御朱印

江戸三十三観音めぐり(2)

お出かけ 御朱印 日記 江戸三十三観音 霊場巡礼

先週の1月28日、江戸三十三観音巡りの続きに出掛けてきた。すぐブログを更新したかったのだが、風邪を引いたり借りているサーバーの調子が悪かったりで、アップするのが遅れてしまった。

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札所4番 諸宗山無縁寺回向院

お葬式の最中で前回お参りできなかった、両国の回向院から回っていく。
山門を一歩くぐると、大通りに面しているとは思えない静けさだ。参道両側の竹が美しい。本堂はホール形式になっていて、靴を履いたままお参りできる。大きなお葬式や法事が多いお寺では、こうした方が合理的なのだろう。

本尊の阿弥陀如来にお参りしてから、本堂の脇にある白いお堂に奉安されている、札所本尊の馬頭観音にお参りする。馬頭観音の周囲はペット用の納骨堂になっていて、愛犬や愛猫の名前が書かれた札がずらりと並んでいる。
馬頭観音といえば「怒りの表情」が一般的だが、ここの観音様は優しいお顔で、ペットの冥福を優しく祈っているようにも思える。

ここは浄土宗のお寺だが、「諸宗山無縁寺回向院」という正式な寺名が示す通り、大火や震災、戦災で亡くなった人の仏を供養するお寺。今はペットの供養に力を入れているようだ。お寺の方の対応も親切で、寺宝の文化財の絵葉書や仏教関係の雑誌を頂いた。この雑誌、「大黒天と恵比寿神のお話」という読み物が面白い。
(墨田区両国2-8-10)
※回向院ホームページはこちら

 

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札所7番 柳井堂心城院

両国から都営地下鉄大江戸線で上野御徒町に出て、札所7番の柳井堂心城院に向かう。

湯島天神の男坂のそばにあるこの札所は、天台宗のお寺。
札所本尊の十一面観世音菩薩ともに大聖歓喜天をお寺の本尊としていて、「湯島聖天」の通称で知られる。
本堂も境内も「田舎のお堂」然としていて、コンパクトだ(本堂は鉄筋コンクリートだが)。

御朱印を頂くとき、「お下がりです」とお菓子を頂戴する。一見何でもないことだが、霊場を巡礼しているとこういう心配りがすごく嬉しい。石段を登って湯島天神にもお参りするが、こちらはすごい人出。まあ学問の神様で、今は「書き入れ時」だが、境内のあちこちには合格祈願の絵馬が鈴なりに下げられていた。
(文京区湯島3-32-4)
※柳井堂心城院ホームページはこちら

 

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札所9番 東光山定泉寺

本郷3丁目まで歩き、そこから都バスに乗って吉祥寺前で降りる。札所9番の定泉寺は、バスが走る通りを少し本郷方向へ戻ったところにある。
この周辺はいくつかの札所が集まっているので、札所の番号にとらわれずできるだけ「一筆書き」になるように回る。
定泉寺は浄土宗のお寺で、札所本尊は十一面観世音菩薩。御朱印を頂きに庫裏の玄関を訪ねると、「御朱印を書いている間本堂でお参りしてください」とのことで、お言葉に甘える。
本堂にはお数珠の持ち方など、浄土宗のお参りの作法が分かりやすく掲示されている。

朱印帳を受け取る際、以前行田霊場を巡るときにも気になっていた「浄土宗のお寺で般若心経を唱えて良いのか」という疑問をぶつけてみた。
ご住職は「浄土宗には、唱えてはいけないお経はありません。心配せず般若心経を唱えていただいて大丈夫ですよ」との答え。ほっとした。
こちらのお寺では、半月状のお寺の名前が入った瓦せんべいをお下がりに頂く。三十三観音巡り関連のホムペやブログを見ると、どうやらここのお寺の名物らしい。もうしばらく神様に供えてから食べることにする。
(文京区本駒込1-7-12)

 

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札所8番 東梅山花陽院清林寺

札所8番の清林寺は定泉寺からは歩いて10分足らず。

こちらも浄土宗のお寺。札所本尊の聖観世音菩薩は、庫裏玄関の左側にあるガラス窓の内側に安置されていて、山門が開いている時間は気軽に拝むことができる。

このお寺は、毎年秋に開いている「講演の夕べ」や般若心経の英訳など、ご住職の文化的な取り組みが有名なお寺。
建設中の三重塔も知る人ぞ知る存在。
朱印帳と一緒に納め札を差し出すと、きちんと観音様の前に供えてくださった。ありがたい限り。
(文京区向丘2-35-3)
※「清林寺さんがの会」ホームページはこちら

 

