

観音堂の上は仏教美術館になっていて、仏像や仏画などが多数展示されている。こちらも御厚意に甘えて、見せていただくことにした。いろいろな仏教美術が集められていて一言では言い表せないが、私の目を引いたのは、中国やベトナムの観音さまのコレクション。さすがに中国の観音さまは日本のそれと同じようなお顔をしているが、ベトナムの観音さまはずいぶんと柔らかな表情。国民性の違いが観音さまの表情にも表れるのか。
仏教美術館は日曜日の午後に開館。事前に地蔵院へ問い合わせてから訪問を。

なお、お葬式の準備中だったため慈眼寺では写真を撮影していない。後日改めて写真を撮ってこようと思う。

【御詠歌】ありがたや このうらでらに ほのみえて
                             ぐせいにはやく のりのをいかぜ

(2009年4月5日巡礼=鳩ケ谷市桜町5-5-39 地蔵院内)
※慈眼寺の地図はこちら

 

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札所32番 前川観音観福寺

目指す方向を西に変え、川口にある札所32番の観福寺に向かう。

こちらは「前川観音」の通称で親しまれる、真言宗智山派のお寺。本尊は千手観世音菩薩。
開基は平家の嫡流・平維盛の長子六大丸(六代)。現在の静岡県沼津市にあたる千本松原での処刑を免れ、川口の地に草庵を結んでこの地で生涯を終えたとの言い伝えが残る。

山門を入るとすぐに観音堂が見えるが、大回りするように順路が指定されている。その通りに進むと、本堂のすぐ前に回向柱が建てられ、長い善の綱が観音さまとのご縁を結んでいる。
近所の人が近道してお参りしようとすると、「折角苦労して角塔婆建てたんだから、ちゃんと順路通りお参りしてよ」と世話役の檀家の人に突っ込まれていた(笑)。

堂内でお勤めを終え、内陣を出ようとすると、お揃いの半袈裟をまとった30人ほどの団体とすれ違う。法衣姿の僧侶の方3人がお先達を務めているようだ。
全員が内陣に入ると、太鼓を鳴らしながら全員で観音経の読経が始まる。ものすごい迫力だ。聞けば、足立坂東の札所12番・沼影観音の講による団体参拝で、足立坂東のお札所では結構有名という。びっくりしたのは、講中に金髪・革ジャン姿の「どちらのロックバンドの方ですか」と聞きたくなるような、20代と思しき男性の姿があったこと。この男性も一心に観音経を唱えていた。若い人でも、信心深い人がいるんだなと驚く。

内緒だが、沼影観音一行のお先達の一人だったうら若き尼僧の方は、はっとするような美人。こういうところに目がいくあたり、私はまだまだ煩悩の塊のようである(笑)。御詠歌が意味深だ…。

【御詠歌】ふだらくの たきつながれの みづはやく
                                         こゝろのあかを すゝぐまへかわ

(2009年4月5日巡礼=川口市前川4-30-13)
※観福寺の地図はこちら

 

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札所20番 金亀山三学院極楽寺

御開帳終了時間の午後5時まではまだ間があるので、蕨市内のお札所にもお参りする。

札所20番の三学院は真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。蕨市は全国で最も面積が小さい部類の自治体に入るのだが、それとは逆に三学院は境内が広く幼稚園も併設されていて、伽藍も堂々としている。建築中の阿弥陀堂も立派なもの。

こちらは有住寺院なので、前日にも一度訪れている。その時は明日にしてほしいとのことで、この日に再訪した次第。で、長屋門をくぐって「御開帳入口」の張り紙がしてある本堂を目指すと、前日に庫裏の場所を教えていただいた普段は授香所にいるらしい女性が、「あっ、昨日の御開帳の朱印の人」と、大声で手招きしてくださる(笑)。こういうフレンドリーさ、何度も書くがローカル霊場でないと味わえない魅力だ。

本尊は高さ1.7メートルほどの、等身の大きなもの。平安時代の慈覚大師作とされる。「大きな観音さまですね」と声を掛けると、「ここのお寺は何でも大きなのが好きなんですよ。お金ないはずなのに」と、件の女性は納経所にいる若い僧侶の方を向いて大笑い。僧侶の方も苦笑いしておられた。言われてみると伽藍もそうだが境内の弘法大師像もほかのお寺の倍近くの大きさのような気がする。「裏に回るともっと大きな観音さまがありますよ」とのことで、教えられた通りに行ってみると、境内の一番奥に高さ7~8メートルにもなる平和観音が祀られている。戦争の犠牲者を祀る観音さまという。

帰り際、来年の4月に阿弥陀堂の落慶法要を行うのでぜひ来てほしいと言われる。その時はぜひお参りしなければ。

このお寺、古くは真言宗の檀林(学問所)に列せられ、現在は大学に通いながら修行に励む若い僧侶の学寮としても機能しているようだ。4月29日の花祭りでは、お稚児さんと僧侶がきらびやかな衣装に身を包んでパレードすることでも知られている。

【御詠歌】はなをみよ ついにこのみは ごくらくじ
                                   とそつのみねの あめのめぐみに

(2009年4月5日巡礼=蕨市北町3-2-4)
※三学院の地図はこちら

 

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札所21番 竜亀山無量寿寺三蔵院

まだ少し時間があるので、三学院近くの札所21番・三蔵院にもお参りする。

こちらも真言宗智山派のお寺で、本尊は正観世音菩薩で、行基作とする資料もある。日常の管理は地区の方が行い、仏事の際は三学院からお坊さんが来るようだ。三学院の末寺ということもあるのだろうか、立派な伽藍である。

お勤めをして朱印帳を差し出すと、ここでも「朱印帳をどこで買ったのか」という話になる。「鳩居堂で」と答えると、やはり「ああそうか」という顔をされる。ちなみに、私が知る限り両面使わずに35個の朱印が押せる、蛇腹式の朱印帳を扱っているのは鳩居堂でも銀座本店と池袋の東武百貨店内にある出店だけ。いつも使っている新丸ビル内の店には置いていないことのほうが多い。

時間が迫ってきたので、今回はここで打ち納め。三蔵院を出たところで道中に札所9番があったことを思い出したが、そちらは駅から近い札所なので次回にする。

【御詠歌】あのくたら ぼだいのたまを みつのくら
                                  つきずくちせぬ たからなりけり

(2009年4月5日巡礼=蕨市中央2-30-10)
※三蔵院の地図はこちら

足立坂東観音めぐり(3)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

4月5日巡礼分の続き。欲を出してはいけないことは重々承知しているが、頑張って回らないと御開帳期間内に全札所を回れない(笑)。

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札所6番 慈了山清泰寺

東浦和駅前を経由して、JR武蔵野線の北側にある札所6番の清泰寺へ。 何かイベントがあるらしく、駅周辺は結構な交通渋滞で、ちょっと焦る。

清泰寺は天台宗のお寺で、本尊は正観世音菩薩。区画整理が進んだ住宅街の一角にあって、境内はなかなかの広さ。葬儀などに使われるらしいモダンなホールと、いかにも田舎のお寺らしい佇まいの本堂の対比が面白い。
本堂では、まだ30代とお見受けした若い御住職と檀家の方が一緒になって、巡礼者への対応やお接待に当たっていた。ここでも、あちこちの札所巡りの話で盛り上がる。都内霊場のお札所でオフィスビル化が進んでいること、御住職は「昼間の人口がほとんどいない地域で、寺を維持するにはやむを得ないのでは」と話しておられた。確かに都心部では檀家は減る一方だろうし、墓地の増設もままならない。「限界集落」は山間部や離島に限った話ではないことを改めて実感する。

お昼はたまたま見つけた、近くの「カフェレノン」という店で取る。ジョン・レノンのグッズがいっぱいのお店で、ファンにはたまらないお店だろう。700円のブランチセットは、喫茶店とは思えないボリュームで、お勧め。

【御詠歌】てるつきに さゞなみきよく たいらかに
                       うろくずまでも うかぶみずうみ

(2009年4月5日巡礼=さいたま市緑区東浦和5-18-9)
※清泰寺の地図はこちら

 