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札所10番 湯嶹山常光院浄心寺

札所10番の浄心寺は、本郷通り沿いにあって、彩色された大きな布袋尊がお寺の目印。浄土宗のお寺で、鉄筋コンクリートの立派な本堂を備える。札所本尊は「子育て桜観音」と呼ばれる十一面観世音菩薩。
ご住職が不在とのことで、この三十三観音めぐり初となる書き置き朱印を頂く。こちらのご住職は、生命と仏教の問題に造詣が深く、生命倫理学会や仏教ホスピスなどの活動で知られているほか、仏前結婚式も手掛けられている。
(文京区向丘2-17-4) ※浄心寺ホームページはこちら

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札所23番 金龍山大円寺

江戸三十三観音霊場が「昭和新撰」となって再編成される時に欠番を埋める関係だろうか、向丘周辺でこのお寺だけが20番台の札所番号を持つ。山号は浅草寺と同じだが、こちらの札所は曹洞宗のお寺。都立向丘高校の裏手にあり、八百屋お七ゆかりの「焙烙(ほうろく)地蔵」が有名なお寺だ。札所本尊は聖観世音菩薩。
こちらも本堂の前でお参りしてから庫裏に御朱印を頂きに伺うと、応対してくださったご住職の奥様が「本堂でお参りしてください」とのことで、お言葉に甘える。お寺の中は何やら普請の最中でお忙しいはずなのに、奥様が御本尊やもともとは高村光雲の作だった七つの観音像について丁寧に説明してくださる。光雲の手による観音像は戦災に遭ってしまったが、難を逃れた胎内仏を基に戦後になり光雲の弟子らが再現したものが、現在の七観音という。金色に輝く大きな観音様を間近に拝むのは初めてで、しばし迫力に圧倒される。
このお寺では、私が持っていた数珠が切れているのに気付いた奥様が代わりの数珠を下さったり、曹洞宗の暦を頂いたりした。早くお礼参りをせねば。
(文京区向丘1-11-3)

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札所11番 南縁山圓乘寺

境内に八百屋お七の墓があることで知られる、天台宗のお寺。札所本尊は聖観世音菩薩。細い道に面して八百屋お七の墓があって、その脇を参道が入っていくちょっと奥まった場所にあるお寺だ。
本堂は鉄筋コンクリート造りだが、田舎のお堂然としたコンパクトな大きさだが、ちゃんと納経所が設えてあるのは、さすが江戸観音の札所。お七の墓があるせいだろうか、参拝者が絶えない。参道は周辺の生活道路になっている。
(文京区白山1-34-6)

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札所12番 無量山傳通院壽経寺

3時を過ぎて雲行きも怪しくなってきたが、頑張ってもう少し回る。圓乘寺からは少し距離があり、急な坂を上る。途中には善光寺の別院もあった。
傳通院は、徳川家との関係が深いことで知られる浄土宗のお寺。札所本尊は無量聖観世音菩薩。
木像の観音様は本堂の中に祀られているが、それとは別に納経などを扱う「観音堂」の中にも、金色の観音様が祀られている。こちらの観音様の前にはテーブルや椅子が設えてあって、暫しの休息ができる。観音様の近くでお茶を頂けるなんて、ありがたいことだ。
(文京区小石川3-14-6)
※傳通院ホームページはこちら

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札所13番 大本山護国寺

傳通院から地下鉄三田線の白山駅に出て(今考えると春日駅を使った方が良かった)、千石駅で都バスに乗り換えて護国寺に向かう。
ここは、真言宗智山派の大本山。札所本尊は如意輪観世音菩薩。大本山だけあって、とにかく境内が広い。本堂に「お参りご苦労さま」というイラストを添えた張り紙がしてあるのが、微笑ましくいい感じだ。その本堂の前では、大きな仮設舞台の普請で職人さんらが大忙し。節分会で使うのだろうか。
御朱印はモダンなオフィスビルという趣の本坊(寺務所)で頂く。ここは多数の霊場の札所になっているので、浅草寺と同じく「江戸三十三観音の巡礼」と伝える必要がある。対応してくださったのは修行中と思しき若いお坊さんだったが、きびきびと仕事をされていた。
ここのお寺の特徴は、「大本山」でありながら地域の人たちの暮らしに溶け込んだお寺であることのようだ。境内では中学や高校の部活のトレーニングが行われていたし、親子で境内を散歩する光景も見られた。小さな男の子を連れた若いお母さんは、本堂の前で「なむなむしてから帰ろうね」と坊やに話し掛け、本堂の前で揃って手を合わせていた。若いお母さんでも、こういう人がいるんだな。
※護国寺ホームページはこちら

次回は札所14番の目白不動から回るが、次の休みまでに風邪が治るかな…。

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歳のせいか、風邪を引くと体力もそうだが気力を消耗するようになった。写真のアップは後日になるが、重ねて御容赦の程を。

江戸三十三観音めぐり(1)

お出かけ 御朱印 日記 江戸三十三観音 霊場巡礼

先日のこのブログにも書いたが、「昭和新撰江戸三十三観音霊場」を回ることにした。
もともとは江戸時代に開創された霊場だが、その後の変遷を経て戦後になってから現在の姿になった。札所1番の浅草寺から、札所33番の目黒不動尊まで、番外1カ所を含む34のお寺が、東京23区の各地に散らばっている。
歩き甲斐が有りそうだし、私の通常の行動パターンからは完全に外れている中野区や世田谷区のお寺もあり、いろいろな発見もありそうだ。インターネット上の情報では、法話好きのご住職が巡礼者をなかなか帰してくれない「難所」とされる札所もあるようで、その点でも楽しみである。

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札所1番 金龍山浅草寺

昨日は一時小雪が舞うあいにくの空模様だったが、予定通り札所1番からお参りしていく。
札所1番の浅草寺は、言わずもがなの「浅草の観音様」。訪れたのが土曜日の昼前ということもあるが、雷門から本堂(観音堂)まで人の波が続く。
浅草寺の札所本尊は聖観世音菩薩。ちなみに浅草寺は「聖観音宗」という独立した宗派である。
本堂にお参りして、奥まった場所にある納札箱へ納め札を入れてから朱印所へ向かったのだが、こちらも長い行列。境内が相当混雑していても朱印所だけは空いていることが多いのだが、どういう風の吹き回しだろうか。列が長い上に七福神と観音様両方の御朱印を頂く人が多く、列は長くなる一方。私の番が来るまで15~20分ほどかかっただろうか。
浅草寺は坂東霊場の札所も兼ねているので、御朱印を受ける時は「江戸三十三観音の巡礼」と朱印所の人にきちんと告げないと、坂東札所の朱印が押されてしまう。
(台東区浅草2-3-1)

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札所2番 江北山清水寺

仲見世を少し雷門方向へ戻り、伝法院通りとの交差点を右に曲がり、あとは伝法院通りをひたすら合羽橋方向に歩く。清水寺は正午から午後1時まで御朱印を受け付けていないことは知っていたので、途中の「浅草テプコ館」で時間調整を兼ねた小休止。1階のロビーでは一コマ漫画の展覧会をしていたが、知り合いが出展していてちょっとびっくり。
清水寺は「せいすいじ」と読み、天台宗のお寺で札所本尊は千手観世音菩薩。ここは合羽橋道具街のメーンストリートに面していて、鉄筋コンクリートのモダンな造りのお寺だ。本堂は2階にあり、例によって外で「般若心経」を誦んでから御朱印を頂きに寺務所に伺うと「本堂でお参りしてください」とのことで、お言葉に甘える。お線香を上げ、般若心経を再び誦んでから寺務所に伺うと、ご朱印が出来上がっていた。
ここのお寺、平日の日中は法事などが行われていない限り、本堂内でお写経ができるという。快く本堂に上げて頂いたことといい、できるだけ地域に開かれた運営を心掛けているお寺のようだ。
(台東区松が谷2-25-10)

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札所3番 大観音寺

清水寺を出た後、実は先に札所4番の回向院にお参りしようと菊屋橋から両国行きの都バスに乗ったのだが、バスを降りると目の前の回向院では檀家さん? のお葬式の最中。とてもお参りできる状況ではなく、そのまま人形町にある札所3番の大観音寺に向かう。
大観音寺は浅草寺の末寺に当たり、札所本尊は聖観世音菩薩。人通りが多い人形町通りに面しているお寺だが、日中は本堂に上がってお参りやお写経をすることができる。私ももちろん、本堂に上がって、前立ち本尊の前で般若心経を誦む。ご住職の奥様と思しき女性がご朱印の対応をして下さったが、なかなか力強い墨書きである。朱印所には巡礼用品が結構品揃えされていて、本寺の浅草寺の授与所や朱印所では見かけなかった物も多い。
(中央区日本橋人形町1-18-9)