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番外札所 八丁観音寺

番外札所の八丁観音寺は、清泰寺から車で数分の距離。
見沼田んぼに半島のように突き出した微高地の上にあり、前を通る県道は乗用車同士のすれ違いにも気を使う狭さ。おまけにこの日はJR東日本主催の「駅からハイキング」が周辺で行われていて、車を止める場所を探すのに一苦労。お札所から300メートル近く離れた場所に駐車余地を見つけ、駐車禁止のステッカーを張られぬように走ってお札所まで移動する(笑)。

お札所の名前は「八丁観音寺」だが、実質的には地区の集会所兼用のお堂。その内部に本尊の聖観世音菩薩が祀られている。
お堂の中では、地区の女性らが御詠歌のおさらいの真っ最中。その手を休めてお接待をしてくださり、何か申し訳ない気分。その女性、「もう足腰がしんどくなる歳なのに、初めて御詠歌を教わっているの」と屈託ない笑顔で教えてくれる。観音さまを祀る祭壇に掛けられている布は、あの「ミッフィー」柄のもの。平成14年と書かれていたから、前回総開帳の時に作られたものか。元気な女性や可愛いウサギ柄の飾りに囲まれて、観音さまも楽しそうである。

JRのハイキング参加者で、興味深そうに御開帳の様子を眺める人が結構いる。ほかのお札所にもお参りしてくれれば良いのだが。

【御詠歌】まつのこと たきのつゞみは あふまぎの
                           もりはさながら ふだらくのみね

(2009年4月5日巡礼=さいたま市緑区大間木1907)
※八丁観音堂の地図はこちら

 

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札所31番 木揃堂

見沼田んぼの縁を南に下り、札所31番の木揃(きぞろ)堂へ。再び川口市地籍になるが、この辺りは行政界が複雑に入り組んでいて、道を誤りやすい。「五軒茶屋」という飲み屋が札所への目印になる。

木揃堂はその地籍から「木曽呂堂」と書かれることもある、地区管理のお堂。札元発行のパンフレットだと真言宗豊山派とあるが、これはお別当の寺院のことだろう。本尊は十一面観世音菩薩。
お堂の大きさは、足立坂東のお札所の中では一番小さいだろう。地区のお年寄り3人が堂守をされていたが、その中に入って私がお勤めをすると、内部はもう狭く感じる。

こちらの観音さまは、総高60~70センチはあろうかという、結構な大きさ。お勤めを終えて御朱印を頂く時、堂守の方が問わず語りに「お堂と観音さまの釣り合いが取れていないとよく言われる」と話すので、「浅草の観音さまの絶対秘仏の御本尊は高さ1寸8分(約5センチ)だし、お堂や観音さまの大きさと御利益は関係ないと思いますよ」と答えると、堂守さんは大きく頷かれて観音さまの縁起を話してくださった。何でも、お札所の本尊の観音さまは地区の氏神だった氷川神社(現在は別の神社に合祀)に祀られていたもので、明治維新のときの廃仏毀釈の波をかいくぐり、このお堂に安置されるようになったものという。堂々たるお姿も、かつて氷川社に祀られていたと聞けば納得。立派な観音さまをわずか数十センチの距離で心行くまで眺められるのは、ローカル霊場巡礼の大きな醍醐味だ。
「いつまでも観音さまを大切にしてください。次の総開帳(2014年)にも必ずお参りさせてもらいます」と再訪を誓い、札所を後にする。

【御詠歌】かをりくる はなのきぞろの しづかぜに
                     ふりしくにはの じょうどなるらん

(2009年4月5日巡礼=川口市木曽呂269)
※木揃堂の地図はこちら

 

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札所30番 長久山真乗院真福寺

木揃堂からさらに車を南に進め、札所30番の真乗院へ向かう。

こちらは真言宗智山派のお寺で、札所本尊は聖観世音菩薩(お寺の本尊は不動明王)。すぐそばには東京外環自動車道が通っているが、鬱蒼とした境内は静かそのもの。

広い本堂の右側に観音さまが祀られていて、その前でお勤め。
こちらでは御住職が自ら納経などの対応などをして下さった。本尊の観音さまは行基作と伝えられる。本堂の前にそびえ立つ高さ18メートルの立派なコウヤマキとともに、このお寺の伝統を物語る。