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札所5番 新高野山大安楽寺

大観音寺を出てから、人形町通りをまっすぐ岩本町方面に進み、札所5番の大安楽寺に向かう。
ここは高野山真言宗のお寺で、札所本尊は十一面観世音菩薩。隣接する身延山別院と併せ、時代劇によく出てくる「小伝馬町牢屋敷」の跡にあるお寺として知られる。やや古めかしい鉄筋コンクリート造りの本堂だが、関東大震災に遭った本堂を1929(昭和4)年に再建したものという。その後の戦災はこの一角だけは被害を免れた由。
御朱印は本堂脇の庫裏で受けるのだが、ご朱印と一緒に小さなお姿を頂いた。300円の朱印代ではちょっと申し訳ない気分…。
このお寺でお参りしていて気になったのが、参拝者のマナー。私が本堂前で心経を誦んでいる最中、後ろからやってきた50代くらいのカップルは本堂に手を合わせることすらなく、お経を誦む私に訝しげな視線を送りながら庫裏の玄関へ直行し、朱印帳を差し出していた。ご住職から朱印帳を受け取った後、私に大観音寺への道順を聞いたが、こちらが説明しても「ありがとう」の一言すらない。こういう方は、浅草寺で朱印を受けると合紙代わりに添えてくれる、「ご朱印について」という印刷物を33回、いや108回ほど読むといい。情けない限りだが、浅草寺や清水観音堂で最近多い西洋系外国人の方が参拝や朱印を受けるときのマナーはしっかりしている。
そういえば、先日東海七福神を回った時も某寺社に「朱印帳は開いて渡すこと」という張り紙があったが、あの世代の参拝マナーって本当に良くない。
(中央区日本橋小伝馬町3-5)

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札所6番 東叡山清水観音堂

小伝馬町から地下鉄で仲御徒町へ。「鈴本演芸場」に好きな噺家が出ていたら寄って行こうと思って前を通るが、顔ぶれを見て寄るのをやめ、上野公園内を散歩。日が暮れかかっていたが、「清水観音堂」が開いていたのでお参りする。
札所2番とは違い、こちらは清水を「きよみず」と読み、同じ上野にある天台宗寛永寺の末寺に当たる。その名の通り、京都の清水寺の舞台を模した造りだ。
場所柄もあるのか散歩感覚でお参りしている人が多い。朱印帳を手にした外国人の姿も目立つ。
(台東区上野公園1-29)

本日の巡礼はここまで。次回は回向院にお参りしてから、湯島など文京区方面の札所を巡ろうと思う。
ところで、観音霊場や弘法大師霊場を回る時に欠かせないのが納札とも呼ばれる「納め札」。私も札所で奉納しようと思い、浅草の巡礼用品店で探したが、江戸札所用のものはないようだ(秩父札所や坂東札所向けには、専用の納札があったのだが)。試しに自作してみたので、PDF形式にしてここで公開させていただく。次に江戸札所を回る誰かのために、私からの「お接待」だ。
江戸三十三観音納札(PDF)
※別ウインドウで開きます。
※利用するにはPDF閲覧ソフトが必要です。

東海七福神めぐり

お出かけ 七福神 御朱印 日記

この週末も七福神巡りに出掛ける。今回お参りしたのは、品川区と大田区にまたがる旧東海道沿いにある「東海七福神」。ここの七福神は、ご開帳が立春まで続く。

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品川で京浜急行に乗り換え、新馬場で降りる。大黒天を祀る品川神社は、駅北口のすぐ前だ。
急な階段になっている参道の入り口脇に、石像の大黒天が鎮座している。境内が周囲より少し小高くなっているのは、富士講の名残らしい。境内には末社として浅間神社も鎮座している。

商店街を進み、布袋尊を祀る「養願寺」へ向かう。駅に七福神のパンフがなかったので商店街にある街づくり団体の事務所でガイドマップを求めたのだが、なんと50円の「有償」。抜け目ありまへんな…。養願寺は「虚空蔵尊」の通称で親しまれている天台宗のお寺だが、山門がなく路地裏に直接本堂が面しているのは、「田舎のお堂」のような感じで微笑ましい。

虚空蔵尊の前の路地をそのまま進むと、寿老人を祀る「一心寺」。こちらは「品川成田山不動尊」の方が通りが良い、真言宗のお寺。境内がコンパクトなのは虚空蔵尊と同じだ。ここからは旧東海道をひたすら南下する。安くておいしそうな食べ物屋さんがたくさん並んでいて、お参りよりも食欲の方に走りたくなる。

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恵比寿様を祀る「荏原神社」は、創建から1300年ほど経つという古社。参道の脇に石像の恵比寿様が祀られているが、手にしている釣竿はちゃんと竹でできていて、釣り糸も付いているなどなかなか芸が細かい。境内では梅が咲きだしていた。

毘沙門天を祀る「品川寺」は真言宗のお寺。このお寺は「金生七福神」という1カ所七福神を祀るお寺でもある。毘沙門様はなかなかの迫力。

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福禄寿を祀る「天祖諏訪神社」では、社務所横の建物で木像の福禄寿がご開帳されていた。頭を撫ぜると福徳を授かる御利益があるそうで、もちろん私も頭を撫でてきた(笑)。