【御詠歌】われながら をもくおぼゆる つみとがを
                              のりのちからに かろきいしがみ

(2009年4月5日巡礼=川口市石神1253)
※真乗院の地図はこちら

 

(2009年4月5日巡礼分続く)

足立坂東観音めぐり(2)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

5日の日曜日は、足立坂東観音霊場の御開帳の初日。この日は、見沼田んぼ周辺のお札所を中心に回る。

この辺りは公共交通が不便で、あったとしてもJRや地下鉄(埼玉高速鉄道)の駅に向かうものが大半。観音さま巡礼に使えるものではなく、今回は車を使って回る。また、限られた時間で効率よく回るため、巡礼コースはできるだけ一筆書きになるように組んだ。そのため、札所番号順になっていないことをお断りしておく。

 

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札所3番 富岡山瑞岸寺

さすがに日曜日の朝は道が空いている。裏道を使わずに国道17号を南下してJR浦和駅に近い札所3番の瑞岸寺に向かうが、家を出てからちょうど1時間で着いた。

瑞岸寺は、「本太観音堂」の通称で知られる天台宗のお堂で、本尊は聖観世音菩薩。現在は無住で、近くにある延命寺の境外仏堂扱いのようだ。周囲の掲示物もすべて延命寺名義である。

こちらの本尊は、さいたま市の指定有形文化財になっている。総高65.7センチの玉眼入り寄木造で、南北朝時代の作とされる。また、1840(天保11)年のものなど3枚の連経講(観音講)絵馬も、同様に文化財指定されている。

残念だったのは、瑞岸寺は今回の中開帳を「辞退」していることだ。御朱印の対応もなし。従って境内には回向柱や善の綱もないし、御開帳を知らせるポスターさえ見当たらない。本堂の扉は固く閉ざされていて、お賽銭を入れるようにガラスを切ってある所から中を覗くと、お堂の内部は前回2002年の総開帳の時のままのようで、御詠歌を書いた紙が、やや変色した状態で張られていた。燭台には途中で消された蝋燭が付いたままになっている。扁額の隅に小さく書かれた「足立坂東三番」の文字だけが、ここが観音札所であることを示している。

ある札所で、3番の開帳辞退について「高齢化で堂守の人手のやりくりがつかなかったようだ」とも聞いたが、瑞岸寺は浦和周辺に住む人にとって足立坂東の第一印象になる札所である。何より、御開帳は干支が一回りする間に2回しかない、観音さまとご縁を結ぶ貴重な機会。堂守の人手のやりくりがつかなかったのが事実としても、お別当の延命寺では御開帳終了の翌日にジャズ奏者の坂田明氏らを招いて盛大に花祭りの法要を行うのだから、書き置き朱印やごく限られた時間などの開帳など、違った対応ができたのではないかと残念でならない。
ボランティア的な観音講を作って、そちらが対応するわけにはいかないか。私は喜んで参加する。

【御詠歌】うへてみよ とみをかやまのふじがえも
                                             はなのうてなは むらさきのくも

(2009年4月5日巡礼=さいたま市浦和区本太2-23-5)
※瑞岸寺の地図はこちら

 

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札所5番 馬場観音堂

気を取り直して、札所5番の馬場観音堂に向けて車のハンドルを握る。駒場スタジアムの近くを通って、札所3番からは車で15分ほどか。区画整理が進んだ、住宅と農地が混在する一角にある。

馬場観音堂は、「三室堂」の通称で親しまれるお堂。一応天台宗に属しているが、実質は地区で管理する集会所兼用のお堂で、本尊の聖観世音菩薩はその一角に祀られている。

お伺いすると、別当寺の御住職による開帳法要がちょうど終わったところで、地区の方々と御住職が一緒になって内部の飾り付けを直されていた。前回の御開帳から7年が経つわけで、当時の記憶が薄れてしまっていてもやむを得まい。御朱印は私が第1号のようで、「やり方を教えてほしい」と言われ、御住職に確認しながら墨書のゴム印と札所番号の朱印を押す。本来あるはずの「御宝印」が見当たらず、菱形の札所番号印を中央に押す。以前、火災に遭った時に焼けてしまい、その後は御宝印を作らなかったらしい。