札所の最後となる、弁財天を祀る「磐井神社」だけが大田区の地籍となる。弁財天は、社務所の南の生けのそばにあるお宮の中に、小さなお姿が祀られている。
こちらには「大田区内の神社めぐりマップ」が置いてあり、200円とのことで早速求める。大田区内で神職が常駐している神社を回ってスタンプを集めるようになっている。このパンフを持っていけばほかのお宮でスタンプ代は不要のとのこと。私は御朱印も頂くから、どっちみち志納はするわけだが…。

京浜急行の駅数にすると結構な距離を歩いているはずだが、食事の時間を含めて3時間ほどでお参りできた。どこの社寺も東京23区内とは思えないアットホームな感じで、大変好ましい。あちこちに手ごろな食事どころが多いのも、ポイントが高いかも。

お正月から続けてきた七福神参りも、ご開帳期間が限られているものはそろそろ受け入れが終わる時期。
今度は江戸三十三観音武州十二支霊場を回ろうと思う。

谷中七福神めぐり

お出かけ 七福神 御朱印 日記

昨日来の雪交じりの雨も上がり、今日は絶好の晴天。東京都の「谷中七福神」巡りに出掛ける:mrgreen:

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福禄寿を祀る田端の東覚寺から南へ進むルートで回る。
中でもすごかったのが、修性院の布袋尊。本堂に上げて頂いてお参りできたのだが、いいお顔だし迫力も十分。木像を漆喰で仕上げたものらしいが、「見ている間に日が暮れてしまった」という言い伝えも確かに頷ける出来栄え。

土曜日ということもあってか、どのお寺も結構な参詣者。バスガイドや先達さんに引率された団体参詣者の姿も目立つ。多くのお寺で本堂に上がって福神を心行くまで拝めるのも、人気の一因なのだろう。
3時間ほどかけて、弁財天を祀る不忍池弁天堂で無事に満願となった。

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ここの七福神を回るときにもう一つ楽しみだったのが、大黒天を祀る護国院の近くにある、妙泉寺というお寺の「貧乏が去る像」。
ユーモラスな表情の「貧乏神」の頭にお猿さんが乗っている姿を石像にしたものだ。貧乏神を撫でてからお猿さんを撫でると金運に恵まれるのだという。
私もそのようにしてお参りしてきたが、少しは金運が上がるかな。

なお、谷中七福神のご開帳は来年から期間が短くなり、1月10日までになるそうだ。

亀戸七福神めぐり

お出かけ 七福神 御朱印 日記

自分でもいつの分だか判然としない「祝日出勤の代休」で、7日は急きょ「休むように」とのお達し。
東京都内の「亀戸七福神」のご開帳期間が短くなってこの日までという話を聞いていたので、早速お参りしてきた。

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七福神の札所ではないが、亀戸駅からの七福神巡拝コース上にある亀戸天神にまずお参り。受験シーズンとあって境内は結構な人出で、社務所はお祓いやお守りを求める人で長蛇の列。御朱印も結構待たされた。神様も願いを聞き届けるのが大変じゃないのかな。
正月7日というのに、境内では早くも梅が咲きだしていた。

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布袋尊を祀る龍眼寺から時計回りに巡拝していく。
ここは天台宗のお寺で、萩寺として知られる。境内は新装したばかりのようできれい。本堂の向かい側にあるお堂に木像の布袋尊が祀られていて、心ゆくまで拝むことができた。境内には別の石像の布袋尊もあって、私的にはこちらのお顔の方が好みだw

路地を少し歩いて、福禄寿を祀る天祖神社へ。こじんまりとした境内だが、木々が鬱蒼と茂っていてどことなく厳かな雰囲気。こちらも福禄寿は別のお社に祀られているが、扉が閉ざされていてお顔を見ることができなかった。

続いて毘沙門天を祀る普門院へ。こちらも毘沙門天堂の扉が閉められていて、ご尊体を拝むことができない。都会のお寺では珍しくなった、「いかにもお寺」という感じの本堂や庫裏だ。

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大国神(大黒天)と恵比寿様を祀る香取神社は、普門院のすぐ近く。
ここは境内の末社として大国神と恵比寿様が祀られているが、私も含めほとんどの参拝者が、拝殿脇にある水掛けご尊体の方にお参りしている。体の悪い所に水を掛けて、束子で洗い清めると御利益があるのだという。私はもちろん、「頭」である。それも、髪の毛ではなく中身の方だがw
ご朱印などは拝殿の中で頂くのだが、ここの拝殿はちょっと変わっていて、靴を履いたまま昇殿して参拝したり祈祷を受けたりすることができる。

弁財天を祀る東覚寺は、真言宗のお寺。山門の脇に弁財天が祀られているが、御厨子が閉じられていてお顔は拝めず。
御朱印を寺務所で頂いたのだが、和尚さんがご真言を唱え、「家内安全」「諸願成就」と御祈祷してから朱印帳を戻してくれた。事務的に渡されることがほとんどだけに、心配りに感謝:mrgreen:

最後は寿老人を祀る常光寺。曹洞宗のお寺である。こちらは本堂脇のお堂に寿老人が祀られているが、御厨子が開いていてお顔を拝むことができた。かなり小さいご尊体である。

亀戸七福神の魅力は、巡拝コースがコンパクトで2時間足らずでお参りできること。起伏もほとんどなく歩きやすい。お年寄りの参拝が目立ったのもそのせいだろうか。
もう一つの魅力は「お姿」だ。七福神で頂くお姿は宝船に載せる小さなご尊体か、福笹に付ける絵馬というのが相場だが、この七福神のお姿は、なんとパズル。各社寺でお姿(200円)を頂き、別に求めた台紙(200円)の上にお姿のピースをはめ込んでいくと、宝船に乗った七福神が現れるという仕掛けだ。
小さな子どものお土産にもいいだろう。

東国花の寺 96番札所 海蔵寺(神奈川県鎌倉市)

お出かけ 御朱印 日記 東国花の寺 霊場巡礼

正月休みも今日まで。1日くらい遠出しても罰は当たらないよな…というわけで、ちょっと早起きして鎌倉へ出掛けた。

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最初に出向いたのは、「東国花の寺」札所96番の海蔵寺。臨済宗建長寺派の古刹である。周囲を山に囲まれた静かな場所にあり、今なお茅葺きの庫裏もいい味を出している。
このお寺は、東慶寺(縁切り寺)や瑞泉寺とともに鎌倉を代表する花寺として知られる。山門を入ってすぐのところに植えられた日本水仙が見ごろを迎えていて、写真を撮る人の多いこと。静かないいお寺である。

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いくつかのお寺にお参りしてから、鶴岡八幡宮へ。ものすごい人出で、正月4日だというのに、境内には入場制限が敷かれる有様。笑ってしまったのは、境内の整理に当たる警察官のアナウンス。「出来るだけお待たせしないようにしております」はいいとして、「焦ってお参りしてもいいことありませんよ」とか「皆さん年越しの蕎麦を食べたと思いますが、ご本殿はすぐそばです」「柵はあまり丈夫ではないので、寄りかかるとさくっと倒れます」などとオヤジギャグ炸裂w まあ殺気立ちやすい参拝客の心を和ませようとしているんだろうが、ほとんど木村太郎クラスの駄洒落連発に、一同大爆笑。
参拝後は境内のお庭で牡丹を観賞。「ちょうど咲き始めたところです」と受付の巫女さんは言っていたが、迫力十分で、片道2時間をかけて来た甲斐があった:mrgreen:

鎌倉の寺社では、これからいろいろな花木が楽しめるはずで、再訪を誓って鎌倉を後にした。
東京駅で途中下車し、新丸ビルの鳩居堂で4冊目となる朱印帳を買ってから帰宅。

東国花の寺18番札所 吉見観音・岩殿山安楽寺(埼玉県吉見町)

お出かけ 御朱印 日記 東国花の寺 霊場巡礼

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いつもお祓いを受けている神社から、荒川を渡って吉見町の「吉見観音」へ。このお寺には何度もお参りしているが、今回は「東国花の寺」札所18番としての参拝だ。

吉見観音というのは通称で、お寺の正式な名前は「岩殿山安楽寺」。坂東三十三観音霊場の札所11番として知られる、真言宗智山派の古刹である。
いつもなら、いかにも古刹という佇まいの静かなお寺なのだが、今日は臨時駐車場もほとんど満車になるほどの人出。参拝者の年代を見ると、若い女性やカップルが多い。地元紙「埼玉新聞」の新年号にも載っていたが、「願い事を何でも叶えてくれるお寺」としてとあるブログで紹介されてから女性らに人気なのだという。
ただその「作法」が、「最寄り駅から必ずタクシーを使う」とか、「電車の中である菓子パンを食べる」「大吉が出るまでおみくじを引き続ける」など、私らの世代には理解不能なことが多いのだとか。近所のお寺の参拝者が増えるのは喜ばしい限りだが、アニメヲタの「聖地」と化した埼玉県内の某神社のようになるのは、ちょっと…。

参道には地元郵便局の臨時出張所が出ていた。風景印があるかと思って訪ねてみたら、「うちの局ではやっていない」とのこと。年賀はがきしか置いてなかったし、「増収」意欲あるのかな…。

本堂は参詣者でにぎわっていたが、お庭で遮られた裏手にある納経所一帯は静寂そのもの。花の寺の御朱印をお願いすると、嫌な顔一つせず快く引き受けてくださる。花の寺めぐりの場合、書き置きの朱印に日付を入れて渡されることが多いのだが、ここでは専用用紙に目の前で墨書きして、御宝印を押してくださる。ありがたい限りだ。
納経所では、「彩の国武州十二支霊場」の巡礼方法についても教えて貰った。朱印帳ではなく専用の色紙を求め、そこに朱印を受けながら巡礼するシステムとのこと。この十二支霊場、1カ所を除きわが家から車で数十分圏内に札所が集中していて以前から興味があったのだ。

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吉見観音の見所の一つが、本堂右手にある立派な三重塔。お参りの折はこちらもぜひ見てほしい。

本日もお参り日和

お出かけ 御朱印 日記 街で見かけたもの

今日も朝から絶好の晴天。少し朝寝坊してしまったが、車で近所の寺社を巡る。

最初に訪れたのは、わが町の総鎮守の神社。ここ数年、この神社で厄除けのお祓いをしてもらっている。昨年で厄年は終わったのだが、これまでのお礼を兼ねて「除災招福」のお祓いを受ける。
いつもは正月2日は参拝客もかなり減るのだが、今日は昼近くなっても結構な人出。通常なら神職は宮司さまお一人の神社なのだが、今日は助勤の神職さんが2人お見えになっていて、お祓いにてんてこ舞いの様子。
社務所で申し込んだらすぐに拝殿に上げて頂いたが、それぞれ願意が違う十数人をまとめてのお祓い。ここの神社は玉串の奉奠や鈴祓いもしっかりやるから、神職さんや巫女さんは大変だろうな。
授与品はいつもの通り、お札と「お下がり」として五穀米の素と入浴剤、そして神社暦。車に備え付ける交通安全のお守りも頂いた。

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車を止めた神社近くのショッピングセンターは今日が初売り。その割りには人出が少ないが、ここのショッピングセンター大丈夫か…かくいう私も縁起物のパン(写真)を買っただけで退散。

次に訪れた「吉見観音」(比企郡吉見町)は東国花の寺としてのお参りなので、別稿で。

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住まいからそう遠くないのに今まで足を運ぶことのなかった、「岩殿観音」にもお参りする。ここは坂東三十三観音霊場の札所10番として知られているが、最近は「七観音霊場」というものに力を入れているようだ。吉見観音と違って境内は静寂さが支配しているが、お正月ということも遭って参拝者が絶えない。最寄り駅からバスでお参りできるのも人気の一因だろうか。

与野七福神めぐり

お出かけ 七福神 御朱印 日記

今日は一日、いかにも元日らしい晴天。少し寒かったが絶好のお参り日和なので、以前から計画していたさいたま市内の「与野七福神」めぐりに出掛けてきた。ここの七福神は御開帳の期間が短いので、機会を逃すと来年になってしまい、鬼に笑われるw

ここの七福神を知ったのは、「サイタマージャン」というパソコンのゲームで遊んでいたときのこと。「ポンジャン」の牌を埼玉県内の地名にしたり、リーチ棒が「十万石饅頭」だったりと、埼玉県民か出身者でないと面白さが分からないゲームなんだが、その役の一つに「与野七福神」というものがあり、調べたら実在する七福神で御開帳期間の短さから巡拝することが難しいのが分かり、お参りの機会を狙っていたというわけだ。

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JR埼京線の電車を与野本町駅で降り、改札口で地図を貰って弁財天を祀る弘法尊院から回る。駅からは20分少しで結構奥まった場所にあるお寺だが、道標代わりの幟が要所要所に立てられていて、迷わずにたどり着けた。
本堂を建て直す予定があるとかでプレハブの仮堂が建っているが、中では護摩を焚いての御祈祷が熱心に行われている。弁財天は境内のやや奥まった場所にあり、そばには四国八十八箇所のお砂踏み霊場や、茶吉尼天を祀った出世稲荷もある。

つぎの毘沙門天を祀る「鈴谷大堂」は、弘法尊院から歩いて15分ほど。地元で管理している阿弥陀堂のようで、毘沙門天はお堂の中で御開帳されていた。いかにも「地元のおじちゃん、おばちゃん」のような人が七福神巡礼者へのお接待に当たっていて、微笑ましい。

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大黒天を祀る「円乗院」は「彩の国さいたま芸術劇場」の近くにあって、鈴谷大堂からは歩いて20分ほど。山門のそばに大黒天の石像が祀られているが、本堂では木像の大黒天が御開帳されていたが、私はユーモラスな表情をしている石像の方が好きだ。納経帳への御朱印はご住職が自らして下さる。鐘が自由につけるようになっていたので、私も試してみたが、心掛けが悪いせいかいい音が出なかった…。