【御詠歌】こよいしも しんによのつきを みむろどう
                                                               くもゝさはりも はらふあきかぜ

(2009年4月5日巡礼=さいたま市緑区馬場2-38-3)
※馬場観音堂の地図はこちら

 

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札所4番 太田窪山普門寺

馬場観音堂から南に下り、札所4番の普門寺に向かう。浦和競馬場の真裏にあたる奥まった場所にあるが、見当をつけて適当に街道から路地に入ると、程なく札所への道案内があった。私のような余所者の巡礼者にとって、何よりありがたいお接待である。

太田窪(だいたくぼ)山普門寺は地区で管理するお堂で、本尊は千手観世音菩薩。
こちらでは、これまでの札所で見かけなかった札所の案内図やガイドブック、御詠歌集などを扱っていた。いい機会なので、一揃い求める。特に御詠歌集は、その後の巡礼で重宝した。

御朱印を頂くとき、集印帳をどこで求めたか尋ねられる。今回も例によって鳩居堂で求めた品を使っているのでその旨伝えると、「やはりあそこしかないんですかね」という言葉が返ってきた。無地の朱印帳で片面だけで三十三観音の集印ができる品、私が知る限り都内で扱うのは鳩居堂の限られた一部の店だけのはず。できればお札元で専用の品を授与していただけるとありがたいのだが…。

【御詠歌】なでしこの ながめにあかぬ だいたくぼ
       しめじがはらを めぐむちゝはゝ

(2009年4月5日巡礼=さいたま市南区太田窪4-9-10)
※普門寺の地図はこちら

 

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札所8番 福聚院

普門寺からさらに南に下り、8番札所の福聚院に向かう。こちらも地区で管理する集会所兼用のお堂で、本尊は正観世音菩薩。

福聚院は、馬場観音と比べるといくらかお堂らしい外観。内部は集会所としての使用を中心に考えて作られているようで、一番奥まった場所に観音さまが祀られている。こちらの札所ではお姿を頂くことができる。

【御詠歌】うどんげの みのりにいまぞ をゝやぐち
            ゆうもおろかや だいじだいひを

(2009年4月5日巡礼=さいたま市南区大谷口2295-1)
※福聚院の地図はこちら

 

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札所7番 観音院

札所7番の観音院は川口市の柳崎地籍になるが、福聚院からは車ですぐだ。

こちらは天台宗のお寺で、本尊は正観世音菩薩。入り口には「子安観世音霊場」の大きな看板が掛かる。安産や子育てに御利益のある観音さまのようである。周辺に植えられている桜は見事な花を咲かせている。

本堂でお勤めや御朱印を済ませると、檀家の方に階下の客殿に案内されてお接待。お漬物や茶菓でもてなして頂き、恐縮である。お勤めの時に御詠歌を唱えていたことから、「どこかの講に入っているのか」と尋ねられる。こちらのお寺は御詠歌の講が盛んで、御住職の奥様は天台宗ではかなり名を知られた、御詠歌の師範だという。客殿では江戸三十三観音など、あちこちの霊場巡りの話で盛り上がった。こういう触れ合いができるのが、ローカル霊場の醍醐味の一つ。メジャーな霊場ではなかなかこういう体験はできないはずだ。

【御詠歌】はるさめに いとくりかへす やなぎざき
        ながきめぐみを むすぶたのもし

(2009年4月5日巡礼=川口市柳崎4-11-30)
※観音院の地図はこちら

(4月5日巡礼分続く)

足立坂東観音めぐり(1)

お出かけ 寺社巡礼 御朱印 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音 霊場巡礼

4月の5~11日に中開帳が行われる、さいたま市とその周辺に札所が広がる「足立坂東観音霊場」にお参りすることにした。

この霊場の存在を知ったのは、たまたまお参りした近所のお寺の観音堂に「足立坂東観音札所」の看板が掲げられているのを見たのがきっかけ。その時は御住職の奥様に「午年の御開帳の時でないと納経が受けられない」と伺ったのだが、ネットで調べるとこの霊場、いろいろと面白い点がある。