寿老神を祀る「天祖神社」は円乗院から歩いて5分ほど、与野公園の中にある。寿老神の木像は、小さなお宮の中で御開帳されていた。ここのお宮は通常は無住のようだが、地域にお住まいと思しき宮守の方が、一生懸命御朱印を書いてくださる。おまけに、書き終わったら火打石で厄払いまでしていただき、感激もの。「3回打って全部火花が飛んだ。今年はいい事あるよ」と声を掛けてもらった。

恵比寿神を祀る「一山神社」は、天祖神社から歩いて15分ほど。社紋からみて御嶽信仰の流れを汲むお宮のようである。参道は長い列で、お参りが終わるまでちょっと時間が掛かる。拝殿では神事が行われていて、恵比寿様がどこに祀られているかは確認できなかった。

最後にお参りした「氷川神社」は福禄寿を祀っていて、一山神社から歩いて10分足らず。ここも参拝客が参道に長い列を作っている。木像の福禄寿は拝殿の中で御開帳されていた。

帰りは氷川神社の前からバスで大宮へ出て、そのまま帰宅。万歩計は1万1000歩を超しており、正月の運動不足をいくらか解消できた。

行田救済菩薩十五霊場巡礼(6=完)

お出かけ 御朱印 日記 行田救済菩薩霊場 霊場巡礼

「行田救済菩薩十五霊場」巡りの続き。

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13番札所 真言宗成就院

13番札所の「成就院」は真言宗智山派のお寺。12番札所からはすぐである。
このお寺は1580年ごろの開基と伝えられ、巡礼仏は葉衣(ようえ)観音。信者が暮らす地域を罹病と罹災から守り、その統治者を守護するとされる観音さまだ。

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成就院は県文化財に指定されている三重塔が有名だ。葉衣観音はこの三重塔の塔内本尊である。享保14年(1729年)に建立された三重塔は、地域の棟梁らの手によるもので、高さ11.18メートル、1辺2.24メートルという小さな塔だ。小ささ故に通常の塔では見られない、珍しい工法が用いられているという。
御朱印を頂くと、由緒書とカラー印刷の「お姿」を頂いた。お姿を頂いたのはこの霊場では初めてで、200円の朱印代だけではちょっと申し訳ない気分になる。
(成就院 行田市長野7618=地図はこちら

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14番札所 臨済宗安楽寺

続いての14番札所「安楽寺」は、行田市街から旧川里町を経て蓮田市に通じる県道から少し入ったところにある。目印は行田埼玉郵便局。この霊場唯一の臨済宗のお寺で、巡礼仏は聖観世音菩薩。開基は1530年ごろと伝えられる。
本堂の扉は閉められていたが、よく見ると「昼間は鍵を開けているので扉を開けてお参りください」との掲示があるので、お言葉に甘えて扉を開けて般若心経を詠む。物騒な折、こういう心配りをしていただけるのは非常にありがたい。
このお寺はかつて存在した「西行寺」で信仰されていた「子持地蔵」が今なお伝えられていることで知られる。子宝や安産に御利益がある高さ10センチほどの小さなお地蔵さまで、御利益を願う女性がお守りとして身に着けたとされる。
(安楽寺 行田市埼玉4977=地図はこちら

 

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15番札所 真言宗満願寺

この霊場最後の札所となる「満願寺」は、真言宗智山派のお寺。結願札所にふさわしい、ありがたい名前のお寺である。
満願寺の開基は1580年ごろとされる(1300年ごろとする資料もある)。巡礼仏は歓喜天。その歓喜天は本堂横にある別の堂に祀られる。地元では「野村聖天」の通称で親しまれている。
このお寺には、「東国花の寺」参りで以前にも訪れている。御朱印を頂きに庫裏に伺うと、応対した副住職さまは私のことを覚えていてくれた 座布団とお茶を勧められ、奥から出てきたご住職も交え、結願のお礼をしてから、しばらく世間話に話を咲かせる。キセルをくわえるご住職、なかなか粋である。 こういう触れ合いが、寺社巡り大きな醍醐味の一つだ。
「東国花の寺」同様、行田霊場巡りでの参拝も庫裏で記帳するのがこの寺の決まり。都合2度目の記帳と相成った。このお寺名物の枝垂桜が咲く時期に再びお参りすることを約束して、お寺を後にした。
(満願寺 行田市野744=地図はこちら

地元観光協会のホムペにも案内がない、「知る人ぞ知る」霊場だがどの寺院も受け入れ態勢が整っており、境内の手入れが行き届いていることもあって気持ちよく巡礼することができた。パンフレットのキャッチコピー通り「つかれた心身を癒す修養霊場」と言える。都内からそう遠くない霊場だし、少しでも参拝者が増えればと願う。
※「行田救済菩薩十五霊場」全体の地図はこちら
※特記したもの以外、各札所の所在地・開基・巡礼仏は霊場会発行のパンフレットを出典にしている。

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