まず、同じ県内で巡礼路が異なる霊場に同じ名前が付けられていること。そう、「足立坂東観音霊場」は、埼玉県内に2カ所あるのである。

一つは、桶川市の古刹・知足院を1番札所に、JR高崎線やニューシャトル(埼玉新都市交通)の沿線を回ってさいたま市北区の満福寺を33番札所にするもので、1702(元禄15)年の開創とされる。こちらの札元は知足院。
もう一つは、その満福寺を1番札所に、蕨市の定正寺を33番札所にする番外2カ寺を含む35のお寺からなる巡礼路で、こちらは1705(宝永2)年の開創とされる。後者の札元は定正寺。

で、ここまで書くとお分かりだろうが「同じ名前の異なる霊場」で、両方の札所を兼ねているお寺があるのも面白い。ちなみに、私がたまたま発見した「足立坂東」は前者の知足院が札元の方で、今回お参りするのは後者の定正寺が札元の方である。

この足立坂東観音霊場、さいたま市とその周辺に札所が点在している(札所一覧と地図はこちら)。ご開帳は午年の本開帳と丑年の中開帳である。この辺の観音霊場や薬師霊場は地区で管理しているお堂が札所になっているケースが多く、この機会を逃すと次の御開帳までお参りできないケースも考えられる。このチャンスにぜひ回っておきたいと考え、正確な御開帳期間の把握など準備を進めた。

 

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札所1番 楽邦山満福寺

何はともあれ、せっかくの御開帳だし1番札所から回るのが筋というもの。ただし、御開帳期間中の休みは公休の2日間と有給1日が確保できたのみで、この3日間だけで番外を含め35ある札所を全部回るのは、これまでの巡礼の経験から考えるとかなり厳しいというか、まず不可能。そこで一計を案じ、前もって有住の札所をいくつかお参りすることにした。

札所1番の満福寺は地籍は日進町だが、公共交通機関で行くなら大宮からニューシャトルに乗って、鉄道博物館前で降りた方がいくらか便利かもしれない。こちらは真言宗智山派のお寺で、札所本尊(脇本尊)は正観世音菩薩である。ちなみにお寺の本尊は不動明王。

満福寺では本堂の大普請が始まっていて、現在は基礎がほぼ出来上がった段階。札所本尊の観音さまは京都の仏師へ修理に出しているとのことで、今回は御開帳を見合わせるとのこと。やむを得ないが、本堂の方を向いてお勤めをして、仮の本堂となっている庫裏で御朱印を頂く。

ここが2つの「足立坂東観音霊場」の札所を兼ねているのは、どうやら明治維新のときの廃仏毀釈に端を発しているらしい。これから回る方の足立坂東観音霊場の1番札所は、もともとは大宮氷川神社の別当だった観音寺で、観音寺が廃寺になる際、法縁(お寺の親戚)だった満福寺に本尊や札所をすべて移したことでこちらが札所1番を兼ねることになったようである。

工事中の境内には、当時の遺構と思われる石碑が無造作に積み上げられたりしている。それらを見ながら、当時に思いを馳せるのも一興だろう。

【御詠歌】ふだらくや ねがいもかなう まんぷくじ
                                  いつもたへせぬ のりのともしび

(2009年3月29日巡礼=さいたま市北区日進町2-1003)
※満福寺の地図はこちら

 

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札所10番 大谷場宝性寺

札所10番の宝性寺は、JR京浜東北線と武蔵野線が接続する交通の要衝、南浦和駅のすぐそばにあるお寺。京浜東北線などからはこのお寺の大きな看板が見えるので、ご存じの方も多いかもしれない。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩。本堂には足立坂東観音のほか、お不動様や新四国霊場の扁額が掛かる。大きいとはいえないお堂だが、いろいろと由緒深いお寺のようである。
寺務所で御開帳の準備をされていた御住職が、仕事の手を休めて対応をしてくださった。有難い限りである。

【御詠歌】しらまゆみ かりにいるみの やばやぐも
                          おぼへずあたる のりのおしへに

(2009年4月4日巡礼=さいたま市南区南本町2-13-4)
※宝性寺の地図はこちら

 

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札所23番 無動山妙智院観音寺

南浦和から赤羽経由で、札所23番観音寺最寄りのJR埼京線の北赤羽駅に向かう。目指す観音寺へは、北赤羽駅の浮間口から歩いて10分ほどか。

こちらは足立坂東霊場で、唯一東京都内にある札所。といっても、もともとこの辺りは現在の埼玉県に属していたらしいから、足立坂東の札所に名を連ねていても当然か。真言宗智山派のお寺で、札所本尊の聖観世音菩薩は独立した観音堂に祀られている(お寺の本尊は不動明王)。

観音堂の前には回向柱が建てられ、善の綱が既に結ばれていた。境内入り口にある桜が見事。

【御詠歌】きようまでは たびのかりねの うきまくら
                               かねにめざめて かへるふるさと

(2009年4月4日巡礼=東京都北区浮間4-9-2)
※観音寺の地図はこちら

 

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番外札所 園通山法福寺

一度赤羽に戻り、国際興業バスで鳩ケ谷へ。番外札所の法福寺に向かう。やや分かりにくい場所にあるが、サミットストアを目印にすると良い。

こちらは真言宗智山派のお寺で、本尊は十一面観世音菩薩。こちらも回向柱が建ち、受け入れ準備は万端のようだ。突然の参拝に対応してくださった御住職夫妻、道順のことをしきりに気にされていた。こちらは札所巡りに最適な地図を持ち歩いている旨を伝えると、ひと安心された様子。
こちらも境内の桜が見事。帰りにはお供物も頂き、恐縮する。

【御詠歌】やまざとを めぐりたづねて ゆきみれば
                         のりのふくじゆに しらたきのおと

(2009年4月4日巡礼=鳩ケ谷市里1577)
※法福寺の地図はこちら

 

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札所28番 鳩井山千手院

やや日が傾き始めたが、頑張ってもう一つ回る。札所28番の千手院は、草加市との境に程近い場所にある。この霊場唯一の曹洞宗のお寺で、本尊は千手観世音菩薩。

山門の扉は閉まっていたが、その脇から出入りできるようになっていたので、本堂の前でお勤めする。庫裏では御住職の息子さんだろうか、若い僧侶の方が対応してくださった。
山門の脇には足立坂東札所であることを示す石柱が立っている。

なお、この札所は細い路地の奥まったところにあり、自動車での参拝は困難。路上駐車は近所の方の迷惑になるので厳禁だ。近くの商店街にあるコインパーキングなどを利用するか、バスでの訪問をお勧めする。

【御詠歌】はらみつの かいのはかりに はとがやの
                             とびたつほどに おもへだいひを

(2009年4月4日巡礼=鳩ケ谷市坂下2-15-5)
※千手院の地図はこちら

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各札所の所在地は定正寺発行の「足立坂東観音霊場巡拝案内図」に、御詠歌は同「足立坂東順礼歌」に準拠している。

ぜいたくな悩み(笑)

七福神 寺社巡礼 日記 観音霊場 足立坂東三十三観音

東京都心部では昨日、早々と桜の開花宣言。どうも各地とも大幅に桜の開花が早まりそうだ。
ここ数年、花見の時期には長野県の高遠に出掛けるのを常にしているので、気象台の参考情報を見ると…昨年より1週間、平年に比べると2週間近く早い、4月2日の開花予想。

ありゃりゃ…ダブルブッキングだ
というのも、来月の5~11日は、さいたま市周辺の巡礼路「足立坂東三十三観音」の中開帳なんである。名前から察しがつく通り、坂東三十三観音の「うつし霊場」なのだが、江戸や本家坂東と違って、こちらは大半の札所が地区で管理する観音堂。御開帳期間でないとお参りすらできない札所がある可能性も否定できない…。こちらの三十三観音の御開帳は午年の「総開帳」と丑年の「中開帳」だけ。したがって今回の機会を逃すと次のチャンスは5年後ということになる。この機会にぜひお参りしたい。

というわけで、今年は高遠へのお花見は中止。お花見の時は木曽七福神伊那七福神にもお参りしたかったのだが、こちらはまたの機会ということか。木曽や伊那の七福神は御住職の法話など独自のお接待があるようで、いつか訪ねたい。

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